第七章 兎だって悩みはある
時間というものは世界に準じ、個人がどう足掻こうと基本的には無関係とばかりの面で万人に等しく流れていく。
勉強に関して碌な解決方法も見つからないまま月曜日を迎えた僕は、一ヶ月前まで使っていた通学路を何食わぬ顔で歩いて学校へ向かった。
復学の手続きはいつきさんの方で済ませてあり、職員室にいる担任を訪ねて挨拶すれば後は平然と学校生活に戻れると聞いていて、その通りにしたわけだけど。
一ヶ月振りに教室へ顔を出せば、付き合いは薄いものの「クラスメイト」で括られた生徒達が微かなざわめきと共に僕を迎えた。繰り返すが親しい者はおらず、あいつ久し振りだな、という空気はあれど積極的に話し掛けてくる勇者もいない。衆目を感じながら欠伸を隠しもしないで僕は机に突っ伏した。
この体になってから睡眠を必要としないのだが〝朝は眠いもの〟と鳥羽美兎の記憶が訴えてくるから自然と動作に零れる。こういった症状は記憶が体に〝馴染んでいる〟証拠だから喜ばしいことだといつきさんは語っていた。
だからこの欠伸は眠いからではなくて、つい癖で、といったものだ。変な話である。
「鳥羽、鳥羽。待って、寝ないで」
「ん?」
勇者がいたのかと顔を上げれば、クラスの委員長だった。明るく社交的でいつも誰かと共にいる。僕の真逆を地でいく人。そうでなければ委員長なんて務まらないけど。仮に僕がやれと言われていたら自殺が早まっていたかもしれない、なんて。
兎に角苦労が多い立場なのでその軽減には協力しようと体を起こす。
「何か用?」
「一ヶ月振りなのに、あんた変わらないね。怪我はもう平気なんだ?」
「それなりに?」
「何で疑問形。無事でよかったけどさ。クラスから死人なんて出たらぞっとするでしょ」
「――ははは」
悪気はないだろうが死のうとしていただけに、乾いた笑い声を漏らしてしまった。世の中何があるかわかったものではない。
クラスメイトでいえば委員長である彼女がほぼ唯一僕と接点があったようなもので、その彼女が僕に何かあったと思わないなら他の生徒からも僕は鳥羽美兎に見えるだろう。
いまのところ両親も僕が〝血肉を持たない体〟であるとは露とも思っていないようだし、いつきさんの語っていた一つの目的が頭へ響く。
「人間が人間を人間と認めるのは何を以てしてなのか。現時点で怪物の君はそれの解明に加担している。どれほど道徳を語ろうが〝ひとの形をしていればいいだけ〟なのだと認める時がきているんだよ」
事実を否定するのはナンセンス――いつきさんは自嘲するようにそう言った。鳥羽美兎の死を否定してダット・ブレイクを〝創り上げた〟あの人は、多分他にも個人的な思惑があるのだろう。
踏み込むと面倒臭そうなので知ったことではないけど。
委員長の用件は僕が休んでいた間のプリントを代理として預かっていたとのことだった。有り難くお礼を言い、ついでとばかりにテスト範囲の発表もされたか訊ねたらメモに書き込んでくれていた。細やかな仕事振り。僕にはできない。というかやりたくない。
しかし、期末テストは言ってしまえば「前の期末テストからやってないとこ全部」が範囲であり、委員長が律儀に書いてくれたメモにも大体そんな表記がされていた。これは酷い。
「鳥羽、勉強得意じゃないでしょ? 大丈夫?」
率直な物言いだが、表情が気遣わしげなので不快感はない。これがコミュニケーション能力。
内心拍手を送りつつ、僕は曖昧に頷いた。
「あー……多少は事故に遭ったって考慮してくれるらしい。あとは、なんとか」
「救済措置はあるワケか。頑張りなよー」
委員長との遣り取りで最低限の事は知れたとみんなの興味が離れていく。恐らく、委員長もそれを狙ってホームルーム前のみんなが揃う時間に話し掛けてくれたのだろう。つくづく気が利くお方である。
担任の先生もちょうどやってきて、委員長が自分の席へ戻っていき、ぞろぞろと他の生徒も同じように動く。それをぼんやりと追いながら、つい癖で、という〝変な話〟を思い出していた。
普段は意識しないパターン性とでもいうのだろうか。自分が機械的な存在になったせいかちらほらとそういうものが感覚に触れる。
チャイムが鳴れば席に着く。先生が来れば号令を掛ける。起立、礼、着席――自然界にはない〝流れ〟だけれど僕らが教育によって当然だと刷り込まれてきたもの。何故、どうしてと問えば「そういうものだ」と答えが返ってくる。
本当に子供ならそれでいい話が、効率化の為に刷り込みを受けてきたのかとダットは零す。結局勉強って〝そういうもの〟だよな、と思う。必要になる知識や常識を教え込んでおくことで社会の手間を減らす。時は金なり。教育にはお金が支払われていて――成る程、と世界の〝流れ〟を一つを学習する。
人間は忘れてしまう生き物なのに、不必要で忘れてしまうことも学ぶのは非効率では、と頭の中から文句が飛んでくるけど〝そういうもの〟なんだと納得しておきなさいと抑え込んだ。子供の頃抱いた疑問を繰り返されるようでなんとも。
一度意識すると日常には〝そういうもの〟で済ませていることが多くて、ダットはぶーぶー不可解だと文句を言う。いや〝そういうもの〟については世界の流れとして学んだからいいけど「ダットには不要だから」と唇を尖らせている。鳥羽美兎は忘れてしまうけど、ダットは覚えているし、なんだったらデータベースにアクセスすればいいと。
やはり実質二重人格状態で困る。人工知能としての自己と記憶として刷り込まれた自己が上手くくっつかない。次第に慣れていくといつきさんは繰り返すけど、慣れがきたその時、僕は本当に〝鳥羽美兎〟として在れるだろうか。慣れてしまったら駄目なのではないだろうか。いつかダットに塗り潰されるならわざわざ〝鳥羽美兎〟の記憶を人工知能に与える必要はないし――違う、必要ないとかじゃない。
ああもう、ごっちゃになる。僕が鳥羽美兎でなければこの研究は失敗になるというのに、最終的に記憶からパターン性が真似出来れば〝鳥羽美兎〟はいらない、とも結論が出ている。
心は何処にあるのか。人工知能である僕がいま一番訊きたいくらいだ。そんなものはないと断じる為にいるとも言えるのに、あると認めて貰えなければ〝僕〟はいない――ぐるぐると思考が回り、矛盾に眩暈がする。
そしてこれほど悩んでいても表面上は何の問題もなく時は進んでいて、僕は授業内容をノートに書き込んだりしている。わあい、悩んでいる〝僕〟が本当に〝僕〟なのかも怪しくなってきたぞう。
でもこれを面倒臭いなぁと思っている内は〝僕〟だろうな、とも思う。その内この悩みを〝ループするパターン性〟みたいに意識して、悩むことが無くなったら、僕はただの〝記憶から構築されたパターン性〟になるんだろう。けれど悩む事すらパターン性の一つとして学習が届いたら、面倒臭いと感じることもパターンに組み込まれたら、僕は。
……面倒だから死にたくなって死んで、それで蘇生されて「生きろ」って脅された筈なのに自我の消滅について悩むとか、心底面倒臭いな、今の状況。
うん、そうだ。どうせ死のうとしてたんだし自我が消滅したところで今更だった。僕が僕でなくなったとして〝ばれなければ〟それこそ成功じゃないのか。だったら僕が悩むことはない。
目下の悩みはテストしかないね!
ブレイヴ・ブレイク 小鷹狩蛍 @kogane0825
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