第四章 さらば、魔法王国

第212話 夏の思い出

 エリックはビンセントの姿を認めると、鉄格子越しに手を挙げた。

 この鉄格子は、あらゆる魔法を無効化するマジックアイテムである。

 製法は失われているが、実際に魔法使いに使われるのは三十年ぶりだという。


「……よう」


「…………」


「相変わらず気に入らない目つきだ。俺は、同情されるのが一番嫌いでね」


「……だからこの目は」


「いや、すまなかったな。その目は生まれつきか。……あちこち探してみたが、三文小説みたいに秘密の通路は無いようだな。しっかりしてやがる」


 エリックは、思ったよりも元気そうだった。

 服は破れ、全身に傷や痣があるものの、生命に別状は無いらしい。


「でしょうね。本当はあなたを、今ここでぶっ殺したいのですが」


「怖いな。だが、できるかな? 衛兵が見張っているぜ」


 すでに逮捕されている囚人に、私的な制裁を加えることは許されない。

 それに、ここに来たのは理由があった。


「一つ聞きたいことがあります」


「何だ?」


「ジェフリーさんは、なぜあなたを嵌めたのでしょう。本人に聞きたくても、入院中で全治六ヶ月とか。知ったところでどうなるものでもありませんが、何となく気になって」


「…………ふむ」


 エリックは腕組みをすると、少しの間考えるそぶりを見せた。


「――ビンセント。お前、ペルシカ・パークに行ったことは?」


「ありません」


 エリックの口からは、意外な言葉が出てきた。

 ペルシカ・パークとは、王都にあるレジャー施設で、富裕層が休日を過ごすのに使われる。

 プールやカジノ、レストランやホテルなどが一通り揃っているらしい。

 ジェットコースターや巨大な観覧車がそびえているのを敷地外から見上げたことがある。

 当然、ビンセントは行ったことがない。

 そもそも、大多数の平民にはレジャーという概念すらないのだ。


「王立学院の学生がな、休日なんかにけっこう行くんだ。プールで泳いだり、ボウリングやったり。カスタネの温泉街と並んで、けっこうお勧めだ」


「そうなんですか」


 入場料で月給が吹き飛ぶ世界だ。

 生涯、行くことはないだろう。


「あれは確か……去年の夏休みの初日だったかな……」


 エリックは、遠い目をして語り始める。


 その日、エリックとジェフリーをはじめ、何人かのグループでベルシカ・パークへ遊びに行ったという。


「男女混合グループですか。羨ましいですね」


 平民の学校は男女別で、職業教育が中心だった。

 同じ教室で男女混合という時点で想像も付かない。


「そうでもないぜ。結局男と女だし、色々ある」


「俺たちには何もありません」


 あるわけがない。

 そこは、腕力が全てを支配する世界だった。

 文化のかけらもなく、荒廃した学び舎は、教室で堂々と違法薬物が取引されるほどだった。

 学校という密室では、あらゆる犯罪が隠蔽される。完全な無法地帯だった。


 しかも途中で出征したため、中退である。

 エリックは少しだけ申し訳なさそうな顔をしつつも、話を続けた。


「その日、ジェフリーはいつもにも増して明るく振舞っていた。それはもう、不自然な程にな。様子が変なのでこっそり呼び出してみると、アイツは言ったよ」


「何と?」


「今日、ローズに告白する、ってな。でも……その時すでに、俺とローズは付き合っていた」


「あの、マーガレットさんは……」


「当時すでに留学中でな。それに、恋愛と結婚は別だろう」


「はぁ」


 どこか腑に落ちない。

 キャロラインから断片的ではあるが、その辺の事情も聞いてはいた。


「別に隠していた訳じゃないが、何となく機会がなくて言わないうちに、アイツの気持ちは膨らんでいったようだ」


 恋と友情の板挟み、というやつだ。

 当人同士では大変なことだろうが、傍から見ている分には気になるもの。

 ビンセントたちとは真逆であり、あまりにも眩しかった。


「なるほど。エリックさんはローズさんを信じていたし、仮にローズさんがジェフリーさんを選んでも、それはそれで祝福してやるつもりだった、ということですか……」


 ビンセントは思わず納得して頷きかけたが、エリックの言葉は予想外だった。


「いや? ローズはもう俺と付き合っているから身を引け、その方がお前のためだ、とはっきり言ってやった。攻撃魔法で脅しをかけてな」


「は?」


「当たり前だろう。ローズは俺のお気に入りでな、万が一にでも取られる可能性は潰しておきたかった。あいつ、けっこう押しに弱いからな」


「は?」


 何か、強烈な違和感を感じてしまう。

 良家の子女が集う王立学院は、平民など及びもしない高尚な世界ではなかったのか。

 そもそもさっきと言っていることが矛盾していないか。

 いやむしろ、矛盾していないからこそこうなるのか。

 なら、何が正しいのか。

