第209話 ラスト・バトル

 マーガレットは叫ぶ。


「……それに何より、わたくし『ただの平民』のあなたが、偉い貴族を吹き飛ばす所が見たいんですの! ざまぁ! させてくださいまし!」


「ちょっと、正直すぎやしないか? ククク、エリックに復讐したいというのは分らんでもないが……な!」


 いつの間にかカーターが目を覚ましていた。

 腹には、依然として鉄の棒が刺さったままだ。

 なお、彼を担架で運ぼうとした勇敢な市民は尻尾を巻いて逃げ出していた。


「……出来るわけありませんわ、わたくしには……嫌な女ね、結局……自分の気持ちになかなかケリを付けられない」


 カーターのやたらにニヤ付いた視線が気に食わないが、マーガレットとしては否定のしようがない。

 図星である。

 今にして思えば正直な話、エリックに復讐したいという気持ちがありながら、その実エリックを撃つ覚悟は無かったのかもしれない。

 思わず自身に嫌気が差してしまう。

 何もかも、ビンセントに任せてしまった。


「ま、いいさ……あれで相棒もプロだ。この手の荒事に関しては、な。……だが、ここしばらくは随分と丸くなったようだぜ。以前は本当に死んだ魚のような目をしていたのに。アンタらの影響かな」


「……彼を弱くしてしまったのかしら。以前なら、相手が誰であれ躊躇なく撃ったはずですわ」


「ククク、逆だよ。命の価値を知って、強くなった。おい、マーガレット……オレに肩を貸せ」


「動いてはいけませんわ、死にますわよ!」


 カーターは身を起こそうとしていた。

 これ以上無茶をすれば、本当に死んでしまうだろう。

 しかしカーターの目には確かな闘志が宿ったままだ。


「フフ……い、今、無茶しないで、いつするよ? エリックを舐めるな。このままじゃ、相棒までやられちまう……。オレにしかできねぇ事だぜ、相棒を勝たせるために……な!」


