第9話 千秋 新しい本を手に入れ新たな物語に出会う。
こうして出来上がったまりん先生による新作、『アイドルプリンセス ナナミ』は非常におしゃれで可愛いゴージャスな一冊となった。
人気ファッション誌で読モをしている女子高生・ナナミは、実はとある国のプリンセス。しかも夜になると不思議なパワーで変身して魔物と戦うアイドルプリンセスでもあったのだ……! というストーリーが一応あるらしいが、要は女子高生姿からプリンセス姿、魔物と戦う時の姿、プライベート姿など様々なファッションに身を包んだヒロイン・ナナミのイラスト集であるこの一冊。ページの隅々にまりんが信じこだわる「キラキラ」と「可愛さ」が詰まっていた。
色鉛筆では自分の思い描く「キラキラ」が演出できないと苛立ち、バッグの中からキッズ用ネイルグロスを取り出してちょんちょんとぬってみたり、シールを効果的に使ったりする。
その間すっかり放置された千秋とこぐは、二人でオセロをやって時間をつぶすことになった。結果は二勝二敗。
「できた……!」
これこれもう帰りなさい、とおばあちゃんが呼びかけた直後にまりんは本を完成させた。数時間没頭していたせいか、まりんの全身から湯気のようなオーラが漂うようだった。ずいぶん晴れ晴れした表情で、出来上がったばかりの本をぱららめくった。その表情は満足そうだ。
その時点で千秋とこぐは『アイドルプリンセス ナナミ』の概要をしることとなった。配色にデザインにキャラクター、すべてが可愛らしい。千秋は素直に歓声をあげた。
「すごいじゃん、まりんちゃん! 本当にすっごい可愛いよ!」
傍らでこぐもゆっくり頷いていた。実際数時間でこれだけの物が作れるなんて大したものだ。
「……」
なのに作った本人のまりんが段々浮かない表情になってゆく。そして無造作にポイっと投げ捨ててしまった。さっきまであれだけ精魂こめて作り上げていたというのに。
「ちょ、もったいないよ。せっかくすごいのが出来たんだから持って帰りなって」
「いいよ、いらない。こんなの作ったらお姉ちゃんたちにバカにされるし。気に入ったんなら千秋にあげる。……ああもう、うっかりこんなの作っちゃって恥ずかしい。黒歴史だよ」
せっかくあんたたちと一緒にダンスの練習しようと思ってたのに予定狂っちゃった、とさっきまでの数時間を無かったことにするようにまりんは言い、自転車のそばへ歩いてゆく。
じゃあバイバイまた明日ね、とあいさつして帰る前にまりんは何かを思い出したような顔つきになる。
「ねえ、あの人魚の本。あれ誰が作ったの? あんたじゃないでしょ?」
『そらのにんぎょ』のことを指していると千秋には瞬時にわかった。となりで『アイドルプリンセス ナナミ』を見ているこぐを見やる。
「うん。私じゃないけど、でもどうして?」
「別に……。〝空にいる人魚″ってどこかで聞いたような気がしたけどそれがなんだったのか思い出せなかったの。で、今思い出したってだけ」
「へえ~」
「『にんぎょ雨』っていう本にも出てきたんだよ、空にいる人魚の涙が雨になる……って箇所があるの。『にんぎょ雨』、知らない? お姉ちゃんがもってたんだけど」
聞いたことが無いタイトルの本だった。千秋はふるふると首を左右に振る。
「知らないの? あんたん
信じられないようにまりんは繰り返す。とはいえ知らないものは知らない。千秋は隣のこぐに尋ねてみた。
「聞いたことある?」
「一応ある」
こぐはいつものように端的に答えた。
全く聞いたことが無いのがこの場で千秋だけだということが判明し、まりんは自信がついたように勢いよく言う。
「ホラ、有名な本なんだって! 今度貸してあげるから読みなさいよ。すっごい泣けるんだから!」
最後にそう言ってまりんは帰っていった。やれやれ……千秋は先のことを考えて気が重くなる。
大人たちの会話からこぐのお母さんにあたるマイちゃんなる人物のことを聞いて連想した「女子高生と担任の先生が内緒の結婚生活をおくっている少女漫画」、それの持ち主は何を隠そうまりんだ。この漫画も「すっごい泣けるんだから!」とまりんから読むように強制されたのだった。残念ながらその漫画は千秋にはわけがわからなく胸糞悪いだけだったが、まりんが「すっごい泣けたよ」という感想を期待しているのがよくわかる目で待ち構えられて非常に困った思い出がある。
