Ⅱ-21 明日知れぬ身の悪夢は終わり

『ごきげんよう、アンルーヴの町の民よ。町民大会も最終日である。今日という日は心地良い気温と秋晴れに恵まれ、多くの実りを糧とした料理も、例年より数倍の質と量を諸君の前に提供する事ができた。これに関し、アンルーヴ町長ベルトラン・バラデュールより最大の敬意を表して、皆にお礼を言おうと思う。町の民よ、ありがとう。


 ……さて、話が少し暗いものに変わる事を許していただきたい。数年前、この町で大きな禍が起きた。たった二ヶ月で二千人の死者を出してしまい、後遺症として今尚少数の町民が苦しんでいる。その禍で大切な人を奪われた者も多いと思う。その禍の名は、日没病。かつて私の父の命を苦しませながら奪った、病の名でもある。


 今ここにおられる諸君らが町の医師会の功績を感謝や尊敬と共に称えたのは記憶にも新しいだろう。私も後日、彼らには多大な功労を残した者として表彰した。しかし私はある日、父が生前書き残していた口述筆記を見付けた。そこには驚きと悲しみと希望、日没病の災禍のさなかの父の率直な思いが綴られていた。


 ──町の者が青い魔女と呼び恐れ慄く存在が私の邸宅へ直談判しにやってきた。曰く日没病に効く薬を造ったから、現物と製造方法を受け取って欲しい、との事だった。


 私は彼女の言葉の真意を、病床に伏しながら正常な判断を下せる者としてあったにも関わらずそれを理解できなかった。調印のみをして判断を全て町の医師会の者たちに任せた。しかし、それが過ちだったのかもしれない。


 医師会と青い魔女の議論は一ヶ月もの間平行線を辿った。そこで私は町の幾人かの病人を薬の被験者として募り、実験してみるしかあるまいと提案した。医師会が折れる事で実験は始まり、結果として被験者十名の内八名が、後遺症無く完治する事ができた。後は全て町の医師会の手に委ねられ、青い魔女、エルネスティーと名乗る少女は再び地下へと戻っていった。


 私はただただ驚いた。このような錬金術のような御技を持った存在がこの町にいる事に。そして、町の人から蔑まれていようと、命を救うためならばその悲しい事実をものともしない強靭な精神力に。


 私はもう手遅れだそうだ。被験者を募る時、彼女を信じて自らを差し出せばよかったものを、ほんの少しばかりの疑義を抱いてしまったばかりに。息子よ、すまない──


 ここで父の日記は絶筆となっている。しかしこれは私の父の真言である。私はこの言葉を信じ、町長就任当時からエルネスティー殿を是非とも町の者として迎え入れたいと思っていた。彼女には何らやましい事など無かったのだと。むしろこの町を影から救ってくれた真の英雄なのだと。どうすれば町の者たちを説得できるか数年考えあぐね、私から直々に彼女らを食事に招待する事にした。しかし、マルール殿とこの町の患者について調べていた折、またしてもこの町に禍が降り掛かった。


 その禍の名は、煉獄病。体が黒くどろどろになり、炭化したように固くなり、呼吸困難や麻痺、言語障害などを引き起こす。諸君らの中にもその病に苦しんだ者があろう。多くの町民がその苦しみを味わった。


 ……しかし、またしても──さあ、二人とも──彼らがこのアンルーヴの町を救ってくれた!


 エルネスティー殿だけではない。こちらのマルール殿という者は、類いまれなる感性と直感と行動力で、エルネスティー殿が導き出せなかった問いの答えへと、彼女を導いてくれた。エルネスティー殿、マルール殿、この二人に。そして町の医師会の面々、親友バジーリオ、我が最愛の雌鳶シャンタル、人のように賢き猿シュトート……。全ての者の協力無くして今ここに町の民が集う事は決して叶わなかったであろう。我々は既に手を取り合っているのだ。


 どうか彼らを……エルネスティー殿とマルール殿を、町の民よ。受け入れては貰えないだろうか。もちろんすぐでなくともよい。少しずつ信頼を築いてゆこうぞ』


「あ、ベルトランさん。ちょっとそれ貸して」


『え? お、ちょ』


『あ、あー……えっと……みんな堅苦しく考えないで。でもこれだけは聞いて欲しいな。……この町を救うために、エルネスティーはこの町の誰よりも、一番、この町と、そこに住む人たちを救いたいって思ってた。どんな悲しい目に遭っても救えるのなら救いたいって、そう思っていた。もう誰一人死なせないって、誰にも知られず頑張ってきた。町のみんな。それだけ覚えておいてくれれば、わたしたちは十分受け入れられたって思えるよ。そうでしょ、エルネスティー』


「……ええ……」


 恥ずかしいからもうやめてちょうだい、と小声で囁かれ、わたしはさっさと話を切り上げる事にした。それにしても、こういうふうに恥ずかしがるエルネスティーって案外貴重かも。


『という訳です。以上、エルネスティーとマルールからの挨拶終わり。みんなじゃんじゃん目の前の料理に手え付けてね。ちなみにその料理のどれかはわたしとエルネスティーも作ったんだ。どれがわたしたちの作った料理か、当ててみてね。ヒントは木の実とウサギと三角形だよ──はいベルトランさん』


『えっ。え、と、という訳なのだ。日暮れも近い。さあ諸君。盛大に飲み食いするがよい!』


 さあ、これでもう十分。


「マルール、あぶなっ……」


「エルネスティーはさ、こういう人が一杯いる所、本当は苦手なんでしょ。だから二人で逃げちゃお。わたし、いいトコ知ってるんだ。今日がその日。天気もいいしばっちりだよ」


 呆けた顔のエルネスティーを抱えて壇上から飛び降りて、彼女を下ろして手を取り走った。ぽかんと口を開けて立ち尽くす人の群れをぐるり迂回、広場を抜ける。少し進むと背後から遅れて町の人の怒号が発せられ、それを拡声器で宥めるベルトランさんのノイズ混じりの声。怒号の内容までは、もうわからないほど離れた。


「二人きりになれる場所、あるんだよ」


 走りながら言う。


「どこ」


「森の中のちょっと開けたあの場所。あそこ、夜はきっと星が綺麗に見える。ギヨームさんに相談して馬と食べ物も準備してもらってるから、今夜はあそこで星を見て、久し振りにゆっくり過ごそう。たしかこの時期に見えるのは天の川って言ったかな……」


「……ええ。わかったわ」


 納得してくれたエルネスティー。それでわたしたちは、家の出入り口に馬を準備して待っていたギヨームさんに感謝して、二人乗れる馬に乗った。その馬はこの辺りの町でも一級の躾が行き届いた毛並みの馬らしい。わたしたちはゆったりと心地良く揺れるその上で語り合いながら、目的の場所へ向かったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る