第5話 千秋 くまの子の転入を心配する。
確かにコンビニオーナーのおじさんはガサツだし配慮に欠ける人だが、それでも親切で善良な人物であることは間違いなかった。
こぐが来た次の日の夕方、すいませーんタバコ屋のタカシです~という大声が玄関から聞こえた瞬間、ミサコおばさんはゲッと呻いてトイレの方へ避難した。
晩御飯を作っていたおばあちゃんが、はいはいはーい、と玄関へ出てゆき、千秋はダイニングテーブルでその日の宿題を続ける。
おばあちゃんとたかちゃんの大人のやりとりをBGMに算数のドリルに取り組んでいると、おばあちゃんが千秋を呼び出した。
玄関へ行くと、おじさんとやっぱりくまパーカーを着たこぐがいた。
「よお、ちあちゃん。こないだこぐれが遊びに来たんだって?」
ニコニコしながらおじさんが言う。はて、〝こぐれ″とは?
「あれ? お前ちあちゃんに名前教えてたんじゃなかったのか? 参ったなあ」
「……」
やっぱりこぐは無言だ。
「ごめんなちあちゃん、こぐれのやつちょっと緊張してるみたいで。この子おじさんの姪っ子なんだけど、こぐれって言うんだよ。来週からちあちゃんたちと一緒に学校にいくことになってるから、仲良くしてやってくれないか?」
なんと、こぐは名前が〝こぐれ″だったのか!
だったら自分の名前をこぐと名乗ったのも、ほとんど自分の名前をそのまんま素直に名乗ったようなものじゃないか!
青天の霹靂というべき衝撃が千秋の体を駆け抜けた。そのあと猛烈な恥ずかしさがやってくる。
「こぐ」と聞いたとたん、とっさに『いやいやえん』のこぐまのこぐちゃんが保育園にやってきたエピソードを連想してしまうなんて……! ああきっとこぐは「何言ってんだこいつ?」って思ったに違いない。ああああ……。
「そーだろ、珍しい名前だろ~。だからちあちゃん、学校でこぐれが〝デーモン″とか〝閣下″とか変なあだ名付けられないように注意してやってくれよ~。そうしたらおじさん買い物の時にサービスするから」
「これタカちゃん、この子の目の前でやめなさい。あんたがそんなんだからミサコがいっつも怒ってるんだよ」
「やーすんません。ところでミサコはまた俺のことガサツだなんだって言って怒ってんですか。相変わらずだなあ」
ハハハハとおじさんは笑う。
こぐは無言でくまパーカーのフードを下げて顔を隠した。おじさんの無神経な言いざまに傷ついたのかもしれない。さすがに千秋も「姪っ子がからかわれるのを阻止してくれ」というおじさん心のなせるものであったとしても〝デーモン″とか〝閣下″なんていかにも悪ガキのつけそうな変なあだ名の具体例を出すことははないだろう……とおじさんに指摘したくなった。
ともかく、このこぐと一緒に学校へ行くのか、という思いで再度顔のよく見えないこぐを見る。こぐれという本名がわかっても、なんとなく「こぐ」と呼び続けたい気持ちが千秋にはあった。
「……」
こぐは千秋に見つめられてから何かを思い出したようにごそごそ動いた。この前も持ってきていた手提げから本を二冊取り出す。
「……ありがとう」
この前貸し出した、ミサコおばさんのシンデレラリベンジ譚の後編と千秋のニャー太もの第一巻だ。
「面白かった?」
千秋が尋ねるとこっくりとこぐは頷いた。
「シンデレラのはこれでおしまいだけど、ニャー太のは続きがあるよ? 読む?」
「読む」
こぐにしては早く、はっきりした返答だった。
「待ってて!」
雑談に興じる大人二人を玄関に残し、急いで居間に戻ってクッキー缶を開き、ニャー太シリーズの続きを持ち出した。駆け足で玄関に戻りこぐに手渡す。
「はい!」
「……ありがとう」
こぐの口元がうっすら微笑んだように見えた。
「あ、これちあちゃんの描いたマンガ? おじさんも見ていい?」
「ダメ!」
千秋は強い声で拒絶する。
このおじさんのことだから千秋が買い物に行くと店の中にいた近所の人に「あ、この子すっげえ変なマンガ描いてんですよ!」ってやりかねない。ミサコおばさんのSNSで千秋の本は全然注目されず拡散されていないが、このおじさんに見せたら最後、千秋の小学校の学区内くらいまでは余裕で広まってしまう。
「えー、ダメなんだ。残念だなあ……。そういやマイの荷物の中にミサコが昔描いてたマンガが出てきたのは読んだぞ。昔っからあいつあんなことやってたんだよなあ。あいつ。バッカだよなあ」
コンビニオーナーのおじさんの声はそれこそバカみたいにでかい。きっとトイレに隠れているミサコおばさんのところまで聞こえている筈だ。
「タカちゃん、あんた何か言う前に一旦頭の中で考える癖をつけなさい」
おばあちゃんんまであきれて注意していた。
「タカシの店なんか売り上げ落ちて本店直営店になってしまえばいい」
