第219話 また会う日まで
「すごいぞー、『温水洗浄便座』を使うと、本当に世界がかわっちゃうんだー。かえったら国中の科学者をあつめて、開発再開だなー。世界中に輸出して、国を再建するお金をバンバンかせぐもんねー」
ビンセントと一美は思わず笑ってしまうが、サラは本気らしい。
タニグチは温度制御が課題だと言っていたが、みんなの英知を集めれば、きっと実現できるだろう。
「それは素晴らしいですね。でも、足下に気をつけてください」
「わかってるよー。え~い……うわ~!」
裂けるような音がして、サラが尻餅をつく。
「だ、大丈夫ですか?」
鼻の頭に泥を付けたサラの両手には、大きなトウモロコシがしっかりと握られている。
「このくらい、平気だもんねー」
庭の一角。一美が趣味で育てている畑である。
ビンセントとサラは、一美の収穫を手伝っていた。
「うふふ。ブルースさん、まるでサラちゃんのお兄さんみたいね。ちょっと過保護かも」
「はぁ」
「サラちゃんの国の兵隊さんだっていうから、もっと荒っぽい人かと思ったけど」
「……どこの国も、変わりませんよ」
そう。変わらない。
大鍋で茹でられたトウモロコシを囓ると、エイプルの物と同じ味がした。
いや、そうではない。これがオリジナルなのだ。
どの世界でも、人は畑を耕し、物を作り、それを売る。
富める者もいれば、貧しい者も居る。
人は生き、笑い、泣き、時に戦い、全ての人はやがて土に還るのだ。
ジョージ王登場以前のエイプルの食糧事情は、酷いものだったという。
頻繁に訪れる飢饉。
栄養価の低い、収穫量も少ない作物。
誰しも、明日をも知れない暮らしを続けていた。
そこで地球から品種改良された作物と化学肥料、農薬が製法とともに導入され、国民生活は劇的に改善した。
食料だけではない。
ペニシリンやストレプトマイシンなどの抗生物質も、地球から製法が伝わった物だという。
それらは、多くの不治の病を治療可能にした。
皮肉にもそれが人口爆発を招き、行き場のない闘志は国家総動員体制を伴う総力戦に至ったのは皮肉であった。
何世代もかかるはずの作業を一瞬で終わらせた事こそ、まさしく『チート』である。
『チート』とはいつの間にか使われ出した言葉だが、直訳すれば『ズル』だ。
地球人が果てしない時間を掛けて地道に積み重ねた成果、回答の丸写し。
あまりにも多くの犠牲者を出した『大陸戦争』という火傷は、火遊びの結果として、ある意味必然だったのかもしれない。
「――だからって……納得できるか」
◇ ◇ ◇
「…………」
日が暮れつつある。
大きくて真っ赤な太陽が、山の陰に姿を隠そうとしていた。
とても、穏やかな夕暮れだった。
この国もまた、あまたの争いを経て、ようやく平和な時代を迎えたのだという。
「すぴー、すぴー……」
疲れて縁側で眠ってしまったサラに、タオルケットを掛けてやる。
子供は暑がりだが、お腹を出していては風邪を引いてしまうだろう。
豚を模した陶器の灰皿には、らせん状に巻かれた香――煙に防虫成分を含むらしい――の煙が立ち上る。
素朴なガラス製の風鈴が、涼しげな音を立てた。
「ごはんですよー」
一美の声が響くと、サラも目を擦りながら起き上がった。
三人で食卓を囲む。
「いただきます」
「いただきますー」
「はい、めしあがれ」
『いただきます』『ごちそうさま』という言葉も、ジョージ王が広めたと言われている。
エイプル人の多くが、今では当たり前のように使っていた。
それも、この国に伝わる食べ物への感謝の言葉だ。
一美が腕によりを掛けて作ってくれた料理は、白いご飯に味噌汁。醤油で味付けをした煮物。焼き魚に、漬物。
今となってはエイプルでもおなじみの物だ。
「お味はいかが?」
「はい、とても美味しいです!」
「おいしー。おばあちゃん、大好きー」
サラが一美に抱きつく。
一美は、まるで宝物を扱うようにしてサラの頭を撫でた。
「うふふ。おばあちゃんも、サラちゃん大好きよ」
この味を忘れられず、ジョージ王は必死になって再現を試みたのだという。
結果、現在では国民食と呼ばれるほどに浸透していた。
不意に疑問が浮かび上がる。
「なぜ、ジョージ王は地球に戻らなかったのでしょう。こんな、素敵な国なのに」
ビンセントが今までに出会った地球人は、誰もが地球を酷いところだと言っていた。
