第8話

 さて、

 拗れ切った片思いを実らせた二人の新婚旅行先は、意外にも京都と奈良と言う渋い選択だった。雅彦は神社仏閣を堪能でき、おまけに興福寺の阿修羅に会えて満足だったし、薫は奈良の鹿に追いかけられてかなり嬉しかった。奈良の後の京都では、外国人観光客に交じって伏見稲荷大社から平安神宮コースをそぞろ歩いたり、抹茶スイーツを堪能したり、京都では鴨川沿いに建つ外資系ホテルに二泊しての観光だったので、まずまず古都を満喫できたのだ。しかし……おっそろしく豪華なマウンテンビューのスイートの宿泊料金は一体おいくら万円したのだろう? それを考えると怖い。きっと、パックの海外旅行の方が安かったに違いないと薫は思うのだ。


 幸せな新婚旅行から自宅に戻って早や一週間、東京出張から帰って来た雅彦と共に連休の今日は、高速をひた走り本家に戻ってきた。

 出張から戻ってから何となく表情の冴えない雅彦が気になっていたが、それでも家の風通しをして軽く掃除を済ませた薫は、久しぶりの涼やかな海風に気分は上々だった。

 雅彦は仕事部屋入ったきり、もう何時間も出てこない。

 夫の行動パターンを既に掴んでいる薫は、決して仕事を開始した彼の邪魔はしない。しかし、今回はもう5時間も飲食どころかトイレにも行かない。どんだけ集中しているのやら? とちょっと怖くなった。

 ……ので、ドアを10センチほど開けて覗いてみた。


『あ、生きてる』


 雅彦の肩が動いて、掌で頭を掻いているのが確認出来て、薫は安心した。

 その後、昼食を抜いた雅彦の為にサンドイッチを作って暫し待った。香り高い紅茶を淹れてドアの隙間から香りが漏れるようにと工夫したりして……待つ事10分、ドアが開いて、ぼんやりとした表情で雅彦が出てきた。

 ソファーに腰かけたので、紅茶を差し出す。

 まず、香りに反応して手が出る。紅茶の前の薫に焦点が合うと、雅彦が人間に戻った証拠だ。


「雅彦さん、お帰りなさい」

「……うん、いい香りだ」

「F&M(フォートナム・アンド・メイソン)のブレンドにしました。やっぱり美味しいね」

「……」


 また黙った雅彦に薫は呑気に声を掛ける。


「雅彦さん、トイレとか大丈夫?」

「え?」

「だって、何時間も部屋から出てこないから……」

「あ、そうだな。何時?……腹減った」


「今、サンドイッ……って、やん」

「薫を食べる」


 薫を後ろから羽交締めしたまま、首すじを舌でなぞると声が漏れる。それだけの刺激で互いにスイッチが入るから不思議だ。旅行中も二人っきりの空間でなら昼夜を問わず触れ合わずには居られないわけで、触れれば肌を合わせなければ終わらない。

 このソファーで躰を合わせたのは何度目か? もっと明るい場所でことに及んだら薫はどんな反応を示すのか、知りたくなった雅彦は薫を仕事部屋に隣接したサンルームに誘った。

 今しがた雅彦に触れられた所為で、広いⅤネックカットソーの肩が半分落ち、コットンのフレアースカートはクシャクシャだ。その姿がひどく淫らに映るから自然と雅彦の歩みは早くなる。

 ガラスがはめ込まれたドアを開き、温かいサンルームに入った。南の海に向かう広い窓は開け放たれ、初秋の風が心地よい。昼寝用の低反発クッションに薫を横たえ、雅彦はそその上にのしかかった。

 夫の意図に気が付いた薫は、トロンとしていた目を見開いた。


「こっ、ここで?」

「死角だから大丈夫」


 いや、大丈夫な訳が無い。声は筒抜けだし、南は海に向かっている為人目は無いが、東側には伯父の家から遠目にせよ丸見えだ。これではまるで露出趣味のヘンタイでは無いか?


「やっ、伯父さん家(ち)が見えますっ!」

「……しかたないなぁ」


 そう言ってレースのカーテンで東側窓を隠した雅彦は薫に微笑んだ。この笑みは危険だと、薫の危険予知ブザーは鳴り響いている。


「薫、恥ずかしいのか?」

 うんうんと頷く妻の頬はバラ色で、今甘い香りを放つ場所は潤っているに違いない。

「キスだけだ」


 小動物を囲い込むように抱きしめ唇から攻める。『キスくらいなら良いか』と薫は安心していた。



 子供が出来たら、もちろんガッツリ休職する気満々の薫、以前は、何があっても仕事! の仕事人間だったのだが、結婚してからと言うもの、早く子供が欲しくてたまらない。

 愛する男の子供を得るための行為が、快感を得るためのセックスよりも何倍も感じると知ったのは結婚してからだ。今日だって、ものすごく感じてしまったのは言うまでもない。

 薫は幸せだった、今なら何を言われても少々の事では怒ったりしない自信があった。


 そんな薫の心中を、知ってか知らでか、リビングに戻りパサパサになったサンドイッチを頂きながら、雅彦が爆弾を放った。


「俺、会社から退くことにした」

 以前から聞いていたから、それには驚かない薫。

「そうなんだ、いつ頃?」

「来年、最後のプロジェクトを終えたらフリーになる」


「さいごのぷろじぇくと?」

「……うん、会田イチ押しのRPG」

「ふ――ん」

 

