第10話 千秋 友達の仲を修復し、おばさんの急変に困惑する。

「昨日の夜『にんぎょ雨』ちょっとだけ読んだよ。ミサコちゃんのパソコンから」

「……」

「降ってくる雨が人魚の涙だったら、雨雲の中には人魚が何万匹いるんだって話にならない?」

「……『スイミー』みたい」

「あはは本当だね。人魚が雲の中で群れを作っていて大きい人魚の形になってたりしたらおかしいね」

 

 登校中、こぐとならんで歩く千秋の口数が自然と増えてしまう。今日の教室を思うと気が重くて仕方がないからだ。

 静かにするのが好きそうなこぐには負担でないかと少し心配になったけれど、単語ではなく文章で会話をしてくれる様子をみると気分を害しているわけではなさそうだ。千秋は少し安心する。


千里の道も一歩ずつ歩けばいずれは目的地に到達する。まして子供の足で通える通学路となれば。

 パソコンで『にんぎょ雨』を読んでいたミサコおばさんがいつのまにか真剣に読みはまっていたことを千秋は笑いを交えてこぐに伝えながら、だんだん憂鬱になってゆく。

 そして問題なく学校へ着いてしまい、教室手前でこぐと別れ、ふーっと息をついてから開けっ放しの出入り口をくぐった。


「おはよう~」

 教室のなかはいつも通りに見える。男子がふざけ、女子が雑談に興じている、昨日の大騒ぎなんか無かったような雰囲気。見ればまりんとはるこが一緒に並んでおしゃべりしているではないか、二人は千秋に気づくとこちらにむかって小さく手を振って見せた。

 千秋は拍子抜けした。なんだ、二人は問題なく仲直りしてるみたいじゃないか。心配して損した……と自分を安心させようとする。


 が、やっぱり教室にはごまかしきれない昨日の名残が漂っている。まだ教室内がぎくしゃくしているのだ。


「おはよ」

 千秋が自分の机に座ると、学級文庫の学習漫画を読んでいたみふゆが手を振った。

「あれだけ大騒ぎしたのに今日学校来たらこうなんだもん、だったら最初からケンカなんかするなって話」

 まるで二人が仲直りしたのが残念でならないような口をたたくみふゆだが、声音にはほっとしたような柔らかなニュアンスが漂っている。一応安堵はしているのだろう。

「……まあこれでまりんちゃんが大人しくなって、はるちゃんがはっきりものを言ってくれるようになればって思うよ。そうすればあたしも楽になるし」


 みふゆの言葉で千秋は教室に残る「ぎくしゃく」の正体を感じ取った。窓際でおしゃべりをする二人を見る。まりんの声はいつもより小さく声に勢いがない。そのわりに口数が多い。いつもは見せない媚びたような笑顔をみせる。はるこははるこでいつもと違うまりんに戸惑い、おろおろしているように見えた。

 

 要は二人ともいつもの自分ではないのだ。いつもの自分にまだもどれないのは、ケンカをし続けるのは居心地悪いので関係の修復につとめる途中だからなのだろう。

 その「ぎくしゃく」が教室に広まり、なんとなく居心地のわるいものにしているらしい。


 千秋はそのように結論づけたが、とりあえず二人が仲直りしようという気持ちをお互いにいだいていることを前向きに受け取ることにする。



「昨日、家でね。私も反省したの。あんなに怒ること無かったなって」

 その日の放課後、千秋の家にやってきたはるこが大好きな漫画も読まずにそう語る。体操教室に行く日だというのに、またわざわざ自転車で一人でやってきたのだ。


「まりんちゃんは、私が転校して友達が出来なくて困っていた時に助けてくれたんだもん。すごく大事なお友達なんだけど……でも……なんていうか……」

 

 はるこより先に来たこぐと本屋さんごっこの準備を進めながら、千秋はふんふんとはるこの核心に触れないはっきりしない呟きに相槌を打った。

 

「まりんちゃんのああいう強引に一人でなんでも決めちゃうところ、いっつもすごく腹が立つんだけど、みふゆちゃんがまりんちゃんに対して意地悪を言う時は、嫌だな~、まりんちゃんだっていいところがあるのにな~って思っちゃうし……。それに今日みたいに元気が出ないと私まで調子が出ないし……変だよね。そういうの」