しかし、そうは言いつつもタニグチたちは地球へ帰る事を強く望んでいた。
想像を絶するほどに進んだ科学技術。
美しく豊かな田園風景。
豊富で美味しい食べ物。
温かく優しい住人。
一美も、サラだけでなくビンセントにも良くしてくれる。
どうしても、地獄のような世界とは思えなかったのだ。
逆に、天国ではないかとすら思えてしまう。
「マリアさんが居たからよ……。あの子、幾つになっても結婚はおろか、女の人と付き合う事も出来なかったから――」
そう言って、一美はかぶりを振る。
「――いいえ、違うわ。そうすることが、あの子の意思だった。あの子が自分で選んだ人生だもの、私は応援することしかできなかったわ」
「だからといって……故郷を、家族を捨てられるものでしょうか?」
一美はかぶりを振ると、胸に手を当てて瞳を閉じた。
「いいえ……あの子は、ずっとわたしと一緒だったし、これからもずっと一緒よ。あの子は、幸せだったの」
そこで、ビンセントは一美がずっと過去形で話していた事に気付く。
死んだ息子を思い出させてしまった。
「……たいへん失礼しました。お許しください、王母殿下」
「あらやだ、わたし、そんな大それたものじゃないの、ホントよ!」
「しかし、我が国の王女殿下のお婆さまとあれば、やっぱり……」
「恥ずかしいからやめなさい、んも~」
一美は恥ずかしそうにしていたが、意外に悪い気はしないような様子であった。
窓の外から、まるで鈴のように虫の声が響いていた。
サラが袖を引っ張る。
「ブルースー、あれ見てー」
「ええと、虫? ですか? でも……」
「蛍ね」
「ホタル……?」
その虫は、まるで電球でも入っているかのように、熱の無い緑色の淡い光を放っている。
エイプルでは見たことのない虫だったが、サラは知っているようだった。
「エイプルでもねー、昔はたくさんいたんだってー。でも工場とかいっぱいできて、水が汚れちゃったから、あんまり見なくなったらしいよー。写真みたことあるもんねー」
「そうなんですか……」
どうやらきれいな水がなければ生きていけない虫らしい。
王都やムーサの川は、生活排水や工業廃液が流れ込み、とても生き物の住める環境ではない。
「地球でも昔はそうだったのよ。どこも汚染が酷くて。でも、みんなで頑張って川を汚さないようにしたの。今では、この通りよ」
そう一美は少し得意げな顔をして言った。
「そうだったのですか……」
一美がそっと手を差し出すと、一匹の蛍が指先に留まった。
淡い光が明滅するのを、一美は愛おしそうに眺める。
「今日は、お盆。死んだ人の魂が帰ってくる、と言われる日なの。蛍は、その象徴……今日、あなたたちが来たのも……何かの運命かしらね。あの子が連れてきてくれたのかしら」
現実であるはずなのに、まるで夢でも見ているような。
そんな、不思議な感覚だった。
「そう……ですね。きっと……ジョージ王の導きです」
◇ ◇ ◇
「いい湯だったー。ブルースー、次いいぞー」
「あの、服着てください」
風呂上がりのサラは下着姿である。
「だって暑いしー。……おー? もしかして、わたしの下着姿に欲情したかー? このロリコンめー」
「風邪引きますよ」
一美はこらえきれずに吹き出した。
「うふふ、ブルースさんも早く入っちゃいなさい……ぷぷっ」
サラに続いて風呂を借りる。
適温に保たれた湯に浸かる事で、全身の疲労がまるで溶け出すような感覚だった。
各家庭に浴室があり、浴槽に湯を張って入浴する形式も、これがオリジナルだ。
ボイラーは自動的に制御されているようで、時折燃焼音が響く。
「ん? 傷が……」
ビンセントの半身を覆っていた火傷の跡は、少しだけ小さくなっていた。
幾度となくサラの回復魔法を受け続けた結果かも知れない。
不思議と、戦場の感覚が少しだけ遠くなった気もする。
「……辛いことも含めて自分自身……か」
エリックの言ったことは、全く間違っていない。
戦場に行ったからこそ、気の合う仲間と出会うことが出来た。
しかし、彼らの多くはもう居ない。
地球は人間の住む世界だった。
ならば、死者の魂はどこへ行けば良いのだろう。
ビンセントは浴槽から上がり、蛇口から手桶で冷水を汲む。
「…………」
一瞬躊躇した後、頭から一気に被った。
