第16話 千秋 物語の核に最接近する。

 次の朝、登校班の集合場所に行くといつものようにくまパーカーのこぐがいた。

 

 むしゃくしゃして憂鬱なのは一晩眠ったおかげで少しは収まったが、朝の台所に漂っている昨日ミサコおばさんが作ったパイナップルカレーの匂いに再びネガティブな気持ちに引きずり込まれそうになりつつも、なんとか振り切った。


 くまパーカーのフードのせいでこぐの表情が見えづらい。それだっていつものことなのに、昨日一人で約束もせずに帰ってしまった負い目が千秋を後ろめたくさせる。

 とはいえこれ以上後ろめたいのは耐えられそうにない。千秋は極力、何事もなかったような雰囲気で声をかけてみた。


「おはよう」

「おはよう」


 いつものように挨拶は終わった。そして間が空く。こぐが無言なのもいつも通りだった。

 普段はどうやってこの間を補っていたのか、一旦意識するとわからなくなってしまう。とりあえず千秋はやみくもにジャブを撃つ。


「こぐは、酢豚にパイナップルが入ってるの好き?」

「……あんまり。でもレーズンが入ってるカレーよりはいい」

「レーズン⁉ カレーに⁉ なにそれ、ありえない。うええ……」

「前に食べたことがある。レーズン嫌いだからウェエってなった」

「私もレーズン嫌い。ぶどうパンってあるけど意味わからないよね。なんでパンに干しブドウ入れるんだって感じで……」

「うん。大人がラムレーズンのアイスクリームを買うのも意味わからない」

「わかる。私も北海道に行ったってレーズンバターサンドのビスケットは絶対買わないし」


 思わぬレーズンヘイトによって会話が滑らかに進んだ。その勢いで昨日ミサコおばさんがカレーにパイナップルを入れたせいで家族みんなが迷惑したことなどを語った。あまりに滑らかに進み過ぎたせいで、あ、昨日のことがなかったことみたいになってる、とうっかり気づいてしまった。すると逆に意識してしまい妙な間があいてしまう。


「……」

「……」


 そろそろ行きまーす、と班長が号令をかけたので皆は列を作る。千秋もこぐもいつもの定位置に並んだ。歩き出しながらしばらく経ってこぐの方から口を開く。


「この前はごめん」

「えっ」


「お化け屋敷を探検した時。あたしがあの時ちゃんと事情を説明すればあんたとみふゆさんがケンカすることもなかった。昨日考えて反省してた」

「ああ、うん……」


 思わず反射でうなずきながら、千秋は戸惑っていた。こぐは反省してたのか……自分はむしゃくしゃしてふてくされていただけなのに。


「ちょっと事情が特殊だから説明しても信じてもらえなさそうだし、あんな風にごまかしたんだけど。よく考えたら全然ごまかせてなかったなって」

「うん、確かに。あれはなんていうか、煽ってるみたいだった」

「だから反省してた。信じてもらえそうになくても説明した方がよかったなって。だから、ごめん」

「ううん、いいよ……。ていうかむしろこっちがごめんだよ」


 珍しく口数が多いこぐの言葉に引き込まれて自分が〝謝られる方″になっていると気づいた千秋は慌てて首をぶんぶん左右に振った。


「私こそ、昨日黙って一人で帰っちゃってごめんだよ。遊ぶ約束もしなかったし……ほんとに……その、ごめん」

「……」


 こぐは無言でこちらに顔を向けた、くまパーカーのフードでやっぱり表情はよみづらいが、なんとなく不思議そうな雰囲気を放っている。

 

 数歩歩いてからこぐは言った。


「ありがとう」

「へっ?」


 謝られたらふつう「いいよ」とか「大丈夫だよ」とかを返すものだと思っていた千秋は、お礼を述べられたことに軽く戸惑う。なぜそこで「ありがとう」なんだという不意打ちに戸惑っていると、こぐの方から話題を変えた。


