第18話 千秋 くまの子の誕生日を祝う。

 こぐは目の前の女の人をマイと呼んだ。

 退院したなら連絡しろとも大声で喚いていた。


 こぐのお母さんであるタバコ屋のマイちゃんは現在「子供は聞かない方が良さそう」な理由で入院中だった。


 そこから導かれる答えはひとつしかない。目の前の黒い服にパーティー用の三角帽子をかぶった妙な女の人は、タバコ屋のマイちゃんで、すなわちこぐのお母さんだ。


 まさかそんなことが……ドキドキする千秋の目の前で、女の人の大きな目がより一層大きく開く。その様子が千秋の解答が正解だと言葉より早く告げていた。


「ええー! 千秋ちゃんもあたしのこと知ってたの? ええ、嘘、やっばー。誰から教えてもらった? ミサコちゃんから?」


 千秋にこたえる余裕などない。大人たちのウワサ話にのみ存在するような幻の人物が、肉体を伴って(しかも頭にパーティー帽子をかぶって)目の前にいるという現実になかなか対応できない。

 

 その上タバコ屋のマイちゃんは、こぐのお母さんにあたる人で、『そらのにんぎょ』を描いた人で、『にんぎょ雨』の作者かもしれないというただでさえ謎が多すぎる人物だ。

 そんな人がなぜ、お化け屋敷で一体何をしてるのか? この女の人がタバコ屋のマイちゃんでこぐのお母さんだとわかった所で、謎の渋滞はちっとも解消されない。


 状況がつかめない中、靴を履いたイシクラさんがひょいと顔をのぞかせた(そうそう、それにイシクラさんとマイちゃんがなぜ一緒にいるのかそこもちっともわからない)。頭にはマイちゃんらしい女の人と同じように、三角のパーティー帽子が乗っていてなんだかマヌケだ。


「あの、えーと……マイさん、それでパーティーはどうするの?」


「やるじゃん、やるに決まってるじゃん。ほらみんなおいで! こぐれの誕生日パーティーなんだから! おともだちが多い方がいいに決まってるし!」



 えっ、と驚いた四人の視線がこぐれに集中した。

 まだ怒ったような表情のこぐれはぷいと顔をそむけた。


「……本当に誕生日なの?」


 代表して千秋が尋ねた。こぐは、唇をむーっと尖らせ、くまパーカーを被る。その後でうなずいた。


「誕生日なんだ……!」


 誕生日、そのハッピーな響きに千秋以上に何が何やらわかっていなかったまりんとはるこもみふゆもどよめく。誕生日、そう聞いた以上ただ突っ立っているわけにはいかない。


 こういう時に素早く動けるのが伊達に仕切り屋をやっているわけではないまりんだった。すばやくハッピバースデイトゥユー……と歌いだす。するとマイちゃんがすかさず手拍子を打ち鳴らしながらまりんの歌声に自分の声を重ねる。

 こうなるとみふゆも楽しそうに歌いだす。はるこも笑顔で唱和する。千秋もこぐに向けて一生懸命歌う。最後にやっぱりこの人も何が何やらわかっていなさそうなイシクラさんもとりあえず笑顔でハッピバーッスデイトゥユ~とコーラスに参加した。


 おめでとうおめでとう、誕生日おめでとう……。拍手をおくられ、こぐはその場に膝を抱えてしゃがみ、顔を腕にうずめる。その体勢からよもや泣いているのかと、一同不安げな表情になり拍手を止めた。

 しん、とお化け屋敷一帯は静まり返る。


「……こぐ? 大丈夫」

「……大丈夫」

 その体勢のまま、こぐは答えた。

「ちょっと吃驚したり恥ずかしかったりするから、落ち着かせてるだけ」


 息をつめて一同こぐの様子を見つめる。ざざあ……と風にゆれる竹藪の音が聞こえた時、こぐが少しだけ顔を上げた。くまパーカーのフードがいつもより上へ上がってこぐの目がのぞいた。


「……ありがとう」


 ぶっきらぼうにこぐは言った。その後すぐにマイちゃんの方を見て付け足す。


「でもサプライズは大嫌いだからもう二度とやらないで」


 でも歓声をあげてギューッとこぐに抱き着くマイちゃんはこぐの言葉を聞いていないようだった。ただいまー、とか、会いたかったーとか、きゃあきゃあ叫んでさっき千秋にしたようにほおずりしていた。反対にこぐは仏頂面だ。照れてるのかもしれない。




