第207話 勇者の帰還

「成形炸薬弾……ですか?」


 ロープで身体に括り付けた無反動砲を見て、サラが頷く。


「おー。珍しいのもってるなーって。それつかえば、戦車もイチコロだぞー。爆薬が漏斗状に成形されててなー、ふつうは全方向に向かう爆発の威力を、一方向に集中してなー――」


 キャロラインが帝都の闇市で手に入れたこの小型の大砲は、オルス帝国が開発に成功した新兵器だという。

 砲弾を前方に発射するのと同時に後方にも爆風を吹き出し、反動を相殺するのは聞いている。


「爆発の高圧縮で重金属の内張りが弾性限界を越えると、個体金属でも液体のように振る舞ってだなー……」


 サラの説明は専門用語が多く、難しくてよく分からなかった。

 とにかく凄い威力。

 今はそれだけで良いのだが、サラはとても得意げに話しているので水を差すのは可哀想だ。


「へぇ、そうなんですか! さすがサラさんです、詳しいんですね!」


 そう言うと、一瞬だけ妙な間が開く。


 少し、白々しかっただろうか。

 サラは呆れたような顔をしていた。


「本当はわからないけど、わたしのために気遣いしてくれたんだなー」


「……す、すいません。その通りです……」


「気にするなー。お前なりにがんばったもんなー。よしよしー」


 逆に頭を撫でられてしまう。

 そんなやりとりを見ていたキャロラインが、腹を押さえて吹き出した。


「うふふ……あはは! ブルース君、君はバブみを感じてオギャりたいのかい? 良い趣味してるよ」


「バブミ? オギャル? ……何ですか、それ」


 難しい専門用語はよく分からない。

 とにかく、キャロラインはこの物騒な武器をサザーランドに使おうとしていた事だけは確かだ。


 そのキャロラインはサラを抱きしめると、頬ずりを始めた。


「意味はイザベラにでも聞くといいよ。……勘違いしないでね、僕は素直に褒めているんだ。うふふ、やっぱり君と僕は相性が良いんだよ。……ああ、サラ様。僕の事もナデナデしてくださいね……」


「むぬぅ、そのうちなー。ブルースー、おまえも早くカクゴ決めろよー」


「わかっています。わかっていますけど……」


 今にも墜落しそうな飛行機の機内で、各々が落下傘を装備していた。

 装備に不備がないか、副機長の点検を受ける。どうやら問題ないらしい。


 なお、落下傘降下は最初から予定の行動であった。

 エイプル王国には、滑走路など一本も無いのだ。

 小型の戦闘機なら草原に着陸できるかもしれないが、この大型の爆撃機はさすがに厳しいだろう。


 最初の予定では、ビンセントたちを下ろした後、ジョセフが操縦してオルス帝国に帰投する手はずだったのだ。


 帰路の燃料を失ってしまったため、周囲の草原に緊急着陸するという。

 その上、被弾により燃料が漏れており、非常に危険であった。


 基本的な説明は離陸前に受けたものの、生まれて初めてのスカイダイビングに不安は当然ある。

 高度計と連動して自動的に開くので心配ないとは聞いているが、本来なら教官が付いて何度も練習するはずだ。


「んー、落下傘のことだけじゃないけどなー」


「えっ?」


「……やっぱり、なんでもないよー。男と女のハナシは、わたしにはまだ、よくわからないもんなー」


 サラはゴーグルを目に当てる。

 普通サイズのゴーグルは、サラが着けると特大サイズのように感じられた。


「じゃあ、僕らも行くよ。サラ様、ご一緒に……」


「おー。ワクワクするなー! とう~」


 サラに続いて、キャロラインも空中に躍り出た。

 すでにネモトとウィンドミルは飛び降りている。


「…………」


 意を決して、ビンセントも飛び降りた。


「…………」


 ……つもりだったが、どうにも脚が動かない。


 一瞬で小さな雲が駆け抜ける。

 眼下には、豆粒のような建物が集まる王都。

 きんたまが縮み上がるのを感じ、冷や汗が流れた。

 生まれてこの方、この高さに上がった事は一度も無い。


「……どうして……どうしてみんな、躊躇無く飛べるんだ……」


 全身を支配するのは、恐怖だった。

 情けないと言われるかもしれないが、怖いものは怖いのだ。

 しかし、それでも飛ばなければならない。


「…………」


 本当は分っていた。

 ただの高所恐怖症ではない。

 本当に怖いのは、エリックだ。


 しかし今、地上ではイザベラたちが王城に殴り込みをかけている。

 エリック相手にバカなことを、と素直に思う。

 そんな事をしなくても、生きていく事は可能だ。無駄に危険に身を晒すことは無い。


 ではなぜか? サラが可哀想だからか?

