Ⅰ-5 嘘を吐いたら針千本
外出した日から数日も経てば、わたしとエルネスティーの間に張りつめていた緊張感もおだやかなものになっていった。
今日は右腕の治療具合を診る日。わたしの回復力は高いらしく右腕の復活は今日だった。怪我をしてから数週間経つようだが通常の治癒力ならばありえないと彼女は言う。本当に人間かしら、と呟く声も聞こえた件についてはあえて反応しなかった。
エルネスティーが作ってくれたかぼちゃのスープを食べながら、わたしの左足の具合を見てくれている彼女に語りかける。
「わたしの怪我がこんなに早く治るのは、きっとエルネスティーの治し方に愛があるからだよね」
「愛なんかこめてない」
またまたあ、とわたしは笑う。
「だって、これだけ治るの早いのって人間離れしてるんでしょ?」
「それはあなたの治癒力が──」
「ちがうちがう。エルネスティーの治療が上手だからって意味」
ほら、薬も自家製だし、と笑って言うわたしに、心なしか彼女が照れくさそうにする。もちろん今でもことあるごとに新薬の効能を探りたいからと治験される時はあるし、薬がとてつもなく辛かったり、大笑いしてしまったりと、散々な目に遭うことだってある。
彼女が左足の木のギプスを外してその具合を診る。まだ心の準備ができていないし、かぼちゃのスープも置いていない。
「ちょっと動かすわ」
ちょっと待ってよ。
「いっ──たぁああ!?」
「ごめんなさい」
あまりの痛みで勢い余ってかぼちゃのスープをぶちまけるところだったのを、すんでのところで堪えた。
「い……あ……」
痛みの余韻に耐えながら、口の端からもれる呻きにエルネスティーは見事な無反応。
そういえば、薬の実験台にされるよりも苦しくてつらいのがこの怪我の治療具合を確かめる行為だ。右腕が治るまでもこうして逐一調べていたのだが、少し動かすだけで激痛と吐き気が襲う。
わたしが悶絶を無視するかのように患部をぐっと押し込む彼女の面の皮は決して厚くはない。むしろ人の皮を被った化け物も同然だ。でもそれは彼女の機嫌を口が聞けなくなるほどに損ねてしまうから、歯を食いしばるだけで我慢した。
「くっそ、くっそ、くっ……!」
痛みを力の限り精一杯我慢して持っていたスープをサイドテーブルの上に置く。すると、患部を押さえていた彼女の細い指たちがぱっと離れた。
「終わったわ。左足はまだしばらくかかりそうね」
わたしの叫びや呻きなんてどこ吹く風。しれっとそう言う彼女の肩に、わたしは自らの左手をかけた。ぶるぶると震える指はほんの少し食い込む。
「お願いだからちょっとだけ待ってくれないかな……」
「どうしたの。青ざめた顔で」
さしもの何度も同じことをされて許せるほど甘くはない。けれど彼女のわたしに対する不動の精神もまた揺るぎなかった。
「マルールもわかっているでしょう。いいかげん、診察中に食べ物を食べないで」
ぐぐ、と歯噛み。彼女の言うとおり診察中は診察をする時間であって、食べ物を食べる時間ではない。
「かぼちゃのスープはこれから問診後に持ってきてください。我慢できないです」
ぐっと彼女の肩に置く手に力がこもった。痛いはずなのに微動だにしない。
「最初からそう言えばいいのに」
かわいい顔して悪魔か。今までのは嫌がらせだったとでも言いたいのだろうか。投薬や診察の真面目さから見るに、彼女自身には意図している気があるわけではないようだが、わたしからしたら立派な嫌がらせだ。
けれど、だからといってこうして手厚く介抱してくれている相手に怒鳴りつけるなんて良心が傷む。結局わたしは諦めて、こうして彼女の少々押しの強い診察に身を委ねているのだった。
「これ……」
「どうかした?」
左足にギプスを当てなおし、続いて脇腹の様子を診ている彼女が不意に声を上げた。つられて脇腹の傷の様子を見てみると。
「化膿ね」
彼女の言う通り縫合した箇所は赤黒く変色し、その周囲は血の気が抜けたかのように真っ青になっていた。「これ、まずいの?」
わたしが問うと、彼女は「もう少し強い薬で細菌の活動を弱めないと。化膿の治療は結局、あなた自身の体の免疫にかかっているから」と答える。