「こぐれをびっくりさせようと思って、大家さんに許可をとってから、内緒で準備を始めてたんだ~」


 かつて仏間であっただろうお化け屋敷の上座敷は、長年放置されていたとは思えないほどきれいに掃除されていた。少なくとも靴をぬいで裸足で上がっても問題ない程度にはなっている。

 さらに色とりどりのペーパーを切り抜いた飾りやシールで部屋のあちこちが飾られ、とりあえず陽気だ。締め切られていたカーテンも開けば部屋の中も一気に明るくなる。


 座敷の中央に置かれた座卓にはクロスがかけられ、中央にはフルーツの盛られたケーキ、その両サイドにはお菓子が盛られたお皿があった。ジュースのボトルも用意されている。

 畳の片隅には細い紙テープが散らばり、うっすら火薬のようなにおいが漂っていたことから判断するに、四人が外で聞いたパンパンという破裂音の正体はクラッカーの音だったのだろう。


 肩を怒らせたこぐがお化け屋敷の中に足を踏み入れ、上座敷のふすまを開いたとたん、待ち伏せていたマイちゃんとイシクラさんがパンパンとクラッカーを鳴らしたのだという。


「死ぬほどびっくりした」

 ろうそくをともして吹き消したあとのケーキを食べながら、こぐは憮然と呟いた。

「心臓停まるかと思った」


「あははごめんごめーん」

 噂にのみ存在していた謎の人物というイメージに反して、マイちゃんはどこまでも軽かった。子供の頃に『そらのにんぎょ』を描いていた少女と同一人物と思えないほどに軽かった。


 ブドウや洋ナシなどの季節のフルーツを飾り付けられたシンプルなショートケーキが切り分けられ、みんなの前に配られる。各々座卓の周りに座りながらケーキとお菓子を囲む。場の空気は完全に談笑モードになっていた。とにかくこの事態には聞きたいことが山のようにある。


「なんで退院したのに教えてくれなかったの?」

 まず真っ先にこぐが質問した。


「いや本当はね、ちゃんと連絡するつもりだったんだよ? でも退院前がこぐれの誕生日前だって気が付いたらどうしてもサプライズがやりたくなっちゃって……。うちの親と兄貴はスピーカーだからヘタに言うと速攻でバラすだろうし、だからしばらくイシクラくんに協力してもらったんだ」

 ケーキを食べながら、イシクラさんがうんうんと頷く。


「この人、誰なんですか?」

 詰問口調でまりんがイシクラさんを指さす。

「千秋のおばさんの知り合いで、お嫁さんがいるらしい人がなんでこぐれさんのおかあさんといっしょにサプライズパーティーを計画してるんですか?」


「そうそう、それよ!」

 取り調べ中の刑事みたいな眼付きのまりんにマイちゃんはぐっとせまる。

「この人、あたしが働いていた喫茶店で美味しいコーヒー淹れる修業してたんだよ。歳はあたしの方が一つ下なんだけど、仕事じゃあたしの方がずーっと先輩だったの。コーヒー淹れるのもずっと上手だったから、先輩特権で色々こきつかってただけ。不倫とかじゃないよ。くれぐれも言っとくけど」


 ボロっと新事実が明かされた。イシクラさんとマイちゃんが一緒の職場で働いていた? 

 にわかに信じがたい話に、千秋は疑惑のまなざしをイシクラさんへ向けた。イシクラさんはたじろぎながらも弁明する。


「本当だって! お兄さんが学生時代からバイトしてた喫茶店の先輩がマイさんだったの。嘘ついてないって!」

「……ミサコちゃんはそんなこと一回も言わなかったし……」

「いやいや、お兄さんも本当にそれ最近知ったんだから。マイさんあんまり自分の過去語らないし。ミサコさんもあんまり俺のこと根ほり葉ほり聞くタイプじゃなかったし……」

「あたしも最近までこの人がミサコちゃんと付き合ってたとか、全然知らなかったのよ。なーんかこの人のSNSがゴタついてるなーっと思ったら、付き合ってた彼女と別れて違う人とけっこ――」

「わーわーわーわーっ!」


 話が大人の方面へ転がっていきそうな気配を感じたので千秋は大声を出した。興味津々顔のまりんの前でミサコおばさんのプライバシーが明らかになるのはマズイ。


「……ちょっと、なんで邪魔すんの? 面白かったのに」

 案の定まりんは不満そうな視線を千秋に向けた。


 大人二人も自分たち周りの話は小学生に聞かせずともよいと判断したのだろう、マイちゃんが咳払いして話の方向を修正した。


「イシクラくん……このお兄さんね、古民家のリノベーションについて詳しいみたいだから相談に乗ってもらってたんだよ。この人、見た目どおり古民家再生してカフェやってるから」

