第12話 千秋 三角関係に陥る。
美亜=マイちゃんかもしれないってことはヘタに明らかにしようとせずにそっとしておきなさい。
そういう千秋の母さんの考えにはそれなりに一理あるなと悟ったのは『にんぎょ雨』の単行本をまりんに返却したときだ。
「ねえ、あんたの持ってる本の中にあった人魚の話、あれやっぱり『にんぎょ雨』に似てない? 似てるよね? どう思う?」
「似てる」以外の感想は認めぬという勢いでまりんは迫った。
「似てるけど、たまたまだよ。空飛ぶ人魚の出てくるお話とかわりと色々あるよ。この前なにかのアニメで見た気がするし……」
先日の母さんのセリフを参考にまりんの応対をしつつ、千秋は『そらのにんぎょ』を作ったのがマイちゃんと呼ばれるこぐれの母さんだと明らかにしなかった過去の自分をこっそり褒めた。
とにかく馬力のあるまりんが、美亜=こぐの母だと確信し始めたら大変なことになるだろう。
「ふ~ん、たまたまかなあ」
まりんはまだ疑っているようだが、雨降って地固まった結果今までより関係が安定しているはること遊ぶことの方が重要らしくそこまで追求してこない。助かった。
ミサコおばさんのように、美亜=マイちゃんではないかと信じかけた千秋だが、お使いでコンビニに通ううちにそんな気も失せていった。
コンビニオーナーのおじさんにとってのお父さんとお母さん(つまりはこぐにとってのお祖父さんとお祖母さん)も、時々ユニフォームをきてレジに入っている。そして今度生まれる孫が楽しみでならずついうっかり赤ん坊用のおもちゃや服を大量に買ってしまい息子夫婦と軽く揉めたというようなことを常連さん相手にガラガラ声でしゃべっていた(「タカシと結婚するだけでも相当できた人なのに、好き好んであのタバコ屋一家と同居する気になった奥さんってどういう人なの? 聖人?」と、ミサコおばさんが以前毒を吐いていた)。
かようにプライバシーをあけすけに語る人たちが、自分たちの娘がそこそこヒットした本の著者であることを黙っていられるだろうか?
「ちあちゃん、いつもこぐちゃんと遊んでくれてありがとうね~」
と、顔を見合わせるたびにニコニコ語りかけてくれるこぐのおじいちゃんおばあちゃんは、どこにでもいる孫大好きな高齢者そのものに見える。
「あの子、大人しいからこっちに来てうまくいくか心配だったんだけど、ちあちゃんがいてくれてよかったわあ~。おばちゃん達安心してるのよ~。……あ、ミサちゃんは元気? あそこのモールでアルバイトしてるのをこないだタカシが見たっていってたけど」
こぐのおばあちゃんにあたるコンビニのおばちゃんからガーっと話しかけられたことをミサコおばさんに報告した結果、疲れて畳の上に伸びていたミサコおばさんは案の定とんでもなく嫌そうな顔をした。
ともあれ、気さくではあるがざっくらばんなその雰囲気からして『にんぎょ雨』の美亜の両親とは繋がらず、やっぱりたまたま空に住んでいる孤独な人魚というモチーフが共通しているだけではないかなという方向へ千秋の気持ちは傾いていった。
そこかしこで稲刈りが始まり、放置された柿の木の下で落下した実が何とも言えない腐臭を放つ、使い物にならない田舎の十月中旬。
その日も千秋は本を作っていた。ニャー太シリーズは一旦お休みし、久しぶりの新作だ。
『にんぎょ雨』を読み終わった直後のイライラをまるごとぶつけたシリーズを、千秋は制作中だった。
レナからいじめられてもタケルを信じて我慢する、敵対する不良たちにさらわれて死ぬかもしれない目に遭ってもタケルのことを思ってじっと耐える、力になってくれないソーシャルワーカーや十代のシングルマザーに偏見を向ける主婦たちに意地悪な視線を向けられても涙ぐむだけで懸命に努力する、そういう美亜の姿勢に我慢がならず、千秋はすべてに我慢しない美亜が暴力で一切カタをつけるという『にんぎょ雨2』を勝手に作っていた。