「変か変じゃないかはわかんないけど、とりあえずはるちゃんがまりんちゃんとの約束をやぶったのはいけないと思うよ? そのことは謝った?」


「……うん。まりんちゃんは『いいよいいよ』って言ってくれた。『あたしも悪かったし今度から気を付ける』って」

「じゃあいいんじゃない?」


 千秋とこぐは折り畳みテーブルに向かい合い、執筆準備に取り掛かった。が、はるこは縁台にすわり浮かない表情で膝に肘をのせる格好で頬杖をついている。まだ何か心の整理がつかないものがあるらしい。大人ならそんなはるこの物憂げな様を「アンニュイ」もしくは「フォトジェニック」と評するだろう。


 う~ん……、と千秋は少々はるこを持て余す心境になった。こぐがいくら同じ場所で無言でいても気にならないが、はるこのだんまりはどうもそれとは質が違う。


 昨日の氷の女王様状態もそうだったが、黙っているはるこは、周囲の人間が「この子のために何かをしないと」「この子のご機嫌をそこねないようにしないと」という気にさせてしまう圧やオーラのようなものを放っている気がするのだ。まりんのようにはるこ大好きな人間ならはるこのためにそうやって気を働かせるのは楽しいだろうけど、世の人々は皆まりんと同じ感性をもつ人種ではないのだ。

 はるこ本人が自覚の上でやっているのか無自覚でやっているのか千秋には分からないが、ともあれ困った癖であることよなあと思う。みふゆが言っていた「はるちゃんがはっきりものを言ってくれるようになれば」に今更しみじみ同意した。


 そろそそ自分の新作にとりかかりたかった千秋は、一時でもはるこの無言の圧をなんとかできないものかと水を向けてみた。

「漫画は今日はいいの?」

「夢中になって体操教室に遅れちゃいけないから」

「じゃあ、新しい本読む? 昨日まりんちゃんが来て作っていったのがあるの」

「え⁉ まりんちゃんが⁉」


 はるこがパッと振り向いた。普段のまりんなら単独で千秋の家に来ない、そして本を作ったりしないことをはるこもよく知っているのだろう。


 千秋がクッキー缶の中から『アイドルプリンセス ナナミ』を取り出すと、目にしたはるこの顔がぱあっと輝きだした。漫画やなにかで恋に落ちた女の子の目が輝き背後に何かキラキラしたものが飛び散ったりする一コマが見られるけれど、はるこが浮かべた表情はまさにそれだった。


「すごい……! カワイイ……! これまりんちゃんが本当に作ったの……⁉」


 感激とはこういうことか、と、やや引き気味に思いながら千秋はうなずく。

 目をキラキラさせたはるこはぱらぱらとページをめくった。すごい、すごい、カワイイ、とにかく「すごい」と「カワイイ」を連発する語彙力皆無の子供になる。


「はるちゃん、そういうのも好きだったんだね……」

「だってお母さん、こういうの見せてくれないもん。……そっか、見せてくれなきゃ自分で作ったりすればいいんだ……」


 何かに気づいたらしくはるこは小さくつぶやいた。そしてさっきまでの浮かない表情が嘘のように、晴れ晴れした表情でぴょんと縁台から降り立った。


「ねえこの本借りてもいい?」

「いいよ~。あと気に入ったんならまりんちゃんに感想言ってあげたら喜ぶかも」

「そうだね。私まりんちゃんがこんなカワイイ本を作れる人だなんて知らなかった。……もっとそういうところを出してくれたらいいのに」

 

 自分の中で何かふんぎりがついたらしいはるこは自転車にのって帰っていった。

 


「ちょっと、あんたなんではるちゃんにあの本を見せたの⁉」

 

 次の日の放課後にはまたまりんがやってきて、千秋に『にんぎょ雨』の入った紙袋を押し付けたながら責め立てた。

 その日もこぐが先に遊びに来て、本屋さんの準備を始めていたタイミングである。


「今日学校ではるちゃんにナナミの本のこと言われてすっごい恥ずかしかったんだからね! 言ったじゃん黒歴史だって!」

「え……でも、だって『いらないからあげる』って……」

「言ったよ⁉ でも見せると思わなかったし! しかもはるちゃんに‼」


 あ~もうヤダ、今まで築いてきたあたしのクールキャラが崩壊するぅぅ~……と叫んでまりんは縁に突っ伏した。

 まりんが築いてきたキャラは「はるこべったりのクラスのボス」だったからむしろ崩壊した方がプラスじゃあ……? ていうかまりんちゃん自分はクールキャラってイメージだったんだ……と千秋は思ったのだがもちろん口には出せない。

