勇者の日帰り

狼二世

少年と少女

 ざく、ざく、と土が剥がれている。

 硬い靴が大地を踏み荒らす音が響く。

 人里から離れた山奥。灯りもなければ人の通る道すらない山林を、迷彩服の男たちが走っていた。

 手には物々しい自動小銃。生い茂る木々の天井から差し込む月明かりが僅かに照らし、無機質なその姿を夜の闇に溶かしている。

「――見つけたか」

「いえ――」

 しきりに周囲を確認しながら、男たちは走る。

「子供二人だ、遠くには逃げられない――」

「だが、厄介だ。闇夜にまぎれて――」

「まったく、日本なんて辺鄙な所なら、こんな夜間行軍なんてないと思ってたんだけどな」

「仕方ないさ、あとで酒でも飲もう」

 十、二十、百ほどの足音が通り過ぎた。

 やがて数は少なくなり、とうとう人影もなくなる。

 そうして男たちが山中に散り、靴の音が夜の闇に消えた頃のこと。

「もう、大丈夫だよ」

 木々の枝が、微かに揺れた。

「――うん」

 茂みに何かが落ちる。

 二つの小さな人影が、木の上から降りてきたのだ。

「大丈夫?」

 月明かりに照らされて、影が輪郭を取り戻す。

 一つは、黒髪の少年。色気のないトゲトゲの自己主張をした髪に、活発そうな瞳をしていた。

「うん――」

 少年の隣に立つのは、人形めいた整った顔の少女。長い、金色の髪が月明かりに揺れている。

「大丈夫、怪我はない?」

 少女の白いワンピースについた泥を払うと、少年は少女を背負う。

「木登りは初めてだったんだよね」

「はい。でも、貴方が運んでくれたから、大丈夫でした」

「だったらよかった」

 だったら、と確認すると、少年は少女を背負って駆け出した。

「父さんたちからは、山の中を走っちゃダメだって言われてるけど、今日は特別だ」

 夜の山道を苦にせずに少年は疾走する。

 息一つ乱さず、鹿か猪のように山肌を突き抜けていく。

 大人ですら躊躇する行為である。だが、少年は臆することもなく、走り続ける。

「すごい……」

「言っただろ、ボクはスゴイんだって」

「はい。先ほど、木の上に飛び乗った時も凄いと思いましたが……」

 少年は、少女を抱きかかえると、跳躍して枝の上に飛び乗ったのだ。

 それも、一メートルや二メールとではない。大人ですら登れない高さの樹にだ。

 まだ、中学生にもなっていないような小柄な少年であったが、異常な身体能力を持っていた。

 自分と同じくらいの少女を背負い、大人すら躊躇する山道を走り抜ける。

 目の前の枝や茂みを、まるで無いかのように踏み越えていく。

 そして、なにより思い切りが良い。


 やがて、少年の行き先が開けた。

「わっと」

 数歩先には谷。それを確認すると、少年は慌てて止まる。

 谷は数メートルの幅があり、底は暗闇で良く見えない。ちょうど、谷間を挟んで森が開けている。

 空が見えた。星と月が山林を照らし、獣たちの遠吠えと、大地を踏みしめる靴の音が山に響く。

「……はあ」

 空を見上げ、少女は感嘆の声を漏らす。

「空なんて、お屋敷でも見れたでしょ」

「でも、貴方とは見れなかったから」

 少年の頬が、僅かに紅潮していた。

「ちょっと、捕まっててね」

 照れ隠しで速度を上げると、跳躍して谷を飛び越える。少年にとっては、それは苦もない行為だ。

 音もなく着地をすると、また夜の森へと駆け込む――筈だった。


 木の後ろ。闇の中から、大きな影が姿を見せた。

「あっ――」

 気がつくよりも早く、少年の顔が何者かに殴り飛ばされる。

「あうっ」

 鈍い音がして、衝撃が走る。

 少女は少年の背から落ち、少年は後ろに大きく吹き飛んだ。

「手間をかけさせてくれたな」

 苛立つような声が聞こえてきた。

 物語の悪魔に声があるのなら、まちがいなくソレであろう。

 だが、姿を見せたのは悪魔ではない。迷彩服に身を包んだ男だった。それが、一人、また一人と姿を見せる。

「まったく、『花園』から『四号』を持ち出すなんて、厄介なことをしてくれたな」

