第214話 設計図

 夕食の支度をしてくれるのは、レイラたち『捕虜』だ。

 ヨーク少尉の厳重な監視のため、毒物などは一切使用できない。

 こればかりはヨーク少尉を信用するしかないだろう。


「ええと、マムシエキスとスッポンの生き血と……マカ、ニンニク、鷹の爪、それから……」


「あの、レイラさん、いったい何を?」


「あなたの好物ばかりよ、ビクター。見ての通り、毒なんて入っていないわ。ねっ?」


 厨房の横を通りかかると、ついうっかりそんな会話が耳に入ってしまう。

 一体ナニを作っているのだろうか。

 カレー粉は究極の調味料と言われるが、全てをカレー味にしてしまう。


「まぁ、いいか……」


 聞かなかった事にする。


「わーい!」


「あはは、そっちそっち!」


「うわーん!」


 廊下の窓からは、仔犬のようにじゃれ合う子供たちの声が聞こえてきた。

 エドガー、サム、グレン、ローラ。

 彼らは、サラを王女と知ってなお、以前と変わらない態度で素直に再会を喜んでいた。

 それは、素直に喜ばしい事だった。


「子供は、元気だな……」


 やはり、子供は子供同士の方が良いのだろう。

 大人顔負けの知識でビンセントたちを導いたサラも、こうしてみれば年相応の子供にしか見えない。

 顔に泥を付けて、無邪気に遊んでいる。


「終戦、か」


 四年。


 四年の長きにわたって繰り広げられた、人類史上初の国家総力戦『大陸戦争』は、今朝をもって休戦に入った。

 現在も本格的な終戦処理を巡って、中立国アリクアムで過酷な外交戦が繰り広げられている事だろう。

 エイプル側の全権大使として、イザベラの父が出向いているらしいが、あまり期待は出来ない。


 リーチェでどうにか連合軍を食い止めるだけで精一杯だったエイプル王国は、不利な条件での講和を強いられる可能性が高かった。

 それは、言い換えれば敗戦とも言える。


「……夕日だ」


 日が暮れつつある。

 夕日は嫌いだった。

 今日と同じ明日が来る保証なんて、どこにもない。

 夜明けをもう一度迎えられないかもしれない。

 そんな日々が、当たり前だった。

 銃声も、怒声も、精神を蝕む雨も無い。

 電灯の灯りだけが室内を照らし、眩しい照明弾が打ち上がる事もない。


 日が沈むのもすっかり早くなり、少し冷たい風が吹き始めた。

 この辺りは街灯も少なく、夜は真っ暗になる。


「いいのかな……」


 そして、それでもまた明日は来る。

 多くの仲間が信じ、そしてたどり着けなかった明日が。


「――俺だけ……生き残ってしまって」


 胸に広がるのは、罪悪感だった。

 たくさんの仲間が死んでいったのに、自分だけが生き残っている。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「大いに結構。戦争なんてね、結局外交の延長なんですよ。話し合いだろうが殴り合いだろうが、結局は国同士の利害のぶつかり合いです。いち個人がどうなろうと、大勢に影響はありません」


「なんであんたが」


 振り返ると、そこに立っていたのはタニグチだった。

 いつの間にか枷を外している。

 タニグチは、親指ほどの曲がった針金をこれ見よがしに見せつけた。

 ピッキングで開けたらしい。


「逃げない、と言ったでしょう。……地球でも、昔ありましたよ。国力の全てを戦争のためだけに投入する大戦争がね」


「……それで、どうなったんですか」


「最初の『世界大戦』で敗れたある国は、戦勝国から天文学的な額の賠償を課せられ、その支払いのために経済が破綻しました。そのため国民は困窮を強いられ、不満が溜まっていきます。その結果、人々は独裁者に希望を託し、結果…………」


 そこで、タニグチは言葉を切り、視線を逸らした。


「――その独裁者は、全世界に向けて戦いを挑み、前回を上回る規模の『世界大戦』が再び勃発したのです。本当に全世界を巻き込み、莫大な犠牲が出ました」


「…………」


「また別の国では、国を支配していた皇帝を処刑し、過激派が国を掌握しました。彼らは理想主義的な看板を掲げ、誰しもが平等な世界を作ろうとしましたが……結局、皇帝が党の指導者に代わっただけで、貧富の差は依然として無くなりませんでした。統制された計画経済のもとではイノベーションは生まれず、時代遅れとなったシステムはやがて崩壊していきました」


