第4話 千秋 くまの子の正体を聞かされる。

 くまパーカーを着た不思議な少女、こぐ。

 

 あの子はまさか、使い物にならない田舎であるこの地区には存在しないとおもわれた妖怪やUMA的な存在だろうか……。


 いやまさか妖怪が有名ブランドのファンシー服は着ないよな……という冷静な声をおしのけてもついつい期待していしまったこぐの正体は、本人が去ってから十数分後、柿をもいで畑から戻ってきたおばあちゃんによってあっけなくバラされてしまった。


「今、タバコ屋のところの女の子が来たろ?」

「?」

「ほら、ぬいぐるみみたいな服着て……」

「あ、ああ。うん」


 去年代替わりしてコンビニに変わったというのに、この地区のある一定の年代より上の世代はコンビニオーナー一家を昔の商売にちなんで「タバコ屋」と呼ぶ。

 つまりこぐはタバコ屋、すなわちコンビニオーナーのところの子供だと至極あっさりばらされてしまった。


 なんだ~と、若干がっかりはしたがしかしすぐに新たな疑問は湧き上がる。

 

 コンビニオーナーのおじさんと千秋は顔なじみだが、あそこのおじさんのところにはまだ子供がいない筈だ。少し前まで時々レジの前に立っていたおじさんの奥さんは今は大きなお腹をかかえて近所を散歩しているのをよく見かける。

 オーナーのおじさんの子供じゃないとしたら、こぐは一体どこのだれの子供なんだ?


 その謎もおばあちゃんによってあっさりばらされた。


「あんたは知らないかね、マイちゃんの娘さんがあの子だよ」

「? マイちゃんて誰?」

「マイちゃんはタカちゃんの妹さん。……ああそうか、あんたはあったこと無いかあ。昔はよくうちでヒロコたちと一緒に遊んでたんだけどねえ。あの時は子供もたくさんいたねえ……」


 おばあちゃんは追憶モードに入ってしまった。とはいえ‶タカちゃん″がコンビニオーナーのおじさんをさすことはこの地域で暮らして十年になる千秋はちゃんとわかっている。



「よお、ミサコは元気か?」


 お使いでコンビニに行くと、草サッカーや草野球で冬でもこんがりやけているオーナーのおじさんが人懐っこく笑いながら対応してくれる。おじさんの名前はタカシである。おじさんとは言うがミサコおばさんと同い年だからまだ三十はいっていないはずだ。


「あれだろ? あいつなんか仕事で失敗してこじらせて帰って来たんだろ? たまには同窓会に顔見せろって言っといてくれよな」

 

 おじさんは基本的にいい人だが、ほかにお客さんがいても顔なじみの客にはこのようなざっくらばんな接客をする人である。そんな流れで、同級生のだれそれが結婚しただ地域の何々さんが離婚しただ子供がいくつになっただ、どこそこのじいさんばあさんが亡くなっただ、そういった個人情報を大きい声でぽろぽろと悪気なくこぼす人でもある。幼馴染であるミサコおばさんはそんなおじさんをとにかく「昔からデリカシーがない」「プライバシーという概念が理解できない」「距離ナシ」と言って毛嫌いしていた。

 よってコンビニに欲しいものがあるときは千秋にお金だけ渡してお使いにだす。その際にはニカニカ笑いながらいつもこう付け足すのだ。


「ったくよお、マンガぐらい自分で買いに来いよなあ。そう思うよな、ちあちゃんも」



「も~、あいつのああいうところ本当に大っ嫌い! ‶こじらせ″の使い方だってまちがってるし」


 千秋が買ってきた少年漫画雑誌を開きながら、ぶつくさぶつくさとミサコおばさんはよく文句垂れる。

 その口ぶりが「嫌い嫌いも好きのうち」などといったたわごとからほど遠い、本当に「嫌い」以上の何ものでもない厳しく険しいものなので、漫画なんかでよく見かける幼馴染の男女がなんとなく恋に落ちるというのは美しい嘘かもなあと千秋は思いを巡らせたものだった。