 男の一人が、ボールのように少年の腹を蹴り上げる。

 乱暴に宙に投げ出された少年は、不自然な姿勢で地面に落ちた。

 悲鳴すらない。苦しそうに上下する背中が、辛うじて生存を告げていた。

「さあ、返りましょう、お嬢様」

「後の始末は、お任せを」

「まって! まってください!」

 泣き叫ぶ少女を乱暴に持ち上げると、男の一人はさっさと歩き出した。

 必死に手を振り回すが、少女に大人の男に対抗する力はない。

「――ま――て」

 背後からは、消え入りそうな少年の声。そして、鈍い打撃音と下種たちの嗤い声。

「待って! 待って!! あの子はまだ頑張ってる!」

 けれど、その声もじきに遠くなる。

 目を閉じ、涙を流した。

 僅かに差し込む月明かりは絶望を表情を浮かびあげ、そして闇がそれを飲み込む。


 やがて、少女は絶望に飲まれ、振り返る事すらしなくなった。

 だから、少女は気付かなかった。

 最後の最後、眩い光と共に聞こえた少年の声に。


「――また、絶対に来るから」


◆◆◆


 一人の少女が居た。

 華奢な女の子だ。金色の長い髪に、雪のような白い肌をしている。整った容姿はまるで人形のようで、長いまつ毛が可愛らしい。

 物語のお姫様が居るのなら、このような子どもだろう。


 少女は、生まれた時から一人だった。

 周囲を囲む大人たちはまるで機械のように世話をするだけ。話しかけても何も返さない。

 高いレンガの壁で囲まれた世界の中で、少女は一人、花と鳥だけを相手に生きていた。


 都会で語られる噂話――所謂、都市伝説の一つ。

 日本の僻地。山と森しかない大地に、とある大富豪が建てた美麗な館があると言う。

 御伽噺の城と見間違うような美麗な館。空を望む庭園には四期の華が咲きほこり、汚れなき美麗な少女が一人、過ごしているという。

 人が聞けば、所詮は適当な話だろうと一笑するだけだろう。

 だが、それは実在した。

 少女は、そこで一人で生きていた。


 けれど、それでいいとも思っていた。

 噴水を中央に広がる庭園にはキレイな花々。時々新しくやってきた鳥が、少女の友達になってくれる。

 山々は四季の景色を見せてくれるし、機械たいな人たちも、少女に危害は加えない。


 そのまま、少女は生きていくはずだった。そして、死ぬはずだった。


 ――あの日までは。


「キミは、誰?」


 一人の少年が、少女の前に現れた日から。

 最初は、どうしていいか分からなかった。初めてあった日は、彼が夕闇と一緒に帰るまで、何も言えなかったくらいだ。


「また来たよ」


 けれど、少年は何度も少女の元へと訪れた。

 そして、飽きもせずに少女に話を聞かせると、決まって帰る時にこう言う。


「次は、キミの話を知りたいな」


 そう言うと、軽く跳躍してレンガの壁を飛び越える。大人でも出来ない跳躍であるが、少女にはそれが普通だと思っていた。


「――次は、どんなお話をしてくれるの?」

 少女が心を開くのに、そう長い時間はかからなかった。


 都会で語られる噂話――所謂、都市伝説の一つ。

 山間の館の噂には、続きがある。


 館の回廊には、何枚もの肖像画が飾られている。

 飾られた肖像画には、皆、人形のように椅子に座った少女の姿が描かれているそうだ。

 八歳、九歳。少しずつ成長していく様が、一枚一枚、記録されている。


 しかし、ある年を境に少女は入れ替わる。

 最も美しい姿。それを記録したのち、劣化する前に『作品』は入れ替わる。


 あるところに、一人の富豪が居た。

 この世界に存在するありとあらゆる贅を愉しみ尽くしたソレは、ある日一つの娯楽を思いつく。


 ――世界で一番美しい作品を作ろう。


 金の強さと人の汚さを知る富豪は、汚れなき純粋さこそもっとも美しいと考えた。

 世間から隔離された山奥の洋館に、美しい娘を囲い、無垢なまま育てる。

 そうして、美しいまま死なせる。


「――逃げよう」

 それを少年が知り、少女を外の世界へと連れだすまで、そう時間はかからなかった。

 

