第17話 千秋 くまの子を助けるためにアイドルプリンセスになる。
驚異的な脚力だとしてもこぐは徒歩だ。対してこちらにはみふゆの自転車がある。
本当はいけないのだけど、みふゆの運転する自転車の後ろに乗って千秋はこぐの後を追う。
「ふーん、何それ。わけがわからないね」
千秋の説明を聞いたみふゆは、ぐいぐいと力強くペダルを踏みながらそう答えた。
「こっちだってわけがわからないよ」
こぐがお化け屋敷の黒い服の女とどういう知り合いなんだか、イシクラさんはなぜあの女の人と一緒にいるのか、その女の人はイシクラさんのお嫁さんなのか、そしてこぐは今日が誕生日なのか? テレビのバラエティー番組風に言えば謎が大渋滞してるってところだ。
そうこうしているうちにふたりはあっさりこぐに追いつく。ペース配分を間違えたらしいこぐがへばった為に速度をおとしたこともあるだろう。
「おーい、こぐ~」
千秋は自転車の後ろから降りて肩を怒らせているこぐに尋ねる。
「とりあえずちょっと説明してよ」
「……」
こぐが何か言おうとしたタイミングで、ポロンと手提げの中のスマホが鳴った。舌打ちしそうに口元をゆがめて、こぐはホームボタンを押した。そんな手元でポロン、ポロン、ポロン、ポロン、とスマホは通知を鳴らす。
「どれだけ送ってくるんだか」
自転車にまたがったままみふゆがあきれた口調で突っ込んだ。一通り通知が終わった後、こぐは何かを打ち返して手提げの中にスマホを突っ込んだ。
「今の、さっきの女の人?」
「……っ」
こぐはぶんっと激しく首を縦に振った。相当腹が立っているらしい。
「あの女の人、こぐとどういう関係なの? オバケなの? オバケには見えないけど」
「……あのね」
こぐは何か言う気になったらしい、意を決して口を開いたその瞬間、またもや邪魔が入った。今度はスマホではない。
「あ~、いたいた~」
聞き覚えのあるハスキーボイスが三人の背後から飛んでくる。ふりむくと自転車に乗ったまりんとはるこがいた。シャアアっと軽快な音を立ててすぐさま追いつく。田舎の移動には大人には自動車が不可欠なように子供には自転車が必須だ(千秋も一台もっているが近所のこぐの家に遊びに行くだけなので乗らなかった。そのことを軽く後悔し始めた頃だった)。
「……タイミング悪いったら」
ぼそっとみふゆが呟いた。
「何、あんたたち二人仲直りしたんだ?」
追い着くなりまりんは相変わらず単刀直入な訊き方をする。
「仲直りするんなら学校で済ませなさいよ、気にして損したじゃない」
だれも心配してくれなんて頼んでないと言いたげなみふゆのうんざり顔をみたのか、はるこがやんわりとまりんをフォローした。
「あのね、まりんちゃんが千秋ちゃんたちを心配してね、話を聞きに行こうかってなって、で、千秋ちゃんの家にいったの。そしたらこぐれさんの家に遊びに行ったって聞いたから……」
「うん、あたしらもう仲直りしたから。ごめんね心配かけて」
だから早く帰れというオーラをあからさまに放つみふゆへ、千秋は視線で注意を促す。みふゆがまりんとソリの合わなさを感じているのは千秋だって知っているが、まりんが心配してくれていたのはきっと本当だろう。その思いに対してその態度はちょっと冷淡すぎる。
それになにより今はそんなことでもめて欲しくない。こぐの話の途中だったのだから。
「で、あんたたちどこへ行くところなの?」
仕切り屋まりんがいよいよ本領を発揮する。
「うんまあ、ちょっと。色々あってね……」
無駄だろうなと思いつつも千秋にあいまいにぼかしてみたが、やっぱりまりんには通じなかった。余計に興味を引いたらしく、ぐいぐいと迫ってくる。
「色々って?」
まりんとはるこの登場により、こぐはあの黒い服の女と自分の関係を話す気を失くしてしまったようだ。また無言になりてくてくと歩き出した。
「こぐ、待って~!」
千秋はあわてて駈け出す。みふゆも自転車にまたがったまま地面をつま先で蹴る。
「もう、まりんちゃんが邪魔したから肝心のことが聞けなかったし!」
「はあ? 何それ、あたしが悪いのっ?」
まりんが後をついてくる。まりんがついてくればはるこもあわててついてくる。
結局そんな五人でお化け屋敷へ向かうことになったのだった。
「何それ! 奥さんがいるのに違う女の人と逢ってるってそれ不倫じゃん! 最悪!」
