第204話 無敵の男 その二
『あなたが、カーター?』
『うん。今日からお世話になるよ、ハッハッハ!』
カーターは腰に手を当てて笑う。
目の前に居るのは、いささかくたびれた縫いぐるみを抱えた少女。
この教会の神父に子供は居ない。
全員が親を亡くしたり、捨てられたり、何らかの事情で親と暮らせなくなった孤児だ。
カーターは今日からここで暮らすのだ。
父が死に、女手一つで育ててくれた母も、もう居ない。
母の家が持っていた農地も家も、人手に渡った。
天涯孤独の家なき子である。
少女は小首をかしげる。
『ねぇ、どうしてそんなに、わらっているの?』
『どうしてって……ボクのお母さんが死ぬ前に『お前はいつも笑っていなさい』って』
これからも母の言いつけだけは守っていこう、カーターは素直にそう思っていた。
少女は、少しだけ寂しそうな顔をする。
『ふうん……いいお母さんだね。うらやましいな……。わたし、エミリー。よろしくね』
カーターは差し出された小さな手をしっかりと握る。
『よろしくね!』
もう、十年以上も昔の事だ。
その日から、カーターとエミリーは雨の日も風の日も、いつも一緒だった。
◇ ◇ ◇
ほんの一瞬。
現実の時間では、せいぜい三~四秒といったところだろうか。
まるで本当の兄妹同然に育った、幼なじみの顔が目蓋に浮かぶ。
気が遠くなるものの、それでもマーガレットの手首を離すわけにはいかない。
カーターは鍛え上げた自らの肉体に絶対の自信を持っているが、とても無視できる衝撃ではなかった。
ボルドックの町で、ビンセントに向けて放った技の応用だ。
囚われの身となったイザベラを助けるためにやむを得なかったとはいえ、カーターよりも遙かに華奢なビンセントを射出したのである。
紆余曲折の後ビンセントのもとにたどり着いたとき、彼は瀕死であった。
オルクは魔法でビンセントを痛めつけていたが、傷の半分はカーターが負わせたといっても過言ではない。
大砲で撃ち出すのと同じだ。ただで済むはずがない。
着地直前の空中で、どうにかマーガレットを抱き寄せ、迫り来る地面を転がって衝撃を逃がす。
「ぐおっ!?」
頭と背中と脚に走る衝撃で、カーターの意識は遠のいた。
◇ ◇ ◇
いつの時代でも、どこにでも。たちの悪い者はいるものだ。
カーターが、まだ魔法を使えなかった頃。
お使いで町に出たエミリーが、地元でも評判の札付きに取り囲まれているのを見つけた事があった。
『なぁ、強がってないでソイツ渡せや』
『俺らのオモチャにしてやるからよぉ! ひゃひゃひゃ!』
下卑た笑みを浮かべるチンピラに、今にも泣きそうな表情でかぶりを振るエミリー。
両手には、小さな子猫。足下には薄汚れた段ボール箱。捨て猫だ。
『ま、待てっ!』
カーターは脚を震わせながらも、なけなしの勇気を振り絞って声をかけた。
『なんだ、お前は?』
『か、かわいそうじゃないか! やめろよ!』
相手は五人。
結果は推して知るべし、だ。
『……いてー…………』
どうやら猫は逃げ出す事に成功したらしい。
カーターはボロ雑巾のように地べたに這いつくばっていた。
エミリーが大人の人を呼んできてくれたお陰で事なきを得たが、チンピラたちの狙いがエミリーだったとしたら、どうなっていたかわからない。
『大丈夫? すぐに手当を……』
エミリーが撫でたところの痛みが消えていく。
今にして思えば、これは不完全ながらも回復魔法だったのだろう。
『うん、ありがとう…………悔しいなぁ……』
この時、カーターはようやく父が身体を鍛え続けていた理由が分かった。
農家としては過剰な筋肉は、こんな時に大切な誰かを守るために必要だったのだろう。
生きてさえいれば、もっと早く気付く事が出来たかもしれない。
その日から、カーターのトレーニングが始まった。
荷物の中にあった父の日記が、効率的なトレーニング法を教えてくれた。
誰にも負けない事。すなわち、無敵。
鍛え上げた肉体はエミリーのためのものであり、すなわちカーターの生き様そのものである。
◇ ◇ ◇
見上げれば、中庭を照らすガス灯が揺れていた。
内部は全て電灯だが、人目に触れる所は雰囲気を重視してガス灯を使っているのだ。
電気代が高いので、ガスの方が割安というのもある。
傍らに転がったマーガレットが、額に手を当てながらふらふらと立ち上がる。
「あ、ありがとう…………だ、大丈夫ですの!?」
なぜかマーガレットは青い顔をしていた。
「ククク……どんなもんよ! こ、これで玉座の間まで、あと一歩だぜ!」
カーターは立ち上がろうとするが、全身に力が入らない。
「?」
「う、動かない方が……」
マーガレットの視線の先を見ると、カーターの右脇腹、外腹斜筋から直径一センチほどの鉄の棒が飛び出ていた。