 夜の闇に紛れて、山道を駆ける。

 けれど、富豪は備えもしていた。私兵集団を雇い入れており、少年たちはすぐさま追い詰められた。


 それが、月夜の出来事。

 少年の無垢な正義は、あっさりと敗れ去ったのだ。


 けれど、月日は無常に流れる。


◆◆◆


 月夜の別れから、三度目の夏。

 夕闇の山の中、少女が走っていた。

 金色の髪が夕陽を反射して輝く。けれど、その美しさとは対照的に顔は必死の形相に歪み、着ているドレスは泥で汚れ、あちことが擦り切れている。


 美しさの限界――女が殺される日は、もう近かった。

 独り、女は死ぬ。

 かつて女を助けるために戦った少年の願いの甲斐なく、女は死ぬ筈だった。


 ――なら、せめて足掻いてから死のう。


 あの日、少年は少女を生かすために戦った。

 それは失敗した。だけど、少女の胸に生きるための希望を宿すのには十分であった。

 そうでなければ、あの少年が浮かばれない。

 少年が命をかけたのなら、自分も戦わなければならい。


「――なあ、楽しいだろ」

 少年は、いつも無垢な瞳で外の世界のことを語った。

 館の中の事しか知らない少女は、上手く答えることが出来ない。返事をするのもためらった時がある。

「どうしたの?」

「変な事言ってしまわないか」

「大丈夫だって!」

 少年は、いつだって少女の返事を嬉しそうに聞いていてくれた。

 それまで、ただ生きていた少女は、一日が楽しくて仕方なくなったのだ。

 

