第11話 千秋 not for me な本に苦しむ。
「……う~ん……」
『にんぎょ雨』の単行本は上下二巻。左右並べると空をおよぐ人魚と制服を着た少女の後ろ姿を配したなかなかかわいらしい目を引くデザインの装丁が施されている。
とはいえ、それが読んでいて面白い話であるかどうかはまた別だ。
おばさんが熱心に読めと勧めるので千秋はしぶしぶ読んでいたが、全く面白さが分からなった。
パソコンで読んだ所から続きを読み進めるにつれ、千秋は何度も放り投げたくなった。そのせいでページ数のわりに文字のすかすかな物語だというのに読むのに時間がかかり、まりんに押し付けられて二日ほどたつのにのろのろとしかページが進まない。
一匹狼だけどイケメンのヤンキー・タケルと付き合ったことから美亜はクラスの女子からねちねちいじめられることになる(うええ)。特にタケルの元カノである学年一の美人で女王様気質のレナからは執拗にいじめられる(うえええ、ていうかタケルの態度がはっきりしないのが原因じゃない?)。タケルは美亜がピンチになると必ず助けに現れそこからクソどうでもいいいちゃいちゃが始まる(おげええ)。
美亜の16歳の誕生日にタケルは「海の底(※二人が住んでる町を指す、二人だけに通じる符牒)」を抜け出し「まるで南の島みたいな」ホテルで小学校の学級文庫に並ぶ本ではまあまず出てこないような行為を行いながら一晩過ごす(おげええええ)。美亜はその時に人魚が彫刻されたペアリングをもらう。
大人になったら一緒に「海の外(※山に囲まれた二人の町の外にある地方都市)で暮らそうという夢を語る美亜とタケル。そんな二人に、タケルのことを諦められないレナ、自分の傘下に入らない目障りなタケルが気に食わない地元のヤンキーの王とその背後に控える暴力団、高校に入ってから様変わりしてゆく娘についていけない美亜の両親、なぜか息子に冷淡なタケルの両親といった様々な障害が立ちはだかる。
厳しい現実にさらされる度に二人の絆はより一層強くなる(タケルがヤンキーのチームやチンピラをぶちのめす活劇パートはちょっと面白い)。
そんなハードな毎日を送っているうちに美亜のお腹に二人の赤ちゃんが宿っていることが明らかになる(なぜ結婚していな二人の間に子供がやどることになるのか? 千秋はここで軽く混乱する)。二人は高校を退学し「海の外」で暮らそうと決意するが、当然美亜の両親は許さない。同時にタケルの起こしたもめ事が意外と大ごとになり、タケルはこの町にいることが難しくなる。
タケルの重荷になりたくない美亜だが、娘が出産することを望まない美亜の両親は美亜を病院に連れて行こうと相談しているのを耳にしてしまう。このまま家にいると赤ちゃんが殺されてしまうと案じた美亜を助けたのが、今までどうでもいい時に顔を表してはおちゃらけていくコメディーリリーフの美亜の兄のツヨシだった。
美亜の兄・ツヨシは軟禁状態の妹を家から連れ出し、町の外へ向かう最終電車に乗せる(二人がこれまでの思い出を語り合い、笑いあった後に電車に乗り込む妹を「兄ちゃんがいつでも力になるからな」といって見送るという、映像映えしそうな妹と兄の別れのシーンでは感動的に盛り上げようとした作者である美亜の努力の一旦が垣間見れる)。
そのあと、町の外で一緒に暮らすようになった美亜とタケルは、タケルが信頼する人物の下に身を寄せて真面目に働きだす。美亜も援助を受けながら無事元気な女の子を出産する。大喜びする美亜とタケル。しかしこの時が二人の幸せの絶頂だった……。
「面白い?」
遊びに来ていたこぐが畳の上に転がって『にんぎょ雨』を読む千秋に尋ねた。
「……イッライッラする……」
正直に千秋は答えた。そうであろう、と言いたげにこぐは頷いた。
「私、あんまりいじめられて可哀そうな女の子が出てくる話って好きじゃない……」
自分も同じだと言いたげに、こぐもうなずいた。