案の定、おじさんの声は大きすぎてミサコおばさんの耳にしっかり届いていたらしい。ぶすったれたミサコおばさんはそんな呪いを発していた。
「タカちゃんの店はうちや近所の地域以外の人にトラックの運転手さんなんかも利用するからまあまあ儲かってるんじゃない?」
「なんでヒロコ姉ちゃんはいっつもまぜっかえすかなあ! そういうこと言ってるんじゃないってわかりそうなもんじゃん」
早めに仕事を終えて帰ってきた母さんとミサコおばさんは早速バトルを始めだした。あんたたちは普通に話ができないのかね、と、おばあちゃんはため息をつく。
文句は言うくせにコンビニオーナーのおじさんがもってきた手土産のマドレーヌを晩御飯の後にバクバク食べるのだから、ミサコおばさんもまあ現金なのだった。
そして千秋が見つけたマイちゃん作の絵本『そらのにんぎょ』を見せる。
最初は懐かしそうにめくっていたミサコおばさんなのに、次第に段々しんみりした表情になる。
町にあこがれる空に住む人魚の女の子、なのに町のある地上まで深く潜れない。人魚の子はまだ空にいる……という、なんとなく寂しさを感じさせる内容がセンシティブになりがちな秋の心に染み入ったのかもしれない。
「マイちゃんは詩人ねえ。あんたたちとは大違いだわ」
着替えた母さんもテーブルに座り、同じようにマイちゃんの本をめくった。
「あのタカちゃんと血がつながってるとは思えないわ」
「……構成とかレイアウトも考えられてるよね、子供ながらに」
いやに真剣な表情でミサコおばさんが言い出す。
「文章と余白のバランスのとり方とか、結構小学生離れしてるんだよね、今見ると。天性のものだったのかな」
ミサコおばさんはこっちに帰ってくるまで都会の大きな本屋さんで働き、たくさんの本を毎日目にしてきたので、本の作りやデザインなどには多少目がきくらしい。千秋が本づくりを始めた時に、見た目が良くなるように背表紙にマステをはったらどうかと提案したのもミサコおばさんだ。
「マイちゃん、あんなことが無ければ今頃本当の本を出せる人になっていたのかもしれないのに……」
ミサコおばさんは口惜しそうにつぶやいて、ずずっとぬるいお茶をすすった。
「たらればを言っても仕方ないわよ」
こういう時も母さんは冷静だ。
マイちゃんに何があったのか、きっと教えてもらえそうにないなとミサコもマドレーヌを食べていた時に、ただいまー、と玄関から父さんの声がした。
さてその日の土日が滞りなく過ぎ去り、こぐが学校に通いだす月曜日になった。
とはいっても初日は保護者代理のおじさんが一緒に行くらしく、千秋はいつも通り地域の登校班のメンバーとてくてくと通学する。
登校班に千秋と同い年の子はいない。登校班のみんなはコンビニのところに新しく女の子がやってきて明日から一緒に通うことになったことを聞かされて、少し浮足立っていた。
「女子で、変な名前なんだって。デーモンとか閣下とか」
「千秋、お前あったんだろ? おっちゃんが言ってたぞ」
生意気な年下の男子がぶしつけに尋ねてくる。
「明日になったらわかるじゃん。あとそんな名前じゃないよ。こぐれっていうんだよ」
千秋は適当にはぐらかした。そしておじさんはみんなの家で千秋の家と同じようなお願いをしたのか、アホな男子には肝心の名前よりインパクトあったあだ名の方が覚えられてんじゃん、まったくもう! とおじさんについて怒っていた。ミサコおばさんの影響でおじさんへの株が下がり続けているらしい。
過疎化少子化すさまじい田舎において、奇跡的に一学年につき二~三クラスを保っている千秋の小学校。一緒のクラスだったらいいのにと期待したが、残念ながらこぐは隣のクラスに配置されてしまったようだ。
休み時間になると隣のクラスにやってきた変な名前の不思議な転校生のことが話題になる。
「どんな子が来たんだろう、見に行く?」
興味津々の顔つきで友達のまりんが言う。
「あたしはいいよ。まりんちゃん達がいけば」
まりんに対して答えたのがみふゆだ。みふゆはノートのすみにパラパラ漫画を描くのに夢中になっていた。
あっそ、とまりんは答え隣に立っていたはるこの手をぎゅっと引いた。
「じゃあ行こう、はるちゃん。千秋はどうする?」
「う~ん……」
千秋は実を言うとみふゆが作るパラパラ漫画の仕上がりを見たかった。しかしこぐが隣のクラスでちゃんと馴染んでるか、デーモンとか閣下とか呼ばれてないか心配になる。迷っている心を見透かしたようにみふゆが鉛筆を動かしながら言った。
「気になるなら行ってきなよ」
「だってさ、行こうよ千秋」
というわけで千秋はまりんとはるこが手をつなぐ後ろにたって二人の後についてゆく。
「みふゆって本当にマイペースだね」
とはるこに語り掛けてるのが聞こえた。はるこはあいまいに、きれいに微笑む。千秋は聞き流すことにする。みふゆがマイペースなのは事実だし千秋はそこが好きだった。
