第210話 後悔

 地べたに叩きつけられたエリックが、苦しそうに喉から絞り出す。


「……レイモンドの奴……裏切ったな……一度裏切った者は、また裏切る……あいつもか」


 レイモンド大佐。

 最初に王城を襲撃した第三連隊の指揮官で、現在は『神聖エイプル』に与し、列車砲を運用しているという。

 直接会った事はない。話として聞いているだけだ。


 砲弾が再び落下し、破片が降り注ぐ。


 こうなれば、もう敵も味方もない。

 イザベラとマーガレットはカーターに肩を貸し、地下室へと向かっていた。

 戦いの行方を見守っていたローズとマイラも、気絶しているジェフリーを担いで後に続く。

 逃げ遅れた数名の市民も、悲鳴を上げつつも駆け込んでいるのが見えた。


 地下室からイザベラが叫ぶ。


「ブルース! 早く地下へ!」


「わかっています。わかっていますけど……」


 目の前には、地に伏したボロボロのエリック。

 砲弾は降り続けている。

 放置すれば、間違いなく死ぬだろう。


「クソッ……ここまで来て……なぜ……」


 エリックの口から、何度も聞き覚えのある言葉が零れた。

 顔を上げる事もできず、爪で地面を引っ掻いている。


 不思議な感覚だった。

 自分自身は立っているというのに、生まれも育ちも経済力も、何もかもが違う雲上人が目の前で地に伏している。

 悔しげに地面を引っ掻く姿は、まるでリーチェで何度も何度も見てきた、死にゆく平民の兵士と何ら変わらないかのような錯覚すら覚えた。


『なぜ』


 彼らも今際の際、一様にしてそう言っていた。

 さぞ無念だった事だろう。

 そしてビンセント自身も、いずれそうなる事を分かっていたはずだった。


 そもそも、エリックを殺すためにここまで来たのだ。

 願ってもない状況と言える。


「…………」


 しかし、何となくだが……これではあまりにも後味が悪い。

 このままでは、一方的に婚約を破棄されたマーガレットに『ざまぁ』させてやる事も出来ないだろう。

 サラに土下座させる事も叶わない。


「ビン……セント……?」


「勘違いしないでください。俺は、金持ちを助けてお小遣いもらいたいだけなんで」


 エリックの脇の下に肩を入れ、立ち上がる。

 一歩、また一歩と地下室を目指し、歩いた。


「ふん、小物が。そんなんだから、お前は出世できねぇんだよ……いい加減、現実を見ろ」


「かもしれません。でも、今さら出世とかどうでもいいんで」


「現実を見ろと言っただろう、馬鹿め。俺たちが、…………助かるとでも思っているのか?」


 今まで聞いた中で、最も大きな落下音が耳に響く。

 まさにちょうど、頭上に砲弾が襲いかかってきたらしい。

 真上から巨大な砲弾が墜ちてくるのがはっきりと見える。

 回避は不可能だ。


 思えば、やっぱり碌でもない人生だった。

 ちんこは未使用である。

 やっぱり、こんな男は放っておいて、自分だけ地下室へ駆け込むべきだったかもしれない。

 そうすれば、自分だけは助かったはずなのだ。

 変に情けをかけるからこうなるのだ。

 まさに、エリックから言われた事そのままである。


「っしゃああああああッ!!」


 地下室の入り口から無数の火球が上昇していく。

 その中の一つが砲弾の信管に当たったらしく、閃光とともに大爆発が起こった。

 しかし、身体に穴は開いていない。


 頭上には、いつの間にか巨大な氷塊が浮き、傘のように破片を受け止めていた。

 一体どこにそんな力が残っていたのかわからないが、イザベラとマーガレットが助けてくれたのだ。


「エリック!」


 地下室の入り口に立つローズが、手のひらをかざすのが見えた。

 魔方陣が光り、虹色に輝く糸が飛び出した。

 絹のようにしなやかで強靱な糸がエリックとビンセントを一瞬で包んだかと思うと、ものすごい勢いで引っ張られる。


 流れる景色の後ろではまたも大爆発が起き、二人は地下室の入り口に乱暴に引き込まれた。


「エリックぅ~! もう、もうだめかと思った……! 良かった、生きてて……! 好き、好きよ、愛してる、んんっ……」


「私も! 愛してます、エリック様ッ!」


 ローズとマイラが、ビンセントごとエリックを抱きしめる。

 頬にローズの胸の感触を感じるが、おっぱいがあれば良いというものでもない。

 二人は、ビンセントをまるでエリックの付属物のように扱った。

 ベルトのバックルやボタンのような扱いである。

 美女サンドイッチを見ていると、無性に腹が立った。


「……闇市で買ったショットガンは……くそ、無い。落としたかな……」


 酷い茶番である。やはり助けるべきではなかった。

 糸をどうにか解いて立ち上がると、イザベラが目を丸くして叫んだ。


「ブルース危ないッ! 伏せてッ!」