 

 それは千秋も知っていた。

 大人たちの口から、将来二人で古本屋兼カフェを開くという約束をイシクラさんの方から破った上に別の人と結婚し、挙句の果てに別の人と新しいお店を開いたのだというストーリーが断片的に語られているのを千秋も何度か耳にしていたから。


「怠け者だし、毒舌吐くし、すぐ愚痴るし……。自分に甘いぶん心身だけは丈夫だって思っていたミサコがああなるのも無理はないよ。そんなことされちゃあたまったもんじゃない」

 ミサコおばさんが都会から帰ってしばらく調子を崩していたころ、おばあちゃんはそう言って顔の見えないイシクラさん相手によく憤り、日ごろミサコおばさんに呆れかえってばかりの母さんもすっかりそれに同調していたものだ。

「二人で古本屋兼カフェをやるっていう文系大学生みたいな夢見てたことに関してまあ言いたいことが無いわけでもないけど、そこには目を瞑ってあげるわよ。今回ばっかりは」

 


 そういう事情をこの場で千秋だけは把握していたけれど、もちろん伏せておく。まりんは納得のいかないような表情だったが、格好つけの本能がそうさせたのかそれ以上追及はしなかった。 


「このケーキ美味しいです~」

 場の空気を読まずにはるこが幸せそうな表情伝える。

「ありがとう~。これあたしが作ったんだよ」

「わあ、お店のケーキだと思っちゃいました。こぐれさんのお母さん、お菓子作るのお上手なんですね」

「将来見越して一時期製菓の勉強もしてたんだよ。ね、こぐれ~」

 こぐはむすっとした表情ながらこっくりと頷いた。不機嫌そうだが自分の分のケーキはきれいに片付いている。


「で、こぐれさんのお母さんがお化け屋敷のオバケってってことでいいんですよね?」

 みふゆの質問にマイちゃんはケタケタ笑った。

「それ! 大家さんから聞いたんだけどあたし黒い服の幽霊ってことになったんだって? それ聞いた時すっごい笑ったんだけど。オバケの正体になることなんてそうそうないよ? 光栄だったよ~。……でも庭に落とし穴掘ったヤツいたでしょ?」

「あ、それ犯人はあたしの兄ちゃんのツレ」

「大家さんがそれに落っこちて大変だったんだよ~、足くじいちゃってさあ。もう笑いこらえるの必死で……とにかくあんなことしちゃダメだからね。危ないんだから」

 

 雑談の流れで出てきた情報を千秋はケーキを食べながら整理した。


 マイちゃんとイシクラさんは同じコーヒー屋で働いていた昔の職場仲間。

 マイちゃんはイシクラさんとミサコおばさんが付き合っていたこと、イシクラさんはマイちゃんとミサコおばさんが幼馴染だったことをお互い知らなかった。

 マイちゃんは古民家のリノベーションに関する相談を、職場の後輩で古民家リノベーションに関しては先輩のイシクラさんに相談していた。

 マイちゃんはこぐにサプライズパーティーを仕掛けるために大家さんに許可をとって内緒で準備している最中、この地区のこどもたちに目撃されてお化け屋敷のオバケ(あるいは謎の犯罪者)として噂になっていた。

 マイちゃんは製菓の勉強をしていたことがあっておいしいケーキを作れる。


 

 まだ謎は多いが、かなりのことが明らかになった。

 しかし根本的な謎がある。


「なんでこの家でこぐの誕生日パーティーをすることになったの?」


 千秋はマイちゃんに尋ねた。

 サプライズパーティーをするにしたって、なんでこんな空き家でやるんだ? オバケの噂をたてられながら、空き家を掃除したりして。かける手間暇の桁が違う気がする。


「ふふふ、それはねえ……」

 嬉しくてたまらないように、マイちゃんはニイイっと唇の両端を引っ張って笑顔を作った。

 そしてむすっとしているこぐれを後ろから不意にギューッと抱きしめた。


「じゃーん、この家がこぐれへのプレゼントだからでーす! この家をリノベーションしてカフェにするんでーす。ジャジャーン!」


 ジャジャーン。

 マイちゃんのセルフ効果音がパーティー会場に吸い込まれた。

 マイちゃんのセリフがあまりにも突拍子が無さ過ぎて皆とっさに反応できなかった。特にこぐ本人がそうだったらしい。


「……は?」


 抱き着かれたままこぐは後ろを振り向いてマイを見上げた。



「何その冗談?」

「冗談じゃないし。ほら見て」


 自分の手元に置いていた大き目のバッグから、マイちゃんは書類一式を取り出して座卓の上にどんと置いた。大部分は千秋たちが読んでも意味が分からなそうな書類一式だが、中にはリノベーション後の間取りとイメージモデルのようなイラストがあった。こどもにもわかりやすいそれらを子供たちはしげしげ眺める。

 そのタイミングでケーキを食べていたイシクラさんがスマホをもって庭に出てゆく。なにか連絡が入ったらしい。一瞬腰を折られてしまったかたちになったが、子供たちは何事もなかったようにそれらを見つめる。

 

 この空き家が、お化け屋敷呼ばわりされていたしがない古民家がカフェ……。

 この町内にもそういう店がぽつぽつでき始めているのは小耳に挟んでいたけれど、まさか自宅から徒歩圏内にそんなものができるとは……。


「へーっ、いいね。すごい!」

 お化け屋敷のご近所さんであるみふゆがすぐに反応した。

「そこ子供だけでも入れる?」

「中学生以上なら保護者同伴じゃなくてもいいってルールにする。ただファストフード価格ってわけにはいかないことは勘弁してね」

「素敵。母さんが喜ぶと思います。母さん、このあたりにはちょっと一息つけるような場所がなくて困るってよく言ってたから……」

 はるこもお行儀のよい歓声をあげた。


 そんな中、千秋はなかなかいうべき言葉が見つからずまじまじと間取り図をみていた。

 この家がカフェになるなんて、全然想像できない。そもそもこの展開が突拍子なさすぎて現実感に欠け、なかなかみんなといっしょにはしゃぐ気になれなかった。

 

 ちらっとこぐの様子を見てみると、こぐもうつむいて黙りこくっている。


「すごい誕生日プレゼントだね、こぐれさん。プレゼントがカフェだなんてそうそうないよ?」

 興奮したようにまりんが声をかけるが、こぐれは不機嫌きわまりない声で言った。


「……って言ったのに」

「え、何?」

「サプライズは嫌いだから二度とやらないでって言ったの! さっきそういったばっかりなのに!」

 

 だん、と座卓を叩いてこぐは立ち上がった。


「ここがマイの言う通りカフェになったとしたら、あたしたちはどこでくらすの? 今まで通りおじさんの家なの?」

「や、そういう訳にはいかないでしょ? ここの離れも改装してもらって住めるようにしてもらうつもりだけど……」


 マイちゃんもそう言ってから、自分の計画が何を意味するのか悟ったようだ。

 このカフェ計画がすすめば、こぐはコンビニオーナーのおじさんの家から引っ越すことになるのだ。徒歩圏内ではあるけれど、千秋の家から遠くなるのだ。

 その事実に気づき、千秋の胸も衝撃でゆれた。

 そうなったら、こぐと一緒に登下校できなくなってしまう。


「でも、ここも校区内じゃん。みんなと一緒に遊べるよ?」

 フォローするようにマイちゃんは笑って言う。しかしそれがこぐの怒りに火をつけるような結果になったようだ。


「マイはいっつもそうだ!」

 一言だけそう怒鳴ると、こぐは座敷を突っ切って玄関へ向かう。外へ出る気らしい。


「まって、こぐれ……!」

「ついて来るな! マイなんて嫌いっ」


 立ち上がったマイちゃんへ振り向かずにそういうと、こぐれは靴をはいて玄関から外へ出て行ってしまう。

 ついて来るなと言われてマイちゃんは一瞬怯んだ。その代わりに千秋が立ち上がる。

「行きますっ」


 さささっと小走りで畳の上を歩き、千秋も靴を履いた。こぐは怒ると脚力が出るのか、もう門の外へ出ようとしてる。そのままどこへ向かう気だろう、帰るのだろうか? 腹を立てたまま。


「待って、こぐ!」

 肩を怒らせて歩くこぐの後を千秋は追う。歩いていたって追い着きそうな距離しか開いていないけれど、千秋は端ってこぐを追いかける。



「だから、ちょっと聞けって、こっちの話も……。事故るぞ? はあ、なんで事故ったら俺のせいに……」


 門の脇でイシクラさんが電話の相手にどなっていたが、気にしている場合などではない。勿論。

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