第13話 千秋 大人の世界に接近する。
「こんにちは。千秋ちゃん、大きくなったね」
次の日、学校から帰って本屋の開店準備を始めた頃、庭先に一台の車がやってきて停められた。中から降りてきた青年が千秋に目をとめて微笑みかけたのだ。
「おうちの人はいるかな?」
「……えっと」
田舎の家は広い。母屋に離れに納屋に畑を含めた庭に……ととにかく広い。探せばおばあちゃんがどこかにいるはずだが、それよりも千秋は見覚えのない青年に親し気に話しかけられている状況に困惑していた。
サラサラの髪が短く清潔に整えられている、シックなデザインのメガネ。細身。ボーダーのトップスとデニムのボトムというシンプルだけど清潔感のある服装。なんてことのないいでたちなのにその人にはこの辺にはない、都会と文化の香りが漂っている。ミサコおばさんが時折文句垂れながら毎月きっちり購読しているカルチャー雑誌に取り上げられるカフェのオーナーみたいな人だ。コーヒーを淹れる時に使う、注ぎ口が異様に細くて長いやかんをもたせてみたくなる。
なぜこのような都会の人がこんな田舎に……ていうか誰この人?
そのような疑問が表情に思い切り滲んでいたのだろう、青年は苦笑した。
「以前、ここに寄せてもらったことがあるんだけど……。やっぱり覚えてないか。もう三年以上前になるからなあ」
三年以上前というと、小学一年生以前の話になる。千秋は自分の記憶をさらってみた。すると一件、それらしき記憶が発掘される。
千秋が幼稚園の年中さんか年長さんだったころ、お盆のみんなが集まる時期、庭でバーベキューをしようとなっててんやわんやの状況で、一人見知らぬ人がいた。
千秋の父さんにお肉や缶ビールを勧められたり、子供をお腹が膨らんできたフミコおばさんにあれやこれや質問されていたりした人。それきり一度も家には来なかった、「ミサコちゃんのお友達」だ。
あの人だな、と思い至ると同時にある名前が頭によぎる。
「ミサコさんはいる?」
青年に尋ねられて無言で千秋は首を左右にふる。二日ほど前にバイトから帰るなり離れに引きこもっていたけれど、まる一日休養したら元気になったらしい。
昨日は普段と変わらず元気そうで、バイトから帰ってくるとテレビを見ては笑ったりタレントの悪口を言ったりしていた。
どちらかというと、おばあちゃんとおかあさんの様子がおかしかった。ミサコおばさんをたしなめる回数がいつもより減り、「仕事はどう?」「嫌なことがあったら言いなさいよ」と明らかにミサコおばさんを気遣っていた。
いわゆる腫物扱いというやつで、ミサコおばさんの方が困惑していた。
「初めてやる仕事じゃないんだから、大丈夫だって。なんなの、急に優しくされると気持ち悪いんだけど」
「だってそりゃ、前みたいなことがあったら……ねえ?」
受け答えたおばあちゃんがお母さんと目を合わせてうなずきあったが、そういうのがミサコおばさんとしては嫌だったらしく、ご飯を食べるとそうそうに離れへ引っ込んでしまった。
後に残された大人二人と子供一人。子供の千秋にお母さんもおばあちゃんも「前みたいなこと」の詳細を教えてはくれないが、同じ家で暮らすものとしてはその当時の空気と様子は千秋の頭と体にしっかり保存されている。
ようやくバイトを始める気になるまで元気をとりもどしたミサコおばさんだが、都会から帰ってきた一時期はそんな元気をすっかり失って離れで横になっているばかりだったのだ。横になることしかできなくなったので、都会から田舎へ帰ってきたというのが正確か。
千秋が二年生だった年度の冬の頃だ。
「ミサコちゃんはお仕事です」
目の前の青年に伝える。
「そうか、何時ぐらいに帰ってくるか、わかる?」
「……」
「ああ、ごめん。僕はイシクラって言うんだけど、名前わすれちゃったかな?」
千秋は首を左右に振る。「ミサコちゃんのおともだち」の姿形は雰囲気しか思い出せなかったが、イシクラという人物のことはよく知っていた。ミサコおばさんを抜いた大人たちの会話によく登場するからだ。
「大体、イシクラさんも不誠実だよ。自分がつらかったときはミサコに支えられながら……」
等、あまり名誉ではなさそうな文脈でよく登場する名前だ。