 後頭部に大きな衝撃を感じるのと同時に、ビンセントの意識は途絶えた。

 人頭大のコンクリート片が床に落ち、二つに割れる。


 ◆ ◆ ◆


 エイプル空軍唯一の戦力である戦略爆撃機サラ・アレクシアⅢは、ぐんぐん高度を落としつつあった。

 計器板の警報ランプは付いていない物の方が少ないし、いくつものブザーは鳴り止まない。

 創設されたばかりのエイプル空軍も、もはや風前の灯火である。


 たった今も、エンジンが一基お亡くなりになったところだった。

 四発機なので、残った二基のエンジンでしばらくは飛べるが、飛行は不安定だ。

 燃料計の針は目に見えてゼロを目指している。


「こりゃあ、もうダメかもなぁ……。重労働で薄給の帝国から一発逆転、エイプル王国空軍の大幹部になって、スローライフしながら郊外に白い庭付きの小さな家を買って、大きな犬を飼って……って考えてたのに。あ~あ」


 ジョセフはコンソールに倒れ込むと、大げさな溜息をつく。


「素敵な夢ですね、機長。でも、そんなのどうでも良いですから。エイプルのチェンバレン中佐から無線が入っています」


「貸せ」


 ジョセフはヘッドセットを頭に掛ける。


「――機長のジョセフ・ターナーだ。……ああ、姫様たちを保護したのか。そりゃあ良かった。え? ビンセントが居ないって? 俺が知るかよ。ちゃんと降ろしたぞ……ああ?」


 その後に続くチェンバレンの言葉に、息を呑む。


「…………ふうん、列車砲……ねぇ」


 王都郊外に駐屯している列車砲が、市民も多く乗り込んでいる王城を砲撃しているという。

 列車砲を破壊できないか、という要請であった。


 無茶な要求ではある。

 機体の後ろに続く雲は、いわゆる飛行機雲ではない。

 霧状のガソリンが漏れ続けているのだ。


 下手に軟着陸を狙って火達磨になるよりも、王城を砲撃している列車砲に突入するように機体をセットし、落下傘で飛び降りる方が生存率は高そうに思われた。


 窓の外から地上に目をやると、確かに王城は煙を上げて瓦礫と化しつつある。


「あれですね」


 副機長の指さす先を見る。

 そう遠くない位置で大きな閃光と砲撃の煙。


 超巨大列車砲『ビッグ・ジョージ』だ。

 現在は『神聖エイプル』の支配下にあり、数日前にはムーサの王党派貴族の家を吹き飛ばしたという。

 現在、市民による襲撃を受けた王城を砲撃している所らしい。

 自国民に対する砲撃とは、もはや『神聖エイプル』も末期と言えよう。


「……やっちゃう?」


「機長はあなたですよ」


 隣に視線を向けてみると、副機長は革製の飛行帽を外して見せた。

 サラサラの金髪が、形の良い唇に掛かる。

 オルス帝国も人材不足であり、特に養成に時間と費用が掛かるパイロットは貴重だ。

 彼女は、エイプル王国に貸し出せる人材としては破格である。


 本来、オルス帝国では近衛などの例外を除き、操縦士はおろか軍人に女は居なかった。

 しかし、国家総力戦によってあまりにも多くの将兵を失ったがために、深刻な人手不足となり、近年では女性の軍人も多い。

 従来、男性の職場とされた工場や工事現場でも、今では女性が多く働いている。


「まぁ、あれよ。中佐の妹が王城で戦ってるんだと。俺も妹がいるしな、心配なのはわかる」


 副機長は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 かすかに見えるソバカスが、じつにチャーミングだった。


「お兄ちゃん♪ とか言われて、鼻の下伸ばしてるんですか?」


「うるせぇな!」


 また一基、黒煙を上げてエンジンが止まった。

 空中爆発していないのが奇跡に近い。

 残り一基。


 この際なので、言っておく事があった。


「――そのさぁ……もし列車砲を壊せたら……その、デートしてくんない?」


 副機長は、花のような笑顔を返してきた。

 以前、何度か基地で見かけたことはあっても、デートに誘う口実はなかなか見つからなかったのだ。

 今回彼女と一緒のミッションを与えられたときは、天にも昇るような気持ちだった。


「そうですね……前向きに検討の上、善処いたします。行けたら行きますよ」


「よし決まりだ! 進路〇・七・二、目標、『ビッグ・ジョージ』列車砲! どうせならレイモンド大佐とかいう指揮官にぶち当ててやるか! 自国民に大砲撃つような奴だ、容赦は要らんッ! 副機長、落下傘準備!」


「了解っ!」


 ジョセフはスロットルを全開し、操縦桿を傾けた。

 地平線が傾き、列車砲を正面に捉える。


「当たるものかよ!」


 散発的に地上から発砲される。

 しかし、地上から飛行機に撃っても、そうそう当たるものではない。

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