第8話 千秋 友達の意外な一面を目の当たりにする。
「おや、今日は本は作らないのかい?」
学校から帰ると、今で休憩中だったおばあちゃんが言った。千秋がランドセルを置くなりミサコおばさんの離れへ向かおうとしたからだ。
「今日はちょっと……疲れた。ミサコちゃんのところでゴロゴロさせてもらう」
「そうかい。まあ小学校も何かと疲れるだろうしねえ」
誕生日プレゼントとして娘たちからもらったタブレットで読書を楽しんでいるおばあちゃんは言った。
もともと本が好きだったのに結婚してからは家事や育児や野良作業や介護で本を読む時間も作れず、ようやく一人の時間を手にするようになったと思えば老眼で思うように本が読めず……というおばあちゃんにとってタブレットで読む電子書籍は福音だったらしい。さっそくたくさんの本をダウンロードしては読みふけっていた。
最近では各種アプリも使いこなし、SNSに登録して作家や出版社が宣伝する面白そうな本の情報を集めている。その流れで娘たちのアカウントを見つけてこっそり眺めていることも千秋だけが知っている。
「フミコもこんな漫画描いてるんだよ?」
千秋にこっそりフミコおばさんが描いてる子育て漫画をみせてくれたこともあった。
やんちゃな三人の男に振り回されるフミコおばさんの様子が面白かったのでもっと見せてもらおうとしたら、おばあちゃんにタブレットをさりげなく取り上げられてしまったこともある(あんまり千秋向きじゃない漫画も描いているからねえ、とのことだった)。
おばあちゃんとは反対に、ミサコおばさんは畳の上に転がって紙の本を読みふけっていた。
表紙に水彩画のようなタッチで二人の女の子が描かれている、子供のための本だがミサコおばさんの蔵書だ。心優しい二人の女の子がひょんなことからなんでもそろった魔法のおうちを手に入れて、幸せに仲良く暮らすという夢のような物語の本で、千秋もすっかり気に入ったものだ。
「ミサコちゃん、本読ませてもらっていい?」
「いいけど、今日は千秋書店は閉店?」
おばあちゃんと同じことを違う言い回しで尋ね、同じように特に追及する様子は見せない。
「いいよなあ~……。私もこんなおうちで暮らしたい……。ああ働くの嫌……」
大人のミサコおばさんまでそこらの小学生のようなことを言っている。母さんがいたら現実逃避だと一刀両断するだろう。
ミサコおばさんもパソコンやスマホをもっているが、本屋さんで勤めていたこともあって基本的に紙の本が好きらしい。特に古い本が。
お母さんに「文学少女をめざしていたくせに」と揶揄されるくらいなので、本棚には茶ばんで甘い匂いのする古い本や、外国の作家が書いた難しそうなタイトルの大人の本がたくさん並んでいる。
古い本は大抵表紙におどろおどろしい絵が描かれていたり中の字が詰まりすぎて読みにくかったりしてとっつきにくいが、中には今の本にはないレトロでおしゃれなデザインのものもあってみてるのはわりと楽しい。
特に、ミサコおばさんのコレクションである昭和の終わりごろに出版された古い女の子向けの入門百科シリーズや少女漫画風のイラストが添えられた少女小説シリーズは2000年代生まれの千秋には非常に新鮮でとてつもなく楽しい。
千秋はミサコおばさんの本棚から一冊を選び、ビーズクッションを枕にしながらページをめくった。今の千秋と同い年で30年近い過去の東京に生きる女の子たちがファンシーショップで可愛いものを買ったり、交換日記をしたり、男の子を好きになったりしている。楽しい。ああ楽しい。
「あたしが死んだらコレクションは千秋にゆずるよ」
冗談めかしてミサコおばさんが言ったとき、千秋は今までになく食いついて絶対だよ絶対! とせまり、念書まで書かせたものだった。千秋にとってミサコおばさんの本は宝の山だった。赤いギンガムチェックの少女小説シリーズや、ニューヨークのホテルで暮らしているわんぱくな女の子の絵本、妖精のおまじないが載っている本……とにかくその辺の本屋さんではまず見かけないし売っていない、魅力的な本が山のようにある。
