第205話 大空の騎士

「素朴な疑問なんですが」


「なぁに?」


 キャロラインは色々詳しいので、聞いてみる事にしたのだ。


「戦闘機って機首に機関銃が付いているのに、どうして自分のプロペラを撃ち抜かないんですか?」


「ああ、それね。カムを使った同調装置で、プロペラの羽が来ているときだけ射撃を止めているんだ」


「カム……ですか?」


 シャフトにオニギリ状の出っ張りが付いた部品だというが、いまいちイメージが浮かばない。


「ジョセフ君の方が詳しいと思うけど、今度聞いてみたら?」


 今度がある保証は無いが、それは言わずにおく。


「……アイツ、そういうこと聞くと調子に乗りそうなんで」


 夜明けの空はどこまでも蒼く、まるで吸い込まれそうな透明度である。

 そして何よりも、切れそうに寒い。喉はカラカラに乾き、震えが止まらない。

 地上でたむろする航空兵たちの服装を見て、暑くないのかと思ってはいたものの、この寒さなら納得だ。

 

「大丈夫? クラクラしない?」


 くぐもった声でキャロラインが覗き込む。

 酸素ボンベとホースで接続されたマスクは、柔らかいゴムがしっかりと顔を覆っている。

 飛行帽とゴーグルに阻まれて表情は見えない。


 現在の高度は一万フィートだと言うから、三千メートルと少し。

 エイプルでいうビリデ山の山頂より少し低いが、与圧された機内に慣れていると、高山病の危険があった。

 この程度の高度なら、ジョセフは酸素マスクを付けないという。

 ビンセントは訓練を受けた航空兵ではないので、無理をせずマスクを装着したのだ。


「大丈夫です」


「うん。そろそろ準備して」


 ビンセントは旋回機銃に初弾を装填した。

『サラ・アレクシアⅢ』ではないプロペラの爆音は近づいてくる。

 最初はゴマ粒のようだったそれは、今やすっかり飛行機とわかる形をしていた。

 一人乗りの小型機で、胴体にエンジンが一つ、上下二枚の翼がある複葉機だ。

 数は三機。


 伝声管からジョセフの怒声が響く。


「当たらなくてもいいから、とにかく撃て! 敵に撃たせないのが一番大事だからな! 戦闘機相手じゃ、勝ち目はまず無いからよ!」


「り、了解!」


 一機が加速して前に出ると、機首に固定された機銃が火を噴いた。

 曳光弾のオレンジ色の炎が超スピードで横をすり抜けていく。

 負けじと撃ち返すが、股間が縮み上がるのを感じる。


「大丈夫! この飛行機は大きいから、敵は距離を見誤ってる。まず当たらないよ!」


「は、はい!」


「もう少し左!」


 キャロラインの指示に従って、何も無い虚空に向けて引き金を引いた。

 すると、撃ち出した弾丸に吸い寄せられるかのように戦闘機が飛び込んでくる。


「まず、一機!」


 燃料タンクに引火したのか、木製帆布張りの機体からは炎が上がり、黒煙とともに墜ちていく。

 夜明けの空に、落下傘の花が咲いた。


「また来るよ!」


「はいっ!」


 耳元を銃弾が掠る音に冷や汗を流した。


 最初は三機だった戦闘機は、いつの間にか五機に増えていた。

 今撃ち落とした一機を別にしても、気付かないうちにどこからか三機湧いて出ていたのだ。

 圧倒的に数が違う。


 戦闘機の群れは、ヒラリヒラリと木の葉のように舞い、蜂のように機銃弾を撃ち込んでくる。


 それに、旋回機銃は自機の尾翼を撃ち抜かないために、可動範囲に制限が加えられている。

 銃座は胴体の上に据え付けられているため、下方はどうしても死角になる。

 下からの突き上げは如何ともしがたい。

 戦闘機の機動性は驚異としか言い様がなかった。


 こちらもエンジンや燃料タンクはまだ無事だが、機体は何度も銃撃を食らい、無数の穴が開いていた。

 そしてまた一機、こちらに向けて機銃弾のシャワーが降り注いだ。

 ドラムのような音を立ててミシン状の穴が無数に開くと、身体に大きな衝撃が走る。


「!!」


「ブルース君、大丈夫!?」


「は、はい……しかし、送気管が……!」


 身体に穴は空かなかったものの、跳弾が酸素マスクのホースを大きく破り、そこから音を立てて空気が漏れだした。

 途端に息が苦しくなる。

 頭の後ろに周っているゴムバンドを、毟るように外した。

 こうなっては、もう何の意味もない。


「ハアッ、ハアッ……!!」


 急激な酸欠で、目の前に星がきらめく。程なくして頭の芯からズキズキとした痛みが湧き上がってきた。

 銃口の向きを変える、その僅かな動きでも酷く身体が重い。

 仮に登山などで、ゆっくりと慣らしながらこの高度まで上れば、ここまでの負担は掛からないだろう。

 本職の航空兵がこの高度では酸素マスクを使わない理由が分かった。

 マニュアルでは使う事になっているらしいが、現場の判断というものだろう。

 付け焼き刃で形だけ真似ても、逆効果であろう事はよく分かる。


「僕のマスクを……」


「ダメです! 照準の方がはるかに重要ですよ!」


 本音を言えば、内側にキャロラインの息が結露しているであろうマスクには多少興味があったが、そんな状況ではない。


「今、撃って!」