◇ ◇ ◇
「どうかしら、こちらのお風呂は」
風呂から上がると、一美がスイカを切っていた。
真っ赤な果肉に種が浮き、見るからに美味そうだった。
「最高ですよ。いただきます」
よく冷えていた。
このスイカは、エイプルの物とは少しだけ種類が違っている。
単純な品種の差か、今までに食べたどんなスイカよりも甘かった。
「ぷーっ。ぷーっ」
サラが口の周りを真っ赤にしながら、庭に種を飛ばしている。
種を飛ばす距離を伸ばそうとしているらしい。
一美はそんなサラに目を細めていたが、やがてハンカチを取り出すと目許を拭った。
「…………」
一美もまた、サラに会うことを強く願っていたのだ。
息子を失った母親で、夫を失った未亡人。
そんな彼女のもとに、突然孫が現れたのだ。
存在を知っていながら、異世界という無限の距離に隔てられた二人。
「一緒にお休みになってはいかがですか?」
「えっ?」
一美はハンカチを隠すと、ビンセントの顔を見た。
「異世界転移に必要な触媒は、ある程度のストックがあります。しかし、無尽蔵ではありません」
いつか、二度と会えなくなる日が来る。
しかし、ビンセントはそれを口にしなかった。できなかったのだ。
それでも一美は察したのか、少しの間黙っていた。
「そうね、そうするわ。……サラちゃん」
「なあにー? おばあちゃーん」
「今夜は、おばあちゃんと寝ましょうか」
「やったー! おばあちゃんと一緒だー!」
こうしてサラは、一美の寝室で一緒に寝る事になった。
ビンセントは、客間で一人寝る事になる。
蚊帳というテント状の網の中に敷かれた布団の中で、天井を見上げる。
まるで音楽を奏でるかのように、虫の声が響く。
その虫の声も、一種類ではなく、たくさんの種類があるようだ。
普段なら、雑音のように感じるかもしれない。
しかし、今はまるで音楽のように快適だった。
この国には虫の声を愛でる文化があるという。納得の音色だった。
「……あ」
また、一匹の蛍が入ってきた。
棒で脚を付けたナスに留まり、淡い光を明滅させている。
一美の言葉を思い出す。
今日はお盆。死者の魂が帰ってくる日だという。
ナスやキュウリに脚を付けたお供えは、そのための乗り物だそうだ。
「……!」
不意に聞き慣れた声がした気がして、そのまま外へ出る。
空耳だろうか。鈴のような声で虫が鳴いている。
「あっ」
庭では、無数の蛍が舞っていた。
熱もなく、音もなく。
静かに舞い、淡い光を明滅させている。
「……みんな……そこに……いるのか……? カーチスも……カークマンも。ハットンさんも。エイリー。ロレンス。タリス軍曹……」
戦友たちの笑顔が脳裏をよぎる。
思い浮かぶ彼らの顔は、誰もがみな穏やかな笑顔だった。
「そうだな……一美さんの言うとおりだ。みんな……いつまでも一緒だ……」
ビンセントは膝を付き、足下に生える草を撫でる。
雑草。ただの草だ。
幸福の象徴の四つ葉ではない、普通の三つ葉のクローバー。
一本だけ手折り、頭上に高く掲げる。
空を見れば、エイプルとまるで違う星空が広がっていた。
見慣れた星座は一つもない。
天高く、まるで川のように無数の星が流れいる。
「俺もそのうち行くから、待っていてくれ。……何十年も後になると思うけど」
返事をするように、一匹の蛍がひときわ強い光を放ち、やがて天高く昇っていった。
◇ ◇ ◇
「おいっちにー、おいっちにー」
「おいっちにー、おいっちにー」
朝日を浴びながら、サラと一緒に『ラジオ体操』を行う。
栗須家にはラジオがあるというので、出してもらったのだ。
軽快なピアノ伴奏と、やたらに良い声のかけ声も、これがオリジナルだ。
「ラジオ体操なんて……あなたたち、本当に異世界人なの?」
サラの体操は正確なものだったらしく、一美も目を丸くしていた。
「いただきます」
「いただきますー」
生卵を醤油で溶き、熱いご飯に掛けて食べる。
味噌汁も出汁がよく出ていた。
「美味しいですね、サラさん」
「ほんとだなー。おばあちゃんのうちで朝ご飯とか、あこがれてたんだー」
「気に入ってもらえたようで、何よりよ。サラちゃん……もう、行っちゃうのね」
一美はとても寂しそうな顔をしていた。
「うんー、待ってる人、いるからなー」
「また、会いに来てくれる?」