まず美亜は格闘技の天才だったという後付け設定を勝手に用意する。意地悪するレナを殴って返り討ちにする。タケルと敵対する不良たちは金属バットで滅多打ちにする、意地悪なおとなたち相手に大立ち回りだ。
『にんぎょ雨2』で一番悲惨な運命をたどったのはタケルである。レナとの関係を清算しないまま美亜とつきあうことに決める、美亜が不良たちに「マワされた(って何?)」後に駆け付ける、二人の子供が一歳を迎える日に不良のケンカに呼び出されて死ぬ等、カッコつけてる癖には美亜の人生にはマイナスになるような行動しかとっていないタケルへ千秋の怒りが集中した結果、「お前が一番悪いー!」と叫ぶ美亜の投げつけた爆弾によって粉々にされるという最期を遂げたのだった。
美亜と娘の二人はかわいい動物たちが暮らす森へ引っ越し、優しい森のくまさんと一緒に末永く幸せにくらしましたとさ……と、まさに「とってつけた」メルヘンな結末で締めくくった。
「う~ん……」
できたばかりの本をパラパラ読みながら千秋は首をひねる。
いくらなんでも自分の感情をぶつけすぎた。物語の質が低すぎる。要は駄作だ。
「ダメだ、これはダメ。失敗」
「私は嫌いじゃない。森のくまさんと暮らすところがいい」
こぐはそう言ってくれたが、作者である千秋は納得がいかない。
久しぶりにその日はみふゆも遊びに来て、『にんぎょ雨2』を読んでゲラゲラ笑った。
「あたしもこれ好きだよ~。めちゃくちゃでいいじゃん、千秋の本って感じで」
みふゆはここしばらく自分の兄弟や近所の友達と遊んでいて、千秋の家にくるのは久々だった。なんでもみふゆの家の近くにある「お化け屋敷」に本物のお化けが目撃されるようになり、ここしばらく見張っていたのだという。
「なんかね、黒い服を着た女がウロウロしてるのを兄ちゃんの友達が見たんだって」
「黒い服? お化けってふつう黒い髪に白い服じゃないの? 貞子みたいに」
「ううん、黒い服だったんだって。ひょっとしたらお化けじゃなくて犯罪者かもしれないから、みんなで見張ってたんだ」
小学生数名が「お化け屋敷」と噂された空き家に勝手に出入りし、罠と称して庭に穴を掘るなど悪さの限りをつくしていたのが空き家の持ち主ににばれ、こっぴどく叱られたのだという。持ち主の怒りは学校にまで届き、全校集会で注意喚起される事態にまで発展した。
盛り上がる遊び場を奪われたみふゆは、久しぶりに千秋の家で遊ぼうという気になったらしい。
みふゆがご無沙汰だった間にうまれたニャー太シリーズ新刊を読んでは笑い、みふゆのお気に入りである千秋の父さんの作った野球選手のイラスト集を取り出してはひっくり返って笑う。カラカラ笑うみふゆの声を聴くのは久しぶりで、千秋の気分も楽しくなった。
もともと千秋とみふゆは去年クラスが一緒になって以来、一番の仲良しだ。
場の雰囲気がなんとなく朗らかでみんなニコニコとしていればそれでいいという気質の千秋と、自分がマイペースにやりたいことをやり言いたいことを言うという気質のみふゆは、特に単独行動が苦にならず互いを過剰に拘束しあわない同士ということでウマがあった。
今の学年になってから、なぜかまりんとはるこのコンビが合流し、千秋、はるこ、まりん、みふゆという仲良し四人組が出来上がった格好になる。
「ふーん、あのまりんちゃんがこんなの作るなんてねえ」
先日帰ってきた『アイドルプリンセス ナナミ』の本を寝転がってパラパラめくりながらみふゆは呟いた。
