第2話 千秋 執筆・製本する。

 千秋には趣味がある。本づくりだ。


 といっても本格的なものではない。用意するのは適当な紙(学校から配られるプリント類、百均のらくがき帳などでよい)、文章や絵を描くためのペンや鉛筆、色鉛筆。ホッチキス、マスキングテープだ。


 白い方が表になるようにして紙を半分に折る。それを何枚か用意する。になっていない方をホッチキスで止める。そこを可愛いマスキングテープをはって背表紙にする。

 出来上がった簡素な冊子に思い思いの絵を描いたり文章を書く。終わり。


 自分で本らしきものを作れる楽しさと嬉しさを優先しているので、書いているものは全く大したものではない。

 自分で作りだした猫のキャラクター・ニャー太が干支に選ばれた動物たちに血みどろの復讐をするというナンセンスなバイオレンス漫画(最初はニャー太を主人公にしたギャグマンガをかくつもりだったのにいつの間にかこうなっていた。これを読んだお母さんは「何か悩み事があるのか」と本気で心配したらしい。時に子供は無意味に残酷になることを大人はわすれてしまうようだ)と、動物やお姫様を主人公にしたちょっとした童話などである。用具は主に鉛筆と色鉛筆なので仕上がりはあまりきれいではない。でもいいのである。楽しければ。


 おばさんは千秋の作る本を楽しみにしている。特にニャー太ものがお気に入りで、毎回出来上がるとと見せて見せてと真っ先に読みに来る。そしてゲラゲラ笑う。


 おばさんの応援あって、ニャー太ものは自分を陥れた仇敵の悪辣なネズミ・チュー助を追うという長編エピソードにまで発展していた。

 チュー助は自分が生き延びる為にには自分と同じ干支仲間を平気で利用し、陥れる巨悪である。ニャー太はそのような悪のネズミを亡き者にせんと刃物や銃器、爆弾などを用いて毎回伏線も何もあったもんじゃないムチャクチャな作戦を繰り出す。しかし必ず返り討ちに遭い、ニャー太はむごい目に遭う。しかしニャー太は死なない。血だるまになっても頭がちぎれても骨だけになっても絶対に死なない。不死身だからだ。


 そのような千秋の子供ならではなテンションと思い付きだけで進む無軌道な物語がミサコおばさんの心のツボを刺激するらしく、新作が出来上がると一通り目を通した後「千秋先生最高っすよ」とかなんとかたたえながら、自分のSNSにアップしたりする。「姪っ子の描いた漫画」なんてハッシュタグをつけて。


「ちょっと、千秋の個人情報が洩れるようなことはやめてよね」

 千秋の母さんであるヒロコさんはその現場を見かけると毎回注意するが、おばさんはいつもうるさそうにする。

「言われなくても気を付けてるし~。千秋もいいって言ってるし~」

「まああんたのフォロワー数じゃ仲間内で閲覧されて終わるだけだろうけど、万が一ってことがあるんだから」

「……フォロワー数=戦闘力じゃないしい~」

 というおばさんが若干傷ついた風な口ぶりになるのを千秋は見ないふりをする。


 実際、千秋の描いたニャー太の物語は独特のテンションと画力故にキャッチ―さに欠け読者を選び、バズりもせずミサコおばさんの仲間内でほほえましく閲覧されているだけのようだった。千秋も別にそれでいいと思っている。


 ……いや本当はもうちょっと「面白いね!」って言ってもらえれば嬉しいけれど、わら半紙や落書き帳に描いた落書き漫画でそこまで多くを求めてはいけないだろう。その辺は「この面白さが分からないなんて……」と悔しがるおばさんより千秋の方が冷静だった。

「バズりたいなら姪っ子の力じゃなく自分の力でバズりなさいよね」

「もう、うっさいなあヒロコ姉ちゃんはっ」


 母さんにいなされるとミサコおばさんはいつも子供のようなふくれっ面になる。




 千秋が本づくりに目覚めたのもミサコおばさんがきっかけだった。


「ちょっと、こんなの見つけたのよ!」


 去年の暮れの大掃除の時におばあちゃんが押し入れから見つけたのは、贈答用のクッキーが入っていたであろう缶だった。興奮ぎみなおばあちゃんの様子にわらわらと家族が集い、缶を囲む。その瞬間、げえっ! と真っ先にうめき声をあげたのがミサコおばさんだった。


「なんでこんなもん取ってるのよ、処分しなさいよっ!」

 おばさんが缶を奪い返すより素早く、みんなが缶の中の紙の束に手を伸ばす。そのどれもがやっぱり落書き帳はチラシを折ってホッチキスで止めた簡素な冊子で、そのどれもに女の子の絵や文章がが書かれている。


 それを読んだ千秋の母さんや父さん、年末に帰省していた千秋のもう一人のおばさんにあたるフミコちゃんやその旦那さんが、クスクスわらったりぶっと噴き出したりした。

 千秋も一冊手に取ってみると、ドレスをきたお姫様らしいキャラクターがおもいっきり不細工にかかれた女の子をいじめ回している絵が飛び込んできた。

 となりのページにはひらがなで、いままでいじめられていたシンデレラが意地悪な継母や姉たちに復讐している旨がたどたどしくつづられていた。


「やだ、懐かしい~。これ‶ミサコ書店″の本じゃん」

 ミサコおばさんのお姉ちゃんで千秋の母さんであるヒロコさんの妹であるフミコおばさんが笑いながら言った(つまり千秋のお母さんたちは上からヒロコ・フミコ・ミサコの三姉妹ということになる)。


