第15話 千秋 孤独になり元気を失くす。             

「それはまたミサコちゃんには答えづらい問題だね」


 玉ねぎをいためながら缶ビールを飲むミサコおばさんは答えた。今日はおばあちゃんが地区の寄り合いに出るのでミサコおばさんが晩御飯を作ることになったのだ。

 調理中のミサコおばさんへ、この度のこぐを交えたみふゆとのトラブルを千秋は愚痴っていた。


 

 もう千秋とは遊ばないと宣言した通り、今日学校へいくとみふゆは千秋を無視した。

 千秋が一応「おはよう」とあいさつをすると「あ、おはよ」と返したけれどそれきりだ。立派な初志貫徹ぶりだ。千秋は改めてむっとする。


 仲が良いけれど千秋とみふゆは常にべったりしているわけではなく単独行動も多いというイメージがクラスでは先行しているので、必要事項を二~三言やりとりする様子でもみせていれば同級生やクラスの担任も特に不審には思わなかった模様。ただやはり、まりんとはるこの目はごまかせなかった。


「千秋、みふゆちゃんとケンカした?」

 まりんが早速関心を示す。その隣には心配そうなはるこもいる。

「別に」

 むすっとして千秋が答える。


 こじれた二人をみてまりんの仕切りやの血が騒いだらしく、とんでもない提案までしてくる。

「どうせまたみふゆがいつものマイペースでなんかやらかしたんでしょ? あたしが言ってあげようか?」

「そんなのいいって」

 今にもみふゆに物申しに飛び出しそうなまりんを千秋は慌てて引き留めた、そんなことをすればますますみふゆは意固地になって収まる話も収まらなくなる。


 こうしてその日はほとんど一人で学校で過ごした。

 みふゆは休み時間になると教室の外にさっさと出てしまう。今までなら教科書に落書きをしていたような時間にも。


 教室に置いてきぼりにされたような千秋を見かねたのか、まりんとはるこが二人の下に千秋を誘ったが、めでたく『アイドルプリンセス ナナミ』という共通の話題が出来上がった二人が盛り上がる会話を耳にしていると、一人でいるよりも孤独の辛さが骨身にしみた。やっぱり三人組が2:1に別れている時のやるせなさは相当なものだ。

 

 千秋もみふゆも一人が苦にならないタイプだ。少なくとも千秋にはそういう自認があった。でも今まで一人が苦じゃなかったのは、みふゆがいてくれていたからなのか。常に一緒にいなくても、お互いウマがあって、口を開くとバカみたいな話をいつまでも続けられる友達。

 みふゆとなら絶対、楽しい時間を作れるという安心感があったから、単独行動をしていても寂しくなかったのか。


 それに気づいた時は思わず鼻の奥がツンとしたが、でもやっぱり、とムラムラと腹が立つ。

 

 勝手だ、みふゆはあまりにも勝手すぎる。



「千秋の味方をしてあげたいけど、ミサコちゃんはみふゆちゃんと似たような立場になったこともあるから、まあそうなっちゃう気持ちもわかるんだよ。難しいねえ」

「そうなっちゃうって……なんか私がイシクラさんみたいじゃん」


 あははとミサコおばさんは明るく笑った。


「あいつはとんでもないバカだけど、人が嫌がることは言ったりやったりしないとか、いいところも一応あるんだよ。千秋はあいつよりはずっと賢いからずっと上等、上等」

「……でもミサコちゃんには究極に嫌なことやったじゃん、イシクラさん。人の嫌がることはやらないって嘘ばっかりじゃん」


「うわっ、そうだった! アイツあたし相手に最低なことやらかしてたな」


 そういいながらミサコおばさんはビール片手に爆笑した。昨日マカロン食べながら悪態を吐いていたのに、今のミサコおばさんはイシクラさんを昔の友達みたいな距離感で語っている。その変化に千秋はついていけない。


 抗議を込めた目で見つめると、ミサコおばさんは「……ええと」と前置きしてから説明を始める。


「ミサコちゃんが一時期とんでもなく弱っていたのはイシクラのせいってより前の仕事先で色々あったのが原因で、イシクラのアレは今でも腹立つけどそこまで許せないってもんじゃないんだよ」