お化け屋敷までの道中、持ち前の粘り強さをで千秋とみふゆからことのあらましを聞き取ったまりんの第一声はそれだった。どうやらイシクラさんの話が強く印象づいたらしい。
「いやだから、その黒い女の人がイシクラさんのお嫁さんかもしれなくて……」
「千秋の話からすると、その人のお嫁さんって今おなかに赤ちゃんがいるんでしょ? その黒い服の人のお腹ってどうだったの?」
「……あ」
確か、こぐの持っている写真の女の人が来ていたワンピースはウエストがきゅっとくびれていた。それに全体的にスリムだった。予定日を今月に控えているという妊婦さんのスタイルではない。ということはすなわちあの人は、SNSでなんでもかんでも喋るというイシクラさんのお嫁さんではない。
まりんに指摘されて千秋は初めてそのことに思い至った(と同時にまりんの意外な鋭さに驚く)。
「普通のお腹だった……」
「じゃあ妊娠中の奥さんを置いて別の女の人と逢ってるので確定だね。やっぱ最低じゃん、その男の人」
まりんは吐き捨てた。
まりんにはお化け屋敷のオバケの正体らしい黒い服の女とこぐの関係より、身重の妻を置いてほかの女の人と密会している男・イシクラさんの方が重要だったらしい(そのイシクラさんのことを「私のおばさんの知り合い」とだけ説明した自分はまことにファインプレーだったなと千秋は自分で自分を誉めた。ミサコおばさんの元カレだと馬鹿正直に話していたらとんでもないことになっただろう)。
「その女の人がどうしてこぐれさんにLINEをおくるの?」
はるこの方が早く、千秋とみふゆが共有している疑問にたどり着いてくれる。
「それをこぐれさんがおしえてくれようとしたタイミングであんたたちが来たんじゃん」
あ~あ、とみふゆがあてつけがましくそう言うと、まりんがすかさずムッとする。
「何それ、あたしたちが悪いっていうの?」
「少なくともタイミングは悪いよね」
「もう、仲良くしなってば二人ともっ」
やむにやまれず千秋が仲裁をしている間に、こぐを先頭にして歩いていた五人はお化け屋敷の門の前にたどり着いた。
ブロック塀に隠れながら中を伺う。車の轍が残るスペースに例の小さな青い車が駐車されている。
以前との変化はそれだけではない。玄関の引き戸が開いているのだ。まるで客を招き入れようとしているように……。
「ああ、ここが噂のお化け屋敷だったんだ。へー」
「あんまり怖そうじゃないね」
お化け屋敷に対するまりんとはるこの感想はこれで終わった。「お化け屋敷」という心躍る言葉をさらさらと流すような二人に千秋は内心驚いたが、今はそれどころではない。
意を決したようにこぐが庭に足を踏み入れたからだ。まだ肩が怒っている。
「待ってこぐ……っ!」
追いかけようとする千秋の肩をまりんが掴んで引き戻した。
「待ちなって! あの中には例の不倫男とその相手がいるかもしれないんでしょ? 危険だよ!」
「じゃあなおさらこぐも連れ戻さないと……」
こぐは肩を怒らせたまま玄関の敷居をまたいだ。特に恐れる風でもなく座敷を覗く。
中にはイシクラさんとあの黒い服の女の人がきっといる。こぐは女の人と知り合いみたいだけれど、事情がわからない千秋には不安でしかたが無い。そんなわけはきっとないのにひょっとしたらイシクラさんとあの女の人は悪い人で、こぐをだまそうとしてるんじゃないか、ひょっとしたら中に本物のオバケのような恐ろしいものがいたりするんじゃないかと、バカげた妄想が頭によぎる。
その時、みふゆがブッと一人で噴き出した。そのままお腹を抱えてくずれこむ。ケタケタ笑っているので急な腹痛を起こしたのではないことは分かったが、このタイミングで一人何故笑い出すのかわからず、三人は怪訝な目をみふゆに向ける。
「ちょっとなんなの?」
まりんの険を含んだ声にもめげず、みふゆはひいひい呼吸を整えながら謝る。
「ごめん、なんかこのまじめな状況……耐えらんなくて、笑えてきた……っ」
「はあっ? 中の大人が何者かわからないんだよっ? 悪人かもしれないし!」
まりんが目じりを吊り上げると、それがより一層みふゆの笑いのツボを刺激するらしい。笑いをこらえながら必死で答える。
「でも一人は確実にこぐれさんの知り合いなんだから、そんな、あたしらがビビらなくてもいいじゃん」
「でも……」
