第200話 日陰の戦士
マーガレットとローズは、さほど仲が良かった訳ではない。
しかし、だからといって特段敵対する事も無く、教室で顔を合わせれば世間話はする、くらいの間柄ではあった。
ローズには婚約者が居た。
パーティーで何度か顔を合わせた事はあったが、会話をしたことは無い。
彼は大柄で筋肉質の士官で、当時の階級は中尉。
トマトスの貴族の三男坊で、ローズの事はずいぶんと気に入っていたらしい。
家同士が決めた婚約とはいえ、ローズも特に不満はなかったようだ。
弱体化の勢いが収まらないエイプルの貴族は、政略結婚によりその力を維持することが何よりも求められたのだ。
ある程度の諦めがあったのも事実だろう。
ウィンターソン家やチェンバレン家など、王家に近いいくつかの貴族以外はどこも大差はない。
これには、エイプル王国特有の事情がある。
王家に近いということは、すなわち平民に近いという逆転現象だ。
ジョージ王が平民以下の流民であったためである。
皮肉にも平民の科学技術によって、それらの家の経済力は維持されていた。
しかし、それも裏舞台でのこと。
貴族同士の社交において、彼らは決して表に出てくることは無い、日陰の存在であった。
実態はともかく、意識の上では相当の乖離があったのは事実である。
マーガレット自身、自らの暮らしを支える平民たちのことは、ほとんど意識に上ったことは無かった。
これはかつてのイザベラも大差ない事だろう。
ローズの婚約者は、かねてから勃発していた『大陸戦争』に出征、受傷して復員する。
酷い火傷で、彼はその後仮面をつけて暮らすようになった。
そして、一年前。
マーガレットの留学と前後して、ローズの婚約は破棄されている。
なお、これらの事はウィンドミルの調査に基づくが、彼の推測によれば顔の火傷はあくまでもきっかけに過ぎなかったのではないか、という。
ローズは、婚約者の出征中からエリックと仲を深めていたらしい。
「あなたとエリックの婚約は、とっくに破棄されたはずだけど」
マーガレットを見るローズの表情は、まるで下水道のネズミを見るような視線だった。
「それについては、今更異論などありませんわ。せいせいしたくらい」
「せいせい……ですって?」
ローズの眉が動いた。
唇を噛んでいるが、なぜそんな表情をするのかは分からない。
「そうですわ。もともと、わたくしはエリックの事なんて何とも思っていませんもの。今夜は別件で用がありましたの」
マーガレット自身は気づいてはいなかったが、背中に汗がにじんでいた。
意識の外で、ローズの気迫に圧倒されつつあったのかもしれない。
突撃隊の男たちにざわめきが走った。
「そう、用があるのはこのオレ様だ」
カーターが一歩前へ出る。
「久しぶりだな、ローズの姉ちゃん。カスタネ以来か」
ローズの表情が一瞬だけ緩む。
「そうね。あなたの演奏、見事だったわ。わたしも楽しかったもの」
「オレもさ。だが、一つ悔いがあるとすれば……」
「なぁに?」
「オレたちのバンド『カスタネ・マッスルズ』は、音楽性の違いにより解散した。残念だったぜ……」
ローズはクスクスと笑い出す。
「うふふ……そうね。わたし、思うんだけど。音楽性の違いで解散するくらいなら、最初から組まなければいいと思わない?」
カーターは腕組みをして俯く。
何の意味もない会話だが、カーターは真剣な表情だった。
「……ほかに、楽器を弾けるやつが見つからなくてな」
実際には居たのだが、全員が辞退していた。
ぽっと出の平民――当時は、だが――と、息を合わせて演奏しようという暇な者は居なかったのだ。
ピアノを担当したマーガレットも、本心では面倒くさかった。
「…………」
ローズの傍らに立つマイラと視線が合う。
「お元気そうで何よりね。マーガレットお嬢様」
「なんであなたが、ここに居るのかしら? マイラ」
マイラは呆れたような表情で溜息をつく。