 自分に楽しみを与えて、生きている実感を与えてくれた。

 そして、自分のために命をかけてくれた。

 それを、無駄にしたくない。


 非力な足掻きと分かっていながらも、少女は戦う事を決めたのだ。

 屋敷の人々の目をかいくぐり、レンガの壁に穴を開けようとした。それはすぐに気付かれた。

 地面を掘ろうとしたが、それも無意味だった。

 結局、選んだのはレンガの壁を上る事。幸いにして、富豪の趣味により、景観を損ねる鉄条網などは配置されていない。

 密かに身体を鍛え、女にとっては断崖絶壁である壁を上る。


「本当に――あの方は強かったのですね」

 颯爽と壁や谷を乗り越えていた少年を思い出す。

 改めて、少年の強さを少女は知った。


 そうして、なんとか屋敷から抜け出したものの、すぐにそれは相手に知られることになる。

 山を切り裂く警報音と共に、物々しい気配が山を包む。そして、迷彩服に包まれた追手が少女を追跡し始めた。


 そして今、少女の数歩後ろから硬い靴が大地を削る音がする。それも、一つや二つではない。


「……4、5……」

 ちらりと確認すると、それだけは居た。

 そして、少女との距離は、急速に縮まっている。

「捕まえたぞ!」

 瞬く間に、肩を掴まれた。

「――っ」

 必死に振りほどこうと腕を振るが、そんなものは屈強な男たちには何の意味もなさない。すぐに数人の男たちに囲まれてしまう。

「さあ、屋敷に戻りましょう」

「傷つけるなよ。傷つけたら、クライアントが文句を言う」

「ホント、割れ物注意の宅配便ってな」

 男たちの下品な声が聞こえた。

 人間としてではなく、『作品』として少女を扱っている。

「たす――けて」

 助けを求めた。消え入りそうな小さな声を出した。

 それは、男たちにも聞こえない、意味のない言葉だ。


 その筈だった――


 茜色の空に、銀色の閃光が奔った。

「がっ」

 女を拘束していた男が吹き飛ぶ、地面に倒れ伏す。

 その横に、銀色の何か――金属製の鞘に入ったままの西洋剣が突き刺さった。

「誰だっ!」

 女の拘束を解き、男たちが警戒姿勢を取った。


 その視線の先――夕陽を背に、一人の男が立っていた。

 青いサーコートに汚れた靴。異装を身に纏った――ツンツンした黒い髪の男が立っている。

「あっ――」

 女は、その姿に見覚えがあった。

 いや、忘れるわけがなかっのだ。

「――っ」

 少女の姿を認めると、男は微笑んだようだった。そのまま、一歩、足を進める。

「とまれっ!」

 男たちが、腰に差した警棒を抜いた。

「叩きのめされたくないなら、とまれっ!!」

 警戒とは名ばかりの怒号を浴びせる。けれど、サーコートの男は足を止めない。

 早めるでもなく、遅くするのでもなく、ただ確実に足を進める。

 油断ではない、余裕。そして、確信に満ちた足取りで近づいてくる。

「警告はした、仕方ない!」

「お嬢様を巻き込むなよ」

 一斉に、男たちが襲い掛かる。

 その瞬間、サーコートが揺れ、男の姿が消えた。

「なっ……」

 取り囲む迷彩服が困惑していると、涼し気な声が響いた。

「ここだ」

 男が一人、呆けた顔のまま吹き飛んだ。

 男が立っていた場所。何時の間にか回収したのか、鞘ごと西洋剣を持ったサーコートの男が立っている。

「なっ――」