「……結局、平和なんてかりそめに過ぎない、と?」


 しかし、タニグチはかぶりを振る。


「この世界には、多くの地球人が流入しています。その中では、国の重要なポストに上り詰めた者も居る。ジョージ王はその代表ですよ。彼らは地球の歴史を知っていますから、この新しい世界で同じ轍を踏むほど愚かではないでしょう。人生やり直したい、と思っているのは、個人だけではないのです。世界そのものが、やり直しを望んでいるのかもしれません」


「世界、そのもの?」


「ええ」


 思いも寄らない言葉だった。

 科学者のタニグチの言う事とは思えない。


「しかし、失敗も含めての歴史でしょう? 聞きかじりの知識だけでは、実感が伴わない」


「問題はそこなんです。エロ本をいくら読み込もうと、実戦の経験値にはなりません。ちんこ未使用人間は、結局ちんこ未使用です」


「…………」


 適切な例えではないと思われる。


「過ちを犯す事を恐れているだけでは、前へ進む事は出来ないのですよ。この世界の人々は、好奇心が旺盛ですから。きっと、我々が思いも付かなかった新しい方法で、未来を目指してく事でしょう」


 タニグチの言葉に、少し違和感を感じる。


「そうでしょうか? ムーサの人たちは、随分と保守的でとにかく前例踏襲、みたいなノリなんですが」


「それでも、私の国よりはまだ冒険的ですよ。リスクを承知で行動する、絶望的な状況でも諦めない、そんな若者もいる。……あなたのようにね」


 その時、厨房から鍋をガンガンと叩く音が響いた。

 美味しそうな料理の匂いも強くなる。


「みんなー! ご飯ですよーっ!」


 レイラの声だ。


「買いかぶりですよ。もう行きましょう」


 ◇ ◇ ◇


 食堂で一斉に食事を取る。

 タニグチによれば、この『カレーライス』も元々は地球の料理だという。


「ジョージ王は、地球の味を再現しようと躍起になっていました。やはり故郷が恋しかったのでしょうね。こんな時に話すのも何ですが、私が『温水洗浄便座』の試作品を完成させたその日、彼の亡くなった報せが届きました」


「なんだそれー?」


 サラが身を乗り出す。

 やはり機械の話は好きなようだ。


「うんこをした後、温水シャワーで肛門を洗浄する装置です。私の祖国では、どこの家庭にも普及していますよ。あれに慣れてしまえば、もう元の暮らしには戻れません。特に、こういった辛い物を食べた翌日は必需品とも言える物でした」


 カレーを食べているときにする話ではない気もするが、サラにとっては父親の話だ。

 マーガレットが何か言いたそうにしているが、黙っている。


「どんな感じー?」


「それはもう……天にも昇るような快適さです。いかにトイレットペーパーが柔らかくなろうと、あれを越える事はできません。切れ痔に苦しむ人々の救世主です。……ただ、それ以来開発にかかる予算は大きく減らされ、製品化には至りませんでした。地球出身の技術者は、多くが同じ目に遭っています。エイプル王国の科学力が衰えたのも、その頃からですね。引く手あまたの地球人技術者は、多くが外国に引き抜かれましたから」


 そう言うと、タニグチはスプーンを置いて立ち上がる。

 ポケットからライターほどの大きさの物体を取り出すと、慈しむような目をして眺めていたが、やがてサラに差し出した。


「――どうぞ、殿下。このUSBメモリは私からのプレゼントです。この中に設計図が入っていますから、王城の地下にある『コンピューター』を使えば読み出す事が出来るでしょう。地上部分と違って地下は随分と頑丈に出来ていますから、おそらく無事なはずです」


