第211話 変わる世界

「あ、あれ……何だ!?」


 誰かが空を指さすと、あちこちで人々は空を見上げた。


「ドラゴン……いや、違う! 機械だ!」


 その日。

 王都の人々は、空を飛ぶ見た事もない影が列車砲基地に向かうのを見た。


 よほどの年寄りであっても、ドラゴンが空を飛ぶ時代を知る者はいない。

 ドラゴンが空を舞い、妖精が人々のすぐ近くで暮らしていた時代は、遠い記憶の彼方へと消え去っている。


 それが人工物だと分かると、人々は人類が重力の鎖から解き放たれた事を知った。

 他の国ではとっくの昔に実用化されている飛行機を、初めて目にした瞬間である。


 巨大な影は魔物の叫びのような爆音を奏で、煙を噴きながら高度を落としていく。

 途中、小さな傘のようなものが二つ空に浮かんだ。

 落下傘だ。その先には、どうやら人がぶら下がっているらしい。


 巨大な影は列車砲に体当たりし、ひしゃげる音とともに大爆発を起こし、煙と炎が上がった。

 金属の輝きとオイルの焼ける匂いは、人々にそれが機械であると伝えるにはじゅうぶんだった。


「魔法の王国が……終わった……」


 王城は、砲撃によってすでに瓦礫の山と化している。

 魔法使いの貴族を支配者として戴く『神聖エイプル』の滅亡も、誰の目にも明らかだった。


 落下傘で降りてきた男女が、ハーネスを外しながらも言い合いを始めだした。


「何だよっ! 考えてくれるんじゃなかったのかよ!」


「ですから、考えた上での判断です。彼氏に悪いですから」


「先に言えよォ! 馬鹿にしやがってよォ!!」


 二人の服装は珍しかったが、言っている事は誰もが理解できた。

 とてもくだらない内容だった。

 そして、それはその男女がごく普通の人間である事を表していた。

 特別でも何でもない。そんな彼らが、あの物体を飛ばしていたのだ。


「なぁ……」


「う……うん……」


 人々は迷い、互いに顔を見合わせた。


 貴族が力を失ったのなら、いったい何に従えばよいのだろう。

 誰が秩序を定めるのだろう。

 それよりも、明日のパンは買えるのだろうか。

 再び暴力の支配する、無法の荒野になりはしないか。


「戻って……みるか……?」


 不安と期待の入り混じった複雑な気持ちで、人々は王城のあった場所を目指した。


 勢いに任せて乗り込んだものの、危険を感じて一度は逃げ出した場所だ。

 後ろめたさも無いではない。

 しかし、戦いの結末が気になったのだ。


 何か道標が見つかるかもしれない。

 そんな期待を抱きながら。


「大ニュースだーっ! 号外! 号外ぃ!」


 そんな人々の流れの中を、一人の少年が駆け抜けた。

 この近所で毎朝、暗いうちから新聞の配達をしている少年だった。

 すり切れて接ぎの当たったシャツには、びっしょりと汗が浮かんでいる。

 少年がばらまいた号外を拾った人々は、一様に目を丸くした。


『大陸戦争、終結す ――チェンバレン伯爵の外交手腕、存分に発揮さる』


 見出しは、誰も見た事もないような大きな活字で印刷されていた。


 ◆ ◆ ◆


「あっ! 目を覚ましましたよ、サラ様! 良かったぁ! 僕、もう駄目かと思って!」


「そりゃーわたしの魔法を使ったからなー。だいじょうぶかー?」


 ビンセントが目を開くと、サラとキャロラインの心配そうな顔が目に映る。

 地上に降りてから、すぐに駆けつけてくれたらしい。

 二人もどうやら無事だったようだ。


 その後ろには、あまり見たくはないカーターの腹筋が蠢いている。


「ハッハッハ、サラさんの回復魔法が効かない訳がないだろう! オレ様の傷のようにな! 見ろ、あれだけの重傷が、こうだッ!!」


 もう穴は空いていないところを見せたいのだろうが、服を脱ぐ必要は無いはずだ。

 しかし、それを指摘する元気はない。


「ありがとうございます……サラさんたちも、ご無事で何よりです」


 ビンセントが身を起こすと、場所は変わらず地下室だ。

 先ほどとは違い、兵士や衛兵で周囲はごった返していた。


 エリックたちは魔封じの鎖でぐるぐる巻きにされながら、今まさに連行されようとしているところだった。

 ビンセントと目が合うと、エリックはたった一言。


「効いたぜ。お前らの勝ちだ」


『お前』ではなく『お前ら』。ビンセントは無意識に頷いていた。


「おほほほほ、ざまぁですわ、ざまぁ」


 マーガレットは非常にテンションが高く、口と目を三日月のようにして笑っていた。


「哀れで惨めなエリック、わたくしの元・婚約者さん。同情のオマケにこれをお返ししますわね!」