念書にはさすがに引いたミサコおばさんも、自分と趣味を同じくする姪っ子の存在は嬉しくて頼もしいようだった。
なにせ千秋の母さんはミサコおばさんの本棚を見るなり「またゴミみたいな本ばっかり買ってる」といい、千秋がおばさんの蔵書をもらい受ける念書を交わした時には「やめなさいよ、家がブックオフも買取拒否する本で埋もれちゃうじゃない」と宣ったような人だからだ。
千秋の母さんも物語の本が好きな人だが、ストーリーの起伏やオチのつけ方、風呂敷の畳み方を何よりも重視する人だった。人間のふわふわしたとらえどころのない感情や、ご飯がおいしいとか素敵な服を着て嬉しいだとか好きな男の子が振り向いてくれなくて切ないとかそういったことに一喜一憂した物語には「……で?」という一瞥をくれる。
そんな千秋の母さんと好きな本の傾向がかぶっていたという千秋のおじいちゃんにあたる人は、おとなたちの会話から判断すると推理小説や伝奇小説が好きだった人らしい(ナントカ館の殺人とかいうタイトルをした本がたくさん、フミコおばさんのマンガと一緒に並んでいる)。
対して、ミサコおばさんはミステリーを読まないではないがそこに出てくる料理やドレスの描写の方が気になる人だった。その上本や映画の結末をネタバレを気にせずお構いなしにガンガンしゃべる性質の人でもあった。それでしょっちゅう千秋の母さんを怒らせていた。
「ありえない、ネタバレするとか本当にあり得ない。あんたたちマナーってものを知らないの?」
「ネタバレしたら面白さが減るような本とか映画なんて所詮それだけのもんってことじゃん」
「そういうことじゃなくて……未見や未読の人の配慮ってものがあるでしょ⁉」
「知らないよ、そんなせっまい社会のルール押し付けてこないでよ」
母さんが知らないドラマや映画の結末をミサコおばさんがうっかり漏らすと大体このような会話が繰り広げられる。
そしてフミコおばさんは姉妹の中で一人だけどうしても文字だけの本に興味が持てない人だったらしい。姉と妹がお互いの本の趣味でケンカしているのをしり目に、一人のんびり好きな漫画に耽溺していたのこと。
本の趣味について長年家族の間で寂しさを募らせていたミサコおばさんにとって千秋は心強い存在のようだった。
可愛くて楽しい物語を読んでいるうちに、千秋の心はしばらく生まれるよりずっと昔の女の子の生活に飛ぶ。
そうすると今日の学校の大変さも頭から追いやることができた。
とにかく今日は酷い一日だった。
まりんはあの後保健室に飛び込み、二時間目終わりの大休憩まで授業に出てこなかった。
その大休憩に担任の先生は、千秋とはるこ、そしていつも同じグループにいるからとう理由でみふゆを呼び出し理由を聞いた。
「あたしは何もしりません」
とばっちりを食らった格好のみふゆは、ふくれっつらで真っ先に答える。みふゆは外でドッジボールやキックベースに興じるのも好きなタイプなのだ。むくれるのは無理もない。
「私とまりんちゃんの間に行き違いがあったんです。それで、ちょっとケンカになって……。千秋ちゃんは巻き込まれただけでみふゆちゃんは全然かかわってません」
はるこがすらすらと答え、まりんが自分と遊ぶ約束をしたつもりでいたがはることしては答えを保留していただけでそのつもりは無かったこと、だから自分は千秋のところへ遊びに行ったこと、それを知ったまりんが約束を破られたと思い込んで激怒したことなどをよどみなく静かに順序だてて説明した。
はたで聞いていて非常にわかりやすい分、千秋は震えた。千秋が同じ立場だったら、「あの」や「えっと」を連発して要領を得ないものになっていただろう。
「そうか、なるほどな」
と、担任の先生は答えてうーんと難しそうに腕を組んだ。