 キャロラインの指示に合わせて引き金を引くと、また戦闘機が火を噴いた。


「あっ……」


 一瞬見えた雲の切れ間。

 地平線近く、微かに街の明かりが見えた。エイプル王国だ。

 地形から見て、ムーサの町だろうか。

 もう少しだ。もう、あと少しで手が届く。


 その時、伝声管からジョセフの怒声が響いた。


「油断するな!『ホワイトライン』が来ている! ピネプル海軍航空隊のエースだ、気をつけろ!」


 不意に足下に伝わる幾つもの衝撃。

 爆音を轟かせ、目の前を一機だけ赤く塗られた戦闘機が急上昇していく。

 腹下から突き上げを食らったらしい。

『サラ・アレクシアⅢ』右側のエンジンが一機、煙を噴いて動きを止めた。


「もっと上! 今ッ!」


 キャロラインの指示に無意識に身体が動き、引き金を引く。

 敵戦闘機の帆布張りの翼に曳光弾が吸い込まれ、幾つもの穴が開くのが見える。

 右の主翼には、目立つ一本の白線が縦に引かれていた。

 あれが『ホワイトライン』だろう。


「やったか!?」


 しかしどうやら急所を外したらしく、『ホワイトライン』は上空でクルリと木の葉のように機体を急反転させ、今度は急降下を仕掛けてきた。

 反転の瞬間、胴体に星マークが八つほど描かれているのが見えた。

 撃墜マークというやつだろう。

 撃墜数が累積で五機に達した者は『エース』と呼ばれる勇者になるという。


 風防ガラス越しに見る『ホワイトライン』の口元は真一文字に結ばれ、こちらに対して全く油断をしていない事を伺わせる。


 いや。むしろ。

 キャロラインを最大の脅威と認識したのか、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。

 狙いをつけて引き金を引くが、敵機は右へ左へ、滑るように平行移動して銃弾を躱した。


「危ない!」

 

 キャロラインを突き飛ばすと、一瞬だけタタタン、と敵機の機首が光った。


「ううっ……!」


 銃弾が左腕の肉をえぐっていた。

 焼けるように熱いが、引き金から手を離す訳には行かない。

 撃つのをやめれば、その時はこの世とお別れする時だ。

『ホワイトライン』はまたも急激に反転し、とどめを刺さんと突っ込んでくる。


「ブルース君! 目を閉じて!」


 一瞬、キャロラインがかざした右手から眩い閃光が走るのを目蓋越しに感じた。

 目潰し魔法を食らったパイロットは、左手で目を押さえながらも急旋回に移った。

 ほんの一瞬ではあったが、無防備な腹をこちらに晒している。そのまま狙いを定め、引き金を引く。


「食らえッ!」


 銃弾は『ホワイトライン』に吸い込まれ、黒煙が上がった。

 やがてエンジンから火を噴くと、パイロットは空中に踊るようにして飛び出す。

 落下傘が開き、目が合った。


「!?」


 敵パイロットは空中でこちらを向くと、敬礼の姿勢を取った。

 半ば無意識に、ビンセントも敬礼を返す。


「大空の騎士ってところだね。……残りの敵は引き返していくよ。ブルース君、大丈夫?」


「……はい。かすり傷です」


 不思議な気分であった。

 たとえ敵であったとしても、まるでスポーツの試合を終えた後のような気分だ。

 キャロラインは白い絹のマフラーを外すと、包帯のようにビンセントの左腕に巻き付け、きつく縛った。


 思わずへたり込もうとしたその時、伝声管が震えるようにジョセフの声を伝えてくる。


「ビンセント、キャロライン姐さん、すぐに戻ってくれ。……やられたよ。燃料が漏れてる」


 周囲にガソリンの香ばしい香りが漂っていた。

 左の主翼を見ると、ガソリンが霧のように流れ出しているのが見える。


「…………」


 思わず息を呑んだ。ほんの僅かな火種でもあれば、途端に大爆発を起こすだろう。

 伝声管から、サラの溜息交じりの声が響いた。


「んもー。せっかく空軍をつくったのにー。ジョセフー、おまえを教官に雇うハナシも、これでお流れかなー?」


「ちょ、姫様! そりゃ無いっすよ! シャーロットの学費はどうなるんすか!」


「王立学院入ればー? お金は気にしなくていいよー」


 エイプル王立学院は、じつは身分、国籍を問わず誰でも入学できる。

 しかし、莫大な学費と魔法の試験があるために、事実上貴族しか入れない。

 現時点で平民の学生は皆無であり、学校施設もその前提で運営されている。

 貴族以外で入学した者は、かつてのジョージ王だけだ。

 特別に魔法の授業と試験を免除されたという。


「敵の巣窟にやる訳ないっしょ! 魔法も使えねーし!」


 たった一機のエイプル空軍は、いまや壊滅の危機にあるらしい。

 エイプル王国まであと一歩なのに、だ。

 ジョセフは続けた。


「――ビンセント、早く準備しろ。俺が……このジョセフ・トムソンが! 必ずお前らをエイプルの王都に送り届けてやるッ! だから、後で必ず姫様を説得しろ!」


 ジョセフの愉快な姿は、不思議とビンセントの心に余裕を与えてくれたらしい。


「了解、だがあまり期待するなよ」

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