二人がやりとりしている間、千秋はこぐの動向をずっと目で追っていた。こぐは靴を脱ぎ、上がり框から座敷の中へ入ろうとしている……。
「やっぱり私は行くよっ」
千秋はまりんの手を振り払う。すると今度はみふゆが千秋を引き留めた。
「待って……っ、待って千秋、行くんだったらさこういうのはどう?」
笑いの発作を鎮めたみふゆはすっと息をすい、モデルのような作り物の笑顔を浮かべてあのポーズをとって見せ、裏声で名乗りを上げた。
「アイドルプリンセス・ナナミ、参上!」
「⁉」
「……って、そういうノリで行けば面白いと思う」
カーっとまりんの顔が真っ赤になり、みふゆにつかみかかった。はることアイドルプリセスで盛り上がることができても、相手がみふゆとなると話はまた別なのだろう。
「やめてよっ! そうやってふざけて人の恥をいじりまわして楽しい⁉ 前から言おうと思ってたけどあたしあんたのそういう所本当に嫌いなんだからね!」
「別にふざけてないし? 単なる小学生が悪人に立ち向かう機会なんてもうないかもしれないって思っただけだし? あたしら小4だからこうやって変身ごっこできるのもギリかもしれないって思っただけだし?」
そういうみふゆの口調は明らかにふざけていた。謎の大人を前にシリアスに盛り上がろうとするまりんを見ておちょくりたくなったのだと思われる。
しかしその適当な発言が、何故か違う方向にヒットしてしまった。今まで大人しくしていたはるこがぱあッと目を輝かせた。そういう時のはるこは持ち前の美少女力を最大限に発揮する。
「そうだよ、みふゆちゃんの言う通りだよ……!」
夢みる目つきなったはるこの全身からキラキラと輝きが放たれた。その状態ではるこはまりんんと手を握る。
「まりんちゃん、あたし一度、みんなで変身ごっこがしたかったの……! 幼稚園の頃からずっと。でもあたし、みんなが見てるアニメとか見せてもらえなかったから仲間に入れてもらえなくて……。みふゆちゃんの言う通り、あたしこのチャンスを逃したら、一生何にも変身できないまま大人になっちゃうかもしれない……!」
みふゆの悪ふざけによって、万人を一瞬で家来にしてしまうはるこの無自覚な女王様スイッチがオンになったらしい。そのオーラに、普段からはるこ絶対主義のまりんが立ち向かえるわけがない。
「え……でも、あたし達10歳だよ? 小4だよ? そんなの恥じゃん……」
おどおどとまりんは反論するが、はるこはゆっくりと首を左右に振った。
「恥じゃない。だってあたしたち子供だもん。子供が変身ごっこをするのは当たり前。恥ずかしいことは一つもない」
「……」
「……え」
「……あ、うん、まあ確かに……そうか、な……?」
キラキラしたオーラを放つ無敵状態のはるこが言うと、それは異常な説得力があった。確かに自分たちは子供で、架空のヒロインになりきる遊びをしてもまだおかしくない年齢だった。
そうなると、なんだか自分たちは今すぐアイドルプリンセスに変身しなければならないような、変身した方が絶対楽しいような気持ちになってくる。
三人をそんな心境に惑わされているちょうどその時、家の方からパンパン! と何かがはじけるような音がした。クラッカーのような銃声のような、そんな破裂音だ。
はっと三人の体がこわばるが、無敵状態のはるこが率先して三人を指揮し始める。
「静かに! ……何かしら今の音?」
確かに何の音だろう、お互いに顔を見合わせている三人を残し、春子は率先して雑草生い茂る庭へ駆け出した。
「さあ行くわよ! リサ、シオン、ニコラ! 妖魔の巣を偵察よ!」
「え……えっと、分かったわ、待ってナナミ!」
はるこ絶対主義のまりんが戸惑いながらもいち早くはるこが仕掛けた物語に乗った。
千秋たちが把握していない間にまりんとはるこの間でアイドルプリンセスたちが増殖していた事実に戸惑いながら、千秋とみふゆもその後を追う(そしてちゃっかりはるこがセンターメンバーらしいナナミになりきっていることをに関して流石だなとうなる)。
ぴたりとナナミになりきったはるこは玄関の引き戸にはりついた。三人もそれにならう。はるこは真剣な表情で中の様子をうかがう。
アイドルプリンセスになりきっているはるこ、とりあえず全力ではるこに合わせているまりん、状況を面白がっているらしいみふゆ、そしてその隣にいる千秋は一瞬場の空気にノってしまった魔法が解けて冷静になってしまった。