耳に入る大人たちの会話の文脈で〝イシクラさん″なる人がミサコおばさんが都会で生活していた時の彼氏で、ミサコおばさんが千秋の家へ帰って寝て過ごす生活を余儀なくされるくらい元気をなくしてしまったことにそれなりに関わっていることは大体把握していた。そのせいで千秋の家の大人たちにはすこぶる評判が悪い人物であることも察している。
となると、自然と千秋も〝イシクラさん″に対していいイメージを持つのが難しくなる。目の前の青年は線が細くて物腰がやわらかで、こちら側にぐいぐいつめよってくるような所はないけれど、それらが全部裏目に出てとても胡散臭い人物に見えてしまう。
「……何か用、ですか?」
そういった警戒心が千秋の全身から滲み出てしまったらしい。イシクラさんは自嘲するように笑った。
「うん……まあそういう反応になっちゃうのも仕方ないかな」
イシクラさんは手に提げていたお菓子が入っているのであろう紙袋を千秋に預けようとする。このあたりのお使い物では見かけない、お菓子屋さんのしゃれたデザインの紙袋だ。
「おうちの人に、渡してくれないかな。皆さんでお召し上がりくださいって」
「じゃ、ちょっと待っててください。おばあちゃんを呼んできます」
千秋が立ち上がると、イシクラさんの目元に一瞬動揺が走った。しかしこの状況はどうみても子供の手に余るものである、大人にパスするのが絶対正解だ。
縁側と座敷を仕切る障子戸をあけ、居間にでるとおばあちゃんがそこにいた。野良作業に出られるようなトレーナーとジャージのズボンじゃなく、普段着の方でも買い物に出かける程度には見映えのするもので待機していた。うっすらお化粧もしている。
「あ、おばあちゃん居たんだ」
「いたよ、あの人が来たってわかったからね。ちょっと準備していたのさ」
あんた今日は外で遊んでおいで、とおばあちゃんは千秋にお小遣いを渡した。
「あら~、イシクラさんお久しぶり~。どうぞどうぞ、こちらから~。まあ散らかってるんですけどお構いなく~。あら、まああそんなご丁寧に~」
玄関からおばあちゃんのよそいきの声が聞こえる。千秋は勝手口から外へ出た。
これから座敷でイシクラさんとおばあちゃんの大人の話が始まるのだろう。ちらっと後ろをふりむくと、イシクラさんは気まずそうにぺこぺこと頭を下げながら座敷に上がっていた。
家を出て数歩歩くと、道の向こうからこぐがやってきた。千秋がやってくるのに気づき、不思議そうに足を止めた。
「ごめん、今日はお客さんが来たから家で遊べなくなった」
「……」
了解、というようにこぐは頷く。
「何考えてんだ、アイツ。父親になるっつうのに。キモ」
イシクラさんが持ってきたものは色とりどりのマカロンの詰め合わせだった。バイトから帰ってきておばあちゃんから話を聞くなり、ミサコおばさんはそう吐き捨てるがマカロンの包みを破いてはむしゃむしゃ頬張る。
「あんた自分をひどい目に遭わせた人間が持ってきた菓子なんかよく食べる気になるねえ」
「だってお菓子に罪はないもん。でもってここのマカロン美味しいもん」
「だからあんたのご機嫌うかがいにこれ持ってきたんでしょうに! 全く、お菓子ごときで水に流すなんて、情けない……」
「あたしは、パティシエとか農家の人とか販売員さんとかこのマカロンの製造工程に関わったすべての人たちに敬意を表して食べてるんだよ。てかあいつのことなんかもうどうでもいいよ、あんなバカ」
「また屁理屈ばかり言う……。それにそのお菓子、美味しいかい? どうも歯にへばりつく気がして苦手なんだよねえ」
「美味しいよ! 美味しいし可愛いし、最強の食いもんだよ! それにここのはあまり歯につかないし」
ほれ千秋も食べな、とミサコおばさんが千秋にも勧めてくれたので遠慮なく食べた。確かに美味しいしそれほど歯に絡まない。
ミサコおばさんが学生時代からしばらく住んでいた都会は千秋の家から12駅分離れている(都市部の私鉄の12駅分ではなく田舎のJRの12駅分である)。
ミサコおばさんの今の職場であるショッピングモールは4駅分離れている。
ここのショッピングモールは敷地がありあまっているせいか、近隣にある他のモールにはない様々な店舗が入っているのが最大の特色だった。特にベビーやキッズ用品は非常に充実していた。都会で働く若い世代が多く住み始めたベッドタウンとしての性格を反映しているのだろう。
