双極

もろえ

遺書

 遺書


 僕には好きな女がいる。だか、ちょっとばかりややこしい。

 ちょっとばかりというのは外野から見ればのはなしで-実のところは外野から見ればややこしさなど微塵みじんもないかもしれないが-僕には、僕の一生を賭すかのようなことに思われる。

 しかしまた、少し心が落ち着いた状態で考えてみると、それが一人の人間の一生において何度か訪れることのある、時々の小さな懸念事項であるようにも感じる。

 だが必ず、そのつかの安心は一生を賭すべき大きなものであるという思いに戻り、僕の心は再び痛み出す。


 五月二十一日、深夜。

 恐ろしく、怖ろしく不気味で不意を打ったような雷雨が、僕の人生の終焉を暗示しているように思います。


 本当は死ぬことができないと分かっている。

 しかし僕は医者から処方された睡眠薬や安定剤を、真夜中にあるだけ全て酒で流し込むという行為を止めることは出来ないだろう。

 もう何度目だろう。

 そうした時は明くる日の夜まで眠りに落ち、起きると激しい目眩めまいと吐き気に襲われた。

 僕は五体満足で、男としてこの世に生を受けたのにも関わらず、一人の女の存在によりここまで痛めつけらている自分を情けなく思っている。

 他の男たちがいとも簡単に解決出来るだろうと思えなくもないことに、ここまで衰弱しきってしまう、己の精神の弱さをこの上なく情けなく感じている。

「これは僕の問題だろう。彼女がどんな人間であれ、どんな女であれ、これは僕の問題であろう。僕の心の弱さに起因する問題であろう。」

 そう考えると、浮き彫りになってくるのは僕の心の弱さのみで、その極度に弱い心は、更にナイフの突先でいじくられるように痛んでいく。

「女と付き合えば、女のことが頭から片時も離れないなんてことは毎度のことで、別にこの女特有の問題ではない。」

「簡単に。簡単に考えろ!」

「今まで女と付き合っていた時に抱いた不安と、どこが違っているんだ。全く同じだろ。簡単に考えろ。簡単に!簡単に!」

 僕はひどく落ち込む度に、自分にそう言い聞かせてきた。その自分自身の自分自身への言葉はある程度の効力を持っていたのは間違いなかったと思う。

 

「そんな女、別れればいい。」

 友人たちは口を揃えてそう言った。

 その言葉は、そのごく全うな言葉は、僕の耳に届くことはあっても、心に響くことはなかった。

 逆にその言葉は(その飽き飽きするほど聞いた言葉は)僕を心から心配する友人の切なる想いとは裏腹に、僕の耳に入っては、針となって突き刺してきた。

「彼女のためにお前は相当衰弱した。」

 これも友人たちが口を揃えて言った。

 その客観的な言葉は、紛れもない事実なのであろう。しかし僕はそれを認めることはしなかった。それどころか彼女のせいだと軽い口調(に聞こえた)で言う友人たちを、僕は恨んでさえいる。

「お前らは彼女のなにを知っているんだ。本当の顔を知っているのか?それは俺しかしらないはずだ。」

 そういう恨みを持った。

 それと同時に、彼女とは比較にもならないほど長い間付き合ってきた友人たちの、僕を更生させようと言う想いを、一人の女に一時的に狂った自分が踏みにじっていることも重々承知している。

 そのため余計に心を痛めた。


 痛さ、苦しさ、悲しさ、楽しさも。そういったものには一貫した尺度がない。その感じ取り方の大小は各々に委ねられる。だから人間は、自分ばかりが辛いなどと考える。

 本当は大したことのない問題であるかもしれないのに。

 僕は相当に心が弱いと思う。自分自身がそう思う。でも、本当はそうではないのかもしれない。他の人ならば死んでしまうくらいに辛いものを、自分だからこそ、まだ耐えきれているのかもしれない。僕は心が弱いのではない。強いんだ。何故ならこんなにも辛い状況でも、必死にもがいて生きているんだから!

 だが、何度も言うがそういった感情に共通の尺度はないのだ。

 僕がどう考えようと、答えというものを導き出すのは絶対に不可能なことなのだ。

 結局、そのようなところに考えを巡らせてみたところで、残るのは僕自身が今「辛い」ということだけなのだ。


 彼女は重い「双極性障害そうきょくせいしょうがい」だ。


 起きたらまた『この遺書』を、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てるのだろう。

 結局、死ぬことの出来ない僕は、今後も苦しみ生き抜くしかないのである。


 「皆がそうだ。」

と言われようが、僕は現に『辛い』のだ。

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双極 もろえ @futabayama

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