Ⅰ-3 下手物店主は可憐な少女

 先を行くなんてできるはずもなく、わたしは彼女に諭されて落ち着いたあと、再び彼女についていった。


 歩いている最中、食材屋に至るまでの三人組のように怪しむ視線をそこかしこで感じたが、その視線は彼女よりもむしろわたしに向いている気がした。視線を感じる先に目を向けようとすると、ふっと消えたようにその感覚がなくなる。何度かそれを繰り返すうちにわたしは周囲に神経を研ぎ澄ますのをやめた。


 そうこうして商店街を進んだのち、脇道に逸れて角を曲がり、次の目的地に着いた。その場所はじめじめし、目の前の建物もおどろおどろしいゲテモノ感満載の雰囲気を湛えている。湿気た場所に悪趣味な建物、店主は彼女と同類なのかもしれない。


「突っ立ってないで来なさい」


「あ、うん」


 悪趣味な建物に入ることか、はたまた店主が彼女と同類かもしれないことか、いずれにせよ尻込みして突っ立っていたわたしを彼女が呼ぶ。彼女が緑色の扉をくぐり抜けるのにつられ、わたしも扉をくぐった。


「わ……」


 歩いている最中から気になっていたのが鼻を突くほどの甘ったるい香り。強烈な臭気は花の香りを嫌というほど濃く凶悪にしたものみたいだ。


 そして視界に映るのは大きな棚と、それに整然と並べられた大きさが様々な瓶たち。そのひとつをよく目を凝らして見てみると、なにやら黒くて小さな丸いものがたくさん詰まっている。その瓶の隣には赤とピンクの色をしたやわらかそうな何かがこれまた大きな瓶にみっちり詰まっている。このピンク色の物体はおそらく動物の小腸だろう。他にもなにかの内臓や卵なんかがある。


「エルネスティー、このお店……。目的のもの買ってさっさと出よう」


 片手を顎に当てながら瓶の中身を吟味する彼女に、わたしはそう言った。すると「薬の材料になるの。急かさないで」と軽く払いのけるように言う。ならばと「わたし外で待っててもいい?」とおそるおそる聞いてみると、同じ調子で「店主にお礼を言うのだから、このまま中で待ってなさい」とあしらわれた。


 眉間に皺を寄せながら左手で口と鼻を覆い、完全にグロッキーになっているわたしの周りでエルネスティーが忙しなく歩き回る。そんな状態が少し続いて、不意に店の奥、カウンター向こうの黒い扉が開いた。その扉からぬっと出てきたのは子どもだった。「女の子……」


「あれ、エル姉来てたの。呼んでくれれば良かったのに」


「そうね。ごめんなさい」


 一瞬わたしに視線を向けたあと、お人形さんみたいな亜麻色の長い髪の女の子はエルネスティーの方へ駆けていった。そのままひっしと青いクロークを掴んで言う。


「このおばさんだれ?」


「拾った」


「そんなあ……。あたしもエル姉のとこ住みたいのに」


 歯ぎしりしながら悔しそうな表情で睨みつけてくる。見た目にして十歳そこそこあたりだろうかわいい女の子に、まさか初対面でこんなに嫌われるなんて。


「ええと、あんまりそういう顔すると、おばあちゃんになった時が大変だよ」


「おばさんに言われたくない」


 そんなわたしたちの仲介役のように、エルネスティーが割って入る。


「今日は薬の材料を買うついでに、この人の紹介もしに来たの」


「マルールだよ。よろしくね」


 わたしがすっと手を差しのべると、彼女はぷいと後ろを向く。にわかにエルネスティーの模様がつり上がった。


「ほらクラン、あなたも」


「エル姉がそう言うなら……」


 渋々といった様子で彼女の服を離し、わたしに堂々然と向き直った。


「マルール、ね。あたしの名前はクラン。名前は勝手に呼びなさい」


 そして、再び戻ってエルネスティーのクロークをひっしと掴む。そんなクランのことをエルネスティーは優しく撫でた。


「人見知りが激しくて私以外の人にはつっけんどんな態度をとるの。悪い子ではないわ」


「なんとなくわかるよ。クラン、わたしは大丈夫だよ。握手しよう」


 屈んで彼女の視線の高さになり、ほらほらと左手で誘ってみた。けれど、彼女は眉間いっぱいに皺を寄せ、ムキになった様子で言い放った。


「ち、ちがうよ! あたしはただエル姉に近づく嫌な虫がいないか気を尖らせてるだけ。あんたなんか絶対好きになってやらないんだから」


 いー、と未熟な歯を精一杯見せて威嚇するが、一見してふつうの女の子がどうしてこんな下手物店にいるのだろう。店主の娘かなんかだろうか。わたしはクランがこちらに来ないことに少なからずがっかりし、立ち上がって聞いてみた。


