第201話 御旗のもとに

 従兵に指揮官の緊急招集の指示を出すと、スティーブとイザベラはタニグチの部屋を後にする。


「……あの人、何て言ってたんですか?」


 不安げな瞳でレベッカが出迎えるが、イザベラがかぶりを振ると彼女は力なく俯く。


「我々の負けだ。作戦は中止し、市民の避難誘導を行うことにした」


 全ては後手後手であった。

 場当たり的な対応に追われていては、勝利など望めようはずもない。


 スティーブは思わず壁を殴った。

 ああは言ったものの、本心ではマーガレットとカーターに救援を出したかったのも事実だ。

 しかし、そうも言っていられない。

 一刻の猶予も無いのだ。


「クソッ、手が足りん!」


 情報部の報告によれば、完成までは少なくともあと半月はかかる、という見込みだったはずだ。

 タニグチの力を完全に侮っていたのだ。あの男は間違いなく天才と言える。


 レベッカが不安そうな顔を押し殺して立ち上がった。


「わ、私も避難を呼びかけます!」


「気持ちはありがたいが……」


 レベッカはそう言ったものの、しょせんは平民の小娘である。

 いったいどれだけの人が聞いてくれるのか、あまり期待はできなかった。

 何よりも、年端も行かぬ少女を銃撃戦の真っただ中に放り込むことになる。

 レベッカもまた、守るべき市民の一人である。それも、ビンセント家の娘なのだ。


 それに今から逃げたとしても、もう次の瞬間には起爆するかもしれない。

 そうなれば、全てお終いだ。


 そして、何よりも懸念すべきは、このことを知った民衆のパニックである。

 最悪の場合、暴徒化する恐れがあった。

 そのために犠牲者が出ては、本末転倒だ。


 イザベラが自分の胸を叩くと、ぽよん、と音がしたような気がした。もちろん気のせいだ。


「――イザベラ、どうした?」


「大丈夫よ。マーガレットたちには、少しだけ頑張ってもらいましょう。私がみんなに話してみるわ」


「いいのか? 私が呼びかけたほうが……」


 イザベラはかぶりを振って、スティーブを押しやる。


「いいの。『お願い』をするんだから。それにお兄様、私の婚約者を誰だと思っているの?」


 イザベラは花のような笑顔を向けてきた。


 仮にビンセントが救いようもない下衆であったとしても、同じ結果になっていただろう。

 こればかりは運が良かったとしか言いようがない。

 ビンセント薪店にいる間、イザベラはとても幸せそうにしていた。


 本人は自分の意思で、好き勝手に行動していただけかもしれない。

 しかし、たとえ無自覚であろうとも、結果的には正統政府の思惑通りだったのだ。


 王家に近い大貴族の娘を『ただの平民』に差し出したのには意味がある。

 慣れない家事をモニカに教わったり、店の仕事を手伝ったり、野球の助っ人をしたり。


 全ては、これらの行動により親しみやすさをアピールするためだ。

 平民の支持を取り付け『神聖エイプル』に対抗するために、どうしても必要なことだった。

 ブルース・ビンセントは、決して選ばれた特別な人間であってはならなかった。

『ただの平民』でなければならなかったのだ。

 ボールドウィン家の再興も、同じ理由である。


「まさか……気付いていたのか?」


「何が?」


「いや、何でもない。……正直、ありがたい」


「ね?」


「だが無理はするな。お前は大勢の前で話す時、必ず慌ててしまうからな」


「だ、大丈夫よ! お兄様はそこで見ていて」


「……ちょっと待て、髪がボサボサだぞ。身だしなみにはいつも気を付けろと言ったはずだ」


 スティーブはヘアブラシを持ち出すと、イザベラの髪をとかしだした。

 軽くブラシを入れるだけで、艶やかな髪は何の引っかかりもなく撫で付けられた。

 あと何度、こうして髪をとかしてやれるだろうか。

 スティーブは一抹の寂しさを覚えた。


「んもう、自分でできるわ。いつまでも子供じゃないの」


「だが、いつまでも私の妹だ。これでよし……と」


「ありがとう。お兄様」


 ◇ ◇ ◇


 イザベラはホールに出ると、周囲を見渡している。

 後ろで見守るスティーブも、思わず息を呑んだ。


 人、人、人。


 ホールどころか、入りきれない人が外にまでごった返している。

 老若男女を問わず、ほとんどが平民の貧困層だ。

 銃撃戦から逃れてきた避難民たちが、保護を求めて駆け込んできたのだろう。

 貴族や富裕層は、高い塀に囲まれた安全な屋敷に引っ込んでいるので当然といえる。

 老人や子供の姿も目立った。


 不意に赤ん坊の泣き声が響き、母親らしき女が必死になってあやしていた。

 なかなか泣き止まない赤ん坊に、別の主婦が哺乳瓶を差し出す。

 彼女は何度も頭を下げ、赤ん坊にミルクを飲ませはじめた。

『原子爆弾』が起爆すれば、彼女らも一瞬にして消滅してしまうだろう。


 義勇兵が車座になって談笑している一角がある。

 服装や装備に統一感は無く、いかにも寄せ集めといった具合だ。

 イザベラは彼らに気づいたのか、少しだけ俯く。


「…………」


 義勇兵は、言葉通りに『寄せ集め』という言葉以外では表現できない。