転校生という珍しいものを見たがった子供たちが、隣のクラスの廊下側の窓やドアに群がっていた。
「これじゃあ見えないじゃん」
まりんが憤慨し、ぐいぐいと子供たちをかき分ける。まりんはクラスで一、二を争う統率力を誇る女子だった。強引なまりんのやりかたにむっとしたような子供たちも、そのうしろに控えたはるこがそっと頭を下げるのを見て「しょうがないなあ」という顔つきで許している。そのあとに続く千秋に注目するものはほぼいない。
「あの子だ」
まりんが呟く。
こぐは教室の窓際の真ん中あたりの席にいるらしく、このクラスの女子に囲まれていた。女子たちの隙間からこぐの様子が見える。くまパーカーは着てきたようだが教室内では脱いでいるらしく椅子の背もたれにかけている。ボーダーのカットソーにカーキのスカート。外ハネ気味の短いおかっぱで前髪もかなり短い。頬にはそばかす。緊張しているのか怒ったようなじっと机の上を見つめる横顔。フードの下の顔はこんなのだったのかと千秋は思った。
千秋はその横顔と、こぐを囲む隣のクラスの女子たちの様子を見てハラハラする。あんな表情じゃダメだ。もうちょっとにこやかにして笑顔にならないと……。
「ちょっと何しにきたの?」
突然つっけんどんな声がこちらに飛んで来た。そちらに目を向けると、お姉さん風のファッションに身を包んだ隣のクラスの女子がつかつかとこちらへやってくる。とはいえ千秋に向けた声ではない。彼女の目的はまりんだ。
「勝手にうちのクラス覗かないでくれる? 迷惑なんですけど」
彼女はまりんと犬猿の仲な隣のクラスのボスだった。数人の取り巻きをつれてまりんをにらみつける。まりんもそれを受けて立つ。
「覗いてないし、あんたたちが転校生をいじめてないか見に来ただけだし」
「はあ? そんなことするわけないじゃん!」
ボスの子がいきり立つ。とはいえ、まりんが「転校生をいじめてないか」と切り出したのも根拠のない言いがかりではないのでまりんは強気な姿勢を崩さない。去年転校生だったはるこに彼女らが意地悪をしかけていたことを、この場にいるほとんどが覚えている。可憐なはるこが気の強そうなまりんの後ろに隠れる姿はギャラリーにその時の記憶を呼び覚ますのに十分だった。
ボスの子もこれは分が悪いと思ったのだろう、フンっと鼻を鳴らした。
険悪な雰囲気が気になったのかこぐがちらりとこっちを見た。そのすきに千秋は手を振り、口の端を吊り上げてみせた。「笑え」の合図のつもりだった。
しかしそれをボスの子が見とがめて突っかかる。
「あんた何ふざけてんの? こっちおちょくってんの?」
「そういうつもりじゃ……」
ボスの子の剣幕に引きながら、千秋はこぐを再度見やった。こぐはまた机の上をじっと見ている。
「あ、あのこぐ……こぐれさんはあたしの近所の家の子だから、友達だから、だから顔を見に来たの」
じりじりとボスの子の圧力においやられながら、千秋は正直に答えた。勝手に友達っていいっても大丈夫だったかな? 千秋は心配になってこぐの横顔を見る。心なしかより一層怒ったような顔になっていた。
ああやっぱり勝手に友達呼ばわりして気に障ったかなあ……?
「そうだったの? 千秋ちゃん」
「なんだ、そうだったんだ」
はることまりんが驚いたように言う。そういえば二人にはまだ説明していなかったのだった。
まりんがボスの子を突き飛ばし、つかつかと教室に入るとうつむくまりんの前に立つ。
「あのね、あたし隣のクラスのもんだけど、あいつらに意地悪されたら迷わずこっちに来なさいよ。千秋の友達ならあたしの友達なんだから!」
ギャラリーの視線がこっちに飛んでくるのと、反対にこぐがいよいようつむくのを見て千秋は穴があったら入りたくなった。
まりんは心からの正義感でやってるのはわかる。押しが強いし強引だが、まりんがいい子なのはわかってる(コンビニオーナーのおじさんがいい人なように)。ただしまりんのそのふるまいはあまりにも芝居的すぎた。
そしておそらくこぐは、こういうふるまいや空気が苦手な子だ。
ボスの子もそういう空気に過敏なタイプだ。はんっと鼻でわらう。
「なにそれ、だっさいドラマの見すぎなんじゃない?」
「はあ?」
「まりんちゃん、やめて」
ケンカになりそうなタイミングでおどおどとはるこがまりんに静止をかけた。それでまりんは怒りの矛を引っ込める。
天からの救いのように、チャイムが鳴った。子供たちは自分のクラスや席に急いで戻る。
「あんたらジャイアンの子分みたい」
すれ違いざまにボスの子が嫌味を言うのが聞こえたが、千秋は聞き流す。最後にこぐの横顔をじっと見てから、自分の教室に駆け戻った。
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