「?」


「ここにグラグラしてる積み木の塔があるとするじゃん。ミサコちゃんはその上に新しい積み木をもっともっと積まなきゃいけないってある人に命令されてるのね。今にも崩れそうなくらいグラグラしてるのに、もっと高くもっと高く、積まないとお前はダメなヤツだってその人はミサコちゃんを責めるの。お前以外の他のやつは積んでるのにできないお前はダメなやつだって。そういう人が前の仕事先にいたんだよ。で、イシクラはミサコおばさんの横から出てきてその積み木をうっかり崩して『あ、ごめん』って言ったようなバカ野郎みたいなもん。だから、ミサコちゃんの中での許せない度合いは前の仕事先の人の方が大きいの」


「??」


「イシクラがバカやらなきゃ、ミサコちゃんは今でもその人が怖くてグラグラの積み木を積んでたかもしれないし。イシクラのやらかしたことは許せないけど、でもイシクラが積み木を倒してくれて助かったなって面もあるんだよ。……あ、でもこれあんたのお祖母ちゃんとヒロコ姉ちゃんには内緒ね。多分なかなか理解してもらえないから」


「???」


 ミサコおばさんに言われるまでもなく、おばあちゃんとお母さんに説明する気にはならなかった。

 まず千秋自身がミサコおばさんの言葉の意味がよく理解できなかったからだ。結局ミサコおばさんはイシクラさんのことが好きなのか嫌いなのか、許せるのか許せないのか、どっちなんだ。積み木の喩もわかるようなわからないような。

 ミサコおばさんは大きい本屋さんで働いていたけど、その本を高く積めと指示されたんだろうか。最近、ベストセラーの小説を見映えよく高く積みあげて注目を集める本屋さんがあるみたいだし。


「イシクラは大バカだけど、あいつに比べたら屁みたいなもんだよ」

 

 おいてけぼりの千秋には構わず、ミサコおばさんはビールを飲みながらつぶやく。あいつというのがミサコおばさんが言う「積み木を積め積めと責めた人」であろうことは流石に想像がつく。

 

 それにしてもとりあえず、ご飯を作りながら「屁」はやめてほしい。



 テーブルの表面にほっぺたを密着させながら千秋はミサコおばさんを眺めた。なんだか話が大幅にずれたけれど、千秋が話し合いたいのはそこじゃないのだ。



「でもやっぱりイシクラさんは不誠実な人なんでしょ? ミサコちゃんとつきあってるのに他の人と結婚したりして。私、不誠実な人になるのは嫌だよ。っていうか不誠実なことをやった覚えもないんだよ?」


「まあ……千秋は友達に関してポリアモリー気味なところがあるんじゃない?」

「ぽり……なにそれ?」


 ミサコおばさんは古い文庫本をめくった。この本は昔の作家が書いた料理エッセイだそうで、このレシピを参照にカレーを作るとミサコおばさんは意気込んでいるのだ。わざとらしくそういうポーズをとることで、うっかりまだ千秋には早そうな言葉を口にしたことをごまかしているのだろう。ムッとするがまあいい、あとでつきとめてやると千秋は心に誓う。


「とにかくさあ、私はみんなで仲良くすればいいって思っただけなんだよ? それなのになんで怒られたり無視されたりしなきゃなんないの?」

「まあ、みふゆちゃんは女子では千秋とだけ仲良くしたかったんでしょ。二人いるうちの自分だけそういう気持ちでいるのって結構腹が立つもんだよ~」

「そんなこといったって、みふゆはまりんちゃんとはるちゃんみたいなべったりしたのが嫌いな子なんだってば。自分でも言ってたもん。なのに自分が私と一緒にいられないから無視するってひどいよ。勝手だよ」

「まあ、人の心はなかなか複雑だからねえ」

 


 台所には玉ねぎの甘くて香ばしい匂いが満ちている。普段なら心躍る素敵なにおいなのに、今日はなんだかむしゃくしゃする。



 学校でこぐの教室を覗くと、こぐは一人で平然と本を読んでいた。くまパーカーをぬいで、教室の喧騒を無視して毅然としている。

 思わずほれぼれするようなたたずまいだった。千秋なんていなくても平気そうだ。「ひとりでいても平気」というのはああいう毅然とした態度を貫ける者をいうのだ。一番の仲良しに無視されて、三人組のうちあまりものの一人にされて、心がぺしゃんこになっている人間なんて所詮ただの甘ちゃんだ。