「今日は、うちの方においでよ」

「うちって、コンビニのおじさんの家?」

 こっくりとこぐは頷いた。


「この前のお化け屋敷のこと、説明するのはあんたの家よりこっちの方がいい。話も長くなりそうだし」

「なにそれ……。すっごく気になるんだけど。今説明するのは無理なの?」

「無理。だってもう学校に着くし」

「あ」


 黄色い通学帽をかぶった子供たちを吸い込む校門が目の前に迫っていた。



 こぐが家に招いてくれた。

 正確にはこぐの家ではなく、こぐが身を寄せているおじさんの家だがまあその辺はいい。こぐがさそってくれたのが大事なのだ。

 そして、お化け屋敷の黒い女にまつわるなんだか特殊な事情とやらを打ち明けてくれるらしい。オバケの謎、その正体をこぐが知っているという事情……使い物にならない田舎にふさわしくない、なんという不思議とミステリー。しかもそれを自分に打ち明けてくれるというのだ。


 なんだか物語の主人公になったみたいじゃないか。そう思うと無性にくすぐったい。

 晴れがましいようなうれしいような、そんな気持ちでその日はすごせた。おかげでみふゆにまだ無視されていることも気にならなかった。


 どうしてこぐがお化け屋敷のオバケの正体を知っているのか、そんな想像をあれこれめぐらせている様子は傍目には相当おかしかったらしい。休み時間にまりんとはるこが心配そうに近寄ってくる。


「千秋……あんたニヤニヤしてどうしたの? 怖いよ?」

「そうだよ。大丈夫?」

「大丈夫、平気平気」


 へへへへと千秋は笑った。鼻歌がでそうな気分だったがさすがにそれは我慢した。



 放課後、ランドセルを置いて千秋は外に出る。

 コンビニオーナーのおじさんの家は、道を挟んでコンビニの向かい側にある。


 コンビニがタバコ屋だったときは店舗と家が一体化していたけれど、それを潰してありふれた箱型店舗のコンビニと広い駐車場に造り変えた時、同時に道を挟んだ向かい側にあった田んぼを整地してしゃれた二世帯住宅を建てたのだ。

 

 コンビニの近くまで来た時、千秋は駐車場に停めてある車にふと視線をとめた。千秋の位置からは後ろの部分しか見えないが、青くて小さい可愛い車だ。この辺では見かけない、外国の映画に出てきそうなたたずまいの車だ。車に全く興味のない千秋だったが、珍しいせいかなんとなく気にかかる。はて、つい最近どこかで見たような……。


 千秋がじっと見つめていると、後部座席に座っていた人物がその視線に気づいたらしく窓越しにひらひらと手を振った。つばの大きな帽子にサングラス、その上大きいマスクという、お忍び中のタレントの仮装をしたような人だった。雰囲気からして女性だろう。きまり悪くて千秋は慌てて頭を下げる。


 その時、コンビニの自動ドアが開き中から買い物を済ませたらしい客が出てくる。その姿を見て千秋はあっと声をあげそうになった。


 小ぎれいなカジュアルファッション、美容院に行ったばかりのような髪型、おしゃれメガネの細身の男、イシクラさんだ。

 同時にあの青い車は、この前千秋の家にやってきたイシクラさんが乗ってきたものと同じだと気づく。


 イシクラさんが何故、ここのコンビニに? またうちに用事だったのか。


 この道は元々農道だった道を広げたトラック道で身を隠せるものがほとんどないが、隣の畑と駐車場を仕切る背の低いブロック塀に身を隠した。イシクラさんは千秋のことが視界に入らなかったらしく、運転席のドアを開けてするりと乗り込んだ。車のエンジンがかかる。


 ぶるるっとエンジン音がなった時、後部座席の女の人がブロック塀に身を隠す千秋に手を小さくひらひら振った。


 なぜイシクラさんの車にお忍びタレントみたいないでたちの女の人が乗っているんだ? あれが噂の、SNSでなんでもかんでも呟いてしまう奥さんなんだろうか?


