第6話 千秋 くまの子から本の感想をもらう。

 その日はこぐと一緒に下校した。

 

 号令が終わるや否や教室を飛び出して、隣のクラスの子たちが出てくるのを待ち構えたのだ。こぐは終わりの方にゆっくりと出てくる。あのくまパーカーのフードをやはり目深に被っていた。ランドセルの色はチョコレートみたいな茶色だった。


「一緒に帰る?」

 こぐが顔をこっちに向けたタイミングで聞くと、黙ってうなずいた。ちなみに千秋のランドセルは紺色だ。都会から帰ってきた直後のおばさんが「いいよね、最近のランドセルはカラフルで。いいことだよ」と感想をもらしていたこともある。


 まりん、はるこ、みふゆの三人とは昇降口で別れる。まりんは三人で途中まで一緒に帰ろうと言い出したが丁重に断った。

「こぐれちゃんも緊張してるみたいだから、また今度にしよう?」

 はるこが切り出してくれたのでまりんもあきらめてくれた模様。

 

 三人のランドセルの色は、まりんが薄い紫(ビジューで飾られている)、はるこが手触りのよい薄い茶色の本革(「母さんが勝手に決めちゃったの。あたしはピンクがよかった」とこっそり漏らしていた)、みふゆは明るい水色だ。

 まりんとはるこが校門付近で同じ方向へ歩き出し、みふゆもこっちへ向けて手を振りながら別の方へ大股で歩き出す。



 無言のこぐとならんで千秋は歩き出した。

「学校どうだった?」

「……」

「いろいろと大変そうだったけど、あっちのクラスに疲れたらうちのところに遊びにおいでよ」

「……」

「まりんちゃんはあんなだけど悪い子じゃないし、はるちゃんは去年転入してきた子だからこぐの気持ちもわかってくれると思う。さっきの水色のランドセルのはみふゆって言うんだけどあの子は面白いよ」

「……」


 こぐはあまり話しかけられたくないのかもしれない。ということで千秋は黙って並んで歩いた。

 今日はいい天気だ。歩きながら千秋は今書いてる本の続きを考えることにする。ニャー太の続きを待っている読者がいるのだ、おばさんだけしかいないけど。こぐも待っていてくれてるかもしれないけれど。


「今日、遊びにいってもいい?」

「はい?」

 コンビニと千秋の家への分かれ道に差し掛かるタイミングでこぐが切り出した。上の空になっていたので驚いた千秋は驚いて変な声を出してしまう。


「今日も本屋さん、するの?」

「うん、一応その予定」

「この前借りた本も持っていくから」

「分かった。じゃあね」


 こぐはゆっくり頷いた。千秋が手をふると大きく何度か頷いた。そしててくてくとコンビニの方へ歩いてゆく。その背中を見送って、千秋もちょっと駆け足で自分の家へ向かう。




 今日もおばさんは用事でいなかった。

 

 千秋書店を開くとき、ミサコおばさんがいるといないのとではノリに大きく差が出る(あとミサコおばさんがいると高確率でおやつ代も出してくれる)為、いてほしかったので残念だ。

「ミサコはアルバイトの面接に行ったんだよ。ようやく仕事をする気になったみたいでねえ」

 家にいたおばあちゃんが教えてくれた。


 予想外のことがもう一つ起きた。はるこが自転車に乗って遊びに来たのだ。こぐがくるより先に。


「どうしたのはるちゃん? まりんちゃんは?」

 ミカン箱に布をかぶせている所へ、ちょっときまり悪そうなに微笑むはるこをみて千秋は目をぱちくりさせる。

「今日は別の子と遊ぶんだって。だから私ひとりで来たの」


 まりんちゃんがはることは別の子と遊ぶ、そんなことがあるだろうか? 千秋は思わずいぶかしんだが、もじもじしたはるこの次の言葉で事情を察した。


「千秋ちゃん、あの、マンガを読ませてもらっていい?」


 はるこの言う漫画は千秋書店が展開している千秋とミサコおばさん作の雑なマンガではない。ちゃんとした単行本だ。もっというならマンガとアニメとゲームにうつつを抜かす十代をすごしていたフミコおばさんの蔵書だ。