またあんな目に遭うのか……。千秋はげんなりした。
抜け殻のようなまりんでは困るが、元気いっぱいのまりんもそれなりに大変だ。
「『にんぎょ雨』、母さんがもってた」
まりんが遠ざかってからこぐがぽそっとつぶやく。
「そうなんだ。面白い? 泣ける?」
千秋が尋ねると、こぐはしばらくだまりこくった後ゆっくり答える。
「人による」
「……そうだよねえ。読んでみなきゃわかんないよね、どんな本も……」
西の空はすっかりオレンジ色だ。コンビニまで比較的広い道を歩くけど、そろそろ帰らなければならないだろう。じゃあまた、と言ってこぐはぺこりと頭をさげて帰ってゆく。千秋は庭先まで出て見送った。
「『にんぎょ雨』? ああーあったあった昔そんなのが!」
晩御飯の時にミサコおばさんに尋ねたところ、大きな声でそう答えた。ちょっと前に流行ったけれど今はすっかり見かけないものが不意に目の前に現れた時そのものの反応だ。
「ケータイ小説の一つだよ。女子高生がイケメンのヤンキーと恋して家出して同棲して色々あって男の方が死ぬやつ」
うわあまりんちゃんの好きそうなやつだ! と、ミサコおばさんのざっくりしすぎにも程がある解説に身構えながらも、千秋は気になるワードについて尋ねた。
「ケータイ小説?」
「ガラケーしかなかった時代にそういうのが流行ったの」
「ガラケー?」
「うわあ、そこからか……」
やだもう時間が飛び去るの速すぎる、怖い。ミサコおばさんが頭を抱えながら冗談ぽく震えて見せた。
「そうだよ~、三十手前になったら時間が飛ぶのなんてあっという間だよ~。ぼやぼやしてたら勤め先に条件つけるなんて贅沢できなくなっちまうよお~」
晩御飯をつくるおばあちゃんがふざけてお化けっぽく言うのを聞いて、ミサコおばさんは唇を尖らせる。
「いいじゃん。明後日から一応バイト始めるんだから」
「でも学生さんと一緒にコーヒー屋の店員というのもねえ」
「勝手がわかってる分やりやすいし」
「あそこはこの辺の人たちもしょっちゅう買い物に行くんだからね。あんまりみっともないふるまいするんじゃないよ」
「わかってるってば、もう!」
ミサコおばさんは、隣の市のショッピングモールの中にあるシアトル系コーヒーチェーンで店員さんをやることになったのだそうだ。学生時代に同じ系列の店でバイトをしたことがあるらしい。
「2000年代初頭ならまだしも、十年前に田舎の文学少女あがりが大学デビューで緑看板のコーヒー屋店員とか、あんたそれ恥ずかしすぎない? よく真顔でそんなことできたわね」
「うるさいなもう、言っとくけど自分でもすっごい恥ずかしかったけどしょうがないじゃん。北欧家具とボーダーの服着たオーナーとカメラ女子が居座るようなカフェが近所になかったんだから仕方ないじゃん!」
「ランチメニューにグリーンカレーがあるような所ね。そういうところでバイトしたがる根性もそうとう恥ずかしいし、あんた一体何に影響されてんのって話だけど」
バイトが決まった日、千秋の母さんとそんなやり取りをしていたミサコおばさんだった。非常にくだらないことで口喧嘩するのはいつものことだが、珍しく母さんは「まあ、無理しないようにね」と付け足したのだった。
ミサコおばさんの部屋でパソコンを借りて、ケータイ小説とやらについて調べてみた。
千秋が生まれる十年ちょっと前あたり、スマホというものが影も形もなく、パカパカ二つ折りにしたりストラップをごちゃごちゃぶら下げた携帯電話が使われていた時代、小説投稿サイトに投稿された小説のことをさすらしい。
当時の女の子たちの多くが夢中になって読みふけり、人気のあるものは紙の本になって売られたのだという。
「あれを読んでいたのはすべての女子じゃないよ、断っとくけど」
ミサコおばさんがそこを強く強調した。
携帯電話で読まれることに特化した改行だらけの横書き文、書き手も読者も若年ないしはロクに活字に触れたことがない層であることを思わせる破天荒な日本語、実話を謳いあげながらモラルとリアリティに欠ける出来事が連続するストーリー。ずさんもずさんな物語に多くの若者が涙した上に書籍化されたものは売れに売れ、当時の若手スターを擁して映画にまでなったりしたものだから、まともな本を作ったり売ったり読んだりする人たちは「こんなものを読んでいては子供たちが駄目になる!」「日本語が崩壊する!」と、それはそれは憤ったらしい。