その後、担任の先生ははるこだけを保健室へ連れて行った。きっとまりんと仲直りをさせるつもりなのだろう。
「握手させてお互い謝るようにってやるんだよ、絶対。そんなことで簡単に仲直りできるかっての」
貴重な休憩を半分近く削られたみふゆはまだ不機嫌だった。
三時間目からはまりんは教室に戻ったが、憔悴しきって誰も声をかけられない有様だった。いつもの押しの強さはみじんもない。抜け殻のようなまりんがそこにいた。
はるこは静かにそれを無視している。背中を伸ばし授業には参加するがクラスメイトの動向の一切を無視する氷の女王様状態は続いていた。女王様になったはるこには誰も声をかけられない。昨日、マンガのイケメンキャラクターにきゃあきゃあ言ってたこと同じ人物とは思えない。どうやら先生の計らいは不発におわったようである。
見かねて千秋が「まりんちゃん、次音楽室だよ」と声をかけたり、「はるちゃん、見てみて」と変顔をして笑わそうとしてみたりと散々気をもんだがこれもまた全くの不発で終わった。
「ほっときなよ、あの二人は好きで怒ってるんだから。千秋が気を使う必要ないよ。ていうか千秋ももっと怒ってよくない?」
みふゆも冷たい口調で切り捨てる。
こうして六時間目が終わるころはどっと疲弊していたのだ。よれよれになって教室を出ると、くまパーカーのこぐが今日は待っていてくれた。千秋は思わずあのぬいぐるみいたいなパーカーにすがりつきたくなる。
「もう、大変だったよ……」
帰り道に並んでついついこぼす。
「みたいだね」
こぐが一言で返した。
「こぐはどうだった? 様子見に行けなくてごめんね」
「それなりに疲れた。でも耐えられないほどではなかったから大丈夫」
「そっか……」
それなりに疲れた、か。転校して二日目の疲れがそれなりで済むかな? 千秋は心配になったが、フードで顔をかくしているもののこぐの背中はまっすぐだし元気が尽きたりはしていないようだ。
「今日うちに来る?」
尋ねると少し間を置いて頷く。
「今日は疲れて本屋はできないかもしれないけど、いい?」
「……」
こぐは再度頷いた。
本のページを眺めながら今日の出来事に思いを馳せていると、ざり、ざりと、砂利をふみしめる足音が聞こえた。きっとこぐだろう。本を一旦閉じて、まだ寝転がってうだうだと本を眺めているミサコおばさんをその場において立ち上がる。
「いらっしゃーあ、ああ、い?」
そこにいたのはこぐではなかった。むすっとしたまりんだった。自転車を停めたそばにうつむき気味にして立っている。まりんが単独で千秋の家に訪れるのは相当めずらしい。
「連絡しなくてごめん」
まりんはぼそりと一応謝った。
「それは構わないけど……」
今日ははるちゃんは来てないよ、と、言っていいものかどうか千秋は迷った。言わない方が吉だろう。
「今日は、いろいろとごめん」
重ねてまりんは謝った。ふてくされたような謝り方になったのは決まりが悪いせいだろうか。千秋としてはまりんがあやまってくれてほんの少し気持ちが楽にはなった。とりあえず元通りになってほしいのだ。
「いいよそれはもう別に」
しかしまりんはすぐに困ったことを言いだす。
「今日、うちに来ない?」
「えっ」
千秋は戸惑った。まりんの家は千秋の家から結構遠いのだ。それにこぐと約束している。
「ごめん、今日こぐと先に約束してるんだ」
「じゃあ、こぐれさんが来るまで待ってるよ。一緒に遊ぼうよ」
あ、うん。と返事をしながら千秋は大いに困っていた。
まりんはアイドルのダンスをカバーしたり、ファッション誌を囲みながらどのコーデがいいか語り合ったり、メイクごっこをしたり、そういった遊びが好きなのだ。特に最近は人気アイドルの完コピに血道を上げていた。ダンスのヘタな千秋にはそれが結構苦痛だったりする。
ともあれ千秋は縁台に座るようまりんに促した。腰をおろしたまりんは、手持無沙汰らしくまりんは足をぶらぶらさせている。