「だったら電子版を定期購読すれば?」

「雑誌は紙で読みたい派閥なの~」

「それにべつにタカちゃんの店で買わなくたって、あんたが別のコンビニで買えば済む話じゃない」

「雑誌買うために車出してちゃガソ代がもったいないし」

「節約をこころがけるならまず週刊のマンガ雑誌買うのやめたら? あんたいくつよ?」

「うるっさいなあもう、ヒロコ姉ちゃんは」


 ……この前の月曜日、千秋がおつかいに行った後に繰り広げられたお母さんとミサコおばさんの姉妹ゲンカまで、勢い余って思い出してしまった。



「タカシはあの通り距離ナシのバカだし、そもそもタバコ屋一族は大体みんなあんな感じだったからマイちゃんも居場所がなかったんだよ」

 

 こぐがやってきたその夜、ミサコおばさんはぷりぷり怒りながらその日の晩御飯だったフライをがつがつ食べていた。お母さんとお父さんはお仕事で遅くなるのでおばあちゃんとミサコおばさんと千秋が先に食卓を囲む。千秋の家ではよくある風景だ。


「だからマイちゃんもああするしかなかったんだ……」

「これミサコ、千秋がいるんだよ!」


 おばあちゃんがミサコおばさんを鋭くにらむ。おばあちゃんやお母さんには口答えするミサコおばさんも、その時だけは大人しく黙った。


 そのやり取りで、こぐのお母さんである〝マイちゃん″という人のことは千秋のような子供があまり深く詮索しない方がいいのだなと察した。

 詮索はしないが、「常識の範囲内」というやつにおさまることなら質問しても構わないだろうと判断し、こぐのことを知っていたおばあちゃんに尋ねてみた。


「そのマイちゃんって人、今どこにいるの? タバコ屋のおじさんちにいるの?」

「さあ……なんでもどこかの病院に入院してるって聞いたけどねえ」


 付け合わせの千切りキャベツをもっそもっそ食べるミサコおばさんの顔はとにかく渋い。


「入院? 病気なんだ。なんの?」

「さあ、ばあちゃんも詳しく聞かなかったからねえ」

「……他人のことはペッラペッラしゃべるくせに身内のことは伏せるんだな、タカシのやつ」


 ミサコあんたはまた! とばあちゃんは鋭く叱ったが、ミサコおばさんはそっぽをむいてテレビの方を向いた。


 その流れで、「こぐのお母さんである〝マイちゃん″は入院中」「なんの病気かは子供があまり詮索しない方がいいジャンルのもの」ということを察し、せっかく今日の晩御飯はおばあちゃん特性のおいしいフライなんだからこれ以上食卓の空気を微妙なものにすることはないなと判断し、千秋は質問をあっさり切り上げた。



 ミサコおばさんは、かつて千秋のひいおじいさんとひいおばあさんにあたる人が住んでいたという離れでくらしている(母さんに言わせると「勝手に居座っている」)。

 二間の和室と小さな炊事場があるこじんまりした離れで、ミサコおばさんが都会で暮らしていた時に使っていた家具を置き、本やCDを棚に並べ、ポップな雑貨でかわいらしく飾り付けられてあった。

 ミサコおばさんはパソコンの他に古い子供の本や雑誌、マンガなんかをたくさん持っていて面白いので、寝る前のリラックスタイムに千秋おばさんの離れをお邪魔することがよくある。