着地の際に、運悪く突き刺さったのだろう。
痺れるような感覚と、途端に感じる熱さ。。
あまりにも重傷のためか、痛みが麻痺しているらしい。
ただ、熱い。
「いいか、マーガレット。こういう時はな、無理に抜いてはダメだ。途端に大量出血を起こすからな」
リーチェ戦線では、無理に抜いて出血多量で死んだ兵士を何人も見てきた。
「え、ええ。そ、そうですわね」
抜かずにそのまま立ち上がろうとするが、どうにもうまく身体が動いてくれない。
本当なら、このままエリックに詰め寄り、エミリーを返してもらうつもりだったのだ。
玉座の間に続く扉は、もう目の前。
なのに、身体は動いてくれないのだ。
思わず唇を噛む。こんな事は初めてだった。
このままでは、本当にエミリーとエリックが結婚してしまう。
エリックと戦って負けるのであれば、まだ納得もできただろう。
しかし、それすらも適わないままだ。ここまで来ておきながら。
「…………」
その時、カーターは何となくジェフリーの気持ちを理解できてしまった。
エミリーがエリックと結ばれるくらいなら、全て吹き飛ばしてしまいたい。
『原子爆弾』の威力には及ばないが、爆弾なら無くはない。
「……カーター、あなた……!」
なぜか視界はゆがみ、頬に何か液体が流れているらしかった。
世界全てを吹き飛ばそうが、自分自身を吹き飛ばそうが、主観的には何ら変わることはない。
カーターはズボンのポケットから最後の手榴弾を取り出した。
視線の先には、通路の扉。
「本当はオレがエリックをぶっ飛ばして、エミリーを助けたかったが……」
カーターはもう動けない。
しかし、どうやらマーガレットはまだ動けるようだ。
銃も、弾もまだある。
自分の力で為し得ないのであれば、せめて。
「――オレがこコイツで奴らのめ目を引く……そ、その隙にお前は……」
「!!」
「お、オレはえエリックのやヤロウなんざ、どうでもいいが…………エミリーだけは自由にしてやりてぇ。あ、あいつはああんなヤリチンに任せられねぇからよ……だだが、オレはもう歩けねぇ……」
そうしている間にも、突撃隊員たちの包囲網は狭まっていく。
一歩。また一歩。
「……………………馬鹿じゃないの。『無敵』が聞いて呆れますわ」
マーガレットはカーターから手榴弾をもぎ取ると、ピンの付いたまま放り投げた。
「な、何しやが……」
マーガレット何も言わずに上着を引き裂き、カーターの傷口に巻き付け、強めに縛る。
パーカーだった布は、一瞬で真っ赤に染まった。
そんな事をしても、もう意味は無いのだ。苦痛が長引くだけでしかない。
マーガレットは、まるで諭すようにして言った。
「ねぇ、『無敵』って何かしら? わたくし思いますの。それは、負けないことじゃなくて……負けても、何度でも立ち上がることじゃないか、って。ブルースと一番仲良しのあなたなら、よく分かると思うけど」
「!!」
ブルース・ビンセント。
地獄の中の地獄、リーチェ戦線で、彼は幾つもの死と向かい合いながらも生き延びた。
何度も傷つき、何度も倒れ、それでもその度に立ち上がった。
魔法も無ければ、家柄も、財産も無い。ただの平民の兵士。社会の負け組。
そして、カーターの親友。
「……負けを認めないと、その後の勝ちは無いってか。……そう……だな。相棒なら、きっと……そうするぜ」
「そうですわ、それこそ負けるが勝ち。挽回のチャンスも、生きていればこそ……ですわ。視野を広く、ね」
そう言ってはいるものの、きっとマーガレットだって本音では悔しい事だろう。
しかし、外面からは全くそんな雰囲気を感じさせない。
無理をさせてしまったな、とカーターは溜息をつく。
「本当の『無敵』は……お前かもしれねぇな」
「はぁ? それはありませんわ!」
二人は、どちらともなく笑い合う。
実際の所、次があるかどうかはわからない。
もう、次の瞬間には『原子爆弾』で全てが吹き飛ぶかもしれなかった。
それでも、今ここで死んでしまえば確実なゼロだ。
マーガレットは立ち上がると、持っていた銃を放り投げ……両手を挙げた。
「――こうふ……」
降伏、と言いかけたその時だった。
「皆の自由のために! 皆の未来のために! 皆の幸せのために! エイプル王国、ばんざーいッ!!」
耳に届いたのは、聞き慣れた女の声。
「自由のために! 未来のために! 幸せのために! エイプル王国、ばんざーいッ!!」
続いて響いたのは、大勢の群衆の声だった。
扉のかんぬきが、派手な音を立てて折れる。
厳重に閉ざされた、外壁の扉が勢いよく開いた。
そして、エイプル王国の国旗を高く掲げる女騎士と、彼女に続く大勢の群衆が姿を現したのである。
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