私は何をやってるんだろう……中にこぐがいるというのに。
「……!」
家の中からは何か言い争うような声が聞こえる。こぐの声だ。こぐが何かを喚いている。
あの無口なこぐが喚くというなかなか想像できない状況に、千秋はずいっと前に出てしまい、ナナミになりきっているはるこに注意された。
「だめよ、ニコラ。前に出すぎては危険よ」
どうやら自分の役名はニコラらしいが、まあ今はどうでもいい。
「あはは、ごめんごめん、ちょ、そんな怒るなって。も~! びっくりさせたかっただけじゃん」
吠えるようなこぐの声をいなすように、女の人の笑い声がかぶさる。
「うるさい、バカ! 退院したならあたしに真っ先に連絡しろ! バカバカバカ! マイのバカっ!」
どすっ、と畳を踏み鳴らすような音をたててこぐが吠える。そのあとどすどすと足音がちかづく。
「ちょ、待ってってば。も~っ、こぐれってば……サプライズじゃん。もう」
靴を履くような間を置いてから、三和土を歩くこぐのトントンという足音が近づいて、そして敷居をまたいで現れる。
「⁉」
引き戸の脇にぺったりと張り付いている四人に気が付いて、こぐはずざっと後ずさった。かなり驚いたらしく、くまパーカーのフードが頭から外れて顔がむき出しになる。
「もう、こぐれってば……」
こぐの後に現れたのは黒い髪に黒い服の女の人だった。しかし頭にパーティー時に被るような三角帽子があってずいぶん陽気だ。
サングラスとマスクはなかったが、さっきイシクラさんの車に乗っていた人、そしてこぐのLINEに送られてきた写真の女の人であることは間違いない。
その人が玄関にはりつく四人の子供たちをみてきょとんと眼を丸くしていた。
四人も視線をその人に向ける。
目の大きくて細身で、黒髪をアップにまとめている。赤い口紅がコケティッシュなスレンダーな女の人だった。なんとかいう昔の女優さんに似ている気がした。
「え、えーと。誰? こぐれの友達……?」
驚きが去ったらしいこぐが、首を縦に振る。
黒い服の女の人は三人をじいっと、形のいい大きな眼で見つめる。
そういう状況で、とてもじゃないがアイドルプリンセスを名乗れる度胸があるものは三人の中にいなかった。さしものはるこの絶対時間も終了してしまったらしい。そっとまりんの後ろに隠れる。するとさっきフォーメーションを崩して前に出てしまった千秋が列の先頭になってしまった。
「え、あ、ちょっと待って」
黒い服の女の人が千秋に近づき、両手でそのほっぺたを挟んだ。
「あなたひょっとして、千秋ちゃん? 千秋書店の千秋ちゃんでしょう⁉ ニャー太のマンガ描いてる……!」
「……!」
なぜそれを……! 見知らぬ人の口から千秋書店とニャー太のことを告げられて硬直する千秋の目に浮かんだ動揺を肯定の意と判断したらしい女の人は、歓声を上げて千秋をを抱きしめた。
「やっぱりそうだ! やだーもう、ミサコちゃんそっくりなんだもん、懐かし~!」
女の人は千秋のほっぺたに自分のほっぺたを擦り付けたあと、見てみて! とどこからか自分のスマホを取り出した。アプリを開いて並んだ画像を見せる。
「ホラっ、お姉さんこうやって千秋ちゃんのニャー太のマンガ、ちゃんとフォローしてたんだよ。ファンなんだよ、ファン。握手しよう握手!」
「……っ」
何が何だか状況がわからないまま、千秋はなすすべもなくその女の人と握手をした。女の人が開いたSNSのアカウントはミサコおばさんのものであることを確認する。ということはこの人はミサコおばさんの知り合い? SNSのフォロワー? 翻弄されながら千秋は必死に考えをまとめる。
「千秋ちゃんとうちのこぐが友達になってくれるとか、もう奇跡じゃん、ミラクルじゃん。あ~もう、悩んだけど家に帰ってきて正解だった~」
そういえばさっき、わめくこぐが何か重要なセリフを発していた気がする。
千秋は数分前の記憶を呼び戻した。
退院したなら知らせろとか、バカとか、マイのバカとか……。
マイ?
マイといえば。
「……タバコ屋のマイちゃん?」
おばあちゃんがそう呼んでいたままに、ぽつりと千秋は呟いた。
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