「……わかりましたわ」


 服に血が付くのも構わず、マーガレットは膝立ちのカーターに肩を貸す。

 ビンセントはこちらを見て、寂しそうな笑いを浮かべると、呟くようにして言った。


「『ただの平民』……確かにそうです。……お貴族様の言う事には、逆らえない」


 ビンセントが肩に担いだ武器から爆炎が上がるのと同時に、カーターは雄叫びを上げる。


「ウボアァァァァァァァァアッー!!」


 両手のひらに魔法陣が浮かび上がり、球状の障壁が砲弾を巻き込んでエリックを包むのが見えた。


 エリックを包んだ球が、くぐもった音とともに白く光る。


 例えて言うなら、爆竹を手のひらで爆発させても火傷をするだけだが、握りしめた状態では指が吹き飛び、手は二度と使い物にならなくなる。

 爆発のエネルギーを閉じ込めることで威力の大幅な向上を狙ったアシストだった。


「――こ、これでどうにか、相棒でも戦えるはずだぜ……! エリックのヤロウ、オレ様を無視しやがるから、こ、こうなるんだ、バーカ!」


「……あなたも……呆れるほど頑丈ですわね」


「エリックほどじゃねぇよ……なんなんだ、アイツは!」


 カーターの言う通りだった。

 常人であれば塵になって消滅するであろう攻撃を受けてなお、エリックは生きていたのだ。


 ◆ ◆ ◆


「…………筋肉の野郎……! やってくれたな!」


 右肩を押さえ、膝を付いたエリックの声が響く。

 傷を負っている。

 最強の魔法使いと言われた、あのエリックが、だ。


 エリックの顔が屈辱に歪むのを見たのは初めてだった。

 おそらく、彼を知るもの全てにとってもそうだろう。


 眩いばかりの夜明けの光に背を向けて、ビンセントは無反動砲を放り捨てた。

 それでも命中させられただけマシだろう。

 この武器は戦車をも一撃で破壊できるらしいが、いかんせん砲弾は一発しかない。

 エリックはまだ動けるようだった。


「……ま、なんだかんだ言ってカーターは良い奴だよ。おかげで、まだ戦える」


 カーターは、何だかんだとビンセントを『相棒』と呼ぶだけあって、極めて的確なアシストをしてくれた。

 あの防御魔法の応用がなければ、躱されたりあるいは投げ返されたかもしれない。


「相棒おおおおおおっ! ごれを使えええええええっ!」


 カーターはどこから声をひねり出したのか、唾の代わりに細かな血を飛ばしながら小銃を投げてくる。

 おそらくマーガレットが使っていた物だろう。


 この小銃は四キロもの重量がある上、あの傷だ。

 常人に出来る事ではない。


 足元に正確に落下した小銃を拾うと、腰の鞘から銃剣を抜いて取り付ける。

 使い慣れた感触。

 四年間、毎日触れてきた銃と同じ型だ。


 ボルトを操作し、薬室に弾を込める。

 ボルトの動きも滑らかで、よく手入れされていた。


「いい加減休んでろカーター、死んだら寂しいだろ!」


 エリックの胸を狙い、引き金を引く。

 一発。二発。三発。

 風の魔法で弾道を歪め、あるいは小さな障壁を盾にして銃弾は防がれる。

 しかし、四発目は髪の毛を僅かに掠った。


「――当たった!?」


 ビンセント単独での攻撃が届いたのは、これが初だ。

 しかし、ほんの小さな一発であっても、大きな意味がある。


 不死身の人間など存在しない。決して、神様ではない。

 ならば、届かない相手ではない。


「うおおああああああああぁぁぁああっ!!」


 自らを鼓舞するために雄叫びを上げ、ビンセントは銃剣を構えて突撃する。


 たった一人に見えるかもしれない。

 しかし、そうではない。


 サラが。キャロラインが。ジョセフが。ここまで連れてきてくれた。

 マーガレットが。カーターが。イザベラが。ここで待っていてくれていた。

 この突撃は、いやな上官に強要されて行うものではない。

 彼ら彼女らのために、自分自身のために。

 ビンセントは走る。


「くっ!」


 突き出した銃剣は胸を狙ったが、エリックは身を躱し、肩口を僅かに傷つけたに過ぎない。

 しかし、当たった。


「食らえっ!」


「ぐっ!」


 銃床で殴りつけると、確かに手応えがある。

 戦える。戦えている。最強の魔法使いを相手に、ただの平民のビンセントが、だ。

 身体を回転させ、至近距離で最後の弾丸を撃ち込む。


「…………!!」


 エリックの口角が上がった。

 握りしめた手が開かれ、撃ったばかりの銃弾が地面に落ちる。

 同時に目にもとまらぬ早さで飛んできた蹴りで、ビンセントの身体は宙を舞った。

 地面に叩きつけられるが、蹴りは浅かった。まだ動ける。


「ビンセント。俺を化け物……と思うか?」


 あの短時間の格闘で、こちらは息が上がっている。

 なのに、エリックは澄ました表情のままだ。


「ハァ……ハァ……思うね。銃弾を止めた事じゃなく、異世界転生してきた事が」


「知っていたのか」


「……ああ」


「だが、お前もそれを望んでいたはずだ。人生をやり直したい、ってな。現世には何の救いも希望も無いことくらい、お前だって分かっているだろう。貧困、格差、抑圧……個人の力でどうこうできる事じゃない。それは向こうも同じだ。俺は、新しい人生で今度こそは好き勝手に生きてやろう、と思ったのさ」


「でも、俺みたいな普通の人間は、死んだらそれっきりだ。たとえ地獄でも、今のこの世界を生きていくしかない。あんたとは違う!」


 再び銃剣を突き出すが、エリックは脇で挟むようにして突きを止める。

 至近距離でにらみ合う形になった。ここで手を離せば、対抗手段を全て失ってしまう。


「だがなビンセント! 俺を殺してしまえば、この国は何も変わりはしない。お前のように、持たざるものはいつまでも持てないままだ。俺に任せておけば、少しはマシな世の中にしてやるぜ」


