第198話 ゲームとリアル

 フロアの一角には、休憩用と思しきテーブルセットと、ステンレスのシンクが設置された一角があった。

 観葉植物も置かれているが、作り物だ。電灯の灯りがあるとはいえ、植物の生育にはやはり光量が足りないのだろう。


 学長が出したコーヒーを見つめる。

 このコーヒーは、学長が魔動式コーヒーメーカーで抽出したものだ。


「毒など入ってはおらんよ」


 そうらしい。実際、カーターはお構いなしにゴクゴクと飲んでいる。

 敵かもしれない者の出した飲み物を無警戒に飲むとは、さすがに呆れてしまう。

 しかし、カーターは特に変わった様子は無いようだ。


「……頂きますわ」


「やはりコーヒーメーカーは魔動式に限るわい。ああ、ワシが作ったんじゃよ、これ。最近流行の電熱式は味気なくてな。機械には心が無いからのう。さて――」


 学長はまるでカミソリのような視線を向けてきた。


「おぬしら、まさかエリック・フィッツジェラルドと戦いに来たんじゃあるまいな?」


「だと言ったらどうですの?」


「やめておく事じゃ。並みの兵士では束になっても勝てぬぞぃ……。あの男は、人間という種族が理論上行使しうる、最大の魔力容量を持っておる。属性魔法全てに加え、付与魔法や防御魔法も完備じゃ。今からでもお逃げなされ」


「でも学長」


「まぁ聞け。ワシとてきょうび、こと戦いにおいて科学兵器に勝てる魔法があるなどとは思わぬよ。じゃが、奴は規格外じゃ」


「奴って……学長は、『神聖エイプル』とは……」


 現状休校状態にある王立学院において、約半数の教職員が『神聖エイプル』に参加している。

 学長の立ち位置は『神聖エイプル』寄りのはずだ。


「あんなバカ共と一緒にしてもらっては困るのう。今更何をどうあがいても、機械化の流れは止まらん。これからも貴族は衰退していくことじゃろう。それが『現実』じゃ」


「…………」


 衰退。その言葉は、マーガレットの胸に重たくのしかかった。

 魔法の衰退は、貴族の衰退と同義だ。

 事実、戦場の主役は平民の兵士である。もう、魔法の出番はほとんど無い。

 世界中で力関係が大きく平民寄りに傾いている。


「誤解してもらっては困る。『神聖エイプル』にあっても、ワシは王家への忠誠を捨ててはおらぬよ。しかし、フィッツジェラルドはこれ以上無い貴重なサンプルでな。知的好奇心に負けたのじゃ」


「エリックは……何者ですの?」


 マーガレットは固唾を呑んだ。


「異世界転生を成し遂げた……そう、転生者じゃ」


「やっぱり……そうですのね」


 学長は深く頷いた。

 仮説としてケラー首相から聞いていたが、どうやら事実だったらしい。


「奴の肉体には、地球人の魂が宿っておる。滅多にない事じゃが、過去に例が無いではない。生まれた時点で成人並みの知識と経験を持ち『答え』を最初から持っておる」


「どういう事ですの?」


「若いうちは色々悩むこともあるじゃろう。覚えは無いか? 学業、恋愛、何でも良い。悩み、苦しみ、そして何かの『答え』を試行錯誤しながら探してきたはずじゃ。あるいは今もな」


「…………」


 マーガレットは、無意識に胸に手を当てた。


「しかし奴は、おぬしらの苦悩を横から鼻で笑っておったのじゃよ。掛け算の九九に悩む子供を、王立学院の学生たるおぬしはどう思う?」


「九九に悩む……子供……」


 学長は続けた。


「おぬしらの喜びも悲しみも、あるいは苦悩すらも、全て奴の掌の上じゃ。玉座に居座るのも、ただのゲームに過ぎん」


 そう言うと、学長は溜息をつきながら長い顎髭を撫で付けた。


「ゲーム……ですって?」


「そう、ゲームじゃ。死を超越した奴にとって、自分を含めた人の生き死にすらもな。『原子爆弾』すらも、ゲームを盛り立てるイベントに過ぎん」


 そこで学長は、軽く俯いたように見えた。

 マーガレットは唇を噛む。

 これを化け物と言わずして、何と言おう。


 カーターがカップをそっと置く。


「だがな、ジイさん。ゲームなら勝てば良いだけだ。違うか?」


「勝てるか? トランプのポーカーなら、奴はカードをもう一揃い持っているのと同じじゃ。おぬしと違ってな。必ずロイヤル・ストレート・フラッシュを出してくる」


「ククク……もう一揃いのカード、ねぇ」


 カーターは勢いよく立ち上がると、ボディビルの何とかというポーズを取る。

 両腕の力瘤を強調するポーズだ。


「オレで一セット! マーガレットで一セット! イザベラさんで一セット! 相棒が、サラさんが、ヨーク少尉が、チェンバレン中佐が……みんなそれぞれ一セットだ! フハハハハ!! 負ける気がしないな! コーヒー、ごっつぉーさん」