エルネスティーは傷を見ながらしばらく考え込んだ。
「とりあえず膿は取り除く。その前に右腕のギプスを取るわ」
「あ、うん」
糸鋸を使ってギプスが外れると、すっかり筋肉が落ちて見るからに細くなってしまっている右腕。上手く動いてくれるかどうか知るために、伸ばしたり曲げたり捻ったりしてみるが、違和感らしい違和感もなく 普通に動いてくれる。どうやら本当に完治したようだ。
「うん。大丈夫っぽい」
「そう、良かった」
わたしは試しに食べかけのスープに右腕を伸ばしてみた。持ってみるとやはり多少は重く感じるし、震えて落としそうにもなるが、なんとか自分の元まで引き寄せることに成功した。
「これならすぐに重いものも持てるようになりそう。ほんとありがとう、大好きだよエルネスティー」
あれ、とわたし自身思いもかけない言葉に不意を突かれたのか、エルネスティーは虚を突かれた顔をした。
「あ、照れてる?」
「それもどうせ気休めでしょう」
「そんなことないよ、好きだよ」
心なしか怒っているように見えるのは気のせいだ。
「エルネスティーってクールなのに反応かわいい時あるから、なんかからかいたくなるんだよね」
ねえ、とにこにこ微笑みかけると、彼女はうつむきながらぼそぼそと呟いた。
「似てる……」
「え、なに、聞こえない」
「……なんでもない」
「──いったぁ!」脇腹をガーゼで押さえつけられた。それにしても、似てるってなにに?
茶番はそこそこに響く痛みを我慢して、再びかぼちゃのスープを手に取った。左手でスプーンを握り、彼女の手製スープに舌鼓を打つ。少し冷めてしまっているが、かぼちゃの甘みが優しくておいしい。
化膿の様子を詳しく知るために脇腹を観察している彼女に、こう問うた。
「そう言えばエルネスティーはもう食べたの?」
「なにを」
「お昼」
スープの器を軽く持ち上げると、いつもの無表情で言う。
「そうね」
「今度一緒に食べようよ」
そう提案すると、彼女の視線がわずかに揺らめいた。
「誘ってくれるのは嬉しいけど、それはできない」
「え」なんで。
「人間でない私が人間と同じものを食べるとでも思っているの」
妖しく不敵な笑みを浮かべるその表情は同時に、悲しくもあり、儚くもあり、複雑で物憂いげな印象を与えるには十分なものだった。彼女自身の口から「人間ではない」という言葉を聞くと、どうしようもなくずきりと胸が痛い。
「ねえ。エルネスティー」
「なに」
「その模様はなんなの。どうして自分のこと人間じゃないなんて言うの。……なんでそんな悲しそうな顔するの?」
「マルール?」
膝に置いていたかぼちゃのスープが床にこぼれ、わたしは思いっきりエルネスティーの体に抱きついた。その反動で脇腹に痛みが伝わり、彼女と共に床に転げ落ちる。
「いきなりなにして……」
痛みを我慢して上半身を起き上がらせた。
「わたし、エルネスティーのこともっと知りたい」
目を細めるエルネスティーをまっすぐ見据えた。ゆっくりとまばたきを繰り返す彼女のまつげは小さく震えている。やがて、その唇が薄くひらいた。
「マルール、私は」
「うん」
たっぷり数分、唇を震わせながら決意と失意を繰り返す。わたしを見つめる彼女の瞳は不安と期待が半々に入り交じっている。わたしはどんな表情をしているのだろう。怖い顔をしていたらと考えると、きっと彼女も言い出しにくい。
だから、せめて笑顔になった。
「あ……」
そして、ようやく口を開いてくれる。
「マルール、私は……ふつうの人とは違う。……ふつうの人ではないの」
「うん」小さく頷く。
「それで……」そこまで言うとエルネスティーはほんの少しわたしへの視線を下に逸らし、鎖骨のあたりに左手を伸ばした。そのまま手は首筋を伝って右頬を包む。親指がわたしの右目の下をなぞった。
「私は……」
彼女が這わせている左手を、体を支えていないほうの手、右手で触れた。
