第3話 千秋 くまの子に出会う。

 どうせ一過性のブームだろうという大人たちの予測に反して、千秋の本づくりブームは続き、キンモクセイが香りだす時期になっても旺盛に本を作り続けている。

 

 やはりミサコおばさんの応援、もとより面白がりがあったので加速した面もあるのだろう。そんなミサコおばさんはミサコ書店の本が発見された大晦日の夕方に大量の大学ノートを燃やしていた。中高生時代に文章を書き綴っていたものらしい。


「これが発見されたらあたしは生きていけない」


 それがミサコおばさんの言葉であったが、その火でサツマイモを焼きながら千秋はちょっともったいないなと思っていた。中高生のミサコおばさんが何をかいていたいのか知りたかったのだ。


 

 そんなわけで千秋はミサコ書店二代目を襲名した。

 ミサコ書店はその場で千秋書店に屋号を変更された。どれも大人たちが面白がって勝手に言ってることなので千秋は非公認である。


 

 千秋書店が発行する本はその年のお盆に一気に増えた。


 例年通り、フミコおばさん一家が子供たち(千秋にとってはいとこにあたる)をつれて帰省したのである。フミコおばさんの子供たちは千秋より年下のやんちゃ坊主三人で大変やかましい。電子音がぎゃんぎゃん鳴る特撮ヒーローのおもちゃを持ってきて、座敷を駆け回る。とっくみあう。泣く。フミコおばさん叱る。男児の孫が可愛くて仕方ないらしいおばあちゃんが「まあまあ」とあやす。お盆休みの父さんが見ている高校野球の音が重なる……といった具合。普段の我が家の五倍は騒々しい中、千秋は黙々と本を作っていた。その日の前まで、お父さんの生まれた家で泊まった時の感想などをまとめたものだ。


 すると、小さないとこたちが、ちあちゃん何をやってるの? とわらわら寄ってくる。そのうち一人がマネしたくなったらしくおれもやりたい! と言い出す。幸い紙もあり、乱雑に使用されても惜しくない古い色鉛筆やクレヨンを貸し、好き放題にお絵かきをさせた。

 

 さっきまでやかましかった子供たちがちょっと大人しくなったのでのぞきにきたフミコおばさんが、「ちあちゃんまだ本屋さんやってたんだあ!」と驚く。

 

 フミコおばさんはもともと漫画を読んだり描いたりするのが好きだった人なので、子供たちがお絵かきをしているといてもたってもいられなくなったらしく、ちょっと貸してねなどといいながら子供たちの隣で漫画を描きだした。

 今テレビでやっているヒーロー番組を基にした漫画で、その絵は驚くほどうまかった。千秋の目にはプロ漫画家の描くものと遜色ないように見えた。テレビに出ている俳優さんよりフミコおばさんの描くキャラクターの方が数倍イケメンで可愛らしい。

 は~っと感心していると、いとこたちが「おれのかあさん絵がうまいんだぜ!」と自慢する。アニメのキャラクターをそっくりに描けるらしい。

 さらにへ~っと感心している所へ、おやつの用意ができたことを知らせにきた母さんが座敷を覗き、フミコおばさんが絵を描いているのをみて若干眉をひそめた。


「フミコ、千秋に変なもの見せないでよ!」

「見せるわけないじゃない。あたしだってそれくらいの分別はあるわよ」


 そんなわけで千秋書店の本に、フミコおばさんの描いた特撮ヒーローを主人公にした四コマ漫画と子供たちの落書きを綴じた一冊が加わった。


 人が何か楽しそうなことをやってると参加したくなるものらしい。

 

 長距離を運転してきて疲れたらしいフミコおばさんのだんなさんが昼寝から目を覚まし、子供たちの様子を見る。

 できたばかりのフミコおばさんと子供たちの本を手に取って、ぼそっと「……へえ」とつぶやく。

 フミコおばさんは千秋の家にくると実家の気安さからかとにかくペラペラよくしゃべるのだけど、旦那さんはちょっと人見知りなタチらしくあまりしゃべらない。お父さんがビールを進めて話をふってようやくしゃべりだすというタイプの人だ。メガネのレンズの奥の目もちょっと鋭くてとっつきにくい。なので千秋は少し苦手意識を持っていた。

 そんなおじさんが「借りていい?」と断ってから、紙を綴じ、持っていたボールペンでさらさらとなにかを書きだす。

 最初は冗談で書き始めたようなのに、いつの間にか興が乗ってきたらしく定規を使って線をひいたり、隅っこにイラストを描き始めたようでもある。


 出来上がったのはクイズとパズルの本だった。


 幾何学模様を描いて「一筆がきをするにはどこからはじめたらいいでしょうか」とか、数字の入ったマスを描いて「空いたマスに入る数字はなんでしょう?」とか、どことなく算数の匂いのする問題が几帳面に書かれている。隅っこには可愛い女の子の絵のイラストも添えられていてヒントを出している。こんな適当な本では申し訳ないくらいの高クオリティーだ。

「おじさん、すごいね」

 千秋が素直に感心しすると、心なしか普段とっつき悪いおじさんが照れたように感じられた。


 いつもうちにくると時間を持て余している風だったおじさんも興がのったのか、パズルの本を何冊も作った。いくつかは自分の子供たちにあげるのでということで持って帰ったが、千秋の手元には最初の一冊とクイズの本に登場した可愛い女の子が出てくるイラスト集をのこしてくれた(フミコおばさんもおじさんもこんなに絵がうまいのになんで漫画家にならなかったのだろうと千秋は不思議に思った)。


 子供が一人で遊んでいるだけなら気にも留めないが、いい大人が何か遊びに興じているとやってみたくなるものらしく、千秋の母さんと父さんも本を作り出した。

 千秋の母さんの本は『生活の決まり』と題し「夜はおそくても十時までに寝ること」「宿題はかならずること」などの決まり事を記したルール本で、父さんの本は自分の好きな野球選手の絵を描いたものだった。母さんの本は面白くなかったが、父さんの絵は壊滅的で大人たちからは画伯画伯とウケにウケていた。愛想のないフミコおばさんの旦那さんですら「お義兄にいさんこれやばいっすよ」といって笑うほどだった。

 千秋もそれをみておなかが痛くなるくらい笑ったが、自分の絵が「独特のタッチ」と称されるのは父さんの遺伝子のせいかしらと多少いぶかしみもする。



 初代ミサコ書店の本、千秋が作り続けてきた本、大人たちが作った本、千秋書店には数々の本があった。充実の品ぞろえでクッキーの缶いっぱいになりつつある十月の頭である。


 

 その日の午後は友達との約束もなく、縁側で折り畳みテーブルを置き、そのうえで執筆と製本にいそしみながら千秋は千秋書店を開いていた。


 縁側にまずミカン箱を置く。ミサコおばさんがどこからか見つけてきたギンガムチェックの可愛い布を広げる。表紙が見えるように本を並べる……それが千秋書店の開店風景である。

 

 いつもなら暇を持て余したミサコおばさんが「やっぱニャー太シリーズは平台に並べないとね」「ニャー太のためにいい棚つくらないと」などといいながらレイアウトをし、さらに暇なら「話題沸騰! 千秋先生の大傑作」とかなんとか適当なことを書いたポップを作って飾り、ついで写真をとって自分のSNSに投稿する(ミサコおばさんの友達はこれを見てどうするのだろうと千秋はやや冷静に思う)。

 いっそう暇ならぬいぐるみを持ってきて、本を買っていくお客さんを演じて見せる。そんなことをしているとお祖母ちゃんかお母さんから「あんたは遊ぶときだけ一生懸命になるんだから」などといったお小言が入る……というところまでがルーティンにくみこまれているのだが、そのミサコおばさんはその日不在だった。用事でお昼過ぎに隣の市へ出かけたらしい。

  


 今日は何が何でも本屋さんをしたい気分だったので友達と遊ぶのも断った千秋は、家に帰ってもミサコおばさんがいないのをやや残念に思いながら自分で縁側に店を開いた。

 

 千秋の本屋さん風景をほほえましそうに眺めるおばあちゃんが畑の方へ歩いていくのを見送り、千秋は執筆にいそしむ。


 すると、ざっざっ、と砂利を踏みしめる足音が聞こえてきたのだった。お祖母ちゃんかなと思った千秋は色鉛筆を動かす手を止めて足音が聞こえた方を見やった。


 知らない子供がそこにいた。


 茶色い、ぬいぐるみのようなもこもこのパーカーを目深にかぶっているせいで顔の上半分が見えない。パーカーには本物のぬいぐるみのようにクマの耳と目鼻が取り付けられている。おしゃれに敏感な友達がもっていたローティーン向けファッション誌に載っていたものとよく似ていることに気が付いたが、今着るにはちょっと暑いんじゃないかなっていうことが千秋には気になった。