 声を出すより先に、金属音が響いた。

 銀色が二閃奔る。その度、男が吹き飛ぶ。

 木の葉を散らすかのように、巨体が宙を舞い、木にぶつかって地面を舐める。

 たちまちに倒れ伏したのは三人。残っているのは二人だけ。どちらが優勢であるかなど、見るまでもなかい。

「ひっ、ひい――」

 一人が、怯え叫び、背を向ける。

「逃がさない」

 サーコートが揺れる。まるで、残像のようだった。

 跳躍をすると、逃げようとした男の前に立つ。

「あがっ」

 剣を振るまでもなかった。拳を叩きつけられると、男は容易く昏倒した。

「……お、お前は」

「あの日、キミたちに倒された少年だよ」

 音もなく距離を詰めると、鳩尾に柄を突き刺す。それで、男は意識を失った。


 どさり、と男が倒れる男がした。


「……お待たせしました、お姫様」

 サーコートの男――少年は、あの日と変わらぬ笑顔を少女に向ける。

「どこに行っていたんですか」

 ようやく、少女は安堵に表情を緩めた。

「ちょっと、勇者になってきました」

「ふふっ……おかえなさい」


 言いたいことは沢山あるのに、言葉が出ない。あの日の少年が、あの日の少女の前に立っていた。それだけで、少女は嬉しかった。


「さあ、行きましょう。あの日の約束を果たすために」

「ええ――」

 少年の手を取り、少女は立ち上がる。そして、山道を歩き始める。

「あの、こんな時に変な事を言うと思いますが――お話を、しませんか?」

「ええ、いいでしょう。俺も、話したいことは沢山あります」

 夕暮れの山道を、二人行く。あの日からの空白を埋めるかのように、物語を語り始めた。


「実は――俺の一族は、異世界の勇者だったんです」


 少年の家族は、かつて異世界で邪神を打倒した一族だと言う。

 平和な世界において、突出した力を持つ人間は不要である。そう言った先祖は、必要になるまで世界を離れる決意をした。


「あの日――俺は異世界に呼ばれました」


 あの夜、大人たちの手によって少年は命を落とす筈だった。

 だが、異世界の神は勇者の力を必要としていた。

 血を絶やさないセキュリティなのか、危機的状況に陥った彼は、自動的に異世界に転送さえたと言う。


「その後も、大変でしたよ。邪神は居なかったけど、魔王は居たし」


 どうにも、呼び出された先の世界も危機の瀬戸際で、勇者を呼び出すか揉めていたらしい。

 ならば、と、正式に勇者として仕立て上げられ、少年は世界を駆けずり回って魔王を倒すために戦い続けた。と言う。


「そうなんですのね」

 少女は、少年の言葉を容易く信じた。

「疑わないんですね」

「当り前ですわ。その銀の刃が、何よりの印」

 少年が背負う銀色の刃を指さす。

 神秘的な模様の柄に、重々しい銀色の金属で出来た鞘。そして、それでもなお溢れる神々しい剣だった。


◆◆◆


 話を続けているうちに、すっかりと夜になっていた。

「少し、急ぎましょう」

 そう言うと、少年は少女を抱きかかえる。

「へっ」

「失礼」

 そうして、疾風のように駆け始めた。

「待って、どこに行きますの?」

「俺のこの世界での家に。そこで、両親にお嬢様を預かってもらいます」

 その言葉に、少女は違和感を覚える。

「どういうことですの?」

「事情は、後ほど――」

 そう言うと、少年は立ち止まった。

 

 山を下りた先、森と平野の合間に。そこは、開けた場所であった。

 明るい夜であった。空には煌々と満月が輝き、満天を星が埋める。

 その下に、迷彩服の男たちが居た。ヘルメットにプロテクター。それだけではなく、自動小銃を装備している。


 それが、少年と少女の前に立ちふさがる障害である。


「数は――百はないか」

 少女を下ろすと、少年は庇う様に前に立つ。

「下がってください。出来れば、銃の届かない場所まで」

「え、ええ――」

 戸惑いながらも、少女は少年から離れ、近くの茂みに身をひそめる。

 近くに人が居ないか、それだけは警戒しながら、じっと少年を見る。無力さを呪いながら、少年の無事だけを祈った。


 戦端は、何の前触れもなく開かれた。

「一斉掃射!!」

 機関銃の咆哮が無慈悲に響く。轟音が獣の声を呑み込み、銃弾が空間を埋め尽くす。

「――さて――やるか」

 少年は、鞘から刃を引き抜くと、そのまま一直線に駆け出す。

 銃弾の雨。それと真正面にぶつかる。

「蜂の巣だ!」

 だが、そうはならなかった。剣を一閃すると、視界を遮る弾を吹き飛ばす。

 弾ききれなかった弾は、そのまま身で受ける。だが、蜂の巣どころか少年の肌も服もまったく傷つかない。

「なっ!」

「遅い」

 驚愕する間もなく、刃が走る。

 銀の刃が振るわれるたび、大地が抉られ、男たちが吹き飛ぶ。銃がバラバラに飛び散り、ガラクタになる。

 プロテクターの銃も意味はない。ただ、純粋な力がすべてを吹き飛ばしていく。

「――二十――」

 残像のように姿が歪み。少年は駆ける。

 右に、左に、銀色の閃光が奔る。夜が切り裂かれ、人が吹き飛ぶ。

「九十」

 そうして、気づけば草原に立つのは少年だけ。

 月明かりの下、傷一つ負っていない勇者の姿があった。

「はっ……ははっ」

 倒れ伏した男が自嘲する。

「この仕事を請けた時、随分イカれた野郎が居ると思ったが、兄ちゃんもなかなかじゃねえか」

「わかってくれたのなら、邪魔をしないでくれ」

 震えながら、男が後ずさりする。

「で、でもよ……やっぱり、アイツには敵わねえよ」


 キュリキュリと、金属が擦れるような音がした。

 バタバタと、金属が空を切り裂く音がした。


 光が襲い掛かった。

 空から過剰な程の照明が、少年の姿を映す。


「これは――」


 ヘリコプターが、飛んでいた。不釣り合いな程巨大な機関砲と照明をつけ、猛禽のように少年を狙ってる。

 轟音と共に、戦車が出現した。暴力的な衝撃が大地を揺らし、砲門は少年を狙う。

 少年が構える間もなく、ヘリから轟音と共に機関砲が放たれる。

 大地を抉り、迫る弾丸に、少年は咄嗟に飛び避ける。だが、先ほどまで話していた男はそのまま肉と血を散らし、吹き飛んだ。

「ヘリが1、戦車が3」

 即座に状況を確認するが、機関砲の攻撃は止まらない。なんとか走り、回避をするが反撃の糸口は掴めない。


 そして、攻撃は空からだけではない。

「――ッ」

 強烈な衝撃と共に、戦車の砲弾が木を吹き飛ばす。

 直撃はしなかったが、その威力を見て少年は冷や汗を流す。

「きゃあ」

 それだけではない、余波で、少女が悲鳴を上げた。

「――!?」

 咄嗟に、少女の方を向く。それが間違いだった。

 一瞬、スキが出来た。

 敵は、それを見逃す程愚かではなかった。


 砲弾が、少年を貫いた。


「――ァッ!!」

 爆音と共に無造作に少年が吹き飛ぶ。

 なんとか受け身をとる。だが、サーコートは裂け、肌からは血が流れる。

 意識はある、腕は動く。まだ、少年に戦意は残っている。

 少年は立ち上がろうとした。しかし、それよりも早く砲弾が襲い掛かった。


「いやあああああああ!!」

 少女は絶叫した。


 何発と砲弾が叩き込まれた。

 抉れた大地の中央に、少年身体が横たわっている。

 もはや服は完全に吹き飛び、肉体も明らかに欠損している。

 剣だけは、手離していなかった。けれど、それを振るう力はもうないだろう。


◆◆◆


「ふむ、お主が勇者か」

 少年が異世界に召喚されたとき、聞いた言葉はそれであった。

 麻色のローブ纏った老人。聞けば、賢者であると名乗った。


 賢者が語る伝説は、おおよそ荒唐無稽なものだった。

 自分が勇者だと言われても、すぐには信じられない。


 けれど、少年はそれに従うことを選んだのだ。


「勇者って、強いんだよね」

「ああ、けれど、お主はまだ未熟であるな」

「なら、強くなるよ!」


 今度は負けない、その覚悟をもって、戦い続けた。


 来る日も来る日も剣を振るい、異形の化け物と戦い続ける。

 重症を負い、気が付けばベッドの上で寝ていたのなんて、何度もあった。


「勇者なのに、この程度か」


 詰られることも日常茶飯事。輝かしい称号とは裏腹に、少年の旅は過酷極まりないものだった。

 それでいい、と思った。


「俺は、自分のために戦っているようなものだから」

 ただ、あの日の悔しさを誤魔化すために戦っていたのだ。


 それでも、戦い続けた。

 街を荒らす異形。時には心無い人間と戦い、ただ信じることを続けた。

 気が付けば仲間が出来、人々も彼を信じるようになった。


「個人的な都合で強くなろうとしているのに」

「それでいいんじゃよ」

 悩む少年に手を差し伸べる人も居た。


 そうして、気が付けば世界を愛していた。

 やがて、魔王を倒した。


「さて、世界を救ったお主に、一つだけ褒美をやろう」

 その時、賢者から言われたのだ。

「なら――」

 少年が望んだのは、元の世界へ戻る事。

「それは難しいのう――技術的ではなく、政治的に」

 異世界には新たな侵略者が出没していたし、何より勇者はあの世界にとって必要なものでもあった。

「一日だけ、猶予を与えよう」

 そうして、帰ってきた。



 ――だと言うのに。

 ――何故、こんな不甲斐ない姿をさらしているんだッ!!


