Ⅲ-20 ふたりいっしょなら

 二人の戦闘が始まってから私は渾身の力で雪の中を這いずり、倒れているマルールへと近寄った。Legion Graineを取り込んでいる彼女なのに何故かぴくりとも動かない。蹴り上げられた顔は血まみれになり、彼女が受けた衝撃と痛みの強さを物語っていた。


 どうして私を助けようとしたのだろう。死なないとわかっていながら、どうして身を呈して守ろうとするのだろう。


 目が覚めないのはLegion Graineの個人差が、彼女の死を克服できないからだろうか。だとすれば、彼女はもう。


 何もかもわからない。


「ごめん、なさい……」


 私のせいで二度も死なせてしまった。だからこそ、余計にどうしたらいいのか、もう見当もつかない。


「……」


「……?」


 そこで微かな唇の動き。何か呟いている。生きていた──その気持ちよりも先に、私は唇に耳を寄せた。彼女は耳を澄まさないと聴こえないくらい、静かに囁いた。



 探しに来てくれてありがとう、エルネスティー。


 少しわたしの話を聞いて。


 そんなに長くないから。


 わたし、間違ってた。自分の考えも行動も。ずっと悩んでどうしたらいいのか迷ってたんだ。


 君とは一緒にいたかった。でも記憶を思い出して、パパがわたしを探してるって事も同時に思い出した。だからどうするのが一番なのか考えて、結局君から離れる事に決めた。


 君に決めて欲しいって言ったのはわたしだったのに、わたしも君と一緒にいたいのに、どっちの気持ちも騙して逃げたらパパと山小屋で再会して、そこでパパに言われた。わたしが考え事なんて冗談きついってさ。それで何か吹っ切れた気がした。


 色々な事が半信半疑で、自分で悩んで答えを出そうと思ってたけどぜんぶ中途半端で、わたしはこれからもひとりで答えを出すの、多分無理だと思うんだ。


 ねえ、エルネスティー。


 わたし死ぬほど弱いけど、君を守りたいよ。


 何度死んだって君を守るから。


 だから、一生、一緒にいていい?

 


 唇以外全く動かさない彼女の、その意味も意図もわかった。私は彼女の胸に顔をうずめ、小さく、何度も頷いた。いつの間にか彼女の体温が伝わり、私の手も顔も温かくなっていた。


 今はまだ泣かないで──最後にその声が届いて、彼女は唇を動かすのをやめた。


 私はなお殺し合う二人に視線を移した。私たちになど目もくれず必死の勢いで戦う彼らは、少し離れた位置で粉雪を巻き上げながら刃を交え血を流していた。さらに視線を巡らすと、マルールの手から離れたライフル。あれを取りに行かなければ。


 まだ這うだけの力が湧き出てきて良かった。私はそちらへ向かって再び雪の中を進んだ。温かくなっていた体温は雪に奪われ急速に手がかじかむ。一刻も早くマルールにライフルを渡さなければ、二人は殺し合いを続け、そしてどちらかが死ぬ。


 ライフルに辿り着き、腹の下に隠し持ち、抱え込みながらマルールの元へ戻る。彼女のすぐ手元にそれが来るよう体勢を整えた。彼女を見ると、逃げて、と唇が動く。ライフルを雪で覆い隠し、戦闘から逃れる方向へ這って進んだ。


「……少しは持つようになったみたいだな」


「いつまでもクソガキじゃねえ」


 彼らのやり取りが耳に届く。マルールにも聞こえているだろう。激しい剣戟と間合いを取る間に交わされるそれは、二人の内面が見え隠れしていた。


「そうかもな。お前は老けた。何だその白髪」


「うるせえクソ黙れ」


「言葉遣いは相変わらず乱暴だが」


 首だけで振り返ると、エリクのナイフがトワイズの脇腹を掠め、そこから血が出ていた。新しい傷を負った筈のトワイズはしかし、表情ひとつ歪めない。


「目の前から消えて、てめえがいない世界を仲間と渡り歩いて、どうにも満たされない感情が日に日に増していく」


「そうか。そりゃ──悪かったな!」


 エリクは隠し持っていた親指大のナイフを投げた。防ぎ切れなかった数本が肩に刺さり、脚に刺さった。それでもトワイズの表情は変わらない。


「俺みたいなクソ野郎を何人殺しても世界はちっとも変わらねえよ、イェク……。てめえは死んですらいないのに俺の世界をまるっきり変えやがった」


「っ!」


 トワイズの刃がエリクの額を裂いた。大量の血が溢れ出し片目が血で被われる。拭っても拭っても止まらないらしく、そのうち彼は諦めてトワイズに再び立ち向かった。


「俺はてめえが憎い。だけど約束は大切だった。覚えてるよな、レティシアを育て生き続けられるよう訓練する事。これだけは守り抜いてきた」


「ご苦労な事だ」


 そこからまた激しいやり合いが始まった。


「てめえからもレティシアからも、仲間からも嫌われた。俺は別に長生きじゃない。特別強い訳でも無い」


「お前は僕をどうしたい」


「この世界から消し去る。目を瞑るたびチラつくんだ。そのムカつく顔消してやるよ」


「その願いはいつからだ」


「お前がCold Boarを辞めると言った瞬間から──最初は怒りだけだったが生きていくうちに気付いた。怒りとは違うな、これは」


「僕はエルネスティーに対して同じ気持ちを抱いた。僕は逃げた。逃げて他の人に任せてきた。やっぱり僕ら似てるな。一番最初に声を掛けたのもトワイズだった」


 トワイズの刃を横に避けたエリクが袖から隠しナイフを取り出した。そのままがら空きの横腹に深々と突き刺さった。途端に呻き声を上げ距離を取るトワイズにエリクは追撃のダーツの矢を投げ、その全てが筋や腱のある部位に突き刺さって彼は地に伏した。


「こ、の老耄おいぼれが……っ」


「ダーツの腕だけは達者だった。こいつには何度か救われた。教えてくれたトワイズには感謝してる」


「俺の特技はペテンだ……」


「そうだったな」


 エリクはトワイズの胸ぐらを取って首に刃を当てた。


「僕の邪魔するからだ。報いを受けろ」


 首に刃がくい込んだ瞬間マルールが動いた。素早く上体を起こしライフルでエリクを捉え、その肩を吹き飛ばす。その間にマルールは刺さっていたナイフを抜き取り、這い進む私を背負ってその場から一目散に離れた。


「マルール……」


 走るのに一生懸命なのか答えない。後ろから声が聞こえた。


「いい加減にしろよ……!」


 エリクが隠し持っていた拳銃をこちらに向けていた。しかし引き金が引かれる瞬間、起き上がったトワイズが彼に覆いかぶさり銃弾は全て防がれた。マルールはなおも走り、二人から遠ざかる。


「レティシアぁ……!」その声に足元が揺らいだ。立ち止まろうとしたのかもしれない。けれど彼女は止まらなかった。


「この……親不孝者がよぉ……」


 その瞬間、エリクの叫び声が細く、長く聞こえた。


 声も、マルールの息遣いも、次第に何も聞こえなくなって、私もそこで意識が途絶えた。

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