 下半身がデニムのスカートであることから女の子であろうと判断したくまパーカーの見知らぬ子に、やや間をおいてから千秋は尋ねた。


「えっと……誰?」

 ひょっとしたらクラスの誰かが遊びに来たのかと思ったのだ。しかしこんな雰囲気な子はクラスにも学年にもいなかった。


「うちに何か用?」


「……こぐ」

「え?」

「わたしの名前」

「え、ああ。こぐね、こぐ。あ、‶やまのこぐちゃん″か。そっか、なるほど」


 もう何年も読んでいない童話の本のエピソードが瞬時に浮かぶ。

 初めて会う子とすらすら会話するのって初めてだなあと自分で驚きながら、千秋はこぐと名乗った子供に重ねて尋ねた。


「『いやいやえん』好きなの?」

 こぐは黙って立っている。

「わたし、幼稚園の時に読んだよ。あれ怖いよね、初めて読んだ時なんてこわくてびっくりしたけど。『そらいろのたね』も怖いよね。でもあっちは好きだな」


 こぐは無言だった。

 

 なかわがりえこ・おおむら(現やまわき)ゆりこファンなのかと予測して振ってみた『そらいろのたね』もスルーされた。メジャーどころの『ぐりとぐら』を振るべきだったか。

 ひょっとしたら『いやいやえん』を怖いといったのがディスりだと受け取られたのかと思い、千秋は慌ててフォローした。


「ごめんね、『いやいやえん』のこぐちゃんが出てくる話は好きだよ。しげるくんとお弁当のおかずを交換するんだよね。いいよね、あたしもあんな可愛い友達がいたらいいなってちょっと夢見たよ」


 こぐはかわらず無言だった。

 

 どうしよう、千秋は困ってしまった。くまパーカーのしゃべらない女の子とこれ以上どうやって時間をつぶせばいいのだろう。


 そろそろ不安に思い始めた頃、こぐはゆっくり歩いてこちらに近づいてくる。とりあえず待ちかまえていると、こぐは手に提げていた赤い手提げから一冊の本を取り出した。

 本といっても市販の立派な本ではない。落書き帳らしい白い紙を折りホッチキスで綴じた、千秋が作っているタイプの本だ。

 しかしこぐの持ってきた本は端っこが茶ばんで、ホッチキスがすっかりサビていた。かなり劣化している。それでこれはミサコおばさんが作った本だなとピンときた。


「これの続き、無い?」


 小さい声でこぐが尋ねた。

 千秋はこぐから本を受け取り、ぱらぱらとめくる。それはシンデレラらしき娘が醜悪に描かれた継母と姉たちに執拗にいじめられている内容だった。巻末を見ると「続く」と記されている。


 なんと、千秋の創作意欲に火をつけたあのシンデレラのリベンジ譚は前後編の後編だったのか! 驚きながらも千秋はクッキー缶を開き、その本を手渡す。


「……借りてもいい?」

 千秋が頷くと、こぐはすこし嬉しそうに唇の端を上にあげた。笑っているらしい。

 そのほか、布を敷いたミカン箱の上に並べた本を眺める。そしてニャー太シリーズの一巻目を手に取った。


「これ描いたの、あんた?」

「そうだよ」

「シンデレラのは?」

「それは私のおばさん。今は用事で出てる。子供の時に描いたんだって」

「へえ……」


 どうもこぐは口数が少ないタチらしく、最小限の言葉で会話をすませようとする。千秋はそれに戸惑うが「このネコのも借りていい?」と訊かれて「いいよ」と答えていた。


 まさか本当に千秋書店にお客さんがくるとは……。しかもなんだか得体のしれない女の子が。


 しみじみおどろく千秋の前でこぐは手提げに二冊の本をしまう。


「読んだらまた来るから」


 こぐはそっけなくそう言って、庭の砂利をふみしめながら歩き去った。

 

 千秋はそれを見送りながら、そういえば山から町の保育園にやってきた熊の子のこぐちゃんはバッグのかわりに赤いばけつをさげてたんだっけな、とそんなことを思い出していた。

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