「エルネスティーの昔がエルネスティーにとってすごくつらいんだってことはわかった。そんなに戸惑っちゃうくらいなんだもん。それに、本当に人とは違う存在なんだってことも。そういうふうに信じるよ」
そう告げると、エルネスティーの表情から緊張が消えた。
「それだけわかってもらえれば、十分なのかもしれない」
ありがとう、と最後に付け足す。
「うん……」
エルネスティー。
今までずっとずっとひとりぼっちだったんだよって、今の君、そんな表情をしているよ。
「ほら、どいて。こぼしたスープは片付けないといけないし、化膿の処理もしなきゃ」
わたしは黙ったまま体を起き上がらせた。彼女の手を借りてベッドの上に戻る。雑巾を持ってきて片付けを済ませた彼女を見て「なにもできないくせにでしゃばってごめん」と呟く。
そんなことないわ、嬉しかった。とエルネスティー。また、どうしてそんな顔をするのかわたしにはわからない。
君のこと知りたい。もっともっと知りたい。そう感じている。いや、もっともっと知らなければならない、そんな使命感でもあるのかも。
彼女が雑巾を片付けるために部屋を出るとき、その背に呼びかける。
「わたし、やっぱりエルネスティーが好きだよ」
呼びかけられた彼女は一切振り向かず、ただ立ち止まって言う。
「……ありがとう。覚えておくわ」
その声に色はなかった。
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かぼちゃのスープはとりあえずのところ、化膿の処理を終えたあとにもう一度作ってもらうことになった。そして今、傍らの椅子に座るエルネスティーの手には、消毒薬に浸したガーゼとピンセットで挟んだ綿の玉。
「痛くない?」
「傷は完全に塞がっていないから、それはわからない」
「わたし今、素直に怖いと思ってる」
「どうして」
エルネスティーの処置が、と言うのはやめておいた。なにをされるかわかったもんじゃない。
傷口に近づくガーゼにも綿の玉にも消毒薬はたっぷり染み込んでいる。あの液体がわたしの脇腹の深い傷に滲みるのかと考えると、怖気のような寒気のような感覚が、背筋をつうと引いて鳥肌すら起きる始末。
それで、手始めにガーゼでだいたいの膿を取り除いてしまうわけなのだけども。
「うううう……」
「我慢して」
こういう類の薬は傷に塗るとなぜ壮絶に滲みるのか。でも耐えるしかないし、だから仕方なく奥歯を噛んで会話を続け、痛みの気を逸らした。
「エルネスティー、ってさ」
「ええ」
「どこで生まれて、どんな親がいて、どういう子どものころだったの」淡々と膿を取り除くエルネスティーはしばらく黙った。興味がなさそうな、というよりもむしろ膿を取り除くのに集中しているといった印象。「話したくないなら言わなくていいよ」先ほどのこともあってわたしはそう付け足した。
数回のゆっくりしたまばたきののち、作業を続けながら彼女は切り出す。
「生まれた場所はこの町とは違う。ここよりずっと都会的でハイテクという感じの場所」
「ハイテク?」ってなんだ。
彼女はわたしの疑問を無視して続ける。
「両親はどんな人だったかわからない。覚えていないのかもしれないし、生まれてすぐに生き別れてしまったかもしれない……」
やっぱりずっとひとりぼっちだったのか、と思うだけで言葉にはしなかった。
「私の人生は、色々なことがありすぎて言葉にはしづらい。最近は以前とくらべたら本当になにもなくて、退屈でおだやかで……」そこで作業を止めてわたしのほうをちらりと見た。
「でも、少し疲れるくらいには忙しくなった」
そう言ってまた作業を再開した彼女を見て、わたしは「ふうん」と相づちを打つ。うれしいこと言ってくれるね、と言おうかと思ったが、この場面でそれを言ったあかつきにはわたしの脇腹の傷口が広がってしまう。
「じゃあ、子どものころって?」
「子どものころって、いつごろ」
「五歳とか六歳とか、そのへんの年頃。ていうかエルネスティー何歳なの」
「……たぶん、十七くらい」
「十七?」
想像より若い。なんとなく彼女に対して放っておけない気持ちが生まれたのもきっとわたしのほうが歳上だからかな?