「ご自身の胸に聞けばいいでしょうに。あなたに解雇された私は、エリック様に救われたのです。あなたの元に居る時よりも、はるかに幸せです」
「……そう。あなた、けっこうドジだったから、心配していたのよ。エリックに迷惑をかけていませんの?」
そもそもマイラとエリックの関係が明るみになった事も、マイラが口を滑らせたためである。
「お嬢様も意地を張らずに、エリック様に抱かれればよかったのに。私の魂を救ってくれたのはエリック様です。あの方の為であれば、私は身体をバラバラにされても悔いはありません」
「なぜそこまでエリックを?」
「……あの方こそ、救世主なのです。元婚約者のくせに、ご存じありませんか? 彼の起こした数々の奇跡を。エイプルを統べるのに相応しいお方は、あの方を置いて他におりません。ああ、エリック様……!」
マイラは膝を付くと祈るように手を組み、恍惚の表情を浮かべ天を仰いだ。
マイラの肩に、ローズが抱くように手を置くと、マーガレットに視線を向けた。
「マーガレット、あなたにはどうしてわからないの? 彼に付いていけば、救われるのに。何の悩みも、悲しみも、苦しみも無い世界に連れて行ってくれるのに」
マーガレットの胸に、先ほどの学長との会話が思い起こされた。
「何のことか聞いても、いいかしら?」
「知らないの?」
ローズは花のような笑顔をマーガレットに向けてくる。
女から見ても、思わず見とれてしまう笑顔ではあったが、どことなくうすら寒いものを感じた。
「――わたしたち、エリックと一緒にチキューへ行くの」
「チキュー……」
『チキュー』と『地球』はどちらも異世界ではあるが、似て非なるものである。
地球がこの世界と同様、生きた人間の済む異世界であるのに対し、チキューは古来より人々の魂の還る所と信じられている。
「エリックはね、チキューから来たのよ。チキューの記憶を持って、この世界に生まれてきたの」
「つまり?」
「たとえ死んでも、チキューで幸せになれるのよ。そこはいつも暖かくて、花は咲き乱れ、飢えも貧困もなく、誰もが愛する人と暮らせるの。永遠にね」
「…………」
チキュー。エイプル人の信仰における、死後の世界である。
カーターはよく分かっていないようで、キョトンとしている。
……それで良い、とマーガレットは思った。分かるべきではない。
「……? まぁ、オレ的にはエリックなんぞ二の次、三の次よ。エミリーの居場所は知っているか? アイツを連れ帰る、それがオレ様の目的だ」
そう言うと、肩の対魔ライフルに手を伸ばす。
両脇で控える突撃隊員たちがざわついた。
武器を構える者も居るが、まだ撃っては来ない。
カーターは続けた。
「――オレは難しい話はよく分からねぇ。だが、喜びも悲しみも、生きてこそだと思うんだがなァ?」
ローズとマイラは立ち上がると、鋭い視線を向けてきた。
二人の魔力の高まりを感じる。
「マーガレット。あなたはどう思うの?」
「わたくしは……」
密かに周囲を再確認する。
遮蔽物となる庭石や柱。息を意を殺す狭路。脱出路。敵の位置と数。
正面から戦えば勝ち目は無いが、やり方次第で戦える可能性もなくは無い。
「――わたくし、ワガママで俗物なんですの。死後の世界で救われるより……」
ビンセントの顔が胸に浮かんだ。
貴族たちの華やかな生活の裏側。
地獄と言われたリーチェの戦場で、地べたを這い、泥をすすり、理不尽な暴力にひたすら晒され続けながらも、生きることを決して諦めない、日陰の戦士。
死後の世界で幸せになるなど、彼の前でとても言えるものではない。
ビンセントであれば、きっと死力を尽くして戦うはずだ。
ククピタ村の時のように。
「生きている今、この世界での幸せを…………追い続けますわッ!!」
マーガレットは小銃の引き金を引いた。
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