 あのヘンタイ社長の会田イチ押しなら、きっとマニアにウケるゲームなのだろう。そんな事を考えながら、薫は紅茶を口に含んだ。


「そういえば、今日籠って書いていたのも、そのプロジェクトの仕事?」

「……うん」

 

 何となく夫の歯切れが悪く感じるのは気のせいだろうか? 薫は勘が働く方では無いが、それでもあの勘の冴えわたった母親の娘だ。何となくピンと来た。


「ねぇ……よかったら見せて欲しい……です」

「えっ、な、何を?」


 明らかに動揺している。雅彦にしては珍しい事だ。


「籠って書いていた絵、副社長として最後の仕事なんでしょう? 誰よりも先に見たいです、私」


「……見せる前に話したい事が有る」

「はい」


 居ずまいを正した雅彦が薫に向き直った。プロポーズした時よりも、数倍必死な顔だ。ダイニングテーブルに差し向かいで、薫は夫の話を聞いた。


 今回の出張で、社長の会田が提案したプロジェクトは、雅彦には受け入れる事は出来なかった。妙な愛称が付いてはいるものの、ずっと片思いをしていた愛妻をモデルに出来上がった『ロリ姫』を、事もあろうにエロゲ―キャラに使用するなどあり得ない話で、


 何時ものノリで、

「な――良いだろ(笑)」

 と、はしゃぐ親友(しゃちょう)を殴ってやろうかとも思った。


 既に会田の構想を知っていたであろう、江田の表情はカチンコチンに強張っていたし、織部も雅彦の様子を見て椅子を引いて逃げ出す用意をしていたくらいだった。


「ロリ姫は会社のものだから、俺に拒否権は無いが、このキャラを使ってエロゲ―を作るのなら今すぐ会社を辞める」

「えっ、そ、そんな!」

 

 雅彦の言葉に、江田と織部は椅子を倒して立ち上がった。


「なぁ、まぁ落ちついて話を聞いてよ。じゃあさ、新しいゲームの為にロリ姫よりも数倍可愛いキャラを作ってよ、それなら良いだろ?」

「エロってのが嫌なんだよ、なんでも売れればいいってもんじゃ無い」

「またまた~勘違いしないでよ? 売れるからエロゲー作るって言うんじゃ無いんだってば!」

「じゃぁ何の為だよ」


 雅彦の言葉を受けておもむろにプロジェクターを操作し始めた会田は、ニコニコしながら言った。


「これにはロリ姫を使ってるけど怒らないでね、俺がノリノリで原案作ったんだからまぁ見てよ」


 会田がプレゼンしたゲームは、意外にも戦闘モノだった。


「ビジュアルを最大限に強化して(海野頑張れよ♪)メッチャエロくて最強の戦士(ろりひめ)を育成するんだ! で、ヤンデレのヘタレ王子と一緒に姫が敵を倒して旅を続けるわけ。あ、時代設定や複雑なストーリー展開は江田が頑張るから」


「な、これなら問題無いだろ?」


 雅彦に笑顔で詰め寄った会田、まったく食えない男である。


「……わかった、でも条件がある」

「ん?」

「この仕事を最後に、俺はフリーになる」


『えええっ?!』


 のけ反ったのは江田と織部だ。江田より先んじて我に返った織部は雅彦に尋ねた。


「フリーになってどうするのさ?」

「……依頼されて描くのは最小限に抑えて、日本画に専念する」


 あくまでもオレサマの雅彦は、こんな場面でも『~したい』とか『おねがいだ』などとは決して言わない。弱いのは嫁にだけで、かなり外弁慶な男なのだ。


「いいよ――」


 会田がこともなげに快諾したので、さすがの雅彦も口があんぐりと開いてしまった。


「いいのか?」

「うん、その代り史上最高に可愛くてエロッエロで、最強の姫を作り上げてよ――」


「……わかった」

「織部、海野の作り上げたキャラの肖像権とか法的な事はしっかり書類を作ってよ。あ、それから海野ぉ、解かってるよな? 俺が欲しいのは、ロリ姫よりも可愛い姫だぞ」




 ……というわけで、俺は早ければ来年からフリーだ。

 雅彦の決意の言葉に薫は頷いた、イザとなれば自分が家計を支えれば良い事と薫は思っている。それに、ぶっちゃけ雅彦の財産は大きい。先祖代々の不動産を見積もれば判るが、一生働かなくても大丈夫なくらいのはずだ。しかし結婚して子供が出来る事を考えれば、お金は有る方が良い訳で……それを心配してくれているのだろうと薫は思った。