専門店の高級品も普段使い用のリーズナブルな品も、プレゼントに最適なおしゃれな輸入品も、都会まで出なくてもベビー用品なら何でもそろっている。
都会の住人も簡便さにまけてここのモールを利用する人も多い。
イシクラさんが故郷からやってきた両親とともに今度生まれるわが子のための様々な道具や衣類などを選びに来たおり、休憩がてらモール内のコーヒーチェーンに立ち寄った。
その時、カウンターで応対することになったのがよりにもよってバイト中のミサコおばさんだったのだそうだ。
「いっつもあそこのコーヒーはまずいとか言ってた癖に利用してんじゃねえよ、あのサードウェーブなんちゃら野郎」
時間がたってようやく怒りを表現できる程度に回復したらしいミサコおばさんはマカロンを食い散らかしながら悪態をつく。
「そもそも臨月の嫁ほって元カノにあいさつとか意味わからなくない? なくない? 私がそんなのされたらまずキレるし生涯根に持つんだけど?」
「そうね、何考えてるのかしらね」
「わけのわかんない人だよねえ。あたしはずーっとそう思っていたよ」
普段なら「千秋の前でやめなさい!」とたしなめる母さんもおばあちゃんもイシクラさん相手だと全面的にミサコおばさんの味方になる。
「なーんか、あんたに一度会ってちゃんと謝りたかったとか言ってたよお?」
「はん。そんなの自分がスッキリしたいだけじゃん。他人を自分の人生の脇役扱いするなっつの」
「どうする? 母さんイシクラさんのお嫁さんのTwitterアカウント押えてるけどこのこと凸しようか?」
「いいよやめてよ! 予定日もうすぐなんでしょ? そのせいでトラブルおきたら寝覚めが悪いし……。つうかなんで母さんがお嫁さんのアカウント押えてるの?」
「イシクラさんのインスタとTwitter押えてりゃあすぐ見つかったよ。あの人たち、どっかでデートすりゃあ似たような写真あげるから特定しやすいんだよ。お嫁さんはつわりがきついだ、旦那の帰りが遅いだ、テレビに高橋一生が映っただなんだ、その日の出来事を独り言感覚でTwitterあげてるから行動も特定しやすいし。……やだねえ、危機管理のなってないお嫁さんだよ。あたしが行動に移さない単なるバアさんだからいいようなものの、変質者に目ェつけられたらどうするつもりなんだろうねえ。イシクラさん対応できるのかねえ、はあ~、怖い怖い」
「ちょっと母さん、シャレにならないからやめて……。それに千秋の前だし」
母さんがおばあちゃんをたしなめるという珍しい事態が起きる中、千秋はもう一つマカロンを食べた。晩御飯の前にあまりお菓子を食べてはいけないのだけど、やっぱりおいしい。
どさくさにまぎれて今までひた隠しにしていたおばあちゃんのタブレット使いこなしっぷりと鬼女化していたことが露見し、イシクラさんへの怒りが鎮まったあとにそのことに気づいた二人があわてておばあちゃんのアカウントの特定とブロックのためにスマホをとりだして大騒ぎする。
そんなこんなでその日は過ぎた。
イシクラさんとお土産のマカロンという、家の女性陣共通に共通する敵の登場と甘いものによってミサコおばさんは元気を取り戻し、腫物の扱いによる居心地の悪さも払拭された。それはまあめでたいことではあった。
しかし千秋は千秋で難しい問題を抱えていたのだが、だれがおばあちゃんにタブレットをプレゼントしようなんて考えたのかとかつまらないケンカを始めだす二人を見ていて、今はそれを明かすタイミングではないなと判断して胸におさめる。
おばあちゃんに外で遊びなさいと言われて勝手口から外へでた後のこと。
そしてこぐと会い、今日は何して遊ぼうかと歩きながら相談を始めた時、自転車に乗ったみふゆがやってきたのだ。
「あれ、千秋ん家に行こうと思ってたんだけど、今日は本屋はしないんだ?」
「うん、ちょっとお客さんが来ちゃって……」
「そっかあ、残念」
みふゆは言う。そのあとニカっと笑って二人に提案した。
「じゃあ今日は探検する? うちの近所のお化け屋敷」
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