「今日は本屋さんはしないの?」
これを聞かれるのは今日三度目だ。千秋=本屋というイメージがそんなに固定されつつあるとは。
「まあ、今日はお休み。本ならあるけど読む?」
「じゃあ一応見せてもらう」
普段、千秋の本屋さんごっこに協力的でないまりんも手持無沙汰加減に耐えられなかったのだろう。千秋がもってきた本の入ったクッキー缶に手に入れかき回した。千秋書店常連には大好評のニャー太シリーズもまりんはちらっと見ただけでそのまま別の本に目を移した。
「……千秋って本当に変だよね。こんなのいっぱい作ってさ。それって面白いの?」
「面白いよ。面白くなきゃやんないよ」
そこだけは強めに主張しておく。
とはいえ、はるこ以外の人間には上から強めに接するのがいつものまりんだ。どうやら調子が戻ってきたんだなと、千秋はその点だけはホッとした。腹が立たないわけではないけど。
結局まりんの気に入るような本は見つからなかったらしく、クッキー缶の本をかき回すのをやめてからぼそっと呟いた。
「……どうせ作るなら、お姫様とかアイドルとか、イケメンと恋したりとか、そういうお話作ればいいのに」
「お姫様の本ならあるよ、ホラ」
千秋は千秋書店のベストセラーであるミサコおばさんのシンデレラのリベンジ譚や、自分が作ったお姫様のメルヘン本を出して並べて見せる。が、まりんはそれらをちらっと見て、あきれたようにため息をついてみせた。
「前から思ってたんだけどさあ……千秋の作る本には圧倒的にキラキラが足りない。可愛くない。可愛くないお姫様って大体何なの? そんなの世の中にいない方がいいじゃん」
しまいには全世界の王族の女性にケンカを売るようなことまで言い出す。
「これでも可愛く描いてるつもりなんだけど、それに私、別に絵が上手いわけじゃないし……」
「違う違う、あたしが言ってるのはあんたの絵がヘタだから可愛くないって言ってるんじゃなくて。……ああもうっ!」
じれったくなったらしいまりんは突然、千秋がいつも本を作るときに使う折り畳みテーブルを自分で広げ出した(いつでも本屋さんごっこができるように常時縁側の片隅に置かれているのだ)。そして縁台に上がり込み、千秋に「何か書くものと紙! 出して!」としきり出す。
それはすっかりいつものまりんだ。千秋は条件反射のように紙と色鉛筆とホッチキスを用意した。
まりんは手早く紙を折り畳み、ホッチキスで製本する。出来上がった真っ白な本におもむろに女の子の絵を描いてゆく。千秋はまりんの迫力に引き込まれて思わずその様子をのぞき込んだ。
てっきりお姫様の絵を描きだしたのかと思ったら、まりんが描き始めたのは制服姿の中高生らしい女の子だ。絵のタッチは少女漫画風でなくファッション誌のページの片隅に添えられているような女の子好みのイラスト風。色鉛筆を駆使し、女の子のロングヘアを微妙なニュアンスの漂うブラウンに塗り上げるなど素早いながらに芸が細かい。かつ丁寧だ。
制服の女の子ととなりあうような形で、今度は金髪の典型的なお姫様のイラストを描き上げる。
そして二人の少女の頭の上に作ったスペースに堂々とタイトルを書き込んだ。
『アイドルプリンセス ナナミ』。
「あんまり見ないで、気が散る」
「はい」
今まで見せたことが無いような集中力でまりんに命令されて、千秋は素直に従った。背後でまりんがサラサラと色鉛筆を滑らせる音が聞こえる。
しばらくして、くまパーカーのこぐがてくてくと歩きながらやってきた。まりんの自転車、そしてぼんやり縁台に腰かけている千秋と、その後ろで色鉛筆を滑らせるまりんを不思議そうに見比べる。
「……本屋はしないんじゃなかったの?」
「なんか成り行きでこうなっちゃった」
千秋としてはこう答えるしかなかった。
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