第7話 千秋 友達関係に悩む。

 その日はそれで、気分良く終わるはずだった。


 なのに夕方、まりんから電話がかかってきたのだ。

 千秋は携帯をまだ持たされていないので家電に直接かけてきたのである。


「はるちゃんが千秋の家に遊びに行ったんだって?なんで教えてくれなかったの?」


 目を三角に釣り上げたまりんの姿が目に見えるようだ。

 まりんには内緒にしてほしそうだったから……なんて、まさか言えるわけがなく千秋は曖昧にごまかす。


「あ〜うん、ごめん。でもうちに来てマンガ読んでただけだよ。まりんちゃんもまた読みにきなよ」

「……昨日の放課後、はるちゃんとうちで一緒に遊ぶ約束してたんだけど?」


 うわあ〜……、千秋は目を覆いたくなった。教えてよ、はるちゃん。それは。

「ごめん、私それは知らなくて」


 はるこが嘘をついたことは伏せることにする。明日のまりんが怖かったから。

それでもまりんは気持ちがおさまらないないらしく、千秋に何やら当たってから「じゃ!」と一方的に電話を切った。


 ものの10分だった電話にすっかりつかれてダイニングテーブルに突っ伏した。頭の中で、以前みふゆがこっそり呟いたことを思い出す。


「まりんちゃんのはるちゃんへの愛が重たすぎる」

「まりんちゃん将来好きな人のLINEチェックする人になりそう」


 すばしっこいいたずらっ子で機転もきくみふゆは、同時にあっけらかんとキツイことを言う子でもあった。そのあたりはちょっとおばさんに似ている。これを聞いた時千秋はどうしたっけな、ぷっと吹き出してしまったんだっけ。



「はるこちゃんが近藤勇でまりんちゃんが土方歳三だね」


 おばさんにことのあらましを話すと、ああ〜……と深く頷いてからそんな風に呟いた。


 千秋はそれを聞いてキョトンとする。

 近藤勇と土方歳三は新撰組にいた人だってことは、ミサコおばさんが千秋に買わせるマンガ雑誌とフミコおばさんの残してくれたマンガによって辛うじて知っていた。でも、キャラクターの雰囲気としてははるこが土方でまりんが近藤さんだと思うのだが……(ごめんまりんちゃん)。


「えーと、土方歳三は幼馴染の近藤勇をトップに据えて自分がバリバリ新撰組を仕切りまわして色々あって五稜郭で死んだんだよ。男前だけど俳句がヘタ。だったよね、ヒロコ姉ちゃん?」

「幕末だの武将だのはフミコの専門で私じゃないわ。訊かないでよ」

「何? 姉ちゃんお父さんと本の趣味被ってたじゃない、読んでないの、シバリョー」

「父さんはシバリョーはそんなに読んでなかったったわよ」

「え、読んでなかったんだ。『街道をゆく』読んでそうな本読みおじさんキャラだったくせに」

「あんたこそなんで読んでないのよ。一応文学少女目指してたくせに」

「そんなだっさいもの目指した覚えはないし! それにシバリョー読むのは文学少女じゃなくて歴女か自分から『活字中毒です』とか言っちゃうタイプの本読み女子だし!」

「……あんたシバリョーとシバリョー読者の女の人に謝んなさい、今すぐ。で、個人の感想ですって付けときなさい。場所が場所なら炎上ものよ?」



 姉妹の会話はシバリョーという人と読者への風評被害になりかねない方向へと脱線していったが、それを聴きながら確かにまりんははるこを護りつつも担ぎ上げている所は見られるなと思う。


 クラスのみんなも、押しの強すぎるまりん単独のいうことなら「やれやれまたなんかうちのボスが言ってるよ」という気持ちになりがちだが、まりんの背後にはるこがいると「しょうがないなあ、いっちょやるか」となることが多かった。