「エルネスティー。そういえばお店の人がまだ来ないけど、もしかしてこの子が店番をしてるの?」


「?」と怪訝な表情のエルネスティー。「この子が店主だけど」


「え?」


 エルネスティーが呆気にとられたのと同じ調子で、わたしも呆気にとられた。まさか、目の前で彼女の青いクロークを掴んでいる愛らしい少女がゲテモノ店の主だなんて。


「エルネスティーも冗談言うんだ。知らなかったよ」


 ははは、と適当にはぐらかすも「なに寝ぼけてんのよ。間違いなくあたしがこのお店の主よ」とのたまうクランの言葉で、わたしは一気に現実に引き戻される。


「なんでこんな悪趣味な店を開いているのか、良ければお話聞かせてくれるとおばさんうれしいなあ、なんて……」


 まだエルネスティーの腰丈ほどの身長の少女が下手物店主だなんて、深い事情があるにちがいないと思った。わたしのことは好かないようだしこの質問は悪かったかな、と言ってから後悔する。しかし、その心配は杞憂だった。


「あなたには関係ないでしょ。あなたの薬の材料を売ってるお店とその店主、くらいに軽く考えてたらいいの。どうせ知ったところであなたいつかこの町から出ていくんだから」


 それを聞いて言葉に詰まる。たしかにわたしの記憶が戻ればわたしは帰らなければならない場所も思い出し、きっとそこに帰るのだろう。彼女の言うとおりこの町は記憶が戻るまでの宿場町に過ぎない。エルネスティーからどこまで聞いているかはわからないが、同時に彼女はそれほど賢いのだ、とも。


 わかったよ、とわたしは言った。


 クランの言うとおりだものね、と。


 けれど、と続ける。


「もしこの町を出るまでにクランと仲が良くなったら、その時は教えてほしいな。仲が良くなったあかつきに」


 そう言ってにっこりと笑んでみせる。眉間に深い皺を寄せていたクランのそれが、少しだけゆるんだのがわかった。もちろん態度まで変わることはないけど。


「あんたなんか絶対好きにならないもん。仲良くもならないもん」


「うんうん」


 わたしが微笑みながら返事をすると、決まりが悪そうにエルネスティーのクロークに顔をうずめる。エルネスティーと同じでこちらもわかりやすいなと不思議とおだやかな気分になった。エルネスティーとクラン、波長が合う者同士だからこそ、クランは他の人を顧みないほどに彼女を信用しているのかもしれない。


 エルネスティーがクランの頭をしばらく撫でたあと、ようやくクランはエルネスティーの体から離れた。すん、と小さく鼻を鳴らしたクランは申し訳なさそうにうつむいた。


「ごめん。服、ちょっと濡らしちゃった……」


「構わないわ。気が晴れたならそれで」


「ありがとう。エル姉」


 二人は軽いやり取りのあと一緒になって薬の材料を探し始めた。そのあいだ、わたしは近くの木箱に座ってそれを眺めていた。これならいけるんじゃない、とか、あれ取ってエル姉、とか、牛の胆汁も必要かしら、とか、それ整腸作用だけだよお、とか──羨むほど仲の良い姉妹のような二人に知らず心を癒していた。


 けれど、なぜだろう。実際に血が繋がっているわけではないだろう、とても近い存在なのに、果てしなく遠い場所にいるように感じる。水平線の彼方にある大空と大海のように、寸分の乱れなく綺麗に交わって見えるのに実際は天と地ほど交わっていないような、そんな違和感。こんなふうに感じてしまうのはエルネスティーが人間ではないからなのかな。


 違和感に突き動かされるようにいつの間にか床を向いていた顔を上げると、二人は目的の下手物品を選び終えたらしく、カウンターで小さな瓶に選んだそれぞれをせっせと詰めていた。わたしがそちらを向いていることに気づいたエルネスティーが呼びかける。


「待たせて悪いわね。もうすぐ終わる」


「ゆっくりでいいよ」


 わたしがそう答えると、彼女たちは作業を再開した。


 そうしてしばらくしてようやく会計を終えたようだ。エルネスティーの細い腕には食材屋で手に入れたそれよりも多い、両腕いっぱいの小瓶の群れ。見る限り卵系が多いようだけど、あの中にわたしの治療用となるものが含まれているのかと思うと鳥肌も立ってしまう。


 すべてはわたしの体の傷を早急に治すためのもののはずだ。あの腕に抱かれたすべては粉末か液状か錠剤の飲み薬か、はたまた体に塗りたくるかする薬へと変わるのだ。そのころにはもう下手物だったという事実すら風の前の灰に同じだ。


 腕いっぱいの小瓶をエルネスティーが二枚重ねた古紙で包むのを見届けると、わたしは重い腰を上げて立ち上がった。松葉杖をついて彼女の元へと行く。


「終わったわ」


「じゃあ出よっか」


 わたしが出口の前まで行って振り向くと、エルネスティーが屈んでクランの髪の毛を数度くように撫でていた。


「またあとで来るから、いい子にしてるのよ」


「うん。待ってるよ。でもエル姉こそ……」


「そうね。私もいい子にしていなきゃ」


 クランの頭を包むようにして、エルネスティーは彼女を抱きしめた。わたしは先に店を出て、エルネスティーが来るのを待つ。


 外に出てみるとちらちらと小さな雪が降っていた。あんまり小さすぎて小さな塵が舞っているみたい。


「なんだ、けっこう寒いじゃん……」


 かすかに白が混じる息でそう呟く。そこで背後の扉が開いた。「先に出ていなくても良かったのに」彼女はそう言うが、なんとなくああいう場面に立ち会うのは気が引けた。


「まあ、長居していたくはないかも」


「あの子の前で気分を損なうようなこと言わないでちょうだい」


「それはわかってる。わたしだってクランと仲良くなりたいし」


 行くわよ、と言って先を歩くエルネスティーにわたしはついていく。寒い上に雪まで降っているからか、彼女の歩みは少し速い。わたしも少し大きく松葉杖をついて、彼女の後ろを歩く。


