第208話 器

 これが飛行機の速さというものらしい。

 風に流され、サラとキャロラインはどんどんと小さくなっていった。

 あるいは、自分自身が流されていたのかもしれない。


「…………」


 あの時。


 サラとキャロラインが飛行機から飛び降りた後、モタモタしていたお陰でかなりの距離を進み、ビンセントだけが王城のすぐ近くに墜ちた。


 地上に降りて最初に目に入ったのは、王城から我先にと逃げ出す人々の群れだった。

 適当な一人を捕まえて事情を聞いてみると、今まさにイザベラたちがエリックと戦い始めたのだという。

 急いで落下傘と自身を繋ぐハーネスを外し、無反動砲を抱えて王城へと駆け込んだ。


 そこまでは良かった。


 目に入ったのは、イザベラの乗るクレーン車が爆発する瞬間だった。

 思わず駆けつけたものの、どうやら命に別状はないらしい。

 そこで思わずほっとしてしまったが、そこでついに我に返ってしまった。


 エリック・フィッツジェラルド。

 魔法を全く使えない平民の身であっても、いや平民だからこそよくわかる。

 大気を揺るがすほどの魔力だった。

 通常、平民に魔力を感知する事は出来ない。それほどまでに強力だった。


 目が合った瞬間、まるで銃で撃たれたかのような衝撃が全身を突き抜け、釘付けになる。

 これほどまでの威圧感は、前回会ったときには感じなかったはずだ。

 エリックの本気を、イザベラが引き出してしまったのだろう。


 まるで、蛇に睨まれた蛙。

 この感情にあえて名を付けるとするならば、『畏敬』とでも言えば良いのだろうか。

 根本的に格が違う。

 まるで、人間と神のように。

 ムーサで無謀な戦いを挑んだ当時は、どうかしていたとしか思えない。


「久しぶりだな、ビンセント。元気だったか?」


「い、いえ、……全然」


 エリックはポケットに両手を突っ込んだまま話しかけてくるが、まるで友人と話すかのような口ぶりだった。

 とても余裕そうである。


 当然だ。『最強の魔法使い』の二つ名は伊達では無い。

 何もしていないのに、気圧されてしまう。

 思わず脚が震えてしまう。

 こちらは、ただの平民なのだ。


「そうか。無理は良くないな。しばらく見なかったが、どこかへ行っていたのか?」


「……ええ。少し海外旅行をしてきましてね。……自分探しってヤツです」


 皮肉を返すのが精一杯だった。

 しかし、エリックは感心したかのように頷く。


「ほほう。それで見つかったのか? 自分とやらは」


「……いいえ。迷ってばかりです」


 エリックは溜息をつきながら笑うが、どこか自嘲的にも見えた。


「そりゃあそうだ。嫌な事も辛い事も含めて、それが今のお前を作り上げたのだからな。探すまでも無く、お前は今ここに居る。今あるものが全てだ」


「……らしいです。でも、人生にはこういう時期もあっていいかな、って。今にして思えば、旅そのものが目的だったのかもしれません。……現実逃避、ですかね」


 エリックは妙に優しげな視線を向けてくる。

 まるで、こちらの心の中まで見透かしているかのような視線だった。


「誰もがそう思っていながら、一歩を踏み出せずにいる。お前はよくやったよ。誇っていい。……ところで、土産はあるのか? こういうのは気持ちが大事だぜ」


「そりゃあもう。……エリック様に素敵なプレゼントがありますよ」


 皮肉を返しつつも、背中には汗がびっしょりと浮かんでいた。


「『バズーカ』か。いや、『カール・グスタフ』とか言ったかな? お菓子とかの方が良かったぜ。そんなモノを人に撃とうだなんて、酷い話だ」


 また、聞き慣れない言葉だ。

 この無反動砲は開発されたばかりの最新型で、存在を知っているエイプル人はほとんど居ない。

 やはりエリックはこの新兵器を知っている。

 戦いに関して地球の技術はこちらの百年は進んでおり、エリックはそれを見ているのだ。

 こちらの世界の科学文明は、全て地球の模倣に過ぎない。


「すいませんね、加減が出来ないたちで」


「…………来いよ。相手になってやる」


 エリックは挑発するように指を立てると、言われるがままに身体が動く。動いてしまう。

 ビンセントが無反動砲を右肩に担ぐと、エリックは脚を肩幅に開き、拳を構えた。


 この武器の威力を知っていながら、受けるつもりらしい。

 凌いでみせるという自信の表れだ。


 照準器の中心にエリックの姿を捉える。

 砲弾は、たった一発。外せば、もう後はない。

 もしも、外したら。


 エリックはその類い希なる魔法で、こちらを殺しにかかってくるだろう。

 そうなれば、もう勝ち目はない。

