第217話 ジョージ王かく語りき

 続いて表示された映像の背景は、今まさに居るこの穴蔵だった。

 先ほどよりも数年後、やや老け込んだ様子のジョージ王が映っている。


『サラ。お前がこの映像を見ているという事は、俺はもう生きてはいないだろう。ここ最近、身の危険を感じる。万が一の時を考え、これを残しておく』


「…………父様ー」


 この映像が撮影された翌日、ジョージ王は暗殺される事になる。


『何から話すか……そうだな。信じられないかもしれないが、お前が産まれる前……ほんの二十数年前まで、この世界には電気も汽車も無かったんだ。信じられないかな。でもそうだ。俺は母さんに呼び出され……この世界の人々に地球の文明を伝えた』


「べんりにはなったけど……なー」


 確かに便利にはなった。

 しかし、それは同時に多くの悲劇を生んでしまった。

 機関銃も戦車も飛行機も、源流は地球だという。

 大量殺戮の完成であった。


『まるで……歴史の本で読んだ、地球の過去をなぞっているようだ。俺は間違っていたかもしれない。牧歌的で大らかだったこの世界を、地球のように変えてしまった……。それを、どうしても受け入れられない人たちもいるんだ。当然っちゃ当然だな』


 暗殺の犯人はクレイシク王国の過激派という事になっているが、犯人には何の背後関係も無かった。

 普通に考えれば、犯人は『マイオリス・クレイシク』だ。


 しかし『マイオリス』は組織ではなく、地球文化を忌諱する人々の感情そのものである。

 組織のボスを倒せば解決、という訳にはいかない。

 ものすごく乱暴な言い方をすれば、起こるべくして起こった、ということだ。


「たくさん人が死んじゃったけどさー……助かった人も、いるじゃんかー」


 サラは俯きながら、ビンセントの上着の裾を掴む。


「そうですね。俺も、電気とか無い生活は考えられないし……」


 人は一度便利というものを知ってしまえば、なかなか元の暮らしに戻ることはできない。

 ジョージ王の話は続いた。


『文明の遅れた世界で、現代文明を披露して、チヤホヤされたかった……そんな気持ちが無かった、とは言えない。情けないことだがな。地球ではそんな物語がたくさんあったんだ。情けないことだが、地球の現実から、逃避したかった……』


 黙って見ていたタニグチが、ウンウンと頷く。


「わかりますよ。私だってそうなんだ。ただ想定外だったのは、この世界の人々は物語のようにバカじゃなかった。我々に出来ることが、大抵彼らにも出来たって事です。マジックアイテムなどはあったので、基礎的な技術の蓄積はありましたからね」


「お静かに」


 ビンセントが言うと、タニグチは黙った。

 再びガラス板に注目する。


『俺に万が一のことがあれば、お前は一人ぼっちになってしまう。だが、お前は天涯孤独ではない。断じてない。会わせたい人が居るんだ。まず、この机の横を見ろ。見慣れない機械があるだろう』


「これですね」


 大昔の錬金術師が使うようなガラス配管が幾重にも這い回り、奇妙な緑色の板の上に四角い黒い石が幾つも並んでいる。

 無数の電線によって接続されたそれは、例えて言うなら奇怪な生物の内臓のようにも思えた。


『これは、ロッドフォード卿とバレル学長、俺が共同で開発した……そうだな、『異世界転移装置』とでも言えばいいだろうか。転移・召喚魔法の制御をコンピューター・プログラムで擬似的に再現したものだ』


「魔法とプログラムの類似性……学長も確か、そんな事を……」


 マーガレットは何かを知っているらしい。

 ジョージ王の話は続いているがキャロラインが零した。


「お父様と……?」


 ロッドフォード卿は、数年前に病死したという。

 しかし、その最後は謎に包まれていた。


『地球人の召喚を一手に引き受けていた卿は、病気のせいで魔力が衰え、魔法を使えなくなった。そして自分の病気がこちらでは治らない事を知り、地球での治療を望んでいたんだ。今となっては、卿の形見となってしまったな。完成を目前にして、卿は亡くなった』


 キャロラインは、自分のシャツの胸をきつく握りしめていた。

 ロッドフォード卿もまた、必死だったのだ。

 あと少し早ければ、結果は違っていた事だろう。


『母さんは偶然成功させたが、本来転移・召喚魔法は恐ろしく複雑なもの。ジェフリーもキャロラインもまだ子供だ。不完全な術式では、決して上手く行かない。これなら、魔法使いであれば誰でも使うことが出来る。誰でも、だ』


 キャロラインは俯いて唇を噛むと、ビンセントを見た。


「はは、悔しいね……やっぱり、機械には適わないや」


「そうでもありません。キャロラインさんの魔法には、何度も助けられました」


「そう言ってもらえると、僕も嬉しいよ。そうだね、僕たちが一緒なら大丈夫だ。これからもずっと……えっ」


 イザベラの手がキャロラインの襟に伸び、まるで猫のように部屋の隅へ運んでいく。

 キャロラインは痩せ型とはいえ、どう考えても四メートルの鉄パイプより重いはずだ。


「…………」


 ジョージ王の話は続いていた。


『これを使えば、地球との通信はおろか、地球に行く事ができる。もしあの時、地球の病院にかかることができれば、お前の母さんは死なずに済んだかもしれない。もうあんな事はご免だと思い、俺はこれの開発を決めたんだ。苦労したが、これでようやく形になったよ。試運転も済ませてある』


 つまり、誰かがすでに地球に行っている事になる。


『詳細はマニュアルに書いたから、誰かに読んでもらうといい。触媒となる魔石に魔力を込め、制御プログラムを走らせるだけだ。転移先は、おじいちゃんとおばあちゃんの家だ。二人には俺から全てを話してある。必ずやお前を守ってくれるだろう』


「おじいちゃんー……? おばあちゃんー……?」


 母方の祖父母である先王夫妻は、サラが産まれるよりも前に崩御している。

 それは、エイプル国民の誰もが知っている事実だ。

 つまりジョージ王の両親という事になる。


『……最近、色々ときな臭い情勢でな。すぐに、という訳には行かないだろうが、いずれお前を連れて行くつもりだ。おじいちゃんとおばあちゃんに、会ってやってくれ。きっと喜ぶぞ。じゃあな』


 そこで再びガラス板は黒くなった。

 やがてピコン、という音が鳴り、画面に変化が訪れた。

 タニグチが何やら操作すると、地球の象形文字が踊り回る。


「お、メールが届きましたね。電源を入れると、自動的に送信する設定になっていたようです。これは返信ですね。……送信者は……栗須一美くりすかずみ。読みますか?」


「メールだとー? 手紙のことかー?」


「ええ、地球では広く普及している連絡手段の一つです。電信の進化版みたいなものですよ。どうやら、やはりこのLANケーブルで繋がった異世界転移装置で地球と通信が出来るようで。初期は魔法で繋いでいたのでしょうね。私たちの時はありませんでしたから」


「読んでくれー」


「ええとですね。『メール、受け取りました。サラちゃんに会えるのが、とても楽しみです。おばあちゃんより』……とあります」


「…………」


 ◇ ◇ ◇


「ネモトさんも、ヤスコさんも……遺言の内容を、分かっていたんですね」


 口には出さなかったが、おそらくはエリックもそうだ。


「譲二のご両親の事は知らなかったが、おおよそ思った通りだったよ。こちらでの暮らしが長くなればなるほど、地球の光景が強く胸に浮かぶようになったからな。きっと、譲二もそうだったのだろう。結局、どこまで行っても私たちは地球人なんだ。夢の中で、何度家の玄関をくぐったか分からない……」


 ネモトは唇を噛みながら、目に涙を浮かべていた。

 しかし、ビンセントには男泣き咎めることはできない。


「……俺も……リーチェにいた頃は、そうでした」


 タニグチは、キャロラインに装置の使い方を説明していた。

 ジョージ王の言うとおり、『ノートパソコン』の内部に詳細なマニュアルが収められていたのだ。

 この小さな装置には、何万冊、何十万冊もの書類を収められるという。

 まっとくもって想像も付かない。


「とまぁ、こんな具合です」


 帰るときは地球側では何も出来ない。

 あらかじめ打ち合わせておいた時間に、こちらの世界で逆操作を行う事で、最初に着いた場所から呼び戻す事になるという。

 注意点としては、必ずその時間、その場所に居る必要がある。

 時計を確認する。現在時刻は、午前十一時。

 二十四時間後に呼び戻す手はずになっていた。


 魔方陣の内側に、ネモト、タニグチ、ヤスコが立つ。

 サラはビンセントの手首を両手で掴んだ。


「兵隊さんの護衛もいるよなー、常識でかんがえてさー」


「えっ? 俺ですか」


「地球には魔法が無いってハナシだからなー。たぶん、使えると思うけどー。それに、母様が用意してくれた名前の件もあるしー」


「それは偶然ですけどね。親父も何も言っていませんでしたから」


 サラは、地球行きの護衛にビンセントを指名した。

 イザベラとマーガレットは、キャロラインに付いてこの場で待機する事になる。


「あの……ヤスコさん。本当に……本当に行の? お兄様に何も言わずに……」


 イザベラの言葉にヤスコは目を伏せ、絞り出すようにして言った。


「……ごめんなさい。スティーブとの日々は、とっても幸せだったけど……私も、そろそろ現実を見なくちゃ」


「現実って何よ!? ヤスコさんにとって、お兄様は現実じゃないの!?」


「……この世界の出来事全てが、地球人にとっては夢……みたいなものよ。……それにね、やっぱり人は一生……故郷が心から消えることはないの」


「ヤスコさんの……バカッ!」


 真っ赤になって震えているイザベラの肩を、マーガレットは優しく抱きしめる。


「スティーブも、きっと分かってくれますわ」


「…………」


 イザベラは、黙ったまま顔を伏せる。

 その際目が合うと、とても寂しそうな笑みを浮かべた。


「ブルース……あなたは、帰ってくるわよね?」


「もちろんです」


「……なら、いいわ。お土産よろしくね。キャロライン!」


 キャロラインは頷くと、キーボードにある一番大きなキーに指を乗せた。


「時刻を確認してください。帰還は二十四時間後、明日午前十一時ですからお忘れ無く」


 時計を確認する。

 筋肉モリモリマッチョマンがポージングした時計が示すのは、午前十一時ちょうど。

 一分の狂いで置いてきぼりを食らう可能性を考えれば、確かに借りて正解である。

 しかし、どうしてもデザインが気にくわない。


「――では、良い旅を!」


 真っ黒なガラス板に無数の文字が流れ、周囲の景色が歪んでいく。

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