 もうすぐで商店街といったところで、わたしは彼女の背に向かって問いかけた。


「そういえば、次はどこに行くの」


 彼女は振り向かずに言う。


「仕立て屋よ」


「仕立て屋?」


「あなたの服を直してもらってる。その受け渡しが今日なの。その包帯も仕立て屋から余ったガーゼを譲ってもらった」


 つまり、今のわたしが身につけているものは、すべてわたしのものではないということだ。わたしが今身につけている薄茶色の革っぽい厚手のロングコート。外は寒いからとエルネスティーが家を出る直前に着させてくれたものなのだが、正直わたしの体には少々小さい。風邪をひかれると面倒くさいと無理矢理着せられた次第だった。


 となると、エルネスティーが着ている青いクロークもその仕立て屋から譲り受けたものなのだろう。見る限りとてもやわらかで手触りも良さそうだ。


「……なに」


「あ、えっと」


 わたしは無意識に彼女のクロークの端を掴んでしまっていた。彼女は立ち止まり、振り返る。わたしはあからさまに煩わしそうな表情を見せるエルネスティーに寒さとちがう体の震えを感じた。


「えっとほら、ちょっと歩くの速いかなあって。わたし松葉杖だしさ」


 取り繕うような笑顔を向けているんだろうな。彼女はそれも無視して「それもそうね」と案外あっさり納得した。そのまま彼女はわたしの右側にぴったりとくっつく。その様子に「もしかして寒いの?」と尋ねた。


「別に。あなたこそ」


 素直ではない言葉だが、エルネスティー優しいねえ、と微笑みかけてみると、お世辞は嫌い、と青のフードを目深にかぶって顔を隠した。


「こんな優しい人に拾ってもらえて、介抱までしてもらって、すごく運がいいみたいだ」


 商店街に出てからわたしがそう言ってみると、フードを目深にかぶっていたエルネスティーがぱっと顔を向けてきた。怒ったような表情だった。


「本当にお気楽ねあなた。私が通りかからなきゃあなた間違いなく死んでたのよ。もっと真剣になりなさい」


「え?」


 不意を突いてそんなふうに言われたものだから、どぎまぎして二の句を上手く紡げなかった。わけがわからず口をぱくぱくさせて、そんなわたしをエルネスティーが変わらない怒り顔で覗き見る。


 なぜ怒られなければならないのか、わたしにその理由はよくわからないが、こういう時はとりあえず謝るのが正しいと思う。


「なんだかよくわからないけど、気に障ったならごめん。謝るよ」


 一瞬だけ眼光が鋭くなる。わたしの言葉がとりあえずのものだと彼女は気づいたらしい。はあ、と額を押さえながらため息を吐き、呆れたように言った。


「そうね。あなたが怪我したのは谷の上から足を滑らせて落ちたからだものね。こんな大怪我なのにまだ生きているし、平気で出歩けているもの。心も体も相当図太い」


「エルネスティーに褒められるなんて」


「褒めてない」


 キッと睨みつけられるも彼女の言うとおりわたしは少し図太いらしく、彼女のツッコミには嫌な気待ちにならなかった。


 ほんの少し背が低くすらりとした細身の彼女。見るからに繊細そうだし実際そうなのだろう。対してわたしは彼女のように細身ではないし、必要なところに適度な筋肉もついている。彼女が言うようにわたしは図太いのだ。だから谷の上から足を滑らせたことも、大怪我をしていることも、今のわたしにはとくに気にするべきこととも思えない。


 ふう、と軽く息を吐くと、わたしは彼女の先を歩き始めた。あわてたように彼女が隣につく。わたしはエルネスティーに問うた。


「エルネスティーはどうして、見ず知らずのわたしにそんなに気持ちを向けてくれるの」


 目だけで彼女の顔を見ると、長いまつげが少し震えた。白い息とともに言葉がやわらかく紡がれる。


「気持ちなんか向けてない。マルールが引っ張り出しているだけ」


「そっかあ」


 わたしは少しだけ彼女に体を寄せてみた。ちょっと嫌そうに体をずらすけれど、すぐにまたぴったりとくっついてくれる。


「エルネスティーもっとくっついて。寒いよ」


「気持ち悪い」


 もっとぴったりくっつこうとすると体を寄せるが、彼女は体を反らしてわたしを避ける。それでもかわいいと思ってしまうのは、なんだか今までにないくらい、不思議な気分だった。


 くっついたり離れたりおかしな行動を繰り返しながら、わたしたちは人の多い商店街を次の目的地に向かって歩いていった。

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