 フミコおばさんは結婚するときにお気に入りだけ新居へ運んで行ったが、その荷物に入らなかった膨大な漫画が千秋の家には残されていたのだ。


「自由に読んでいいよ」ということなので、お言葉に甘えて千秋たちは好き放題読みふけっていた。おかげで千秋の家はマンガを読む場所と友達の間では認識されいる。

 少し前の世代の、アニメ化したような人気漫画なら大体そろっているので、どこかで人気アニメの再放送が始まったりすると原作漫画を読みに普段遊びに来ない子まで噂を聞きつけて読みに来たりする。

 

 そしてはるこは、あまりマンガとアニメとゲームを推奨されていない、意識の高いご家庭で暮らす女の子だった。


「春子」ではなく「花香」と書いてわざわざ「はるこ」と呼ばせる親御さん(「DQNネームは軽蔑してるけどありきたりは嫌だしちょっと知的でひねった所をみせたいって親御さんのやらしい意識がうかがえる名前だね。〝春子″で十分可愛いのに」とミサコおばさんが以前こっそり寸評しておばあちゃんから「人様のつけた名前にケチつけるんじゃないよ! まったく千秋の目の前だっていうのに」とこっぴどく叱られていた。もちろん千秋はそのことは誰にも言っていない)は、CSの海外アニメはみせてくれるけれど将来オタクになりそうな国産アニメは絶対見せてくれないらしい。


 家庭で満たされない分、はるこは千秋の家にあそびにくると必ず漫画に読みふける。すさまじい集中力で読みふける。

 まりんがほかの遊びをしようと誘っても「待って、もうちょっと読ませて」と学校での大人しさが嘘のように頑固な態度に出る。きれいなはるこをセンターに据えて人気アイドルの振り付けを覚えたいまりんはその都度不機嫌になる。不機嫌になっても絶対はるこに感情をぶつけず、なぜか千秋やみふゆに厳しく当たる…。

 

 そういうことが繰り返された結果、この四人で遊ぶときは千秋の家を選ばないという暗黙のルールが出来上がるようになっていた。個別でおのおの遊びに来るときはあったが、放課後も習い事でいそがしく、遊ぶときは大体まりんと一緒にいることが多いはるこが単独で千秋の家にくるのはかなり珍しい事態だ。

 よほど読みたい漫画があるのだろう。そして千秋の家にいることはおそらくまりんには内緒に違いない。まりんははるこが漫画を読みふけることを許さないのだ。


「はるちゃんがあんな男子が読むような漫画読むの、変だよ。似合わないよ」

 まりんが一度本人にはっきり言って、非常に険悪な空気になったことがある(それ以降、四人で遊ぶときは千秋の家を選ばないようになったのだ)。



「いいよ。上がって。でもあとでこぐが遊びにきて一緒に本屋するから、はるちゃんのことかまえないよ?」

「うん、いいのそれで全然」


 はるこはぱあっと微笑んだ。輝くようなきれいな笑顔だ。

 お邪魔しますと丁寧にあいさつし、玄関から上がるときはちゃんと靴をそろえ、しかし弾むような足取りで座敷のマンガ専用本棚の前に立つ。


 はるこが読みだしたのは、カッコいいキャラクターがいっぱい出てきて派手なアクションで悪霊を退治するバトルファンタジーマンガだ。はるこは目を輝かせて読みふける。時折「はあ~っ」とため息ついたり「キャアアア!」と小さく歓声を上げて足をバタバタさせたりする。楽しそうだ。何をしなくてもはるこは美少女だがこういうはるこはことさら可愛い。

 


 はるこがきて十数分後、こぐがくまパーカーと赤い手提げといういつものスタイルでやってきた。

 はるこの自転車を見て一瞬、全身から怪訝そうな空気を全身から立ち上らせたが、


「こぐ、いらっしゃい」


 本屋の準備を終えた千秋が縁側から呼びかけると唇の端っこを少し上向けてみせた。縁台のそばにやってくると、借りていた本を返す。


「どう、面白かった?」

 こぐはゆっくり頷く。そして

「チュー吉、酷いと思う。ニャー太が可哀そう」

 感想を伝えてくれた。


「だよね! 私あの昔話きくといっつもネズミがずるくて酷いなって思ってたからニャー太の話を考えたんだけど、でも考えれば考える程チュー吉がより酷いヤツになっちゃうんだよね。なかなか懲らしめられなくて困ってるの」

「……」

 こぐはまた黙った。しまった、と千秋は後悔する。感想をもらった嬉しさから舞い上がってしまい、こぐを引かせてしまったのだろうか。


 しかしこぐは、たっぷり間をおいてから頷いた。

「……わかる。酷いやつが簡単に『ごめんなさい』すると話としては面白くない」

 