 それにしても、やはり日本画家の夢は捨てていなかったのか、と薫は嬉しかった。この本家の奥の広い日本間で雅彦が書きためている絵を偶然目にした時、自分はこの日が来ることを半ば予想していたのかもしれない……と薫は思った。その絵は6年前の薫をモデルにしたものや、大人になった姿を描いたもので、雅彦の自分に対する愛情が感じられるものだった。

 しかも、絵の性質はそればかりではなく、実際の薫よりもずっと静謐な姿であったり、妖艶であったりと、やはり芸術性の高さが感じられて、素人目で見ても非常に美しかった。


「雅彦さん、最後にめちゃくちゃ可愛い姫を作り上げてね。私応援しますから」

「か、薫――実は……もうキャラは出来たんだ」

「……へ?」


 雅彦の仕事部屋に入った薫は、精密に描かれたイラストを見せられた。

「ロリ姫より可愛いキャラなんて、お前をモデルにしなきゃ描けないわ、ごめん」

 しれっとそう言い切った雅彦が描いた『ロリ姫より可愛い姫』は、やはり薫の面影を色濃く残したモノだった。それも、ロリ姫よりもセクシーな姿。

 バラ色の頬に潤んだ瞳、華奢な肩。子供体形のロリ姫では無く、男が望む理想的なプロポーションで和服をアレンジした戦闘服に身を包んだ姫は、女の薫が見てもドキドキする様な色気に溢れていた。これが自分を模して描いたなどとは信じられなかった。

 だから言ったのだ、

『良いよ、誰も私がモデルだなんて思わないだろうし』と……


◇◆◇


 翌年のクリスマス、㈱TSOが発売したRPGゲームは、世界中で爆発的にヒットした。透明感の有る美しいアニメーションとキャラクターの美しさは他の追従を許さず、主人公の王子と共に辺境を旅する少女戦士の成長過程が丹念に設定され、その幼いくせにセクシーで強烈なキャラクターは、世界中の男性ファンを狂喜乱舞させた。戦闘モノにも関わらず何故か女性のファンも多く、少女戦士(愛称をパワプリと言う)の衣装や容姿を好みに変化させたり、若干ヘタレ王子との恋愛めいたストーリーが特に大人の女性を魅了したのだった。


 会田から贈られたゲームを自宅でプレイしていた薫は、4か月の息子がパワプリの場面になると画面を凝視するのが可笑しくて仕方ない。

 音は抑えてあるから、単にビジュアルが気になるのだと思う。牧歌的な場面が終わったので画面を消すと、急にぐずりだす。

「あなたもパパにソックリね」

 と笑った。


 そのパパは、昨夜からずっと和室の仕事部屋から出てこない。トイレには時々行っている様だし、用意したオニギリやサンドイッチは空の食器が廊下に出されているから生きているのは確かだ。

 ノッてくるとこういう日が続くので、薫はもうあきらめている。描いていない時の夫は、薫にべったりで、息子の世話もいとわないから助かっているし文句はない。


 『会社での最後の仕事』は、想像以上に大変なもので、これに関わった社内外の人間達は完成までの間、社長でプロジェクトリーダーの会田から、実力以上の力を求められ、苦悩と興奮と混乱の世界であがき苦しんだと聞く。夫の雅彦も例外では無く、最初にキャラクタ―が簡単に出来上がった以外は、苦労の連続だったのだ。一番の苦労は薫と離れ離れの期間が半年以上も続いた事だと本人は言っていたが(笑)


 ゲーム完成後の新作発表会のインタビューで雅彦は、『どのキャラクターに一番思い入れがありますか?』とインタビュアーに聞かれ『姫(パワプリ)です』と言い切った。予想通りパワプリloveを貫いて、会場の苦笑を誘ったのだ。その隣でニコニコと他人事の様に笑っている薫は、密かに会場の男性陣の視線を独り占めしていたが、もちろん気にも留めていない。


 薫を知る者にすれば、この姫が誰に似ているかは言わずもがなで、第一子を出産したばかりの薫の肌は白く輝いて、パワプリも負けてしまうほどの美しさだが、それに気が付いていないのは薫本人だけと言う天然ぶりに周りは癒されてしまうのだ。


 さて……

 ここは県庁地階の喫煙室、産休で長らく姿を見ない『ロリかおりん』の人気は未だに根強い。かおりん夫の会社発売のRPGゲームを購入して早速試した輩は数多く、喫煙室でもその噂でもちきりだった。また、薫の夫が関わった県産品販促キャラも好評で、来期はキャラを全面に出した文房具をメーカーと共同で作ろうかと言う話が進んでいる。

「海野雅彦サマサマだな」

 そんな声が聞こえるものの、皆、薫の姿を拝めない事が哀しくて仕方が無い。今夜もゲームでパワプリの姿を拝んで癒されようと言う訳だ。


 そう、ここ県庁でもあのパワプリのモデルが薫である事は公然の秘密であった。


 END



 追記……雅彦がフリーになっても、会田からの仕事の依頼は絶える事は無かったのだった(泣)

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入道雲の下でラムネを飲む 連城寺のあ @lenor

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