「おおー!?」


「量産の暁には、大ヒットは間違いありません。国を立て直す資金源となりましょう。まだ温度制御が課題ですがね」


「なんだー? おまえが作ればいいじゃんかー」


 しかし、タニグチは寂しそうな笑みを返すだけだった。


 ◇ ◇ ◇


 夕食を終え、カーターと子供たちが手作りした風呂で入浴を済ませた後の事だ。


 ドアノブに手を掛けようとして、思わず固まってしまった。

 ビンセントに割り当てられた寝室では、何やら揉め事が起こっているようだ。


「ちょっと。なんであなたたちがここに居るの!?」


 イザベラが怒鳴る声が聞こえる。


「それはあなただって同じじゃありませんこと?」


「そうそう、エッチなのはいけないよ」


「その通りですわ、キャロライン。ねー?」


 マーガレットもキャロラインの声もする。


「僕もね、この前は赤ちゃんが出来たかと思っちゃったくらいだもの。あの時はさすがにドキドキしたなぁ」


「……ちょっと、詳しく聞かせてもらおうかしら」


 ドアの向こうからは、そんなやりとりが聞こえてきた。

 非常に開けづらい。


「ちょ、ちょっと来い」


 肩を掴まれ、振り返るとそこに居たのはヨーク少尉だった。

 青ざめた顔で、額には脂汗が浮かんでいる。

 非常事態らしい。


 ◇ ◇ ◇


「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ…………」


 カーターの部屋では、相変わらずカーターが鏡の前でダンベルでトレーニングをしていた。

 今日くらい休めば、と言うと、それは出来ないという。

 ベンチプレス用のベンチに腰掛け、ヨーク少尉は頭を抱えていた。


「……つまり、レイラさんたちに迫られて困っている、と」


「あ、ああ。……お、俺にはジャスミンという婚約者が居るのに……。エイプルでは一夫多妻が合法だから、って」


「はぁ」


 元々はジョージ王の時代に制定された法律らしい。

 異世界を知識チートで成り上がり。

 あっけない最後を除けば、素晴らしい。

 おかげで平民の男が大量に余ってしまった。

 多くの女性が貴族の元へ殺到したためだ。

 一説には、そのフラストレーションが戦争のきっかけとも言われるが、皮肉にも『大陸戦争』がその不均衡を是正した。


「はぁ、じゃないだろう! ど、どうしよう……」


「…………まぁ、なるようになるんじゃないですか」


「そ、それは無責任発言だぞっ!」


「知った事じゃないですよ」


 ビンセントは手近な毛布を被り、横になる。

 疲れているからだろうか、つい口調が荒くなってしまう。

 いや、疲れだけではない。

 ヨーク少尉の煮え切らない態度に、無性に腹が立った。


 まるで、鏡の中の自分自身を見ているように。


「そんな! お前なら……」


「ヨーク少尉」


「はひっ!?」


 ドスのきいた声は、自分でも驚く程だった。


「結婚だの子育てだの、そんなものは今や、恵まれた富裕層がするものです。それに第一、俺は……みんなが愛だの恋だの言って青春を謳歌している間、ず~っとリーチェの泥の中ですからね。恋愛の仕方なんて、知りません。……俺に出来るのは…………戦争だけです」


「……あんまり、悲しい事は言うな」


 構わずに目を閉じる。とても疲れていた。

 ヨーク少尉の声は、少しだけ震えていたような気がする。


「すいません。ただ……短い間ですけど、ヨーク少尉の部下だった頃は、それなりに充実した戦場暮らしだったと思います」


「……そ、そう? そりゃあ良かった。ははは」


「…………」


 ビンセントの意識は、そこで深い眠りに落ちていく。

 目蓋が鉛のように重くて、どうしても起きていられなかったのだ。

 とても、とても長い一日だった。


「今でも……今でも、俺はお前のことを部下だと思っているよ、ビンセント。お前のその考えは間違いだって、いつか必ずわからせてやる!」


「カッコよくキメたつもりかもしれんが、相棒、もう寝てるぜ」


「…………」


「ほっ、ほっ、ほっ……それに、相棒こそ放っておいてもなるようになる。コイツは別に、鈍感系って訳じゃねぇんだ。多少ヘタレで優柔不断かもしれんが。……気楽に行けよ、上官殿! ほっ、ほっ、ほっ……」


 カーターがトレーニングをする音だけが、深夜まで響いていた。

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