第19話 千秋 くまの子と一緒に再会の現場に立ち会う。
秋の太陽はもうかなり西に傾いている。
こぐは肩を怒らせたまま、ここに来たまでの道を歩いている。
そのまま帰ってしまうのではないかと千秋は不安になったが、農業用水用の水門のそばで立ち止まった。そうやって頭を冷やしているらしい。
隣にいていいものかどうか千秋は一瞬悩み、すこしだけ間を置いた位置でこぐの隣に立った。お互いガードレールに背中を預けるようにして立つ。
「……っ」
ふうっ、とこぐは息を吐いた。千秋がそばにいても邪魔ではなさそうなのが救いだ。
「……なんか、びっくりしたね」
千秋は正直な感想を伝えた。
「だと思う。ごめんね、色々騒がせて」
こぐはむっつりと答える。
水門を眺めながら千秋は呟いた。
「こぐが、お化け屋敷のことを〝事情が特殊″だって言った理由が分かったよ……。確かに説明しづらいね」
「でしょ?」
こぐの語気は強い。千秋はうなずく。
「うん。まだ頭の中が整理しきれないし……」
用水路を流れる水がたてる、さらさらという音を二人で並んで聞く。水の音ははりつめた精神を和らげる作用があるらしいが、こんなセメントで固められた溝を流れる水の音でもそういう効果はあるようだ。こぐの怒った肩がいつの間にか元の位置に戻っていた。
沈黙がきづまりになったこともあり、千秋はもう一度口を開く。
「あのさ、お誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
「前もって教えてくれたら、何かプレゼントが用意できたんだけど……」
「そういうの照れくさいから内緒にしてた」
本当に照れくさいのか恥ずかしいのか、こぐの口調がむっつりしたものになった。ふとその時千秋の胸に不思議な衝動がわいて、こぐが来てるくまパーカーのフードの、くま耳のあたりをちょっと摘まんだ。見た目通りぬいぐるみのような手触りがした。
それに対してこぐは何も言わない。払いのけるでもなかった。
「……マイはいっつもそうなの。自分で何でも勝手に決めて人のこと振り回すの」
ふうっと息を吐いた後、こぐは堰を切ったように打ち明ける。
「さっき製菓の勉強したっていってたでしょ? あれも突然。何年か前にあたしを預けてさっさと学校に通いだしたの。その前後なんの説明もなかった」
「預けられたって……誰に?」
「さっき、コーヒー屋で働いてたってマイが言ってたでしょ? そこのおじさんとおばさん。優しくていい人たちだった。マイが突然学校に通いだしたのはおじさんが何か手に職をつけた方がいいってアドバイスしたからだって、寂しい思いをさせちゃったね、ごめんねって謝ってくれるような人たちだった。ご飯も用意してもらった」
「へえ……」
千秋は話を聞きながら、コーヒー屋さんの優しい店主夫婦の様子をイメージした。美味しいものの好きなくまさんみたいな人たちだろうか。
「小さいころは、そのおじさんとおばさんがマイのお父さんとお母さんだって信じてたの。しばらくしたら、マイが生まれ育った町はあそこじゃないってわかってきたけど……あんたのおばさんの本を見せてくれたりして」
「ああ、あのシンデレラの本だ」
こぐはうなずく。
「マイ、あの本がお気に入りで、あたしの友達が作ったんだよってよく自慢してた。だからマイの生まれて育った場所は別にあるって知ってはいたけど、あたしとは全然関係ない場所だって思ってた。お話の中の町みたな……。なのに急にそこに帰ってあったこともないおじいちゃんおばあちゃんやおじいちゃんやおじさんと一緒に暮らすことになったって言ったんだよ! しかも引越しの準備中に階段から落ちて骨折って入院するし! あたしだけ先に帰ることになるし!」
「えっ⁉ マイちゃんの入院って骨折?」
驚く千秋の声に、こぐも珍しく戸惑いをみせた。
「そうだけど、それってそんなにびっくりすること?」
「……だって、うちのみんながなんだか触れちゃいけないみたいな雰囲気だしてたから……」
高校生の時に突然出奔したマイちゃん、十代の頃に産んだと思われる子供だけを故郷に帰し、自分は入院してたというマイちゃん。その理由がまさか骨折だったとは……。
骨折だってそりゃもちろん大変なことではあるけれど(しかも入院しなければならないような骨折だし)、もっと何か、ロマンティックな噂映えするような理由だと無意識にイメージしていた千秋はどっと脱力した。その後、勝手にイメージを膨らませていた自分を恥じた。
こぐの声が跳ね上がる。
「そういうところが考え無しだって言うんだよ、マイは! 骨折したから入院したって正直に言えばただの笑い話になるのに、おじさんたちに大騒ぎされたくないからってきちんと説明しないからそんな風に中途半端に噂になっちゃうし。もう!」
足元の小さな砂利を蹴り落としながらこぐはぶつぶつ今までの澱を吐き出す。
「自分がどんな風にみられてるかとか、一切考えないでぱっぱかぱっぱか頭に思い浮かんだことばっかりやっちゃうようだから、いっつもいっつもこっちが振り回されるんだっ。こっちの身にもなれっていうんだ」
砂利は小さな音を立てて用水路の中へ落ちてゆく。
こぐの感情のほとばしりぶりに、隣にいる千秋はしばらく黙って見つめることしかできない。こぐがあらかた砂利を蹴り落としたところを見計らって「まあでも」と言葉をかけた。
「こぐ、『秘密の花園』みたいだね」
「……なにそれ」
「インドで育った女の子が流行り病でみなしごになったから、イギリスのおじさんに引き取られてガーデニングして元気になる話」
「……? あたしガーデニングはしてないけど」
「う、ごめん。自分の生まれ育った所から全然知らないところへやってくることになったって所がそうみたいだねって思っただけ。変な話してごめん」
「……あんたは変なこといっぱい知ってるよね」
意図したわけではないが話の腰を折ってしまったことが幸いしたらしい。毒気が抜けたように歩道と車道を隔てるガードレールにもたれる。
「それに、マイちゃん変な人だけど、いい人そうで良かったよ」
「……まあね。悪い人ではないよ、あの人」
「それに、元気そうなのもよかった」
「……ありがとう」
「ところでこぐはお母さんのこと名前で呼ぶんだね」
「だって……あの人〝お母さん″って感じがしないもん」
西の空がきれいなオレンジ色にそまりつつある。もうそんな時間だ。
「ねえ、一旦戻った方がよくない?」
「……」
こぐはまたむっつり黙り込んだ。どうやらまだ気持ちの整理がつかないらしい。
「とりあえず、まりんちゃんやはるちゃんたちはもう家に帰らなきゃいけないし、バイバイくらいは言った方がいいと思う。でないと三人とも帰りづらいよ」
「……」
こぐの唇が尖った。マイちゃんと顔を合わせる気にはならないが、あの場に残した三人のことを思うと確かにワガママも貫き通すわけにはいかない……というような渋い表情だ。少し考えてから、ガードレールから離れた。
夕暮れの道を二人は並んで歩く。
元お化け屋敷であり、近い将来マイちゃんがカフェを開く予定の空き家まで。
それにしてもあのマイちゃんが言った計画は本当に実行されるのだろうか?
本当にこぐは近い将来あの家で暮らすことになるんだろうか? そんな現実感のない出来事がおきてもいいんだろうか。千秋はまだ半信半疑だ。
子供の時は確かにいたけど、空の人魚になって大人たちの噂の世界に溶けていたようなマイちゃんが、こぐをつれて大人たちの囁く物語の世界へ帰って行っちゃうんじゃないか。
そんな心細いような気持ちにすらなったのは、秋の空気の作用もあっただろう。
その時、ぱあっと背後から車のヘッドライトが二人を照らした。通り過ぎるのかと思った車が減速した気配があったので千秋とこぐは振り向いた。ライトがまぶしくて目を細める。
「……あ」
後ろにいたのは見慣れた車だ。メタリックな水色のミサコおばさんの車だった。ミサコおばさんはゆっくり二人の隣まで車を近づけると、助手席側のウィンドウを下ろした。ハンドルをにぎるミサコおばさんが、左手側にいる千秋たちへむけてつかみかかるような勢いでまくしたてる。
「いたいたいたいたいた! もー! 探したよあんたたち……!」
「どうしたのミサコちゃん?」
どうしてミサコおばさんがこんなところにいるのかと、千秋はきょとんとした。確かにそろそろミサコおばさんがそろそろバイトから帰ってくる時間ではあったけれど、どうして千秋たちがここにいるとわかったのか?
ミサコおばさんは疑問に答える前に指示する。
「とりあえず後ろに乗って!」
指示された通り後部座席のドアを開けて座ると、ミサコおばさんはスマホから機嫌の悪そうな声で怒鳴る。
「二人を拾ったよ! ってか何なの⁉ タチ悪いドッキリならやめてよね、あんた今そんなことしてる場合じゃないでしょ?」
運転しながらのスマホはいけないはずだが、ミサコおばさんはぷりぷり怒りつつ片手でハンドルを操作する。
「はあ? ……ってかあんたよりあたしの方がこの辺のこと詳しいし、地元だし。偉そうに指示しないでくれる?」
ゆっくり車を動かしながら、ミサコおばさんはお化け屋敷の方へ移動する。一分もたたないうちに車はお化け屋敷の門の前に着いた。そのそばでイシクラさんがまだ電話中で、ミサコおばさんに気づくと大きく手を振った。子供たちの前だというのに、ミサコおばさんは忌々しそうにちっと舌を打つ。
「はいもうじゃあ切るからね」
通話を終えてから、ミサコおばさんは車を停めた。フロントガラスの向こうで、イシクラさんも耳からスマホを遠ざける。どうやらミサコおばさんがさっきから電話で話していた相手はイシクラさんだったらしい。
しかしおかしい、ミサコおばさんはイシクラさんとの電話番号は削除してSNSはすべてブロックしてるはずだが……? という疑問にミサコおばさんが答えてくれそうな気配はなかった。
「やあ、その、なんていうか……久しぶり、ミサコ」
荒々しく車から降りたミサコおばさんに対してイシクラさんはなんだかきまり悪そうにはにかんでいたが、かつかつと大股でつめよるミサコおばさんの迫力にたじろいであとずさる。
「ちょ、ちょっと待って。落ち着け、なっ」
「あんた本当にバカじゃないの? なんであたしの周辺ウロチョロするわけ? しかも誕生日会ってなに? いい加減本気で気持ち悪いんだけど?」
「だからちょっと待てって、会わせたい人がいるだけなんだって、なあっ」
「知るかバカ、こんなところにいないでとっとと嫁のところへ帰れ!」
会わせたい人がいる……はからずも千秋はうっかりイシクラさんの言葉にじんときてしまった。イシクラさんはマイちゃんがミサコおばさんと知り合いだと知って、会わせてあげようと連絡していたのか。
しかしミサコおばさんは相当頭にきているらしく聞く耳をもたない。醜い大人の言い争いが始まってしまい、千秋とこぐは車から降りるタイミングを失くしてしまった。
その様子を見ながら、千秋の胸に沸いていたとある疑問をこぐへむけて口にする。
「ねえ……こぐのお父さんってイシクラさんってことはない、よね?」
「それはないってマイは言ってた」
即答だった。千秋はホッとする。
ともかくいつまでも車にのってるわけにもいかない。千秋はドアを開けて車の外へ出る。イシクラさんが言う会わせたい人、それはマイちゃんにほかならないわけで。
「ミサコちゃん!」
千秋は車から降りて、イシクラさんに睨みつけては圧をかけるミサコおばさんへ呼びかけた。
「ミサコちゃん、中にマイちゃんがいる!」
「はあっ?」
千秋まで何を言い出すのかという顔つきで、ミサコおばさんは千秋を振り返った。千秋はお化け屋敷を指さす。こぐもうんうんと大きくうなずく。
「いるんだってば! 本当にマイちゃんが! 今日こぐの誕生日でサプライズパーティーしに来たの!」
「……ちょっとちょっと、嘘にしては脈絡なさすぎなんだけどっ? 雑すぎるんだけど?」
ああまあそうなっちゃうよね、どうしても……と千秋がミサコおばさんの言葉に思わずうなずいてしまったその時だった。
門からひょいっとマイちゃんが顔をのぞかせた。あ、というように千秋は口を開く。ミサコおばさんは顔を千秋の方へむけているので、すぐそばにマイちゃんがいることにしばらく気づかない。ただ、千秋の表情で何かが起きたことは悟ったらしい。
「ちょ、何……?」
千秋の視線の先をたどって、すぐそばにいたマイちゃんに気づく。
至近距離に人がいたことがいたことにまず驚いたようなミサコおばさんはたたらを踏み、そのあとで黒い服をきたその人が、かつての幼馴染だったことに気づく。
顔がわななき、目を見開いて、ミサコおばさんの視線はマイちゃんを上下する。
その一連の動作が、まるでスローモーションのように千秋の目には映った。
「久しぶり、ミサコちゃん」
パーティー帽は外したマイちゃんが、ニコッと笑って微笑んだ。
「ちょ、え、あ……嘘、マジ?」
衝撃のためか、硬直するミサコおばさんの言語能力が著しく減退している。ふるふる震える指先で、マイちゃんを指さす。
「……マイちゃん? タカシの妹のっ?」
「そうだよ~、久しぶり~! 元気だった~?」
驚きすぎて体のいろんな機能が正常に働かないミサコおばさんの体に、マイちゃんは抱き着く。
それでやっとミサコおばさんの頭と体の硬直もとけたようだ。
あとはもう、けたたましいだけである。
大人の女性ふたりがきゃあきゃあ歓声をあげ、ぴょんぴょん跳ね回ったり、久しぶり~とか、全然変わってない~、とかお互いに声をかけあう。
感動の再会、というには情緒に欠けるシーンではあったが、ミサコおばさんは跳ね回り終えると、ぐずっと鼻を鳴らしそのままうつむいて涙を流し始めた。
「良かった……、元気で……。生きてて……っ」
「生きてる生きてる。ピンピンしてるって。この前脚の骨折っちゃったけど~」
ミサコおばさんが声をあげてなきだし、つられたのかマイちゃんまで泣き始めたその傍らを、まりんとはることみふゆがそっと通る。
「あのさ、あたしたちもう帰っていい?」
代表して尋ねたまりんに、二人は無言でうなずいて応じた。まりんは肩を抱きあって無く二人を見やる。若干呆れている風ではありながらしみじみ呟いた。
「……なんかよくわからないけど、ああいうドラマみたいなことがあるんだね」
「ねえ、しかもお化け屋敷の真ん前で」
珍しくまりんの言葉にみふゆが乗っかる。はるこも、そして千秋もうんうんと頷いた。
本当にこんな、使い物にならないただの田舎で。
文字にすれば、都会に出ていた幼馴染たちが地元に帰って再会したというただ当たり前のことだけど。
ミサコおばさんと一緒に泣いているマイちゃんを見ていたら、この人が大人たちの囁く物語の中の人ではなく、本当にこの世に存在するちょっと変わったただの女の人だという実感がやっと湧いてきた。
それでも少し不安になり、こぐの手を握った。
こぐの手はつめたいがしっかりした感触がある。きっとどこか、物語の世界に消えたりはしないだろう。
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