第196話 第四ゲート開け
「
スピーカーからは、感情を感じさせない無機質なアナウンスが流れていた。
何十人もの作業服姿の男たちが、忙しそうに駆け回っている。
ここはオルス帝国。帝都の一角にある、基地内の一角だ。
「エナーシャ回せーッ!! モタモタするな、ぼさっとしてるとケツバットだぞッ!」
責任者らしい壮年の男が檄を飛ばす。
水銀灯の光に照らされた格納庫は、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
一人の作業員が躓いて転び、工具箱の中のスパナをぶちまける。
「す、すいません!」
「バッカヤロウッ! 俺たちにとってなぁ、工具は騎士の剣と同じだぞッ!! てめーは便所掃除一週間だッ!」
ここまで近代化されたオルス帝国でも、騎士の伝統は受け継がれているようだ。
それにしてもこの男、素直に恐ろしい。
しかし周りの反応を見る限り、怒鳴りたいから怒鳴る、という嫌なタイプの上司ではないようだ。
怒鳴られた作業員も、さほど悲壮感はない。
責任者の実力と人徳が伺えた。
「気になりますか?」
ウィンドミルがビンセントを覗き込んだ。
「ええ、多少は……」
「彼はこの道三十年の職人で、作業員は部下というよりは弟子といった方が良いでしょう。ただ、弟子たちの誰もが、彼の思想と技術を受け継げる訳じゃない。あの叱責には愛があります。彼らが成長した時が見ものですよ。カタチだけを真似て、ただ怒鳴り散らすだけにならなければ良いのですがね」
「はぁ」
気を取り直して、『それ』を眺める。
格納庫にようやっと収まる、上下二枚の巨大な翼。
その間に胴体を挟むように搭載された、見た事も無い巨大なエンジン。
一見、エンジンが二つの双発機に見える。しかし、実際には串形に直列搭載された四発機だという。
確かにプロペラが前後に付いている。
オルス帝国が技術の粋を結集して開発した、最新型の戦略爆撃機だ。
未塗装の銀色は、新素材のアルミニウムを使った合金だという。
これだけの図体でありながら、重量はわずか十二トンほどだそうだ。
胴体と翼には、いかにも適当に塗りましたと言わんばかりに、エイプル王国の国章が描かれていた。
そして、その国章の横に大きく油性ペンで書かれている文字は、『サラ・アレクシアⅢ』。
うねうねとミミズが這ったような文字は、本人の直筆である。
「――オルスでもまだ制式化もされていない、最新型だそうですが……」
「試作機ですね。XB-Ⅵと言うそうです。聞いたところコストが高く、採用が見送られたそうで……そうそう、開発したメーカーでは『シュバルベ』と呼ばれていたそうですよ」
「はぁ?」
どこかで聞いたような名前だ。
エクスペンダブル号の人を喰ったような顔が脳裏に浮かぶ。
「いやはやまったく。こんなモノをもらえるなんて、さすが『ジョージ王の遺産』ですねェ」
ウィンドミルはウンウンと頷いていたが、ビンセントはなぜか納得が行かない。
「どうだー、すごいだろー」
サラは腰に手を当てて胸を張っている。『自信満々』と顔に書いてあった。
いや、実際には文字ではない。ただの油性ペンで付いた黒い染みだ。
ビンセントはハンカチで拭おうとするが、どうしても取れない。
「――もういいよー、何日かしたら取れるからさー」
「すいません、お役に立てず」
「いいんだよー」
ハンカチに有機溶剤を染み込ませれば、一瞬で取ることができる。
しかし、そんな事はとてもする気になれない。肌荒れでは済まないからだ。
ふと唐突に、お土産にもらった食料を思い出す。
大使館の職員に貰ったのだ。
「そうだ、バナナ食べます?」
「たべるー!」
ビンセントはバナナの皮をむくと、サラに差し出した。
バナナは貴重品である。南方の温暖な地域でしか栽培できず、大陸戦争に伴う海上封鎖で入手が不可能になっていたのだ。
その値段は、戦前の百倍以上になっていた。
まさしく、王侯貴族しか口にできない贅沢な嗜好品である。
できればオレンジやミカンがよかった。あの皮から出る汁を使えば、油性ペンの汚れを落とせるのだ。
しかし、貰い物にケチをつける訳にも行かない。
サラは嬉しそうにバナナをパクつく。
「美味そうに食べますね」
「もちゃもちゃ…………おいしー」
「はっはっは、子供はたくさん食べなくちゃな」
傍らに立つネモト艦長がパイプを取り出して、口にくわえた。
「ゴルァーッ!!」
「わ、私かね?」
怒鳴ったのは先ほどの責任者だ。
年齢を感じさせない足取りで駆け寄ると、鬼のような形相で艦長からパイプを取り上げた。
「ここは火気厳禁だッ!! タバコは喫煙所ッ!! 何者であろうと、例外は無えッ!! 貴族だろうと皇帝陛下だろうと、ここでは俺の指示に従ってもらうッ!!」
「す、すまなかった」
艦長は小さくなって、パイプをポケットにしまう。
責任者は元の位置に駆け戻り、指揮を続けた。
「次から気をつけろー」
「申し訳ありません、殿下に恥をかかせてしまって」
サラがネモトの頭をヨシヨシと撫でる。