 千秋はなんだか自分が情けなくなった。心が弱ったから隣のクラスのこぐにたよろうとするなんて、なんて自分は弱虫だろう。


 情けなさからこぐの帰りを待たずに今日は一人で帰ってしまった。遊ぶ約束もしていない。約束をしなくてもひょっとしたらこぐが来てくれるかなと、千秋の甘ったれた心が期待してしまったけれど、でもこぐは来なかった。当然だ、約束をしなかったのだから。みふゆもまりんもはるこも約束せずに遊びにきたけれど、きっとこぐはそういう性質ではないのだ。


 こういう気持ちだと本屋さんをする気にはとてもなれず、畳の上に転がったり、つまんないテレビを見たりして無為に過ごしていたらミサコおばさんが帰って来たのだった。 



「今日はカレーだよ~。ミサコちゃんが新レシピに挑戦するよ~」

 スーパーの袋の中身をダイニングに広げながらおどけた口調でそう言った。見るからに元気のない千秋を励ますためにそうやってふざけてくれたのだろう。


 今日のカレーは成功するだろうか。


 ミサコおばさんは、義務教育期間+高校時代で平均的な家庭科の授業をきちんと履修し学生時代から一人暮らしをしていたのでほどほどの炊事の能力はある。目を見張るほどおいしいというわけではないけれど、ちゃんと「美味しいね」と笑いあって食べられる程度のご飯なら作れる。でも千秋の母さんから「家族のご飯を作るときはカレーとシチューと肉じゃが以外は作るな」と強く厳命されいている。


 なぜなら、基本的にミサコおばさんの料理は趣味に走り勝ちだからだ。

 保守的な味覚の人にはとっつきにくいエスニック料理に挑戦したり、料理マンガに登場したトンデモ料理を作ってみたり、小説やエッセイに出てきた料理を想像して作ってみたり、料理番組で紹介される奇抜な料理ばかり作りたがる。しかもイチゴの白和えだとか、りんごとベーコンの炒め物だとか、パクチー山盛り料理だとか、マンガに登場するゲテモノ料理だとか、人を選びそうな料理ほど見ていて挑戦したくなるという癖がある。

 自分ひとりだけでそれをやるならいいが、好みが各々異なる家族に食べさせるご飯でその癖を炸裂されては困る。ものによっては大惨事だ……ということでお母さんは、カレー・シチュー・肉じゃが以外を禁じている。

 その三つでも挑戦欲をなんとか満足させられないかと、ミサコおばさんはどこからか毎回謎レシピを見つけてくる(この悪癖に関しては、イシクラさん絶対許さない勢のおばあちゃんですら「ミサコのああいう所にイシクラさんがついていけなくなった面もあるのかねえ」と同情を催す程だった)。



 今のところはいい匂いではある。でも千秋の心は上向かない。



「……まあ、そういう時は思いっきり沈むしかないね」

 経験者は語る、といった体でミサコおばさんは言った。



 ミサコおばさんのカレーは数時間後に完成した。

 

 昔の文豪が書いたとおりに作った市販のルーを使わないカレーは全体的に悪くない味だった。玉ねぎをじっくり弱火で約二時間炒めるのが功を奏して普通に美味しい欧風カレーに仕上がっていた。

 なのに、酢豚にパイナップルはアリ派のミサコおばさんが挑戦欲に抗えず、缶詰のパイナップルを切っていれてしまったことから惨事が起きる。ミサコおばさん以外、千秋の家族はみんな酢豚のパイナップルはナシ派だったのだ……。


「……カレー一つまともに作れないの? あんたは?」


 ソースのなかにまんべんなく混ざったパイナップルを見つけては小皿にあける母さんが、ふうっと息を吐きながら言った。そのパイナップルをすかさず自分が食べながらミサコおばさんは憎まれ口をたたく。

「世の中にはパイナップルカレーってものがあるんです~」

「あれは漫画の中のもんでしょう⁉」

「そんなことないです~、クックパッドにも投稿されてます~」

「……ああそう。じゃあ今度から漫画飯とクックパッドのレシピは禁止しします!」


 

 千秋も自分の皿からパイナップルをはねてゆく。ついてない日はとことんついていない。

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