「もちろんー。わたし、おばあちゃんのこと大好きだもんなー」
「ありがとう。いつまでも待ってるから、いつでもいらっしゃい。……ね」
思わず目頭が熱くなる。
これでサラにも、帰るべき場所が出来たのかもしれない。
つまり、もうサラは天涯孤独ではないのだ。
あとはエイプルに帰れば、任務完了。
これで、ようやく自分自身の問題に向き合えそうだった。
「…………よし」
決意とともにビンセントは顔を上げると、帰還準備のために立ち上がった。
その時、同時に呼び鈴のブザーが鳴る。
「――あら、こんな時間に誰かしら?」
◆ ◆ ◆
イザベラは時計を見る。
「……そろそろね」
ビンセントたちが出発してから、もうすぐ二十四時間が経とうとしていた。
マーガレットとキャロラインの他に、もう一人の男が膝を抱えている。
「それならそうと、せめて……一言言ってくれても、良かったんじゃないのか……ヤスコ……」
「お兄様なら、もっといい人が見つかるわ。マーガレットなんかどう?」
しかし、マーガレットはそっぽを向く。
「わたくし、心に決めた殿方がいますの。ブルースよ」
イザベラはマーガレットにチョークスリーパーを掛ける。
「何言ってるのっ! バカじゃないの! 私の婚約者だって知ってるくせにっ!」
「うぐぐ……」
「ま、そういう事なら僕がブルース君と結婚しようかな。いいよね、イザベラ」
「どういう事よ、言ってる事がおかしいじゃない、キャロラインッ!」
そんな三人を一切気にせず、スティーブはまるでお通夜のような顔をしていた。
「ヤスコ以上の女なんて、いるものか……」
イザベラはビンセントたちが出発した後、地下通路を通り地上へ出た。
タニグチの予想通り、地下部分は無傷だったため、ジョージ王が収集した数々の資料も無事であった。
これならば再建も難しくない。
イザベラはスティーブにヤスコの事を伝えた。
その時は半狂乱だったが、今は多少落ち着いたらしい。
それでも、一縷の希望を持ってここに来たのだ。
「おっと……時間だ。『召喚魔法プログラム』、起動っ、と」
キャロラインがプログラムを走らせると、魔方陣が光を放ち、周囲の空気が歪んだ。
ビンセントとサラだけが戻ってくる手はずだったが、現れた人影は三人だった。
もう一人は、ヤスコだ。
「スティーブ!」
「ヤ……ヤスコ!」
ヤスコはスティーブの腕の中に駆け込んだ。
二人は人目もはばからず、きつくきつく抱きしめ合う。
「ごめんなさい、心配掛けて……!」
「いいんだ、戻ってきてくれさえすれば……! もう、私は何も要らんっ! お前さえ居れば、それでいいんだ!」
「スティーブ……あなたと一緒に……この世界で生きていくわ……!」
こうして、これから二人の時間が始まる。
イザベラとて内心では、こうなると信じていた。いや、願っていた。
「良かったわね、お兄様。さて……」
魔方陣の中心へと視線を向ける。
「ただいまー。お土産あるよー」
ビンセントとサラは、なぜか山のようなトウモロコシを抱えていた。
「ただいま戻りました。これ、地球産のトウモロコシです。どうぞ」
ブルース・ビンセント。
この男の拗らせようは、相当な重症である。
それに、どうやらマーガレットとキャロラインは、意外にも本気でイザベラに挑もうとしているらしい。
キャロラインは特に強敵だが、負ける訳には行かない。
戦争は終わった。クーデター事件も解決した。しかし、本当の戦いはこれからだ。
とはいえ、今は三人の無事な帰還を素直に喜ぶべきだろう。
「ありがとう。それと、……おかえりなさいっ!」
(了)
※ ご愛読ありがとうございました。
物語はここで一旦幕を閉じますが、彼らの日々はこれからもずっと続いていくのです。
きっと平坦な道ではないでしょう。でも、きっと大丈夫です。
彼らとの冒険の日々は、作者にとっても毎日の楽しみでした。
寂しいですけど、これでしばしのお別れです。
感想などいただけると、泣いて喜びますのでお気軽にどうぞ。
いつとは言えませんが、いずれ番外編なんかも書いてみたいと思います。
ぜひとも、フォローはそのままでお願いします。
それではみなさん、いつかどこかで、またお会いしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます