第六章 脱兎のごとく逃げ出したい
『許すわけあるまい』
ですよね。そんな気はしてた。畜生。
勉強すると言い残して副部長と別れた僕は、帰宅してすぐさま立ち上げたパソコンで繋げたインターネット通話中に対面したいつきさんの前で
人工知能積んでるならそんな焦る必要ないんじゃないか、と思われるかもしれない。ところがどっこい。この〝高性能〟な人工知能は鳥羽美兎をベースにしてしかも〝忘却が可能〟なのだ。
薄情云々抜きにしても副部長の名前すら思い出せなかったし、当然ながら教わってないことはそもそも頭の中にない。
一ヶ月分の勉強突っ込みながら更に勉強詰め込めとか無茶無理無謀。
『うーん、学校側も不慮の事故ってことで多少は考慮してくれるだろうけど……中間で赤点回避しとけばいい話だよね』
「殺生な……」
全国でそんな猛者がどれほどいるんだ。いや何人いたとしても聞きたくない。気が滅入る。
恐らくその猛者の一人であった気がするいつきさんは、自ら豆をミルでごりごりして淹れているらしいコーヒーを飲みつつ、視線を天井へ向けていたかと思えば人差し指を立てた。
『これを機会に勉強おーしえてーって友達作りなよ。学友は
「慈悲はない」
机に突っ伏す僕に、いつきさんは呆れ顔だ。僕の自殺原因わかってますか本当に。
『別にいじめを受けてたわけでもなし、ただ君が〝めんどくせー〟って投げ出しただけなんでしょ。社交性を身に着けるのも学校の必要性だよ』
「はあ」
『溜め息だか曖昧に誤魔化してるんだか相槌打ってるんだかわからないその返答……ええい、しゃきっとしなさいしゃきっと。絶望の後に希望は残ってるものでしょ』
「パンドラの箱ですか」
『君、そういう雑学だけは一丁前だなあ』
頬杖ついていたかと思えばいつきさんは手早くキーボートを叩いてファイルを送信してきた。ファイル名自体は適当な名前だからいま作成したものだろう。
取り敢えず開いてみると、見覚えのある名前が出てくる。副部長だ。
『花光愛海。名前からして希望に溢れてる子だね』
「副部長がなんなんです」
『彼女、幾つかコンクールの受賞経歴がある。それでいて〝門の狭さ〟を理解していてピアニストという将来はないと答えている』
ああ、これ過去の記事だったのか。確かにコンクール受賞者コメントとかいう項目に副部長がそんな風に言ったと書かれていた。これ当時小学生なんだけど、滅茶苦茶現実見てたんだな副部長。あのゆるふわなイメージからは想像もつかない。
教育者という立場も、待遇が良くないとしょっちゅうニュースで騒がれている。面倒な問題も絶えない。勝手に予想していた、音楽が好きだからとか、子供が好きだからとか――曖昧な理由で進路を決める人ではないらしい。
少々副部長に対する印象を変えながらも、いやだからこれがなんなんだと通話画面に切り替える。いつきさんはまた優雅にコーヒーを飲んでいた。
『恐らく、いまの君に必要なものを彼女は持っている。現実を見つつ〝夢見る〟人間だよ』
「……は?」
『私は屁理屈、嘘、見栄、虚勢といったものは教えるの大得意なつもりなんだけど、心の在り処を探しながら心の在り様についてはとても鈍くてね! 正に天は我を見放さなかったというわけだ。美兎君、花光さんに勉強教わってきなさい。学校も同じで同級生ならテスト範囲も同じだろう』
「……は?」
やはり天才の発想に凡人はついていけない。ダットの本体もわけがわかりませんと言っている。
いや理屈はなんとかわかる。テスト範囲諸々の理由も、友達作りの一歩として社交性に富んでいる――と推測される――副部長に任せれば一石二鳥だと。
「あまりにも副部長にメリットがないのでは」
『あるよ。君という〝生徒を得る〟ことが利益だ』
「はい?」
『ちょこっと勝手に調べさせて貰ったけど彼女、賢いよ。知能は勿論だけど……うむ、敢えて言おう。小賢しいと!』
いつきさんのノリだと、褒めてるのか貶してるのか本当にわからないんだよなあ。
『贅肉は容赦なく切り捨てる。だが重いと知っていても筋肉はつけるタイプ。大変好ましいね』
「……よくわかりませんけど、僕が彼女に教えを請うことは迷惑にならないんですか」
『二つ返事でさっくり頷いてくれる。そもそも忠告は余裕あるからできるんだし』
おう。また変なこと言い出した。
『自分に精一杯の人はね、ヨソに目を向ける暇なんてないよ。君とか君とか君とか最もな例だけど』
「三回も言った」
『花光さんは君に唯一安否の確認をしてくれた。そして今日偶然とはいえ出逢って怪我の確認と失念しているだろうとテストの忠告までしてくれている。余計なお世話かもしれない。でも君は実際助かった。現時点だと首の皮一枚繋がったとこだけど――』
コーヒーカップを傾けて口を潤してから、いつきさんはにやりと笑った。
『恐らく彼女は最悪自分を頼ってくることまで予測して忠告してる筈だよ。そうでなければ余計なことは言わないでおく。いっそ赤点取らせてくれただろうさ』
「それは……もう、未来予測に近いんじゃ」
『だから言っただろう、小賢しいんだ。利益にはなるけど相応の苦労も背負う。それを承知で忠告する彼女を愚者と言う者もいるだろうけど、私は断然賢者派。美兎君がいままで花光さんをどう捉えてきたか知らないけど――甘く見ない方がいいと思うよ』
愉快だと画面の向こうで笑いながらいつきさんが言う。足で床を蹴ってくるくると椅子を回転させながら、楽しそうに。
天才達の考えに理解が及ばない僕は、ただ眉を寄せて溜め息を吐くしかなかった。
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