 その代わりに、二人の「ぎくしゃく」が払しょくできるような話を振ってみる。


「でもさ、はるちゃんあの本のことすっごい誉めてたよ。カワイイって。こんな本を作れるのにどうしてそういうところを隠そうとするんだろって、不思議がってたよ?」

「……まあ。それ、あたしも直接聞いた」


 まんざらでもなさそうにはるこは言う。ぶすっとした口調ではあるが嬉しくはあったらしい。が、きまり悪いのか早口で打ち消す。


「でもでも、カッコ悪いじゃん。あたしらもう四年だよ⁉ 十歳だよ⁉ それなのにプリンセスとか変身とか言ってたら恥じゃん! 笑われんじゃん! あんただって日曜の朝にやってるアニメとか見るっ?」

「……う~ん、もうあんまり見ないかなあ」

「でしょっ⁉ だから恥なんだって」

 まりんはふんっと鼻から強く息を吐きだした。


 その否定の強さから、まりんは日曜の朝にやってるようなお話が本当は好きなんじゃないかなと千秋は推測する。

 そしてまりんが連発する「恥」。

 まりんはよくも悪くもクラスを統括する立場にあり、敵も多い。一つでも何かをしくじればすぐに今いる座を追われるかもしれない。そのためには常に強くあらねばならず、些細な弱みも見せてはならない……そんな思いがまりんをがんじがらめにしているのかもしれない。要はカッコつけてるのだろう。


 とはいえ、ボスの立場も大変だなと千秋は大変素朴に共感を寄せた。


「でもいいじゃん、はるちゃんはまりんちゃんの書いたナナミの本が好きだって。本当にうれしそうだったよ。すごい、かわいい、まりんちゃんが本当に作ったのって何回も言ってた」

「……」

 

 まりんは真っ赤になって唇を尖らせた。恥ずかしいのか嬉しいのか決めかねているような顔だった。


「はるちゃんは、お母さんが日曜の朝にやってるようなテレビは見せてくれないんだってさ」

「……でもさ。あたしははるちゃんがうらやましいよ」


 昨日のはること同じように、縁台に座ったまりんは膝の上にひじをのせて頬杖を突く。ポーズは同じだがまりんだと「今時の子供」ないし「怒れるティーンエイジャー」にスポットをあてたドキュメンタリー映像風になる。


「はるちゃんはきれいでカワイイしさ。名前だって花に香るって書いて〝はるこ″だよ? 同じ読みにくい名前でもあたしなんて海と夏って書いて〝海夏まりん″だし! 読めないし! せめて夏の海って書いて〝夏海なつみ″にしてほしかったし!」

「あー……」


 毎年年度が変わるたびに初めて出席をとる先生がまりんの名前を読み間違えたり詰まったりするたびにまりんが憎々しげに訂正する様を、千秋は思いだした。

 はるこはそのまま勢いにまかせてぶちまけまくる。


「はるちゃんはお母さんが好きなテレビや漫画を読ませてくれないって言うけど、それくらいいいじゃん。お菓子作るのが上手でジャムのことをコンフィチュールって呼ぶお母さんがいて、お父さんなんて音楽家だよっ音楽家!」

「ああ……うん」

「うちなんか家は工務店でママはネットで訳ありのバームクーヘン買ってはお得だって喜んでるし、パパはお姉ちゃんたちに相手にしてもらおうとして無理して若者ぶったりしてサムいし。」

「そこまで言わなくても……」

 兼業農家のサラリーマンと町役場職員の親を持ち、おやつは元タバコ屋のコンビニで調達してくる家で育った千秋はそういうのが精いっぱいだった。こぐはだまってさらさらと紙の上に色鉛筆を滑らせている。


「あたしははるちゃんみたいになりたかったな……。なりたかったなっていうか、なりたい、今でも。去年はるちゃんが転校してきたとき、うわああってすっごいびっくりしたんだよ。ものすごい可愛い子だーって。こんな子本当にいるんだーって。こういう子になりたいなって……」