 そもそも、正しい、間違い、という概念がそもそも適切ではないのかもしれない。


「どうかしたか?」


 エリックはさも当然、といった態度だった。


「……お前のため、って言うより、エリックさん自身のためですよね?」


「そうだが?」


「…………」


 ジェフリーが、エリックを殺そうとした理由がよくわかった。

 じつに単純である。

 エリックがジェフリーにしたことは、ボス猿が他のオスを群れから追い出すのと同じだ。

 これが動物界最高レベルの知能を持つと言われる人類だろうか。

 これではまるで――


「俺も、お前と変わりないさ」


「…………」


「いくらでも替えが効く、使い捨ての消耗品。かけがえのないものなんて、何一つありはしない。夢も、希望も、愛すらも。全ては誰かが邪魔をする。何も得られない……まるで底無し沼だ。幸せは砂みたいに、指の隙間から逃げていく。風みたいに通り過ぎていく。決して掴めない」


「…………」


 小さく見える肩。

 死んだ魚のような目。

 疲れ切った顔。


 戦場で見た、多くの兵士と同じ。

 これが、エリックの素顔だった。


「……そんな沼の中で上を見上げりゃ、まるで全てを手に入れたかのような、キラキラと眩しい世界を幸せそうに生きている、そんな奴もいる。……羨んでも仕方が無い。自分とは違うんだ、そんなふうに思い込もうとして、納得しようとして」


「…………」


「幸せは人それぞれだ、せめて自分なりの生き方を、と決心しても、……それでも誰かが邪魔をする。お前なら分かるだろう」


「…………はい」


 ビンセントは素直に頷いてしまう。

 エリックが話しているのは、地球で生きた前世の話だということがよく分かる。


「結局、どこの世界も同じでね。神様は決して俺たちの味方じゃない。欲しいものは待っていても手に入らないし、かといって追いかければ逃げていく。……人生なんて、そんなものさ」


「…………」


 ビンセントの顔を見て、エリックは意外そうな顔をした。


「……驚かないんだな。それもそうか。幸せで順風満帆な奴は、異世界転生して人生やり直しなんて望まないからな。……お察しの通り、俺の前世はクソみたいな人生だったよ。奴隷同然の……いや、奴隷以下の暮らしさ。何かをする気力も体力も時間も金も、全て吸い上げられちまう。……起きて、働いて、飯食って寝るだけ。それならまだ良いが、果てしなく続く暴言と人格否定で、自分はダメだ、と自分でも思い込んじまった」


「…………」


「…………なぁ。さっき言った『邪魔をする誰か』って…………もしかして、俺自身だったのかもしれないな」


「…………」


「……せめて」


「…………」


「せめて、もう少し早く気付いていたら……違った未来も、あったのかな…………?」


 まるで、自分自身を見ているようだった。

 鉄格子の向こうで、異臭のする簡素なベッドに腰掛けるエリックは、今までに見た事もないような、弱々しい表情でビンセントを見つめていた。


「エリックさんに分からないのなら……俺にもきっと分かりません。ただ……」


「ただ?」


「それでも、俺は……生きていくしかありません。……今生きている、この世界で」


 エリックは微笑を浮かべると、何も言わず頷いた。

 何か納得したような、そんな顔に見えた。


「なるほどな……。俺は以前、お前に聞いた。人生やり直したいと思っているだろ、って。それが答えか」


「はい。俺は異世界転生できませんから」


 前世がどうであれ、エリックは今エイプルの貴族だ。

 明確な国家反逆罪ではある。

 しかし、エイプル王国では貴族が死刑になる事はない。平民とは違う。

 命の価値は、決して平等ではない。

 ちなみに、平民に対しては切り捨て御免の特権があったりする。


「一つだけ言っておきたいことがある」


「何でしょう」


「疲れたら、休め。王様だって代わりは居るんだ。お前一人休んだところで、世の中は回る。もっと気楽に、好きなようにやれ。死んだらそれっきりなんだろう? 周りなんか気にするな。せっかく拾った命、お前自身のために使え」


「!!」


 エリックの言っていることは、例の上官とほとんど同じだった。

 しかし、ほぼ同じ言葉にも関わらず、その意味は全く違っている。

 胸の中で張り詰めていたものが、少しだけほぐれたような気がした。


「……なんだ? 何か変なこと言ったか?」


「いいえ。……エリックさんも」


「ああ。いい機会だし、ここでしばらく休むぜ。……また会おう、ブルース・ビンセント」


 結局、エリックはただの人間だったのだ。

 ビンセントと何ら変わるところはない。

 だから、素直な気持ちを伝えた。


「ご冗談を。俺はあなたが嫌いです。二度と会うことは無いでしょう」


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