 

 去ってゆく青い車の後ろ姿を見送りながら、千秋はブロック塀の陰から姿を現した。

 

 その時、青い車が去った方角から一台の自転車がやってくる。遠目から見てもそれが誰だか、千秋には分かった。


 みふゆだ。

 

 みふゆもブロック塀から姿を現した千秋に気づいたのか、自転車のペダルを漕いでいた足を一旦止めた。しかし自転車には慣性が働き、ジャーっと前進する。


 よりにもよってこんな時に……千秋は気まずくて仕方がないが、ここでヘタに隠れる方がより気まずい。仕方なくその場に立っている。

 駐車場までやってきたみふゆは、容易に言葉が交わせるあたりの距離で自転車を停めた。しかしサドルにまたがったまま、千秋を見つめつつ前後にゆする。


 そのまま何かを言いたげに、睨むような、怒るような目つきでこっちを見つめる。しかし何も言ってこない。


 黙ったまま過ごすのも嫌だし、このままだとみふゆがコンビニに立ち寄りたい車の邪魔をしそうなので千秋が折れて口を開いた。


「どうしたの?」

「別に、おやつ買いに来ただけだし」

 このあたりのコンビニはここしかないから、隣の地区のみふゆが来たって何もおかしいことはない。


「あんたこそ、そんなところに隠れて何してたの?」

「ええと……おばさんの知り合いらしい人の車が停まってて、その人に見つかると面倒だったから隠れてたの」

「ふうん」


 みふゆはまだ、自転車にまたがったまま前後に車輪を転がす。


「そんなとこにいちゃあ邪魔になると思うよ?」

「分かってるし」


 みふゆはつま先で地面を蹴って移動する。しかし駐輪スペースになっている店舗前ではなくなぜか千秋の方へ近づいてくる。

 みふゆはむすっとむくれている。


「あのさあ。他に言うことないの?」

「……へ?」

「〝へ?″じゃないよ。昨日今日千秋はあたしと遊ばなくて平気だったの?」

「……別に平気じゃなかったけど」

 特に昨日はずっとむしゃくしゃしていたし。


 しかし何故千秋を憂鬱な気分につきおとしたみふゆが被害者みたいな顔で千秋を責めるのか、そう思うとむかっ腹が立ってくる。

「みふゆこそ何なの。なんで勝手にあたしと遊ばないって言って無視しておいて、あたしが声かけなかったら怒るの? あんな風に一人で置いて行かれて平気なわけないじゃん」


 一瞬みふゆがむっとした顔になったが、意外なことにちょっと間を置いてからぼそっと言った。

「……それは、ごめん。謝る」


 案外素直に謝られて千秋も拍子抜けしてしまった。

「あたしは面倒くさいやつじゃないからね、悪いなって思ったことは謝るんだよ」

 殊勝にもみふゆは自分からそんなことを堂々と言ってのける。が、その後でこんな主張をするからすべてが台無しになった。

「なのに千秋はあたしに謝ってくれない。あたしを不安にさせたのにさ。だから怒ってるんじゃん」

「はあ⁉」


 千秋はそれには大声を出さずにいられない。


「なんでそうなるの? 言っとくけどみふゆもすんごい面倒くさいよ⁉ 相当わけのわかんないこと言ってるよ⁉」

「あーもううるさいなっ! 言っとくけどあたしをこんなに面倒くさいやつにさせたのは千秋だけだよ! だから謝りなよ!」

「はああ、何それバカみたい! なんか少女漫画の偉そうな男キャラみたいだよ! しかも壁ドンとかする俺さまなやつ!」

「誰が壁ドンだよ、しないしそんなこと」

「や~い壁ドン壁ドン~」

「しないって、もう!」


 口では起こりながら、みふゆは笑った。声を出して笑った。つられて千秋も笑った。コンビニの駐車場でカラカラ笑った。二人の脇を何台かの車が通りすぎた。


 ひとしきり笑ったら、むしゃくしゃした気持ちも消えていた。みふゆの方もそうだったらしい。


「で、あんたこんなところで何してんの?」

「こぐと遊ぶ約束してたから来たの」


 こぐの名前をだしてもみふゆはこだわるでもなかった。「ふ~ん」と頷く。

 しかし心配そうに付け足す。


「こぐれさん、あの後怒ってた?」

「怒って無かったよ。ていうかみふゆにちゃんと説明しないことを反省してた。オバケの正体についてきちんと説明してれば怒らせなくてすんだのにって、ごめんって。だからみふゆも気にしてるなら謝った方がいいよ」