母さん曰く「田舎の文学少女(※本人は強く否定する)」だったミサコおばさんは、そんなものが同世代の間で流行っているのが非常に苦々しかったのだそうだ。
「……まあ当時はとんがってたのよ、ミサコちゃんも」
若干恥ずかしそうにミサコおばさんは述懐する。
調べるうちに、今でもそのサイトにはたくさんの小説が投稿され続けているけれど、当時のブームが悪い意味で強く印象づいている人たちが思い描くような「ケータイ小説」はもはやメインではなく、破天荒でむちゃくちゃで、なのに人気をあつめたというかつてのケータイ小説は世間的には時代のあだ花になっているようだ。
『にんぎょ雨』は、ブーム時に出版されたケータイ小説のうち、そこそこヒットした一作ということになるらしい。作者は美亜なる女性(おそらく)。やはり作者の実体験であるという触れ込みで売り出されている。
地方都市の郊外でくらす美亜は空想癖のある少女。
小学生の時に、四方を山に囲まれた自分たちの町が水の底だったら……と空想した絵を図工の時間に描き上げる。同級生たちからはからかわれたその絵を一人だけ誉めてくれた男の子がいた。その男の子の名前はタケル。ケンカが強く小学生にしてすでに陰のある、一匹オオカミタイプの男子だ。美亜はタケルにほのかな恋心を抱く。が、生来引っ込み思案な美亜はそれ以降タケルと言葉を交わすことはなかった。ふたりして地元の公立中学に通うようになってもその関係は続く。
高校生になった美亜とタケルは同じ高校に進学する。美亜はそこで高校デビューを果たし、そこそこ美人の女の子として注目を集めるようになる。
そんな美亜にちょっかいをかけたヤンキーの先輩をぶちのめした一年生が誰あろう、タケルであった。中学ですでにケンカ番長のヤンキーになったタケルはそのイケメンぶりととともに入学当初から注目を集める存在となっていた。男からも女からも憧れられる孤高のタケルがなぜあたしなんかを……⁉ 戸惑いながらも胸を震わせる美亜に思いをうちあけるタケル。実は小学生の時に美亜の描いた絵を見て以来ずっと好きだったのだと。
『俺たちの町は深い深い海の底にあるんだ』
『俺以外でそれを知ってるやつ、初めて見た。だから……』
「……ここだけ読むとタケル、なんか急に変なこと言い出すこわいやつみたいだね」
ある梅雨の日、二人は同じ傘に入って学校から帰る。傘の下で美亜はつぶやく。
『あたしね、雨って空に泳ぐ人魚の涙じゃないかなって思うの』
『この重い灰色の空に閉じ込められて、もっと広い海に出ていけない、ひとりぼっちで可哀そうな人魚の涙』
「……美亜も結構変なことを言いだす子だね」
小さな町とは言え、その全体にふりそそぐ雨をたった一人(一匹が正解?)の人魚で賄えるわけがない。
雨雲の中にイワシのように群なす大量の人魚が高速でおよぎながら涙をぽたぽた落とすさまを、千秋は想像して鳥肌をたててしまった。
しかしタケルは美亜のその発言になにやらキュンとしてしまったらしく、その場で美亜に唇にキスをしている。なんじゃこりゃ。
『にんぎょ雨』は今でも件の投稿サイトで閲覧可能だったため、おばさんと並んで読んでみたのだった。
確かに改行まみれで何やらポエムみたいな文章でふわふわした物語がつづられており、すこぶる読みにくい。
どうせまりんちゃんに本を貸し付けられることになるんだからと、千秋はそうそうに読むのをやめた。なのにミサコおばさんは真剣な表情で読んでいる。
そろそろ部屋に戻りなさい、と母さんが呼びに来るまで千秋はおばさんの部屋にうだうだ転がって、明日のことを考えた。
まりんは調子を戻したようだけど、はたしてはるこの気持ちはどうなのか。二人は元通り仲良しに戻れるのか? そもそも二人は本当に仲良しだったのか?
私は二人にまた元通りになってほしいけれど、それって余計なお世話だろうか?
考えてもまとまらず、千秋は天井の木目を見上げた。
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