そのままでは届かないので、ひっくり返したビールケースの上に乗っているのだ。
「…………」
思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえ、無表情に努める。
艦長は話題を変えた。
「話は変わるが……まさか、貢物として皇帝に差し出したジョージ王の遺産が……なぁ」
「あの遺産、結局何だったんですか?」
ビンセントも疑問に思っていた。
サラが肩から掛けているポーチに入れられていた、不思議な光を放つ円盤の事だ。
ムーサを立つ前日、ウィンドミルがどこからか用意したものである。
なお、母のモニカが作ったポーチを大事に使ってくれるのは、息子としても嬉しかった。
「あれがアダルトDVDだなどとは……思いもよらなかったな」
「アダルトDVD……ですか?」
聞いたことのない言葉だった。
なぜか艦長はサラとキャロラインを交互に見ている。
「あー、その。なんだ。二進法に基づくデジタルデータを高密度に記録した光学ディスクの一種で、地球で作られたものだ。皇帝が再生機を持っていたのだよ」
「そのデータとやらに、大国を動かすだけの価値が……?」
「あった……のかなぁ? ……いや、あったな。間違いなく。極めて重要なデータだ。内容は国家機密で言えないがね」
「はぁ」
何やら釈然としないが、機密であれば仕方がない。
役に立ったのであれば、命懸けで運んだサラも報われる。
「ところで、さっきから一緒に居るそちらの女性は? ビンセントも隅には置けないな、この短期間で女の子を拾ってくるとは」
「僕です。ロッドフォードですよ、艦長」
キャロラインはスカートの裾をちょん、と持ち上げ、軽く礼をした。
「な、なんですと……」
まるで顎が外れたかのように、艦長は口を大きく開けて目を見開いていた。
キャロラインのこの姿を見るのは、初めてだったのだ。
そんな事を話している間にも、ジョセフが戻って来た。
「やれやれ、王女サマのワガママに付き合わされる身にもなってくれや! お前が悪いんだぜ、ブルース!」
「はは……」
ジョセフは、ビンセントに向けて中指を立てる。
彼流の挨拶らしかった。
……実際にはわからないが、そう思う事にした。
なんだかんだ言って、ジョセフは決して悪人ではない。
家族を何よりも大事にする、好青年だ。
茶色の革製パイロットスーツに身を包んだその姿は、もはや先ほどまでのチンピラではない。
ジョセフは、急に真顔になった。
「一つ、お前に話がある。ブルース・ビンセント」
「何だ?」
ジョセフは一歩近づくと、ビンセントの顔を真っ直ぐに見た。
ふざけた様子は一切ない。
「エイプルじゃ平民の兵士なんぞ、使い捨ての消耗品だろ? クソ安い給料で、マジで死ぬまでこき使われる。姫様に頼めば、オルスに残る事もできるんだろう?」
「…………」
確かに、ジョセフの言う通りだ。
平民の兵士など、しょせんは使い捨ての消耗品である。
「こっちなら、いくらでも仕事がある。アパートが決まるまで、俺の実家に居ればいい。なんなら親父の船に乗って、漁師をやったっていいんだ。シャーロットだって、お前やキャロライン姐さんを気に入っている」
「…………」
「……オルスで、暮らさないか?」
ビンセントは、ジョセフの気持ちが素直に嬉しかった。
そんな未来も、あるいはあったかもしれない。
だが、かぶりを振る。もう、決めた事なのだ。
エイプルの王都では、イザベラが、マーガレットが、カーターが危機に陥っている。
いや、王都とその周辺の町もだ。当然、家族の住むムーサの町も含まれる。
それらを失えば、例え自分が生きていても、一生深く後悔し続ける事だろう。
「やめておくよ」
「酷い所なんだろう? それでもか?」
「たとえ地獄でも、ふるさとだからな。待っている人もいる……」
ジョセフはそれを聞くと、満面の笑みで頷いた。
「そうかい。……ま、もし残るつったら、縄で縛って無理矢理送り返したけどな!」
「酷いやつだ。俺を試したのか」
ジョセフは踵を返す。
「暖気中に色々説明するから、こっち来いや!」
「おう、今行く……うおっ!?」
ビンセントは歩き出そうとしたが、滑って転び、尻餅をついた。
「おー、ごめんなー」
「バナナの皮をその辺に捨てちゃ、ダメですよ!」
「にしし、次から気を付けるよー」
サラは悪びれているようには見えない。
いや、それどころか笑っていた。笑いながら、目には涙が浮かんでいた。
「――ありがとなー」
「ま、俺はサラさんの家来ですからね」
バナナの皮を持って立ち上がり、ジョセフを追いかける。
背後では、作業員の声が響いた。
「コンタクト!」
「コンタクトよーしッ!」
巨大なエンジンが目を覚まし、乾いた風が爆音とともに、格納庫を駆け巡る。
スピーカーから流れるアナウンスは、先ほどよりもいささか緊迫感を帯びているように聞こえた。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます