第199話 絶対の力
王都。
スティーブが拠点にしている宿は、元々は関係者しかいないはずだった。
王都でも最大の宿であり、収容客数は五百を超える。
しかし、今や一階のホールは怪我人で溢れている。
兵士や義勇兵だけではない。
銃撃戦に巻き込まれた一般市民も、数多く担ぎ込まれている。
医者と看護師は手早くカイルの応急処置を終え、次の患者に移っていく。
彼らにとっても、ここは間違いなく戦場だった。
「もう大丈夫よ。ゆっくり傷を癒して」
イザベラが声をかけると、床に敷かれた毛布の上でカイルは唇を噛んだ。
「すみません……足を引っ張ってしまって」
「いいのよ。もしあなたが居なかったら、私たちはタニグチを見捨てて先に進んだと思うの。……生け捕りにできたのは僥倖だわ。……今になって思えばね」
イザベラはカイルに軽く手を振ると、ホール正面の階段を駆け上がる。
◇ ◇ ◇
二階の一室では、スティーブによって直々にタニグチの尋問が行われようとしていた。
「で?『原子爆弾』はどこにある。起爆を防ぐ方法は?」
スティーブがベッドに横たわるタニグチに詰め寄る。
タニグチに巻かれた包帯は赤く染まっていたが、命に別状はないようだ。
手足は手錠と縄でベッドに拘束され、腕には点滴の菅が刺さっていた。
イザベラとて急いではいるのだが、この話だけは聞いておかなければならない。
素直に話すとは思えなかったが、耳を傾ける。
「設置は玉座の間の床下ですよ。配管工事に紛れて設置しましたのでね。本体は大きな卵型で、緑色の塗装がされています」
「なにっ!?」
「起爆はリモコンでも可能で、ジェフリー坊ちゃんが持ってます。アルミ製で、オイルライターを大きくしたような文庫本サイズの装置です。中にあるスイッチで、一時間タイマーと即時起爆を選べます。ただし、本体に設置した主電源を入れなければ絶対に爆発しません」
「主電源とやらは入っているのか!?」
「それは坊ちゃんにしかわかりませんなぁ」
タニグチはあっさりと秘密を口にした。
あまりにも意外である。
呆気に取られていると、ノックの音が響きドアが開く。
「例の物、お持ちしました」
従兵がトレイに乗せたペンチを持ってきた。
タニグチは顔面を蒼白にして後ずさろうとするが、拘束されているため動けない。
「おおーっと! 私は包み隠さず話しましたよ!? 何に使うんですか、そのコンビネーション・プライヤーは?」
ただのペンチにしか見えないが、大層な名前があるらしい。
後で知ったことだが、よくあるペンチとは役割が違うそうだ。
スティーブは無表情のまま、指先でペンチをくるくると弄ぶ。
カチャカチャという音が不気味だった。
「安心しろ。お前が素直に吐いたお陰で使わずに済んだ。これからも使わずに済むなら、それに越したことはない」
「お、お兄様……?」
さしものイザベラも背筋が寒くなった。
いったい、どう使うつもりだったのだろうか。想像したくなかった。
スティーブは腕組みをして続ける。
「意外だな、タニグチ」
「何がです?」
「もっと抵抗するかと思っていたが。重要な秘密だろう?」
タニグチは何を言っているのかわからない、といった表情でぽかんとしていたが、すぐに笑い出した。
「ハハハハッ! 私はねぇ、王都を吹き飛ばしたいだなんて、これっぽっちも思っちゃいない! ただ作りたかった、それだけなんですよ。ああそうだ、そっちのお姉さんならわかるかな?」
「私?」
タニグチの視線はイザベラに向いた。
「あれ自体は善も悪もないんです。ただ純粋な『力』そのものですよ。発電の燃料にだって使われるくらいなんですから。ただ……」
タニグチの顔は、どういう訳か楽しそうに見えた。
BL話をするマーガレットの表情に、少し似ているような気もする。
おそらく、イザベラ自身も同じような表情をしているのだろう。
「ただ……何よ」
「あれ、作るのとっても難しいんです。自分の知識と技術を試してみたかった。これがまず一つ」
訳が分からない。
しかし、何となくだが理解できなくもない気がする。
理解はできても納得はできないが。
「――もう一つは、世界中の魔法使いが束になっても敵わない絶対的な力を、この世界の人が手に入れた時どう使うか……興味があったんですよ」
「興味、ですって?」
「ええ。ためらわず実戦で使ってしまうのか、相手を恫喝する交渉の材料として使うのか。それとも、平和のために使うのか。……せめて、この新しい世界の人々には期待したんですがね。恋敵の爆殺とは、じつにくだらない。……残念です」
言ってしまえば、今回の事件は全てがそこに収束すると言っても過言ではない。
ローズ。エリック。ジェフリー。そしてマーガレット。
彼ら彼女らの色恋沙汰がここまで発展するとは、誰が予測できただろうか。
ローズへ片想いしていたジェフリー。
ローズと付き合い始めたエリック。
表向きは親友同士のジェフリーとエリック。
本人は否定しているが、エリックへの想いを断ち切れずにいるであろうマーガレット。
一見エリックのハーレムにより複雑に見えるが、簡単に整理するとこういった具合である。
それでも複雑だ。イザベラは内心、頭を抱える。
「…………」
しかし、ジェフリーの気持ちも何となくわかるのだ。
悲しい事、辛い事は誰にでもある。もちろんイザベラにも。
世界なんて滅んでしまえばいい、何度そう思ったか知れない。
だてに長い間肥満体で過ごしてはいない。
だからといって本当にやろうなどとは誰も考えないだろう。通常は不可能だ。
しかし、それを可能にする力を持っていたら。
「…………」
不意に脳裏に浮かんだのは、両親の顔だ。
普段は大人しいが芯の強い母。
時折間が抜けた様子を見せる、優しい父。トニーとモニカ。
屋敷で働くメイドや執事、庭師。出入りの業者。たまに遊びに行く本屋や菓子屋の主人。
一緒に野球をした少年たち。
親しい者、顔だけ知っている者。すれ違うだけの者。
貴族も平民もない。
全ての人が、より良い明日を信じて今日を生きている。
イザベラはビンセントを送り出した時の、彼の気持ちがよく分かった。
できる事なら、自分自身が何とかしたかった事だろう。
逃げ出すように潜水艦に乗るのは、さぞや心苦しかったことだろう。
それでも堪えて行ってくれたのだ。
感情を殺し、使命のために行ってくれたのだ。
どれほど辛かったことだろう。悔しかったことだろう。
「……そう。私も残念だわ。……ねえ、タニグチ」
「はい?」
イザベラはタニグチの顔を左手で掴み、力を込めた。
唾棄しようかと思ったが、逆に喜びそうなのでやめておく。
「――あが……あがが……! あ、アイアンクローとか……好みじゃないでず……ど、どうでならおっぱいで顔を……」
タニグチの顔はみるみる赤くなり、眼鏡が砕け散ると同時に泡を吹いて気絶した。
「神様にでもなったつもり? ……笑わせないで!」
スティーブの顔を見ると、同じような事を考えていたのだろう。
寂しそうな顔で俯いていたが、やがて顔を上げる。
「明朝の王城奪還作戦は中止だ。市民の避難誘導を行う」
「…………!」
イザベラは息を呑む。
それは、マーガレットとカーターに援軍を出せないという事を意味していた。
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