千秋が本を読んでいるので本を作る気にならなかったのか、こぐも自分も本を読むという。
「あんたがあたしがここに初めて来たときに言った、なんとか園って本がいい」
読みたい本があるか、どんな本がいいかと尋ねてみたところこぐはそう答えた。
千秋の家には「絵本専門店が選ぶ、お母さんがこどもに読んであげて欲しい絵本・物語100冊」的なリストに載っている本ならまあ大体そろっている。『いやいやえん』ももちろんあった。
「自分で読むなら 小学校低学年から」という案内のある童話の本を小学四年生が読んでも退屈しないだろうか、千秋は心配になりつつも幼稚園の男の子とこぐまの子供が並んでたっている絵が表紙にある赤い本を差し出した。
こぐは本棚に背中を預ける格好で、千秋は畳にねころがりながら静かに本を読む。
『にんぎょ雨』折り返し地点の怒涛の展開についてゆけない千秋に対し、こぐはしずかにページをめくっている。くまパーカーのフードごしではわかりづらいが、楽しんでなくはないようだ。
本の内容が頭に入らない千秋は、目では文字を追いながらも頭の中は様々な考えを巡らせていた。
原因はやっぱり様子のおかしいミサコおばさんだ。
働くことに精力的なのは良いことだけど、『にんぎょ雨』への入れ込み方は千秋の目から見てもおかしいと言わざるを得ない。どうみても、『にんぎょ雨』はいつものミサコおばさんなら鼻もひっかけない類の物語だ。
それで泣くほど感動するなんて……。
千秋の中にそだちつつある疑惑と同じものを千秋の母さんも感じていたようだ。
昨日の晩、母さんはミサコおばさんに言ったのだった。
「あのね、ミサコ。空をおよぐ人魚のイメージってそんなにレアなものじゃないと思うんだけど? ファンタジーやメルヘンに被れる女の子が一度や二度は必ず思い浮かべるものなんじゃない?」
「……何が言いたいの?」
「あんたがそのケータイ小説の作者がマイちゃんじゃないかって疑ってるんじゃないかと思って」
相変わらず直球で母さんは切りこんだ。
口には言わないけれど、千秋もうすうすそう思っていた。『そらのにんぎょ』を作ったマイちゃん、『にんぎょ雨』の作者の美亜、二人の連想するイマジネーションの質はとてもよく似ている。ミサコおばさんだってそれに気づいただろう。ミサコおばさんは美亜=マイちゃん、『にんぎょ雨』のストーリーは幼馴染の半生だと思っているからミサコおばさんは『にんぎょ雨』の物語に大泣きしたのではないか……?
反論するのかと思いきや、ミサコおばさんはあっさりそれを認めた。
「だってそうとしか思えないじゃない」
「はあ? そんなわけないじゃない!」
母さんは即座に否定したがミサコおばさんも言い返す。
「でも、『にんぎょ雨』の舞台は盆地の小さい町だし、高一で中退して家出したり鬱陶しい兄貴がいたりで美亜の経歴はマイちゃんと一致してるし」
「そのケータイ小説ネットで一通り読んでみたけど彼氏は不良同士のケンカが原因で死ぬことになってんじゃない。だいたいそんな抗争に明け暮れてるようなダイナミックなヤンキー、うちの地元にはいなかったわよ。あんただって知ってるでしょ?」
「そりゃあ小説なんだから事実のまんま書いたりしないじゃない、フィクション混ぜるでしょうよ」
「フィクション混ぜるってわかるくせに、あんたなんでその話がマイちゃんの人生の概要だって漠然と信じてるのよ。どっかのヤンキーだかギャルだか知らない女の子が適当にでっちあげたお話かもしれないのに。あんた事実だってふれこみなら実話風の怪談やマックの女の子が胸のすくような名言披露してた系の創作実話まで信じるようなチョロいやつだったの?」
「でもでもだって……!」
論理的につめられてミサコおばさんは劣勢に立たされる。
「調べてみたら、町の様子や特徴なんかがうちの町と一致するんだって。うちの地元だって盆地だし」
「あんたこの山だらけの日本で盆地がどれだけあると思ってんのよ」