「うん、そうだね……」


 以外と素直にみふゆはうなずいた。さっき笑ったおかげで憑き物がおちたのだろう。


「みふゆも来る?」

 自然な流れで千秋はみふゆに尋ねた。今からこぐにオバケの正体について教えてもらう予定だったのだと説明する。

 こぐに打ち明けられた秘密を分け合うのは若干残念な気はしたが、みふゆはあの場にいた当事者なのだ。知る権利はあるだろう。

 

「何それ⁉」

 みふゆは目を輝かせた。

「やばい、知りたすぎるんだけど⁉」

「じゃあ、一緒にいこうよ」


 二人は車が来ないことを確認して、道を渡った。



 二人がコンビニオーナーのおじさんの家の敷地に足を踏み入れたのと、こぐが慌てた様子でドアを開けて外に出てきたのは同時だった。手には千秋の家によく持ってくる赤い手提げがある。


「あ、こぐ」

「こぐれさん、ども~」

 千秋とすこし気まずそうなみふゆが声をかける。みふゆは二人に気づいて頭を下げながら、小走りでやってきた。気がせいている様子のこぐを初めて見た。


「……どうしたの、こぐ?」

 コンビニオーナーのおじさん宅で話を聞く予定だったのに、こぐはすっかり外出モードだ。千秋が戸惑うと、こぐは手提げからスマホをとりだした。

 千秋と遊んでいる時には一度も見せたことが無かったが、どうやらこぐはスマホを所有していたらしい。


「大変なことになった」

 そういうなりホームボタンを押して、こぐは二人にある画面を見せた。


 どれどれの差し出されるままにふたりはその画面をのぞき込む。LINEらしい画面にが映し出され、何枚かの画像が表示される。


「……?」

 それはなんだか見覚えのある古い民家の全体を映したスナップだ。こうしてスマホの液晶ごしに見ると気づくのに少し時間がかかったが、どうみてもそれはこの前三人で訪れたお化け屋敷だ。


 外部、そして内部、お化け屋敷の断片を写した写真が連続したあと、コメントが登場する。


「気に入った?」

「サプラ~イズ」

 そして「Happy Birthday!」というスタンプやバースデイケーキのスタンプなんかがにぎにぎしくたて続けに流れてくる。



 お化け屋敷の画像と、ハッピーバースデイ。まるでつながらず意味が分からない。


 理由を求めてこぐの顔を見るも、こぐはまた、ふうっ! と息を吐いた。



「……あれ?」

 その時千秋は画像の一つに妙なものを見つけた。


 お化け屋敷の全体を正面から写したものだ。庭先に停められている青い車が見切れているのだが、それがどうみてもさっきイシクラさんが乗っていた車の一部分だ。特徴のあるミラーの形がそうだと告げていた。


「え、ええ?」


 お化け屋敷、ハッピーバースデイ、そしてイシクラさんの車。深まる謎にとどめをさすように、新しく送信された写真には、お化け屋敷の玄関でポーズをとる黒いワンピースに黒い髪の女が映されていた。目元にはサングラス、口には大きマスク、頭にはつばの広い帽子。


 お忍びで知り合いの葬式に参加したタレントのようにみえるが、ジャジャーンと言いたげに両手を大きく開いたポーズは陽気極まりない。それよりもこの人物はさっきイシクラさんの車の後部座席にいた人物ではないか。


 そして何より、黒い服に黒い髪というあたりがこの家で目撃されるオバケの情報と一致している。とっているポーズにオバケ感は皆無だが。


「え、ちょっと待ってどういうこと?」

 みふゆも何がなんだか混乱したらしい、謝ることも忘れてそうつぶやく。



「とりあえず急いであの家に行かなきゃ!」

  

 こぐはてくてくと道沿いに速足で歩き出しながら二人についてくるように手招きをする。

 

 そうなれば二人はもちろん、ついていかざるを得ない。


 ていうかハッピーバースデイってどういうこと? こぐってば、今日が誕生日なの?


 千秋は尋ねたかったが、こぐの脚は意外と速く千秋の足ではついていくのが精いっぱいだった。


 



 

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