「じゃあ、わたしって何歳に見える?」と嬉々としながら尋ねてみると「え」とその手を止めてこちらを見、思いもかけないことを言われたかのような表情をした。
「だから、わたしの年齢」
ほんの少し目を細める。「そうね。二十代前半くらいに見える」
「二十代前半?」なるほど、クランにおばさんと言われた理由にも察しがついた。
「見た目は大人らしいけど行動が短絡的だから、実は年齢より老けている可能性も」
「それはちょっとやだな……」
それを言ったらエルネスティーはもっと老けて見えるんじゃないかな。言いとどまる。わたしは彼女をてっきり二十代半ばほどと思っていたのだから。あまりに落ちついた性格のせいで実年齢より高く見られるというのはありそうな話だ。
「あなたはなにか思い出さないの」
「うん、ないよ」
「そう」
「ちょっとうれしそうだね」
わたしがそう言うと、彼女は「そうかしら」と無表情ではぐらかしてみせた。顔には表れないが、声にはその気があるように思える。
「ははあわかった。記憶を思い出すとわたしが元の場所に帰っちゃうと思って寂しいんだ?」
意地悪く囃し立てるようにそう言うと、今までにないくらい蔑んだ目でわたしをキッと睨んだ。
「どこの馬の骨ともわからない惚れ性の女の人なんかどこにいなくなろうが全然悲しくならないわ」
「酷い言われようだなあ。愛されガールだよ、わたし」
けらけら笑うわたしにエルネスティーは「──いったぁぁあああ!」脇腹を思いっきり指で刺突。「本当にそれは酷いと思う!」
「あなたがわけわかんないこと言うからでしょ」
珍しくドスのきいた彼女の声は本気だ。心なしかその背には禍々しいオーラさえ見える気がする。
「ごめん……。じゃあさほら。とりあえず、ゆびきりげんまんしとこ」
「……なんで」
彼女はドスのきいた声に疑問の念を乗せた。
「わたしの記憶が戻ったら、わたしがここにいていいかエルネスティーが決めるってことで。そしたら君の好きなようにできるでしょ。わたしはその時の決定に従うよ」
わたしは治った右腕の小指を出して見つめる。
「ね。わたしは選んだ。君が決めて」
小指を差し出した。一瞬だけ視線を横に逸らしただけの彼女もまた、おずおずと小指を差し出す。そして、しっかり組んで歌った。
「ゆーびきーりげんまん、うそ吐いたら針千本のーます……」
ゆびきった。と言うと、わたしもエルネスティーもぱっとその指を離した。
「はい、この約束は破れなくなりましたー」
にこにこしながら手をぱちぱちさせると、彼女はほんの少し俯いた。
「どんな時に針千本を飲むの」
「う、うん。そうだなあ。エルネスティーが死んじゃったりしたらできなくなるかなあ。ずっと一緒にいたいから死なないでね。あと必ず『あなたと一緒にいたい』って言ってね」
あはは、と冗談まじりで言うと、彼女の視線が氷点下にまで冷めた。
「調子乗らないで」
「あぁぁぁああ!」
手痛い洗礼は、もちろん脇腹を押さえつけられたことだった。
「いったいなあ。もう……」
でもこういうの好きだなあ、なんて口には出さないでおいた。
そのあと少々強引に膿を取り除かれた。この際痛いのはご愛嬌だと思って、わたしはおもしろ半分、本気半分で彼女をからかった。その後、手痛い洗礼を一身に浴びることになったのは言うまでもない。
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