第五章 兎は散歩で危機を知る

 死ぬ間際に青空へしがみついていたせいか、リハビリ期間中、いつきさんは人工知能の反応確認がてら空というものについて語ってくれた。

「まさか海が青いから反射して空も青い、その逆もある、なんてことは考えてないね? ……よろしい。答えは地球の大気が太陽の光を散乱させるからだ。夕焼けがあるのも、水に潜って太陽を見上げると色が違うのも同じ原理だ。心臓といい、君は太陽に縁があるみたいだね」

 言葉を思い出し、胸に手を当てながら見上げる太陽は一ヶ月前と変わらず眩しい。本物の心臓と違って太陽心臓は脈打つわけではない。静かに唸っている。それこそ太陽の光熱を表現するように「ぢりぢり」と。もしも胸の音が聞かれるようなことがあればと「心臓の音」も収録されているが、滅多な事じゃ普通の医者にはもう行かないだろう。一般人に胸の音を聞かせてなんて迫られることも多分、ない、と思いたい。

 日曜日、僕は久し振りの外だからとふらふら歩いていた。両親は心配しながら僕からの言葉もあって家で寛ぎ、日が暮れたら親子丼の材料を買いに出る予定だ。

 七月上旬。季節で言えば夏。陽射しは強いけれど僕にとってはどうってことない。気温変化には強い方だったが、この体は様々な耐久性が普通の人間とは桁違いなのでいまでは太陽光ってこんな感じだったな、と暢気に思えるほど。

 住宅街を抜けてアスファルトに紛れて石畳で舗装された道へ出る。この地域に祭りが多い理由であろうが神社も多く点在していて、中でも大きな神社の参道になっているこの通りは祭りがあれば猪が店先に吊るされる肉屋、道を挟んで反対側にはお洒落なパン屋とわけのわからない状態だ。

 それでも歴史ある昭和時代の建物も残っていて、指定記念物だと証明が刻印された鉄板がちらほら見られる。生まれてずっとここで育った僕は十数年眺めてきたから何とも思わないけれど、観光客が通り掛かる車そっちのけで熱心に撮影している姿がよく見られる。いくら車より歩行者の方が立場を優先されるにしても歩行者天国じゃないんだぞ、と文句が零れるのも納得だ。出所は敢えて伏せよう。

 この参道をどっちに向かって抜けるかでまた景色が多少違ってくる。大きな道に出たい、駅に向かいたいという方面ならデカいパチンコ店やスーパーがあるが、ぼんやりするならそっちは向かないだろう。参道が本来の役割を果たす大きな神社のある方へ歩き出した。

 小さな飲食店、洋服屋、和菓子屋、酒屋。鳥羽美兎との記憶にある街並みと違いはない。日曜日だから観光客が多いけれど、近所で祭りのない〝普通の休日〟だから随分マシだ。一番厄介なのがこの参道で祭りのある日である。すぐ上の道が僕の住む住宅街に通じているので屋台囃子が夜遅くまで鳴り響くわ、盛り上がった酔っ払いの声がうるさいわ、翌日から暫く参道に出店のゴミが散らかってるわ……慣れたけど。

 そのすっかり慣れた景色とおさらばした筈だった。二度と見ることはないと思っていた。それが一ヶ月で再びまみえるとなれば感動もない。安心した、と思っておこう。流石の田舎、一ヶ月くらいでは何の変化もありません。わんだほー。

 大きな神社へ続く参道がひょいひょい様変わりしても困るか、と車道越しに近所でも有数の大きな彩崎神社を見遣る。石造りの塀よりも成長した木々が神社の敷地内に何本も生えていて、鳥居をくぐれば自然と背筋が伸びるような、不思議な雰囲気が満ちている。

 近所に住んでいる割には暫くお参りにも行っていない。観光客が増えたし、初詣なんてもう人の多さに酔う。祭りの賑やかさは嫌いではないけど人の密集した場所は苦手だ。

 いつから人との距離に疲れやすくなったのか。昔は祖父と祭りではしゃいでいた記憶がある。幼さの元気は素晴らしい。あれは無敵だ。

 父方の祖父母とは一緒に暮らしていて、両親が共働きなのもあって幼い頃は随分世話になった。けれど祖父は僕が小学生の頃に亡くなり、祖母も最近亡くなった。

 帰宅しても返答のない家に、寂しさは感じていたかもしれない。

 人との繋がりは意識しなければふつりふつりと切れていく。いつの間にかということもあるし、何かの衝突があれば千切れることもある。

 やっぱり面倒臭いし、人間関係の再構築とかやり直せない気がするんだ、僕。いつきさんは幸運だと言っていたけど人選をミスしたとしか思えない。

 神社の敷地内には入らず、裏道をぐるりと回る。この辺りに生えているのは銀杏の木らしく、季節になると収穫されるわけでもない実が大量に道へ転がり落ちて、正直臭い。マナーのない観光客とは違って風物詩ですね、と細目で我慢できる範囲だけど。

 思い出を振り返るのも人工知能にとっては〝新鮮〟で刺激になるらしいのでふらついてみたけれど、本当に代わり映えの無い地域だとしみじみ感じつつ大きな道へ出る。ファミリーレストランがあったり、コンビニがあったりと多少〝街〟染みた通りだ。