 前線から交代してきた傷病兵。恩赦を与えられた脱走兵、年老いて引退した退役軍人、突撃隊に職を追われた衛兵。


 片目を包帯で覆った者。三角巾で片腕を吊っている者。義足を取り外して注油している者もいる。

 彼らに支給されるのは、僅かな一時金のみ。

 将来には何の保証もない。

 兵士など使い捨ての消耗品。それが、彼らと彼らの支配者の共通認識だった。


 しかし彼らは、長年続いた理不尽な戦争と、降って湧いたお家騒動の被害者である。

 支配層である貴族に反感を持つ者も多い。

 それでも、彼らは明日のパンのために銃を取った。取ってくれたのだ。


 彼らは思い思いに雑談や暇つぶしの遊びに耽っていた。

 しかし、何人かがイザベラに気付くと徐々に静かになっていく。

 やがて誰もが黙り、イザベラの言葉を待った。

 その視線は必ずしも好意的なものではない。

 嫌なやつだけど聞いていないと後で文句を言われる、といった感じである。


「…………」


 イザベラは昔から、こういった時どうしても緊張してしまい、上手くものが言えなかった。

 額の汗をハンカチで拭っているが、どことなく違和感を感じる。


「…………!」


 ハンカチかと思っていたそれは、どうやら男物のパンツらしかった。

 おそらくビンセント家から持ち出した物だろう。

 思わずため息をつくが、当の本人は胸を張ってパンツを、さもハンカチのように胸ポケットに戻した。


「イザベラさん、頑張って……!」


 レベッカが拳を握り、イザベラを見つめる。

 肩越しに一瞬だけ、笑顔が返ってきた。


「今夜は、皆さんにお話があります! 聞いてください!」


 イザベラは民衆の前で『原子爆弾』について話した。

 王都とその周辺の町を吹き飛ばす超兵器であること。

 起爆がいつになるかわからないこと。

 王城に乗り込んだ仲間が戦っているが、多勢に無勢で勝ち目はほとんど無いこと。


「我々も死力を尽くしています! しかし、状況はけっして楽観できません!」


 ざわめきが広がる。

 不安げにしている者、怒りをあらわにする者、泣き出す者など、反応は様々だった。

 一通り話し終えると、イザベラは言葉を切り、深呼吸を一度した。

 

「皆さんに、お願いがあるのです! どうか、どうかすぐにお逃げください! 一人でも多く! 一メートルでも遠くへ! 地下室があれば、そこも比較的安全です! お願いしますッ!!」


 イザベラが深く深く頭を下げると、民衆と義勇兵はざわついた。

 あからさまに貴族然とした女が、平民に向かって深く頭を下げたのだ。無理も無いだろう。

 やがて、一人の男が声を上げた。


「税金下げるんなら、いいぜ!」


 何を言っているのか理解できなかった。死んでしまえば税金も何もない。

 男の声をきっかけに、何人もの声が上がる。


「うちのガキ、上の学校に行かせてくれ!」


「お野菜値下げして!」


 各々勝手な事を言い出すが、最初に声を上げた男が前へ出る。

 頬に大きな傷のある、筋肉質の中年男だ。


「たしかに俺は、あんたら貴族が大っ嫌いだ! でもよ、このまま指をくわえて何もせず吹っ飛んじまうよりよ、あんたに力を貸す方がまだマシだぜ!」


 なぜか男は笑顔で親指を立てていた。


 続いて、眼鏡をかけたインテリ風の青年が声を上げる。


「そもそもそんなに強力な兵器なら、逃げ切れるとも思えない! 死力を尽くして戦った方が、まだ未来に可能性がある! そういう事ですよ!」


「そうだ、そうだ! 自分の街は自分たちで守るんだ!『神聖エイプル』のやつら、ぶっ飛ばそうぜ!」


「仕方ねぇ、やってやる!」


「俺らも王城に乗り込んでやらぁ!」


 みんなが、笑顔でイザベラを見つめていた。


「イザベラさん、これ……!」


 レベッカが大きな旗をイザベラに差し出した。

 リンゴに噛り付く蛇を図案化した、エイプル王国の国旗だった。

『神聖エイプル』が王城に居座って以来、掲揚や所持が禁止されていたものだ。


 誰かが叫ぶ。


「エイプル王国、万歳!」


 一人が叫ぶと、また誰かが叫び、やがてシュプレヒコールへと変わっていく。

 民衆の声は、いつの間にか揃い、高らかに叫び続けた。


「エイプル、バンザイ!」


「エイプル、ばんざーい!」


 レベッカがイザベラに笑顔を向ける。

 その顔に諦めの色は無い。信じている、と顔に書いてあった。


「一緒に……頑張りましょう? お兄ちゃんなら、きっとこう言うわ」


「れ……レベッカちゃん……!」


 二人は、泣いているような、笑っているかのような表情できつく抱きしめ合った。

 イザベラは頷くと、高らかに旗を振りかざし叫ぶ。


「みんなのために! 自由と未来のために! エイプル王国、ばんざーいっ!!」


 群衆が沸き立ち、窓ガラスが共鳴を起こして震えていた。


「…………」


 そんな中、スティーブは溜息をついた。

 もう臆病で気の弱い、守ってやらなければいけない妹は存在しない。

 そこに立っているのは、力強く民衆を導くリーダーであった。

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