 カーターはそのまま踵を返し、奥へと進んでいく

 色々と突っ込みたいところはあるが、マーガレットも後に続くべく立ち上がった。


「ま、そういう事ですわ。今更引けませんの」


 学長は寂しそうに頷いた。


「身体の具合は如何かの?」


「えっ?」


「さっきのコーヒーじゃがのう、体力を回復し、魔力を一時的に強化する秘薬を混ぜておいた。ワシとて、大切な教え子を失いたくはないからのう。この老いぼれにできるのは、そのくらいじゃ」


 言われてみれば確かに、疲れが取れ、身体に活力が満ちている気もする。


「……苦しいお立場、同情いたしますわ。ありがとう」


「老いてさえおらねば、共に戦う事もできたじゃろう。すまぬのう」


「お気持ちだけで、じゅうぶんですわ」


 学長は頷いた。


「生き抜くことを、一番に考えよ。決して諦めず、最後まで考える事をやめてはならん。……これが、ワシの最後の授業じゃ」


「最後だなんて……わたくし、必ず生き残るつもりですのよ」


「お前さんではない。……見よ」


 学長は、ローブの前をはだけて見せた。

 血の気を失ったカサカサの肌に、肋骨がありありと浮かび上がっている。

 それどころか、胸にも腹にも大きな手術跡が幾重にも重なっていた。

 思わず息を呑む。


「まさか……」


「ガンじゃよ。全身に転移しておる。おぬしらに後れを取らん、と言ったのはハッタリじゃ。皮肉な事じゃが、これはエックス線で見つかったのじゃよ。魔法使いのワシとしたことがのう」


「…………」


 マーガレットは、掛ける言葉が見つからなかった。

 しかし、学長にはさほど気落ちした様子は無い。


「ふぉふぉふぉ、老いと病は切っても切れぬ間柄じゃ。おぬしらもいずれその時が来るじゃろう」


「学長……」


「こればかりはサラ様の回復魔法すら、効果はほとんど無くてな。せめて卒業証書を渡すまで、持てばと思っておったがの……」


 学者というものは、自分の死期が目前に迫っていても、いや、だからこそ研究を続けるものらしい。

 敬意を言葉に表そうとしたが、上手く行かない。


「……ご自愛を」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 マーガレットは学長に礼をすると、カーターの後を追う。


 ◇ ◇ ◇


 階段をいくつも昇り、地上へ出る。

 野球場が一つ余裕で収まる王城の中庭には、突撃隊員たちで埋め尽くされていた。

 銃を構える者。魔法の杖を掲げる者。剣や槍を構えた者も居る。

 誰もが一様に、マーガレットたちに殺意を向けてきていた。


「こりゃまた、ずいぶんな歓迎っぷりだな! ハッハッハ」


 カーターは笑ったが、オリーブドラブのタンクトップの背中には、びっしりと汗が染みだしている。

 どうやら、予想以上の軍勢だったらしい。


 カーターというのはあまりにも楽天的過ぎる男であったが、それに助けられたことも少なくない。

 今回たまたま予想が外れただけだ。不思議と責める気にはならない。


 イザベラたちを逃がしたのは正解であった。

 一人や二人増えたところで、大勢に変化は無いだろう。


 王城のセキュリティ・システムの賜物か、あるいは最初から予想していたのかはわからない。

 いずれにせよ、密かに潜り込んでエリックを暗殺するという目論見は、早くも崩れ去った形だ。


 考えるまでもなく、前回カーターが入り込めたのは何者かの意思を感じさせる。

 おそらくは、父のウィンターソン総司令だ。

 その父も、今はエイプルに居ない。

 衛兵たちも、突撃隊と入れ替わる形で城を去った。


「……分かりきっていた事ですわ」


 ……すぐには、撃ってこなかった。

 男たちが二つに割れ、その中を一人の女が悠々と歩いてきたのだ。


「遅かったですね、マーガレットお嬢様」


「…………マイラ」


 元・ウィンターソン家のメイドで、マーガレットの留学中にエリックと密通していた女だ。

 帰国早々クビにしたが、その後の消息は不明だった。

 やはり、エリックのメイドをやっていたのだろう。

 服装はメイド服のままだった。

 マイラこちらを見下ろすような、醜悪で歪な笑みを浮かべていた。


「どこかで野垂れ死んだと思っていたのに。しぶといですね、お嬢様は」


「おあいにく様。わたくし、これでもしぶといんですの」


「……それも、これまでね」


 また、聞きなれた声だ。

 今度は男たちが一斉に膝をつき、頭を下げる。

 道を空け、自らも膝をついたマイラの後から現れたのは、エリックの一番のお気に入りとされる、ローズだった。

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