 この道は少しばかり昔と変わった。恐らく過疎化も関係しているけれど、紙の本は次第に電子書籍に呑まれ、ゲームがダウンロードコンテンツとして定着しつつある昨今、玩具屋は減ったし文具店も減った。県から委託されて教科書を売ったり、マニアックに特化した店が細々と残っている。

 道は整備されているし、観光客のお蔭もあって廃れてはいない。けれどこう、何があるかと問われると田舎ですからとしか答えようのない地域。生まれ育ったが故に愛着はあるけど、大した場所でもないなあというのが本音だ。

 ――そんな彩崎市の片隅にある田舎町に、最新技術の詰まったアンドロイドが放り出されたのも変な話だ。

 大体、何でいつきさんは彩崎大学なんかにいたんだろう。こう言ってはなんだが大した業績のない大学だ。僕自身が言うのもなんだけど、ここまで記憶がはっきりした人工知能を作り出せる人なら、もっとこう、いい大学にいるものじゃないのか。

 いや待てよ、あの人企業説明会の打ち合わせに来たって言ってたな。名刺も差し出してたし……ってことは企業に在籍してる会社員なのか? 人工知能とか作る会社って何? 有名な二足歩行ロボットは車の会社から出てたんだっけ。

「鳥羽君?」

 悶々としつつデータベースにアクセスしようかと思っていたところへ声が掛けられる。僕の苗字を把握してる付き合いなんてあったか、とか悲しいにもほどがある自分の人間関係を掘り返しつつ振り返れば予想外の人物がいた。

「副部長」

 僕の死後、唯一まともなメールを送ってきた人物。私服だし、僕の学校だと試合とかでなければ原則部活は日曜日に入らないから完全なオフだろう。

 本名は……思い出せないから潔くデータベースに検索を掛けた。あいあむ薄情者。

 フルネームは花光はなみつ愛海まなみ。僕と同級生。合唱部の副部長。身長体重は……何でそんなものまで出てくるんだ。あ、身体測定のデータか。成る程。副部長、外見通り軽いんですね。

 そうじゃなくて。

「本当に鳥羽君だ。びっくりした」

「申し訳もございません」

「そこまで謝らなくてもいいよ!?」

 違うんです、うっかりとはいえ体重知ってしまったことに対してです。言えるわけないけど。

 深々と頭を下げた僕に副部長は慌てて手を振る。大通りでこんなことされたら悪目立ちもするだろう。早々に頭を上げた。

「結構大きな事故に遭ったって聞いてたけど……」

「つい先日退院? しました」

「いま疑問符ついてた? 取り敢えず退院おめでとう」

「ありがとうございます。副部長は買い物ですか」

「うん。楽譜を買いに」

 副部長が示した店に納得する。先述したように、マニアックな品揃えで生き延びた本屋の一つだ。

 楽譜と言われて思い浮かぶのは所属している部活だが、一応、繰り返すが一応、部費は出ているので私用のものだろう。副部長、ピアノも習っているそうだし。これは鳥羽美兎の記憶頼りなのでうろ覚え知識だ。

 ほぼ幽霊部員で構成されている我が合唱部でピアノを弾けるのは副部長だけだし、多分この予想は間違っていない。

「怪我とか大丈夫? ぱっと見ると傷痕ないよね」

 僕の服装は半袖のシャツにジーパンだった。副部長は主に腕を見ているが、何処を見たって傷痕などない。文字通りな体なので。

「打撲とかのダメージが主で、傷痕が残るような怪我はしてないです」

 どうせ口下手な君じゃ上手く嘘吐けないだろうし用意しておきました! と清々しく親指を立てたいつきさんを脳裏から吹っ飛ばした。

「一ヶ月の入院も安静にして様子見というか、そんな感じで。……メール、ありがとうございました。気付いたの退院してからだったので、部活に顔を出して言おうかと思ってて」

「ううん、元気になったならよかったね。部活も相変わらずみんないないから、顔出しても練習殆どできないよ」

 ころころと副部長は笑う。ピアノを習っているくらいだからもっと真面目に取り組めーとか言うかと思えばそうでもない。

 進学はするけど、そこまで音楽に熱心かというとそっち方面ではなく、先生として必要な技術だそうだ。つまり幼稚園とか、保育園とかの先生志望。

 音を楽しむと書いて音楽だから強要はしない。副部長の方針はそんなものだ。過ごしやすくていい。言うまでもなく幽霊部員は加速した。部長なんか副部長に丸投げだ。「もうすぐ卒業だしネ!」とかなんとか。それをにこにこしながら「わかりました」って受ける副部長も人が好い。

「でも、鳥羽君大変だね」

「や、もう不調ないんで」

「体もだけど、もうすぐ期末テストでしょ」

「え?」

「期末テスト。夏休み前だから範囲広いよ。一ヶ月穴空いてるし、いまも勉強進んでるし」

 反射的にすっとぼけようとした僕へ、妙に淡々と、眼を逸らすなと言わんばかりに副部長は繰り返した。

 車道を通った、セメントか何かを運ぶ大型車の生み出した風が体を撫でていく。

 ……うん、いざとなったらデータベース引っ張り出して空欄を埋めるしかあるまい――!

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