◆◆◆


 爆炎が消えた大地に、少女は飛び出した。少年に駆け寄り、肌に触れる。肌は、燃えるように熱かった。だが、息はまだある。

「今だ、確保を」

 待機していたのか、新たなる迷彩服の男たちが駆け寄ってきていた。

 ――ここまで。

 少女の頭に絶望が浮かぶ。だが、すぐにそれを振り払う様に真っすぐに前を見る。


「待っていて――ください」

 少年の剣を持つと、なんとか少女は持ち上げようとする。

 鉛のように重かった。とても少女の手では持ち上げられないし、振るう事は出来ない。ずるずると、不格好に引きずろうとする。

 必死な彼女の様子を、男たちはニヤニヤと嗤いながら見ていた。

「お嬢様、無駄なことは止めてください」

「止めません……非力であろうと、全力を尽くさなければ、彼と話すことすら私は自分に許さないでしょう」

 自己満足であることは承知の上だった。それでも、力の限りを尽くさなけばならないと分かっていた。

「そうですか――では」

 それは、無慈悲に終わろうとしていた。

 弱い少女に、少年を連れて山を越える力はない。

 目の前の男を倒す術もない。


 だけど、終わりではない。


「――お待たせしました」


 場違いな、明るい声がした。


 もし仮に、少年が無事であれば、この場は乗り越えられるだろう。

 そう――少年には、その力がある。


「馬鹿な、傷が!!」

 焼け焦げた肌が色を取り戻していく。血で濡れた傷がふさがっていく。そして、服ですら修復されている。

「治療魔法です」

 銀の刃を再び構える。そこには、蒼銀の光が宿っていた。

「知っていましたか、勇者はたとえ傷ついても立ち上がらなければならない」

 少年は、勇者であった。

「炎に焼かれ、刃に倒れ、肉を抉りすり潰されようと、立ち上がらなければならないっ!」

 異世界において何度も立ち上がり、戦い続けた。

 その使命を果たすため、戦い続けたのだ。

「――使命を――成すべき事を成すまで!! この子を助けるまで、俺は戦い続ける!!」

 月明かりの大地に蒼銀の光が貫く。

 男たちは瞬く間に吹き飛ばされる。

「せ、戦車――」

 だが、戦車動くよりも早く、少年は動く。

 蒼銀の刃が戦車の装甲を貫く。返す刃で薙ぎ払うと、二代目の戦車は光に吹き飛ばされる。

「はあッ!」

 そして、上段から一閃。三代目の戦車は、文字通り真っ二つにされた。

 中で待機していた操縦士たちが、青い顔で飛び出すと、一目散に逃げだす。

「残るは――」

 上空で待機していたヘリは、機関砲をまき散らす。

「――雷電よ!」

 だがそれも意味はなかった。


 少年が詠唱すると、天からの雷撃がヘリを襲った。

 雲もない、月夜。文字通り、神秘の一撃である。その一撃により、ヘリは跡形もなく爆散した。


 残ったのは、少年と少女だけ。

「……大丈夫、なのですか」

「ええ、先を急ぎましょう」


 振り返ることもなく、少年は歩き始める。


◆◆◆


 気が付けば、空が白んでいた。

 荒れ果てた山を、少年と少女は歩いていた。


「俺は、貴女を選ぶことは出来ません。俺を勇者として認めてくれた世界を救わないといけない」

 山路を行きながら、少年は自分の事を言う。

 異世界へ渡ったこと。そして、そこで世界を救ったこと。

「これは、報酬です。どうしても救いたい人が居るから、一日だけ猶予を貰いました」

 その報酬として、一日だけこの世界に返してもらえることとなった。

「何故、一日なのですか?」

「まだ、あの世界には巨悪が残っています」

 勇者として、世界を救う旅はまだ続いている。

「まったく、魔王を超える大魔王だとか、破壊神だとか、敵が多すぎるんです」

 そして、その度は過酷極まりない。

 今日のように命の危険を冒すことは、何度もあるだろう。それでも、行かなければならないと、少年は分かっていた。

「俺は、あの世界を平和にしないといけないんです――あの世界を、選んだんです」

「世界を――選ぶ」

「ええ、個人としての幸せではなく、世界を救うためにこの身をささげる」

 それが、少年の誓いだった。

「ご理解ください。俺は、あの世界に帰らないといけない」

「――認めませんわ」

 凛とした声が響いた。

 朝焼けの空、金色の髪の乙女が立っていた。