 それもあるだろう。しかし、それだけではないはずだ。

 貴族のことはわからないが、きっと……そうすることが矜持だったのだろう。

 ノブレス・オブ・リージュ。高貴なる者の義務。


 ビンセントは貴族ではない。

 しかし、何度も貴族と互角に戦ってきた。

 家の棚に飾った写真を思い出す。


 ビンセントと一緒に写っているのは、サラ、イザベラ、マーガレット、カーター、キャロライン。

 誰一人、失いたくはない。

 写真の中だけの存在にはしたくない。


 助けられるはずだ。自分なら。

 大きく深呼吸をする。


「――よし!」


「はよ逝け」


 背中からジョセフの声が聞こえるのと同時に、背中に衝撃。

 足下の床が一瞬で消滅する。


「アッー!! ああああああっ、ああっ! あぁぁぁっぁあああああああーっ!?」


「こっちは任せな。エイプルの平和は、エイプル人の手で掴む事に意味があるんだからよ。だが、乗りかかった船だ。最後まで付き合ってやるぜ」


 ジョセフの呟きは、当然ビンセントの耳には届かない。

 そのまま深呼吸をしたかと思うと、自分の頬を勢いよく両手で叩く。


「――よーし! 怖くない! 怖くないッ! 俺は勇敢なパイロットだぞ! あの『ホワイトライン』と戦って生き延びたんだ! そんなヤツはそうそう居ないッ! 今度も上手く行く! 絶対だコンチクショーぁ!!」


 ◆ ◆ ◆


 全ては、一瞬の事。

 墜ちていく鉄球に霜が付いたかと思うと、氷に覆われて大きくなっていく。

 マーガレットが力を貸してくれたのだ。

 視界の隅では、マーガレットが膝立ちになって魔方陣を呼び出していた。


「……わたくしだって、ねぇ! あなたには言いたい事が色々ありますのッ!!」


 一瞬、エリックの目が見開いたのが見える。

 より大きくなって威力を増した鉄球が直撃する頃には、鉄球の大きさは三倍近くになっていた。


 轟音を立てて埃が舞い上がり、視界を奪う。

 徐々に行うならともかく、一秒にそこそこの時間である。

 相当に負荷が掛かっているはずだ。


「ありがと、マーガレット。あなたにまで、無茶させちゃって」


 案の定、マーガレットは膝を付き、肩で息をしている。疲れ切った顔でイザベラに笑顔を向けた。


 その時、一陣の風が吹き煙が晴れる。


「……なっ!?」


 思わず声が漏れた。

 そこには、傷どころか服の焦げ一つないエリックたちが余裕の表情で立っていたのだ。


「……これがお前たちの切り札か? …………イザベラ。マーガレット」


 エリックは片手で鉄球を受け止めていた。

 その背に隠れているローズとマイラも無傷らしい。


「くっ……化け物!」


 イザベラはレバーを操作し、ワイヤーを巻き上げようとした。

 しかし、このモンケーンは戦闘用ではない。

 あまりにも、遅かった。


「早く逃げてッ! イザベラッ!!」


「ええっ?」


 いつの間にか、クレーンのアームは熱で真っ赤になっていた。

 鉄球を覆う氷は一瞬で気化し、大量の蒸気を噴き出して鉄球を揺らしていく。

 エリックが指をパチン、と鳴らすと、飴のようにクレーンのアームが曲がりだした。

 