「ふだんカッコつけてるけど、本当はこういうの好きなんだね」
「だね。可愛いよね~、はるちゃんなんかすごく気に入ってたよ」
「ふーん、あたしはちょっと苦手かなあ。おしゃれとかアイドルとかそういうの」
気質も好みも性格もまりんとは正反対のみふゆは、まりんが絡むと若干刺々しいものの言い方をする。そういうのがなければいいのになあと、千秋は心の中でこっそり思う。
千秋とみふゆがおしゃべりに花を咲かせている間、こぐは無言で自分の本を作り続けている。ニャー太が猫の友達と魚釣りにいったりおやつを食べたり、平穏な毎日を過ごしている絵本だ。過酷な復讐の日々を送るニャー太が不憫らしく、こぐはオリジナルでそういうストーリーを生み出していた。
「千秋、みてみて。……アイドルプリンセス ナナミっ!」
みふゆはふざけて魔法少女風のキメポーズをとってみせた。それを見て千秋は思わず吹き出す。
「どうせならナナミだけじゃなく人数増やしてチームにすればいいのに。そんで悪と戦えばいいのに」
毒をよく吐くがみふゆにはアイディアマンな一面もあった。本づくり用の紙を千秋からもらうと、鉛筆でさらさらと魔法少女風の女の子の絵を描いてゆき、ついでに悪の怪人のようなキャラクターも書き足した。雑だが動きだしそうで味のある絵だ。
みふゆはさらさらと、長い髪に黒い服の女の絵も描いた。お化け屋敷にいたというお化けの絵だろうか。吹き出しをつけてホホホホと笑わせ、アイドルプリンセスの仲間たちであろう魔法少女に襲い掛かるようなしぐさを描き足す。敵キャラということらしい。
「そういえばどうだったの? お化け屋敷にだれかいた? お化けはいたの?」
「ぜーんぜん。何にもなかったよ。単にほったらかされた空き家だった」
探検の結果をみふゆは報告する。
「だからうちらの秘密基地にしようぜって話になったんだよねえ。でもその前に持ち主のおっさんにみつかって怒られちゃってさあ。残念だったよ」
「そっかあ。やっぱうちらの田舎ってつかいものにならない田舎なんだね」
「は、なにそれ? 使い物にならない田舎って」
みふゆが食いついたので、千秋はキンモクセイが咲き始めたころにミサコおばさんが開陳していた田舎に関する独自の見解を語る。お化けがいそうでアニメや物語の舞台向きな田舎が使い物になる田舎、お化けなんかいそうじゃないアニメや物語の舞台向きじゃないどんくさい田舎が使い物にならない田舎。
「あははは、本当だ~! うちらん所って使い物にならない方だ~、つまんな~!」
ツボにはまったらしく、みふゆはひっくり返って笑った。
「うちの兄ちゃんもさ、小学生のときに友達とカッパ見に行くっていってともだちと一緒にチャリのってどこかのため池まで行ったんだけどさ、結局なんも出なくてすんごいデカいウシガエルだけ捕まえて帰って来たことがあったよ。それみて母さんがギャーギャー怒ってさあ……」
「つまんなくない」
しんと一瞬、場が静まった。
無言だったこぐが言葉を発したのだと気づくのに、ちあきとみふゆは数秒要した。
「うわ、びっくりした。こぐれさん喋れたんだ」
おどけた調子でみふゆが言った。
今日もくまパーカーを着ているこぐは、色鉛筆をうごかしながらぽつぽつと語る。
「ここ、そんなに言うほど詰まんなくない。おばけとかいなくても面白いよ」
「あ、うん。誉めてくれてありがとう」
テンポを崩されたらしいみふゆが、とまどったようにそう述べた。こぐからは返事はない。ただ、こくっと頷いた。
「こぐれさんって前はどこに住んでたんだっけ?」
再び間があいたので、みふゆが尋ねた。まるでやっとこぐれの存在に気づいたような態度だった。
こぐは一言、この町から一番近い都会の名前をあげる。