 ふんわりにこにこして優しいはるこがいてくれるお陰でクラスの雰囲気がよくなっている面は確かにあった。まりんはそのことを分かって利用してるのだろうか。いやいや……。


「そもそも日本史サッパリなくせになんで新撰組に喩えようとしたわけ?」

「私が持ってる小説に小学生のあるクラスの人間関係を新撰組に喩えたものがあったの。そこにまりんちゃんとはるこちゃんみたいな子たちが出てきたから」

 脱線しまくったミサコおばさんと母さんの会話はつづいている。仕事から帰ってきて雑談に巻き込まれた母さんは、ぐりぐりと肩をまわしながらふっと鼻で息をついた。


「いつの時代も女子ってやつは。はあやだやだ」


 まるで自分は例外だといわんばかりな母さんのその言葉が、千秋の胸にはトゲとなって刺さる。




 教室でのまりんやはるこのことを考えると気が重くて仕方がないが、それでも朝はやってくる。そして今日からこぐと一緒に学校へ通うのだ。


 登校班の集合場所であるお宮の前で、子供たちに紛れるようにくまパーカーのこぐがいた。チビたちに付きまとわれていたが相手をせずに無言で立っている。見かねた六年生の班長がチビたちをたしなめていた。


「おはよ~」

 千秋が声をかけるとみんなや当番のおばさんもおはようと返してくれる。班長はほっとしたような表情になった。案の定こぐは無言である。


 班長を先頭に子供たちは二列に並んで歩きだす。最後尾は五年生の副班長。千秋とこぐは四年生なので後ろから二列目だ。登校中もこぐはやっぱり無言だ。


「学校で何かあったらうちのクラスにおいでよ。私も極力見に行くよ」

 千秋が言うと、こぐは案外早く返事をよこした。

「大丈夫。一人は結構平気だから」

「へ?」

「最初に変なキャラだってことを強めに印象づけておくと、最初いじってきた人もそのうち飽きて構わなくなる」

「へえ……」

 

 それがこぐの処世の仕方だと知った千秋は、世の中にはいろんな身の処し方があるものだと感心した。時々ちょっと引っかかることがあってもなんとなく気が合って楽しい人が周りにいた方がおちつく千秋には考えられない対応だ。

 それゆえに気になることもある。


「それってしんどくない?」

「心配されるほどでもない」

 こぐは端的に答える。

「むしろあたしは、あんたの方が心配そうに見える」

「えっ?」

「あんたの友達、いろいろとクセ強そうだったから」

「ああ~……、まあ、うん」


 歩きながら千秋ははることまりんの一件を説明しようかと一瞬考えた。が、すぐに止した。こぐに話したところでどうもなりはしないだろうし、こぐだって聞いても困るだろう。



 教室の手前、なぜかみふゆが一人廊下に出て千秋に気づくと素早く駆け寄ってきた。

「大変だよ、まりんちゃんとはるちゃんがケンカしちゃってさあ……」

 ああやっぱり、千秋はため息をついた。

「まりんちゃんが泣くわ怒るわで、はるちゃんも石になっちゃうし最悪だよ。何があったの?」

 〝石になる″は、時々猛烈にがんこになるはるこが心を閉ざしている状態をさししめす、みふゆ発祥の表現である。


 なにがあったかを説明しようとするより先に、教室の中から一直線にまりんがやってきた。千秋の目にはまりんが闘牛の牡牛のように映る。引くより先にまりんに肩を突き飛ばされた。まきぞえをくらったみふゆもよろめく。


「千秋ひどいよ、どうしてあたしに連絡してくれなかったの? なんで黙ってたの?」

「ごめん。でも、あのだって……」

 とっさに謝ってしまったが、千秋だってはるこがまりんとの約束をすっぽかしていたことを知らなかったのだ。だから被害者でもあるのだ……ということを訴えたかったのだが、涙を流して怒るまりんを見ているととてもじゃないが言い出せない。