「ミサコ書店って?」

 こういう時に活躍するのが、千秋の父さんだ。父さんはとりあえず場の空気を膨らませるのが上手い。父さんの誘い水に、笑いながら説明する。


「みいちゃん、小学生くらいの時にこうやって本作るのにハマってたの。それで近所の子たちと本屋さんごっこして遊んでたんだよね。それを誰かがミサコ書店って言いだして」

「お父さんじゃなかったっけ?」

「そうそうお父さんお父さん」

 フミコおばさんの言葉に母さんまで参加する。

「じゃあ、これとってたのお父さんかな?」

「へー、父さんにしてはなんだか可愛いことしてたんだね」


 母さんたち三姉妹のお父さん、千秋にとってお祖父さんにあたる人のことに関する記憶が千秋にはない。生まれてから数年は一緒に暮らしたそうだが、急な病気で世を去ったのだという。姉妹の話しぶりから、仕事が忙しくて子供たちにあまり構わなかった人だという印象を抱いていたが、それなりに慕われる程度にはよきお父さんだったみたいだ。


「へー、あのお父さんがねえ……」

 千秋の父さんも感慨深そうに手元の本をめくった。

「お父さんってどんな方だったんですか?」

 千秋の祖父の他界後にフミコちゃんと結婚した旦那さんは興味深そうに父さんに尋ねた。

「うーん、無口でいかにも本が好きそうな人だなって感じだったけど……」

「やっぱり怖い人だったんですか?」

「ちょっととっつきにくくはあったけど怖くはなかったなあ」

「あの人、小説を書きたいなんて夢があったみたいだからねえ、ミサコが自分の夢を継いでくれると思って嬉しかったんじゃないかねえ、ああ見えて」


 大人たちがにぎやかに故人を偲びだす中、自分の過去をほじくり返されたミサコおばさんは怒って各々の手から本を奪い返し、缶の中に突っ込んで蓋をしめた。


「こんなもん後でゴミと一緒に燃やしてやるっ!」

 

 腹を立てたミサコおばさんは、歳の暮れ、そして畑や田んぼの片隅でゴミを燃やしても黙認される田舎の住人らしい発言をする。ミサコおばさんはその流れで回収し忘れた千秋の中の一冊を奪い返そうとしたが、千秋はそれに抗った。


「千秋、返して。それ捨てるんだから」

「やだ。もうちょっと読ませて。ミサコちゃんこれ面白いよ。燃やすなら私にちょうだい」


 大人たちが亡きおじいちゃんに関する思い出話に花を咲かせていた時、千秋は小学生時代のミサコが作ったシンデレラのリベンジ譚に魅せられていた。王子様と結婚したあとのシンデレラは自分をかつて責めさいなんだ継母とその娘たちへの恨みを晴らしまくっていた。そこに慈悲の心は一切なくただ「悪は絶対許すまじ」「恨み晴らさでおくべきか」という感情のみがまっすぐに描きつけられていた。

 常々いじめをテーマにした物語ではいじめられっこ側が「いつまでも過去にこだわっているのはよくない。前向きに生きよう」と勝手に自己完結してしまい悪逆非道な行いを積み重ねてきたいじめっ子たちの罪がなんとなく放免される展開に不満をもっていた千秋に、その物語はフィットしたのである。


 面白い、はミサコおばさんの怒りを少しは鎮めたらしい。

「ねえ、他のも読ませて」

 千秋がまっすぐにねだると、まんざらでもない表情でミサコおばさんは中身の詰まった缶を「まあ千秋にだけね、千秋にだけ」ともったいつけながら譲渡したのだった。


 大人たちがカニ鍋をつつきながら暮れの大型歌番組を鑑賞しつつあれやこれやと話に花を咲かせている時、千秋は自分の部屋でミサコ書店の出版物を順繰りに手を取って読んでいた。

 

 漫画に出てきた嫌いなキャラクターを苛め抜くもの、しょうもない下ネタを連呼するもの、アニメのキャラクターをクロスオーバーさせたもの、子供のミサコが描いたり書いたりした物語は当たり前だが大抵くだらなくて完成度は著しく低かった。殺人事件を解決するミステリーものなのに、殺人事件が起きる前に本が終わるなんてものまであった。

 でもそのくだらなくて未完成な部分に千秋は引き付けられた。今まで読んできたものにこんなに面白くて千秋の心に訴えかけるものはなかった。


 と同時に、本がこうやって自分で作れるということにも衝撃を受けていた。

 ミサコ書店の出版物はたしかに見てくれは非常に悪い。本屋で売っている普通のほんと比べるまでもない貧相さだ。

 だが、子供の頃のミサコおばさんはそんなことしったことかとばかりに自分の考えた物語をぶつけまくっていた。


 そのことに今まで無いような感銘を受けた千秋は、興奮で眠れなくなり、人生で初めて除夜の鐘を聴いた。


 

 元旦から年始の挨拶もそこそこに、千秋は製本作業にいそしんだ。

 

 まず最初に描いたのは猫が自分は干支に選ばれなかったことを嘆くのをほかの動物たちが慰めるほんわかした物語絵本だった。これが干支に選ばれなかったコンプレックスを昇華できない猫のニャー太の原型となり後に大河復讐劇の主役を務めることになるのだが、その場にそのことを予言できるものは一人もいなかった。本人ですらそうだった。


 大人たちは千秋の行動を正月特有のめでたくゆるんだ空気の中でほほえましく眺めていた模様。

「ミサコ書店二代目誕生おめでとう~」

 

 なんてからかわれたミサコおばさんだけは仏頂面だったが、それでも本をつくる姪っ子を見る目はやっぱりどこか嬉しそうだった。

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