 服は泥で汚れ、擦り切れている。だけど、凛々しい顔が朝日に照らされる。

 少年は、思わず息をのむ。


 少年は、異世界で勇者になった。

 人は成長する。それは、少女も同じである。


「貴方は確かに世界を選んだ」

 けれど、という。

「貴方が世界を選んだのなら、私は貴方を選びます」

 そう、力強く宣言する。

「あなたも、選ばれる側なのですから……勇者であっても、私の愛する人なのですから……だから、我儘くらい聞いてくださいまし」

 迷いのない言葉。それは、無垢な少女故の無謀な言葉だろう。

「貴方の隣に立ち、支えることは出来ないのでしょうか」

「はは――まいりましたね」

 少年の――勇者ではなく、無垢な少年の笑顔が、朝日に照らされる。

「やっぱり、無理を言って帰ってきて良かった」

 少女の前にひざまずくと、その白魚のような手を取る。

「なあば、俺の話を聞いてください。あの日のように、お嬢様が俺の話で笑顔になってくれるのなら、どんな敵とも戦える」

「でしたら」

「また、会いましょう」

 そっと、手のひらに口づけをした。


 輝く粒子が二人の周りに舞う。

 太陽がそれを照らし、星のように真っ白に輝いた。

 その跡には、少女だけが残っている。


「待って――いますから」


 朝焼けに、凛とした声が響き渡った。


◆◆◆


 涙をこらえながら山を越えた。

 もう、倒れる寸前になっとき、ようやく少年が示した家へとたどり着いた。


「そうか――」

 勇者の事を伝えると、両親はあっさりと少女を受け入れてくれた。

「それと、ちょっと館を吹き飛ばしてくるわ」

 平和裏に、とはいかなかったが。


 ――季節は巡る。


 春が訪れた。

 ようやく環境に慣れてきた少女は、家事の手伝いを始めた。

「もう一人、子供が出来たみたい」

 家族として、認められた。


 ――季節は巡る。


 夏が訪れた。

 少女は、家族からの勧めで学校に通うことになった。


 ――季節は巡る。


 秋が訪れた。

「ほら、これを食べなさい」

 美味しいものをたくさん食べた。

 ふと、少年はちゃんとご飯を食べているのか、気になった。


 ――季節は巡る。


 冬が訪れた。

 山野は雪に覆われ、寒さに獣たちも活力を失う。


 人はだが恋しい季節だろうか――少女は、少年のことをよく思い出すようになった。

 再開の約束はした。けれど、本当に彼は返ってこれるのだろうか。

 日々は充実していた。何か新しいことを始めるたびに、少女の中で少年の比重が小さくなっていっているような気がした。


 ――そして、季節は巡る。


 満月の夜だった。

 ふいに、誰かに呼ばれているように感じた少女は、寝床を抜け出す。


「――ただいま」

 満月の丘。草原の上に、勇者が立っている。

「お約束通り、返ってきました――今度は、一日一時間だけ、こっちに戻ってこれるように、とね」

「――ええ、おかえりなさい」

「まず、何をしましょうか」

「お話を、聞かせてください――」


◆◆◆


 都会で語られる噂話――所謂、都市伝説の一つ。

 日本の僻地。山と森しかない大地に、とある大富豪が建てた美麗な館があった――と言う。


 一夜にして消滅したその地の近く。とある小さな街に、新しい伝説が生まれた。

 

 曰く、星が見守る夜には御伽噺に出てくるような勇者が姫に、冒険を語るのだとか。


「今日は、どんな冒険をしていらしたの?」

「ええ、それではお話しましょう」


 曰く、火を噴く山を越えた物語。

 曰く、星を打ち砕いた物語。

 曰く、無自覚に隣国の姫の心を奪っていた物語――は不評であったそうな。


 その真偽は、誰も知らない。

 ただ、願わくばこうあって欲しい。

 

 人知れず戦う勇者と、それに寄り添う姫が居る。

 過酷な旅も、苦悩の経験も、共に分かち合う人が居る。

 一日の終わりに、その二人が幸せであることを――


《了》

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勇者の日帰り 狼二世 @ookaminisei

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