「あんただって、その身分を望んで手に入れた訳じゃ無いだろう!『マイオリス』のやつらに押しつけられた王冠だ! 『神聖エイプル』なんて泥船、砂上の楼閣だろう!」


「だが、それはあくまでもきっかけに過ぎん! 何であれ、俺は与えられたタスクはクリアする、それが社会常識というものだろう!」


 エリックの拳が腹に食い込み、ビンセントは膝を付く。


「ぐえっ……!」


 強力な拳ではあるが、あくまでも人間レベルと言える。

 やはり相当に消耗していることだろう。

 しかし、決して無視できるダメージではない。

 内臓に損傷を受けたかもしれなかった。


「――あ……あんたが常識とか、な……なんの冗談だ」


 エリックはビンセントから奪った銃をへし折った。

 更に蹴りが飛び、視界にいくつもの星が浮かぶ。

 全身を打ち、呼吸ができない。


 夜露に濡れた芝生が冷たかった。


「例え誰にも理解されなくても……俺の偉大さはエミリーが知っているさ……」


「な……なにっ!?」


 エミリーが『神聖エイプル』に拉致されたことは、無線連絡で聞いている。

 王城の一角に囚われているであろうという分析だった。

 だからこそカーターはエミリーを奪還すべく乗り込んだのだ。


「旧態依然とした体制のこの国を改革し、失われた国力を回復させる。そのために必要な資料を作成し、エミリーに持たせた。俺はお前らとは違うぜ。何でもかんでも暴力でどうにかできると思うなよ」


「あんだとッ!」


 カーターが目を丸くするのが、視界の隅に映った。


「……………………」


 あまりにも意外な展開であった。

 エリックは、どうやら真面目に改革のために働いていたらしい。


「あいつは俺の、命の恩人……ってやつだ。それに、お前らみたいな過激派が殴り込みを掛けようとしていたんでな。万が一を考えて、だ」


「エミリーさんは……今どこに!?」


「フルメントムの教会だ。ヨークとかいうヤツに預けてある」


 フルメントムの教会といえば、そもそもエミリーの家である。

 そこになぜヨーク少尉が居るのかは謎だが、砕いて言えばエミリーは既に解放されているという事だった。


「そ、それじゃあ……」


 膝を付いて立ち上がろうとするが、上手く身体が動かず、再び地面に顔をこすりつけた。

 エリックは続ける。


「結局、どんな正論であっても……民衆は何を言っているかではなく、誰が言っているかでしか判断しない。市民に期待しすぎたのが俺の限界だ。人間、集団になると途端にバカになる。まさかこれほどとは思わなかった」