 それを聞いた瞬間、千秋の体がふわあっと温まったような気がした。

 なんだかてれくさくて、へへへ、と笑って立ち上がった。


「おやつ持ってくるから、気になる本があったら読んでて。あ、はるちゃんは気にしなくていいから」



 その日は日が暮れるまで千秋は黙って本を書いた。こぐも千秋書店の本を手に取ってパラパラ眺めてから、あたしも本を描きたいと言い出す。

 よって、折り畳み机に向かい合って、二人でそれぞれの本を作り出した。その間はるこはずっと漫画に読みふけっていたが、あるタイミングで千秋のそばにやってくると、紙と色鉛筆を借りてゆき、座敷の座卓の上でなにやら一生懸命に描き始めた。


 

「ただいまー。……どうしたの? 今日は久しぶりに大勢がいるじゃない」

 

 西の空が段々オレンジ色になってきたころ、ミサコおばさんが帰ってきた。珍しくスーツなんか着て、ちゃんとした大人のようだ。

 その頃三人は本作りとお絵かきの手を止めて、座卓で千秋の用意したおやつを食べていた。はるこは丁寧に「お邪魔してます」とぺこんと頭を下げた、こぐは緊張したように身構える。


「あ、はるこちゃん久しぶり~」

 にこっと微笑んでから、そのあとくまパーカーのこぐに注目した。

「あなたがこぐちゃん? 初めまして。千秋のおばさんのミサコだよ。よろしくね」

 模範的なおとなのように優しい声を出す。


「……」

 こぐはしばらく固まってから、かすれた声をだした。千秋は傍らでなぜかドキドキする。

「あの、読みました。シンデレラの本」


「えっ⁉」

 さすがに人前ではミサコおばさんもゲッ! と言わない分別は備えていたらしい。

「やだ、あれ子供の時に描いたもので……。恥ずかしいわ~、もう忘れて忘れて!」

「面白かった、です」

 

 大人というよりなんだかおばちゃんっぽい仕草でミサコおばさんが取り繕うのをこぐは、こぐにしては大きい声で止めた。


「お母さんが、よく見せてくれました。『これを描いたみいちゃんて人は面白い人だった』って、よく言ってました。あたしも面白いと思いました」


 とつとつと、こぐは語った。力をこめたせいか、なんだか怒ったようにも聞こえてしまう。千秋は心の中で頑張れがんばれと応援してしまう。


「おじさんの家へ行くことになった時、みいちゃんって人に会ってみようと思いました」

「……そっか」


 照れたような、いつもの子供っぽくてすぐいじけて毒づく大人とは思えないやわらかな笑顔をミサコおばさんは浮かべた。

「あんな本でも、マイちゃんが喜んでくれていたなら作った甲斐があったよ」


 照れくさいのか、おばさんはだしぬけに調子っぱずれな歌を歌って離れの方へ歩いて行った。


 今までの件に耳を澄ませていたはるこが興味を示したので、ミサコおばさんが作ったシンデレラリベンジ譚を読ませてみる。はるこも少しふふっと笑った。

「千秋ちゃんのおばさん、面白いね」

 そしてふーっとため息をつく。

「千秋ちゃんはいいね、面白いおばさんたちがいて……」



 はるこが一生懸命描いていたものは、読みふけっていた漫画の人気キャラクターだ。氷系の技を使う、クールでぶっきらぼうで悪ぶったことを口にするけどその実一番仲間思いというキャラクター。はるこはそれを一生懸命模写し、バッグの中に入っていた本に挟んでいた。

 非常に晴れ晴れとした顔つきではるこは暗くなる前に帰っていった。無論丁寧におじゃましましたとあいさつは欠かさない。


 こぐが描いていたものは、ニャー太が猫の仲間たちに誕生日パーティーを開いてもらう物語だった。特別に千秋は読ませてもらう。


「ニャー太、可哀そうだから、たまにはいいことが起きて欲しい」

 

 千秋が描くより数倍丁寧に、そしてかわいらしく描かれたニャー太の物語に胸が暖かくなりつつ、自分は確かに自分はいくら不死身だからとはいえニャー太をひどく扱いすぎていたのではないかと千秋は反省した。


 同時に、こぐの描く絵はやっぱりどこか少し『そらのにんぎょ』に似ているなと思う。

 

 

 自分がおやつをとりに席を立った時、こぐは『そらのにんぎょ』を読んだだろうか。

 ふと気になった。こぐは何も言っていない。

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