「まりんちゃん、ちょっと痛かったんだけど」

 まきぞえをくらったせいで壁にぶつかったみふゆが冗談めかしたニュアンスで抗議するが、まりんは無視する。その態度がみふゆの癇に障ったらしい。一応まだ半笑いの調子ではあったがしっかり反撃する。

「はるちゃんいっつもまりんちゃんと一緒にいるんだから、たまには千秋の家に行ってもいいじゃん。はるちゃんはまりんちゃんだけの友達じゃないじゃん。それなのになんでそんなに怒るの? バカみたいだよ。落ち着けば?」


 まりんの顔がさっと気色ばむのを見て、千秋は固まる。これはとんでもないことになってしまったと頭の中は大騒ぎだったが、とてもじゃないが対処できない。

 周りにはギャラリーがいる。

 ただでさえ終始べったりだったまりんとはるこの大喧嘩という注目必須の珍事だ。クラスの内外の子供たちが自分たちを面白そうに、心配そうに取り囲んでいる視線に千秋は焦る。

 ギャラリーのなかにこぐの気配も感じる。ああ本当に私の方が大変なことになっちゃった……。



「やめて、まりんちゃん」

 教室の中から澄んだ声が響いた。はるこの声だ。

 激昂するまりん、苛立っているみふゆ、野次馬な子供たち、そして思考停止状態の千秋。唯一冷静そうなはるこの声が一帯にしんと響く。自分の席から立ち上がりはるこはまりんの後ろに立つ。

 はるこはこういう、自然に注目を集める資質を備え持つ子であった。


「さっきも言ったけど、あたしが勝手に千秋ちゃんの家に行ったの。千秋ちゃんはあたしとまりんちゃんが約束したことを知らなかったの」


 ギャラリーがはるこに注目する。はるこの声を聞き漏らすまいとするように静まる。

「これもさっき言ったけど、まりんちゃんの言う〝約束″だってまりんちゃんが勝手に決めただけだよね? あたし、うんって言って無かったよね? なのになんでそれを約束ってことにしちゃうの、いっつも? おかしいよ。最近のまりんちゃんてそんなばっかだったよ。あたしの意見も聞いてよ、お願いだから」


 静まり返った空気を、くすくすと笑い声が打ち破る。笑ったのは隣のクラスのボスの子だった。

「何あれ。ふられてんじゃん、カッコ悪」


 流石にその声に追従する野次馬はいなかった。沈黙に気まずそうな雰囲気が加味されてゆく中、まりんがだっと廊下を駈け出す。


「あっ……!」

 とっさに追いかけるようなアクションをとってしまったのは千秋一人だった。はるこは口を結んで立ち尽くしているし、みふゆはやれやれといった表情で走るまりんの背中を見送っている。


「あいつ一人だけドラマの世界に生きてるよね。まりん劇場だよ」

 

 隣のクラスのボスの子は嘲笑交じりにとりまきに語って、ゆうゆうと教室に戻っていった。それが合図になったのか 野次馬たちが笑ったり、さっきのやり取りを真似したり、各々ふざけながら騒ぎだす。そうでもしなければ「いつもの日常」に戻れなかったのだろう。


 クラスの男子の一人が、おどけてはるこにマイクにみたてた拳を突き出す。まりんさんを振った感想を一言、とか、くだらないことを尋ねる。


 その男子へ向けたはるこの一瞥は、それはそれは冷たいものだった。名前の通り春の雰囲気漂ういつものはるこからは程遠い、絶対零度の冷たさだった。


 まなざし一つで男子を震え上がらせたはるこは、ある種の風格を漂わせて教室に戻り、自分の席に座る。峻厳な氷の山のような空気をまとわせたはるこに話しかけられるつわものは、千秋のクラスにはいなかった。千秋だって無理だ。



 ようやく朝の会の始まりを告げるチャイムが鳴り、まりんが駆け去った廊下から、「ほらー早く教室にもどれ~」なんてのんきな声を張り上げる先生がやってくる。まだ先生は何も知らないのだろう、そう思うとちょっとうらやましかった。

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