「へえ、じゃあ結構新鮮で面白いかもね。この辺も。のどかで、自然がいっぱいで」
そういうみふゆの声にはあきらかに棘がにじんでいた。平素ならまりんにしか向けないものだ。こぐはそれには取り合わない、さらさらと絵を描き続ける。
しいんとあたりは静まり返ってしまった。いたたまれない雰囲気だ。なぜこうなったかと考えるより先に、千秋は明るい声をだす。
「まあこぐがここのことを気に入ってくれたんなら嬉しいよ、うん」
こぐは再び無言になる。こぐのだんまりはいつものことだから平気だと思いきや、みふゆの先ほどの棘が気になり、いつものようには流せない。
ここで千秋は、みふゆとこぐの間のぎくしゃくした空気にようやく気付いた。
今日、先に遊びに来たのはこぐで、あとからみふゆがやってきた。みふゆはしばらく遊びに来なかった時のできごとを明るく冗談をまじえながら報告してくれて、千秋はそれをきいてアハハと屈託なく笑っていた。こぐは無言で本を作っていた。
みふゆはこぐに通り一遍のあいさつだけをして、あとはずっと千秋にばかりはなしかけていた。まるでそこにこぐなどいないような扱いをしていた。
あまり興味のない人間に努めて親しくしようとしないのがみふゆだし、しゃべりたくないならしゃべらずにいるのがいつものこぐだ。二人とも千秋の前で、いつもの自分たちらしくふるまっていた。
それだから千秋は、二人の様子の緊張した空気に気づかなかった。
あれ。
ひょっとしたら私は三人でなかよくできるよう努めるべきだったか。
このタイミングで気づいた千秋はだしぬけに口走る。
「あ、えーと……トランプでもする?」
「は、なんで急に?」
みふゆが噴き出しながらツッコんだ。
「なんなの、この前まりんちゃんとはるこちゃんのケンカが収まってまたなの!」
二人が帰ったその日の夜、今日の出来事を報告した時母さんが盛大にあきれていた。
「千秋のそういう誰とも仲良くしようってする所、父さんに似たのね……。いいところではあるとはおもうわ」
この場合の父さんは母さんのお父さん(つまりは千秋の亡くなったお祖父ちゃん)ではない、千秋のお父さんのことである。
初めてお父さんを家に連れてきた時、「あんなにニコニコ穏やかな人がヒロコ姉ちゃんみたいにずけずけものを言う人と一緒にいたらメンタルやられてしまうんじゃないか」とおばあちゃんとフサコ・ミサコ両おばさんの間で心配されたことが今でも語りぐさだが、とりあえずお父さんは今でも元気である。帰ってくる時間が遅いのでなかなかゆっくり話せないが。
「でも、千秋。人間にはね相性ってものがあるのよ、だれとでも仲良くするのは無理なの。自分を押し殺してまでみんなと仲良くしなくてもいいのよ? わかる?」
「はあ……」
母さんはどうやら母さんなりに千秋のことを心配してくれているらしかったが、特に自分を押し殺している意識のなかった千秋にはピンとこず、気の抜けた返事をするのが精いっぱいであった。なんとなく友達が仲良くしている雰囲気が好きなたけなんだけど……。
みんながみんな本当の仲良しになるのはそりゃ無理だろうけど、せめてみんなといる時くらいはニコニコ楽しく笑いあえていたらいいのになあ。
千秋の希望はそれだけである。
今日のミサコおばさんはバイトから帰ってくるなり離れにから出てこなかった。
何かとてつもなくショックなことが起きたらしい、と千秋はその気配で察した。
おばあちゃんがお母さんにタブレットを見せてひそひそと話しかけていたが、きっと千秋には何が起きたのか教えてはくれないだろう。
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