 いや、それどころか人生そのものが確実な終わりだ。

 手のひらは、汗でびっしょりと濡れていた。


「…………」


 端的に言って、クソみたいな人生だったという事は間違いない。

 体育会系ではないビンセントは、学校の教室でも日陰者だった。

 周りのみんなが人生を謳歌している間、指を咥えて見ているだけの青春。


 目の前で失った初恋。

 理不尽な同調圧力からの出征。

 果てしなく続く上官からの罵倒、叱責、暴力。


 お前はダメだ、ダメだと言われ続けて、本当にダメになってしまったような気がする。

 こんな自分が、エリートの中のエリートであるエリックに勝てるのだろうか。

 常識的に考えて、無謀だ。


「……どうした? 来ないのか? ……撃てよ」


「…………」


 エリックは構えを崩さず、自信に満ちあふれた視線を向けてくる。

 勝てないとしても、やるしかない。

 もう後には引けないのだ。

 しかし、どうしても引き金を引けない。


 もしも、効かなかったら。


 間違いなく殺される。

 無残に焼き尽くされる自身の姿が脳裏をよぎる。

 クソみたいな人生が、ボロ雑巾のように終わってしまう。


「そんなんだから、お前は……」


 エリックの言葉に被せるように、イザベラが言う。


「大丈夫よ、あなたなら。私は何があっても、最後まで一緒だから。だから、あなたは大丈夫」


「イザベラさん……!」


 イザベラの声で、現実に立ち返る事が出来たらしい。


「イザベラより、わたくしの方がお得でしてよ!」


 マーガレットが銃を杖に立ち上がる。

 どことなく歪な笑みを浮かべていた。

 目の下には、涙を拭ったような跡がある。


「マーガレットさん……?」


「わたくし一人っ子ですもの、爵位と領地もあなたのもの! それに何より、わたくし『ただの平民』のあなたが、偉い貴族を吹き飛ばす所が見たいんですの! ざまぁ! させてくださいまし!」


 どこまで本気か分からないが、ざまぁは確かに魅力的と言える。


 一見酷い事を言っているように思えるが、この言葉は躊躇無く撃てるようにとのマーガレットなりの気遣いらしい。

 自分で撃ったのではなく、マーガレットに言われて撃ったのだ、というエクスキューズをわざわざ与えてくれたのだ。


 お陰で気が楽になった。

 ビンセントは正面に向き直り、エリックを真っ直ぐに見つめる。

 エリックは何の表情も浮かべてはいないが、その境遇を鑑みれば多少同情しないでもない。


 魔法、身分、家柄、経済力……自分とは何もかもが違う。

 しかし、暴走した『マイオリス』が深く考えずに『神聖エイプル』を旗揚げし、その玉座を押しつけられたのだ。

 もしも自分だったらと思えば、その重圧に耐える事はできなかっただろう。

 その点、やはりエリックは王の器だ。

 遺憾ではあるが、そう思う。


 全てを投げ捨てて、異世界に転生。

 新しい世界で一からやり直す。

 周りは経験の浅い若造ばかり。

 前世の経験を活かして、何もかも思いのままの新しい世界。


 誰もが一度は空想してみる事だろう。

 しかし、器というものは異世界転生を成し遂げたとしても、それだけでは得られない。

 そもそも、異世界転生がレアケースなのだ。


 ビンセントのような一般人は、今いる世界で何があろうと、もがきながら生きていくしかない。

 上手く行った者を羨んでも仕方が無いのだ。

 今いる世界で。今あるモノを。

 たとえ、底辺と蔑まれ、見下される人生であったとしても。


「……朝……か」


 その時、夜が明けた。

 金色に輝く太陽の光が、王都を、王城を、そして今ビンセントが居る中庭を包んでいく。


 血みどろのカーター。

 きっと正々堂々、誇り高く戦った事だろう。


 膝を付くマーガレット。

 暴走しがちなカーターやイザベラを上手く押さえてくれた事だろう。


 笑顔を向けてくれるイザベラ。

 自身の正義を曲げる事無く、勇気を持って一生懸命頑張った事だろう。

 ワガママで、本当はとても臆病なのにもかかわらず。


「――『ただの平民』……確かにそうです。……お貴族様の言う事には、逆らえない」


 この武器は後方に爆風を撃ち出すので、背後に人がいては巻き込んでしまう。

 何の見返りも求めない、優しい笑顔は安全なエリアから向けられている。

 カーターが起き上がり何か言っているが、構わずに引き金を引く。


 肩に担いだ筒の前後から同時に爆風が吹き出し、炎の尾を引いて砲弾がエリックに向かうのが見えた。

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