 勢いにまかせてぶちまけた反動なのか、はるこは妙にしんみりとつぶやく。そしてハッとして千秋につめよった。

「あたし今、ヤバくない? 変なこと言ってない? きもくない?」


「やばいとかきもいとかわからないけど、はるちゃんはまりんちゃんの書くナナミの本が心から好きだって言ってるんだから、黒歴史とか言わない方がいいと思う」

「……」


「話を聞かないでなんでもかんでも勝手に決めちゃうまりんちゃんより、ナナミの本をかくまりんちゃんの方が、はるちゃんは好きなんだと思うよ。はるちゃんがいつまでも友達でいたまりんちゃんはそっちだよ」

「……」

 まりんは不意に黙り込んだ。

 

「まりんちゃんはナナミの本を描く自分は恥とかカッコ悪いとか言うけど、たぶんはるちゃんはそんなこと言わないよ?」

「……」

 しばらく間をおいてから、まりんは帰るわといって帰っていった。


 はることまりんの大喧嘩はこれをもって解決したとみていいだろう。みていいはずだ。やれやれ。

 ようやくこぐと二人で落ち着いて本屋さんができることになり、千秋はふーっと息をつく。肩の荷がようやくおりた思いだ。明日からはなんの気兼ねなく学校へ通えるはずだ。


「あんたの友達、やっぱりクセが強いよね」

 こぐは淡々と評した。

 



 その日の夕方、こぐが帰った後にアルバイトの初出勤を終えたミサコおばさんは帰宅し、ぐったりと座敷に寝転んだ。久しぶりの労働に気力と体力を奪われたようだった。

 

普段はミサコおばさんに小言をいうおばあちゃんも、今日は優しい。

「しんどいようならあんまり無理するんじゃないよ?」

「大丈夫だよ。ここしばらく体力おちてたから疲れただけ。仕事に慣れたら元気が出ると思う」

 ミサコおばさんもめずらしく殊勝なことを言う。ほんの数日前に働くのが嫌だ嫌だとごねていた人とは別人のようだ。



 ミサコおばさんはなぜか昨日から妙に精力的になっていたのだった。原因はどうやら『にんぎょ雨』らしい。


 昨日の夜のご飯の時、ミサコおばさんは『にんぎょ雨』を読んで大泣きしたことを熱く語り、千秋の母さんから大いにあきれられていた。


「『にんぎょ雨』ってあのケータイ小説の⁉ ケータイ小説読んで泣くなんてあんたちょっとどうしたの? 大丈夫っ? もう少し休むっ?」

「違うってば。むしろ改善したの。なんかこう……いつまでもウジウジしてないで陽の光浴びて働かなきゃなあって気持ちになったんだよ」

「……まあ、何がきっかけでもやる気を出したんならいいとは思うけど」


 怠け者でぐうたらなミサコおばさんが晴れ晴れとした表情で労働へのやる気を見せ、しかも『にんぎょ雨』という物語がいかに尊いかを熱弁しだすのをみて、普段ならビシバシ突っ込みまくる母さんもお小言係のおばあちゃんも恐れをなしたように黙るのみだ。


 昨日そんなだったミサコおばさんは、千秋がまりんに押し付けられた『にんぎょ雨』の単行本(上下巻二冊)を前にして途方にくれていたのを見かけると、真剣な表情で言うのだった。



「千秋、読んだ方がいい。この本は名作だよ」

「確かに文体はめちゃくちゃだし、小学生に読ませたくない個所もある。物語だって荒唐無稽だし。でもこの本にはそういう、通りいっぺんの評価を超越した、きらめきというか、尊さがあるよ」

「ミサコちゃんはね、この前読みながらかつての自分を反省したんだよ。言葉や文章がなってないとかエロと暴力が出てきて人が死ぬだけの話泣いたりするわけないって読みもしないでバカにしていた昔の自分こそバカだったって」

「とにかく読んでみな。あ、でもヒロコ姉ちゃんには内緒ね。あの人絶対こんな本あたしが千秋に読ませたって知ったら激怒するし」

「はあ……」



 明らかにミサコおばさんは様子が普段と違っていた。少なくとも千秋の知っているミサコおばさんではなかった。

 

 まりんとはるこの件が解決したと思ったら、今度はミサコおばさんがおかしなことになっている……


 一難去ってまた一難の意味を千秋はその身をもって知った。

 

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