 マーガレットはポケットから、光る金属の輪を取り出した。指輪らしい。

 なんだかんだ言って捨てずに持っているあたり、未練があったのだろう。

 エリックは吐き捨てるように言う。


「……俺のポケットに入れてくれ」


 マーガレットは指輪をエリックの胸ポケットに納めると、そのまま手のひらを胸に当て、俯きながらこぼした。


「……昔のままのあなたなら……よかったのに」


「言うな。変わらないものなんて、何一つ有りはしない。お前だってそうだ」


「わたくし?」


「ああ」


 そこでエリックは言葉を切った。

 爽やかで、嫌みの全く無い笑顔を見せる。


「以前よりずっと、奇麗になった」


「…………………………ばか」


 そのままエリックたちは連行されていく。

 こちらに背を向けたままのマーガレットの顔は見えないが、真っ赤になった耳を見ればどんな顔をしているか想像はつく。

 もし見れば、恋してしまうかもしれない。


 そんな事を思っていると、一人の身なりの良い青年が近づいてくる。


「よく頑張ったな、ブルース」


「はぁ」


 その貴族らしい見慣れない青年は膝を付き、ビンセントの肩に手を置いた。

 琥珀色の瞳に亜麻色の髪をきれいにセットした美丈夫だった。

 この男とは初対面だったが、どこかで会った気もしないではない。


「お前にはあと一つだけ仕事がある。なぁに、すぐに済む話だ。すぐにイザベラが来るから、後はあいつの言うとおりにしてくれればいい」


「中佐、撮影班の準備が出来ました」


「うむ」


 従兵に呼ばれ、妙に親しげな青年は立ち去った。

 しかし、どうしても思い出せない。

 初対面としか思えなかった。


「…………」


 しかし、カーターをはじめ全員と親しげに会話しているので、今さら誰とは聞きづらかったのである。


 やがて入れ替わるようにしてバタバタと足音が響き、地下室の入り口にイザベラが姿を現した。


「準備できたわ! さぁ、ブルースも早く!」


「え?」


「いいから早く!」


 言われるがままに地上に出る。

 最初に目に入ったのは、瓦礫の山と化した王城だった。


 周りを見ればいつの間にか、逃げ出していた多くの市民が戻ってきている。

 期待のような、不安のような。

 そんな眼差しでイザベラを見つめている。


「重くて一人じゃ持てないの。みんなで立てましょう?」


「えっ? そのくらいは」


「何かしら?」


 イザベラの力なら余裕な気もするが、失礼な気がするので言わずにおく。

 彼女が担いでいるのは、少し曲がった鉄パイプだった。

 長さは四メートルほどで、大きなエイプル王国の国旗が括り付けられていた。

 

 何だかよく分からないままに、ビンセントも混ぜられる。

 イザベラを先頭に、マーガレット、キャロライン、カーター、そしてサラが一緒になって鉄パイプの旗竿を担ぎ、少しずつ瓦礫の山を登っていく。


「よいしょー、よいしょー」


「気をつけてください。危ないですよ」


 頂上に着くと、意外に高い。

 下を見ると、思わず少し足がすくんでしまう。


 先ほどの青年が目に入る。

 彼の隣には、三脚に載せられた大きなカメラをのぞき込む男の姿があった。

 よく見れば、ウィンドミルだ。

 どうやら彼もカメラを使えるらしい。

 そして、その近くで飛び跳ねながら両手を振っている小柄な少女。


「なんであいつが……? まぁいいか、元気そうだし」


 妹のレベッカがなぜか王都に来ていたらしい。


「いい? いくわよ、せーのっ!」


「よいしょっ!」


 強い風に旗が揺れる中、イザベラの合図に会わせて、六人で協力して旗を立てた。

 丁寧にも、鉄パイプを立てるためにちょうど良い穴を開けたコンクリート塊がしっかりと設置されていたのだ。

 あらかじめ準備していたらしい。


「ばんざーい!」


「エイプル王国、ばんざーい!」


 眼下の群衆が口々に万歳を叫ぶ。


「ねーブルースー、肩車してー」


「はぁ、構いませんが」


 サラにせがまれて肩車をしてやると、群衆の熱はより大きく盛り上がった。


「あの、……そろそろ何があったか、説明してもらえると助かるんですが……?」


「あとでなー。教科書に載るからなー」


「教科書?」


 サラは、いつまでも群衆に手を振り続けた。

 青年の正体がイザベラの兄、スティーブ・チェンバレン中佐である事を知ったのは、その数分後の事である。

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