 その日の夜も千秋はミサコおばさんの離れを訪れた。手にはこぐが置いていった、かつてのミサコおばさんの本があった。


「うわっ、タバコ屋一族にこの本が……!」


 ミサコおばさんは嫌そうに顔をしかめた瞬間、古びた紙をめくりながらしんみりとした表情になる。


「でもマイちゃん、こんなの捨てずに持っていてくれたんだね……」

「ミサコちゃんはそのマイちゃんって人と仲良かったの?」

「まあね。あたしが千秋くらいのころに毎日よく遊んだんだよ。齢は一つ下だけど、兄貴とちがって大人しくて可愛くていい子だったから」


 ミサコおばさんの一つ下。新たな情報を得た千秋は素早く思考を巡らせた。

 こぐはどう見ても千秋と同い年かプラスマイナス一歳ぐらいに見えたので、小学五年~三年の間に挟まる年齢だろう。その年齢の子を持つお母さんが、まだ三十になっていないミサコおばさんやコンビニオーナーのおじさんより一つ年下であるとは? ちなみに千秋の母さんはミサコおばさんより六歳年上だ。


 千秋は友達の家で読んだ少女漫画の内容を思い出した。女子高生が担任の先生と内緒の結婚生活をおくるというものだ。その漫画の中盤で、ヒロインが「高校生にあるまじき行為をした」という理由で周囲からはげしく非難されるという、小学生の千秋にはなにがどうしてそうなるのかさっぱりわからないがとりあえず胸糞悪いエピソードがあったのだ。よってその漫画は千秋の中であまりいい印象が無いが、それなのに頭の中にすっと結び付けられてしまったのだ。


 ……やっぱりあまり詮索するべきではなさそうだな、と千秋は察する。


「あ、ひょっとしたら」


 何かを思い出した風なミサコおばさんが千秋に千秋書店の本が詰まったクッキー缶が今手元に無いか、千秋に尋ねる。残念ながら千秋の部屋に置いてある。


「あの中にマイちゃんの本が混ざってるかもって思ったんだけど。見てない?」

「うーんと……どうだっただろう?」


 ミサコ書店時代の本にも千秋のお気に入りとそうでないものがあり、後者はあまり印象に残っていなかった。しかし、そういえば何かしら「面白い!」「ムカつく!」といった感情を一直線にぶつけてくるミサコおばさんの本とは毛色の違う、ふんわりふにゃふにゃした印象の物が混ざっていたかも。なんじゃこりゃ? となって一度目を通したきりになっていたものが確かにあった。 


「なんかミサコちゃんぽくなさそうなのが一冊あったよ、そういえば」

「それが多分マイちゃんの。マイちゃんが一番本屋さんごっこに食いついてくれた子で、本も何冊か一緒に作ったんだ」


 

 部屋に戻った千秋はさっそくベッドの上でクッキー缶をひっくり返してみる。

 増えたといってもそこは薄い本の山なので、探しものはすぐ見つかった。


 タイトルは『そらのにんぎょ』というものだ。雲の上に浮かんでいるのか泳いでいるのかわからないが揺蕩っている人魚の女の子が小学生の女の子らしい絵柄で描かれている。勢い任せなミサコおばさんのそれとは明らかに違う、繊細な絵柄だ。


 ぱらりとめくってみると、見開きの左側に横書きの短い文章、右側に丁寧に書かれた人魚の女の子が配置されいている。絵本らしい。


 「そらの上ににんぎょの女の子がいました。」

 「にんぎょの女の子はくものくじらとおよぎます。」

 「にんぎょの女の子はそらをおよぎながらじべたの町をながめます。」

 「わたしもまちに行きたいな。にんぎょの女の子は思いました。」

 「けれどもにんぎょの女の子は町までふかくもぐれません。」

 「にんぎょの女の子はまだそらにいます。」

 


 本はそこで終わっていた。

 メルヘンだ、大晦日の夜に読み飛ばした時以来この本を開いた千秋は今度はしばらく考えた。童話だろうか、詩だろうか。


 なんにせよ、あのコンビニオーナーのおじさんと血がつながっている人物の手によるものとは思えない、こまやかな心の持ち主が手掛けた一冊であることは千秋にも理解はできた。


 空の上から地上の町を見下ろす目を持った女の子、マイちゃん。こぐのお母さん。



『そもそもタバコ屋一族は大体みんなあんな感じだったからマイちゃんも居場所がなかったんだよ』


 電気を消した部屋で天井を見上げながら、ミサコおばさんの言葉を千秋は思い出していた。

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