 このモンケーンは、揮発性の強いガソリンを燃料にしている。

 爆発の危険が少ない軽油を燃料とするエンジンは、オルス帝国にはあるらしいが、エイプルにはまだ無い。


「……熱っ!」


 レバーも、シートも、触れないほどの高熱になっていた。

 このままでは、爆発の危険がある。

 急いで飛び出そうとするが、少しだけ遅かった。


 機体後部の燃料タンクが爆発を起こし、イザベラの身体は宙を舞う。


「ううっ!」


 景色が回転していた。

 どちらが上か、どちらが下かもわからない。

 やがて一瞬、止まったような感覚がすると、今度は落下を始めた。


「あうっ!」


 背中に大きな衝撃が走る。

 大きな破片――おそらくは、エンジンのカバーだろうか――が、背中に当たったらしい。

 幸い突き刺さってはいないようだが、まるで痺れるような衝撃が伝わり、ほぼ同時に地面に叩きつけられた。


「い……痛い……」


 頬には、芝生の感触。

 飛び散ったガソリンが、あちこちで燃えていた。

 幸い身体に火は付いていない。レベッカの防護服が守ってくれたのだろうか。

 額を何気なく擦ると、白い手袋には真っ赤な血が付いた。


 イザベラはかぶりを振り、手をついて顔を上げる。

 しかし、どうしても立ち上がる事が出来ず、仰向けに倒れた。

 ポケットに手を入れたまま、悠々とエリックがこちらに歩いてくるのが見える。


「……なかなかやるようになったな。以前とは大違いだ。……驚いたぞ」


「ううっ……」


 倒れたまま、どうにか震える右手を挙げる。

 残った魔力を振り絞り、魔方陣を呼び出そうとするが……もう、出来なかった。

 力なく右手が地面に落ちる。


 先ほどエリックに放った魔法は、ありったけの魔力をつぎ込んだイザベラの全力だった。

 そうでなければ、囮にもならないからだ。


 マーガレットに威力を大幅に強化された鉄球でも、エリックには傷一つ付けられなかったらしい。


 …………いや。


 エリックの手の甲には、小さな火傷の跡。

 あるいは、凍傷かもしれない。肩には僅かなほつれ。


 イザベラとマーガレットの攻撃は、決して届かなかった訳では無い。

 防御魔法をほんの僅かにかもしれないが、越えて攻撃を当てたのだ。

 カーターに聞いた話だが、防御魔法は魔力の消費が激しいという。

 特に背後に他の誰か――この場合ローズとマイラをかばっていれば、より大きな障壁を展開せざるを得ず、加速度的に消費は増えるらしい。


 エリックは手の甲をイザベラに見せつける。


「防御魔法を破ったのは褒めてやる。魔法だけでは勝てないと、機械を使ったのも悪くない。機械と魔法を組み合わせる発想も、なかなか斬新だ」


「くっ……!」


「……だが、俺を倒すにはあと一歩至らなかったようだな。俺が得意なのは風魔法だと知っているだろう? 風で鉄球を受け止め、威力を弱めた。何トンあるのか知らないが、さすがに少しだけ疲れたぞ」


「……や……やるじゃない」


「今なら」


 そこでエリックは言葉を切切ると、口角を上げる。


「――今なら俺にダメージを与える事も、あるいは可能かもしれんぞ。……大砲でもあれば、な」


「も、持ち歩けるような……大砲……なんて……」


 そんなものは無い。

 せめてもの抵抗をと、もう一度だけ魔方陣を呼び出そうとする。

 しかし、何も起こらなかった。

 ほんの一瞬エリックを釘付けにするだけで、イザベラの魔力は尽きてしまったのだ。


「もう、……終わりか?」


「…………ええ。……………………好きにしたら」


 精一杯の強がりだった。

 すぐにでも殺されるだろう。あるいはその前に、慰み者にされるかもしれない。

 目蓋の裏に、ビンセントとサラの悲しそうな顔が浮かぶ。


「ごめんなさい……勝てなかったわ……」


 口の中で、誰にも聞こえないようにつぶやいた。


 エリックは、なぜかとどめを刺さしてこない。

 こんな時間が続くくらいなら、早く終わらせて欲しかった。

 お陰でどんどん、色々な後悔が浮かんでくる。


「…………」


 あの日。

 クーデターで城を追われ、森で出会った名も無い兵士。

 彼は、イザベラとサラのために戦ってくれた。

 何の見返りもなく、酷い事を何度も言ったのに、何度だって助けてくれた。


 憧れの王子様。そんな者は居ない。

 居てくれたのは、泥臭い平民の兵士。 

 彼には迷惑をかけた。

 相手の気持ちを考えず、自分の願望を一方的に押しつけてしまった。

 こんな事では、彼も呆れた事だろう。

 嫌われてしまったかもしれない。

 マーガレットやキャロラインがちょっかいを出していた事だし、こんなワガママ女よりあの子たちの方が良いに決まっている。


 トニーにもモニカにも迷惑をかけたし、スティーブにも心配をかけた。

 大勢の市民を巻き込んで、彼らを危険な目に遭わせてしまった。


 イザベラを取り囲む、全てのものに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 それでも、思わず口が動いた。


「…………ブルース…………せめて最後に……もう一度……会いたい…………」


 涙が頬を伝う。


「最後って、何ですか?」


 耳元に響く、地面を踏みしめる足音。

 ほんの数日前に聞いたはずなのに、ずいぶんと懐かしい、聞きたかった声。


 幻聴だ。

 ビンセントは、サラを連れてオルス帝国に行ってしまった。

 誰でもない、イザベラ自身が送り出したのだ。


「あ…………」


 目を開くと、そこには大好きな人が立っていた。


 幻覚だ。

 やはり脳にも深刻なダメージが来ているらしい。

 だとすれば、もう長くはないだろう。

 今生の別れにもう一度会えたのなら、幻であっても構わない。

 手を伸ばそうとするが、上手く身体が動かなかった。


「とりあえず、休んでてくださいね。すぐに片づけますんで」


「え? なに……? ……まさか……」


 ビンセントの幻は、以前とは少し違った印象を持っていた。

 何かを乗り越えたような精悍な顔だ。

 見慣れない太いパイプのような物を抱えている。


「ただいま戻りました。すぐにサラさんが来てくれますから、もう大丈夫ですよ。安心してください」


「幻じゃない…………本物の……!!」


 ブルース・ビンセントが、帰ってきた。

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