「…………」


 思い当たる節はある。

 この『大陸戦争』の開戦も、ジョージ王を殺され、怒りに震える世論の声に押されてのことだった。


「何よりも、お前のような暴力主義者には反吐が出る。絶対の正義など存在しない。立場や価値観が違う相手を脊髄反射で否定するな」


「……そう……だな……」


 個人的にエリックのことは嫌いだが、結局それは私怨でしかない。

 あるいは、その資料が閉塞したこの国に出口を示す可能性すらある。

 エリックの後ろには大きな旗が風に翻っていた。

 それはエリックがデザインしたらしい『神聖エイプル』の旗。

 図案化された鎌は農民を、ハンマーは職人を、杖は魔法使いを表しているようだった。


「ならば、俺に任せておけ。悪いようにはしない。……この俺が! 新たな支配者となって、この国を、いや世界を変える! ビンセント、お前も俺に付いてこい!」


 これは、敗北かもしれない。

 本来なら、あのテラスにはサラが立つべきだと思っていた。

 しかし、幼いサラにこの国を変える力があるかどうかは未知数である。


 本人は誰よりも努力している。

 それはよく分かる。

 しかし、サラはまだ子供だ。

 王女だからといって国を背負わせるというのは、大人の責任を放棄しているような気もする。

 国全体を思えば、エリックに任せるのが正解かもしれない。


「……違う、そうじゃない……!」


 しかしビンセントはかぶりを振った。

 それでも一個人として、一人の少女としてのサラを想えば、決して腑に落ちるものではない。

 両親を失った孤児が、親が残した家を無理矢理追い出された。それだけの話だ。

 いわば、エリックはただの居直り強盗でしかない。

 その事実から目を背けてはいけない。


「…………」


 銃を折らたならば、拳で。腕を折られれば、噛み付いてでも。

 戦い続けるしかない。


 カスタネを出るとき、約束したのだ。

 国がどうこうではなく、個人としてサラを守ると。


 潜水艦に乗る時、命を賭けてくれたヨーク分隊のみんなの意思だって無駄に出来ない。

 それはきっと、イザベラもマーガレットも、カーターも同じはずだ。

 生きている限り、戦い続ける。

 これが、彼らの意思を継ぐということ。


「…………」


 ビンセントはふらふらと立ち上がり、エリックを見据える。

 そこに居るのは、かつての絶対強者。しかしエリックはダメージを受けている。

 決して不死身ではない。不死身の人間など存在しない。

 あと一歩。あと一歩で手が届くのだ。


 いつの間にか握りしめていた、夜露に濡れた土を掴む。

 思い浮かぶのは、泥濘の中で過ごした四年間。

 塹壕の底で失ったものは大きい。しかし、塹壕の底で手にしたものがたった一つ。


「…………根性、……か」


 それは軍国主義のはびこる現代において、あまり良い印象の言葉ではない。

 しかしそれでも、他に残っているものは無い。

 ビンセントは全身に残る僅かな力を全て絞りきるように、走る。走る。……走る!


「――――――――ッ!!」


『何か』を叫ぶ。何を叫んだのかは自分でもわからない。

 視界に入るのはただエリックのみ。

 吐息を感じられそうな距離で、ビンセントは跳んだ。

 瞬間、視界から色が消え、音も消え、まるで時が止まったかのような感覚。

 鉛の海を泳ぐかのように、空中で体を捻る。

 エリックの口が大きく開き、伸ばされた右手の先に魔方陣が形作られつつあった。


「――――――――!!」


 エリックの声は聞こえない。

 しかし、構うことはない。

 あの光がこの身を貫くか、あるいは。

 今さら結果は変らない。

 どう転んでも、これが本当に最後。

 渾身の力を込め、右脚を繰り出す。


「ぐおっ!?」


 顔面にブーツがめり込み、転がるようにしてエリックは吹き飛んでいった。

 顔を地面にこすりつけたまま、エリックの声が漏れる。


「クソ……ただの……ただの平民ごときに…………この俺が…………エリック・フィッツジェラルドが……」


「俺は、俺の力だけじゃ何もできない。チート野郎のあんたとは違う」


 エリックは顔を上げ、こちらを見ると微かな笑みを浮かべた。

 震えながら。膝を付いて。どうにか立ち上がろうとしている。


「…………なるほど……な。お前の言うことはもっともだ。しかし――」


 不意に聞こえてきたのは、聞き覚えのある砲弾の落下音だ。

 あの日、ムーサの町でワイルド伯爵の屋敷を吹き飛ばしたのと同じ。

 耳をつんざく轟音が響き、目の前で王城が大爆発を起こした。


「エリックぅぅぅぅぅぅーーッッ!!」


 絹を裂くような女の悲鳴が誰のものかはわからない。

 立っていた位置が悪かったのだろう。

 ビンセントが受けるべき爆風と破片は、その多くがエリックに吸い込まれていた。

 まるでボロ雑巾のようにエリックは動かない。

 

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