「話を聞いてって。秋になると霧に沈むとか、最寄りの都会までの駅の数とか、美亜の通ってる高校のそばに店の雰囲気だとか、この辺のことを知ってる子じゃないと書けない内容なんだってば。たまたまとは思えないくらい」
はふっと母さんは息をついた。
「……私はたまたまだと思うけど。とにかくそのケータイ小説の作者がマイちゃんだって言いふらすのはやめなさいよね。こぐれちゃんのこともあるんだから」
「……わかってるし」
千秋は息をのみながら二人のやりとりを見つめていた。
結局、美亜=マイちゃんではないかという説はミサコおばさんがそう信じたいから信じるだけで、狭い田舎のことだしあまり追及しないでおこうというガイドラインがなんとなく出来上がったのだった。
千秋もマイちゃんと美亜が同一人物なのかどうか気にならないではないが、そうすると目の前にいるこぐは美亜が家を出ることで守り通した自分の娘が成長した姿ということになる。
目の前にいる不思議なともだちが稚拙であろうがずさんであろうが物語に登場したドラマチックな赤ちゃんと同一人物だったなんて……! という目でこぐを見るのはなんとなく躊躇われた。
こぐはあくまでこぐ、そういう関係を維持したいと千秋は思っていた。
それはそれとして終盤の『にんぎょ雨』は、タケルが死んだり、十代のシングルマザーになった美亜の苦境が書かれたり、死んだタケルを思う美亜のポエムがはさまったり、そんな美亜が乳飲み子のわが子の笑顔に癒されたり、ダルくてダルくて仕方のない展開が続いいた。タケルの仲間たちが美亜をなにくれと助けてくれたが美亜のおかれた境遇は厳しく過酷だ。十代のシングルマザーにあびせかけられる世間の冷や水描写も千秋を盛大にうんざりさせた(『にんぎょ雨』の物語に世間的な「読む価値」「泣ける要素」があるとすればおそらくここに最もこめられている筈だが、女の子が苦労する話が苦手な千秋には一番読んで最も辟易する箇所でもあった)。
しかしあるとき山の上から自分たちのすんでいる町を見下ろしながら美亜は左手薬指にはまった指輪に触れて「タケルのおかげであたしは海の外を知ることができたよ」とつぶやいて、なんとなくいい話風に物語は閉じられたのだった。
読み終えた千秋はまさしく「ほうほうの体」だった。
ぱたんと本を閉じ、畳の上に置くと、うううう~とうなって無意味に畳の上を転がる。
「どうだった?」
『いやいやえん』を読むこぐは尋ねる。
「どうもこうも……」
つまんなくて死ぬかと思ったよ! という感想を千秋は飲み込んだ。もし美亜=マイちゃんだとしたらこぐは悲しむかもしれないととっさに判断したためだ。
言葉をむりやり飲み込んで、千秋は言葉を繕った。
「私だったら一緒に住むのはおいしいもののくまさんみたいな人がいい」
「……なにそれ?」
「『ちいさいモモちゃん』のシリーズに出てくるの。引越しのお手伝いをしてくれたり赤ちゃんのお誕生会をしてくれたりするんだ。いいひとなんだよ、くまだけど」
「……ふうん」
本を読んでるせいか、こぐの言葉はどこか上の空だった。
「あんたくまが好きなの?」
「嫌いじゃないよ、怖いくまじゃなけりゃ」
こぐは帰る時間までに『いやいやえん』を読み切った。
「あんたが『怖い』って言った理由が分かった。すっきりした」
「でしょ? これ子供に読ませようとする大人って絶対『ワガママ言うといやいやえんに連れてくぞ』って意味で読ませようとしてるんだよね。『嘘ついたらエンマさんに舌抜かれるぞ』っていうのと同じ理屈だもん、怖いよね」
こぐは頷いた。
こぐは暗くならないうちにコンビニオーナーのおじさんの家へ帰ってゆく。
『いやいやえん』のこぐちゃんのエピソードに関する感想は、ちょっと恥ずかしくて聞けなかった。
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