第193話 地球人、エイプル人 その二

「な、なんてこと……!」


 マーガレットは、頭からサッと血が引いていくのを感じた。

 手足が震え、歯の根が合わない。

 しかし、タニグチの様子は変わらない。変わらないまま、ごく自然に言ってのけた。


「何て言うかさぁ。私もこの歳でちんこ未使用だしさぁ。女の子を監禁して、エッチなイタズラするのって、ロマンでしょ?」


「はあ!?」


 脈絡もなく、いきなりとんでもない事を言い出したのである。


「原子爆弾はジェフリー坊ちゃんの頼みで作ってたんですよぉ。でもある日、双子の姉のキャロラインお嬢様が来たんです。坊ちゃんのフリして。だからさぁ、洗いざらい喋っちゃった! ウンウン聞いてくれるから、お喋りするの楽しくて! あの娘、可愛いなぁ~! お嫁に欲しい~」


「そ……それから!? どうしたんですの!?」


「色々、ステキなプレイを考えてたのに! 頭の中のシミュレーションは、完ッ璧ッ! だったのにッ! イタズラする前に逃げちゃいました。……悔しいなァ!」


 悔しがるタニグチとは対照的に、マーガレットは胸を撫で下ろした。

 こちらを伺っているカーターとイザベラも同様らしい。

 しかし、カイルは拳を握りしめ、唇を噛んでいた。


 タニグチは腕時計に目をやる。

 針が無く、奇妙な形の数字が浮かび上がる、変わった時計だった。


「――お~? 時間だ。さ~て、そろそろ行きましょうか~」


「ど、何処へ行くんですの?」


 タニグチは大げさに首を傾げた。


「あれぇ~? 私を迎えに来たんじゃないんですかぁ? ここで待ち合わせたでしょ~? もう、坊ちゃんの指先一つでこの国はオシマイですよ。このまま王都と一緒に吹き飛ぶなんて、私はゴメンなんでねぇ~! ……グエッ!」


 鈍い音が響き、タニグチは床に這いつくばった。

 カイルがいつの間にか近くに来ていたのだ。

 彼は震える拳を握りしめつつ、吐き捨てる。


「あんた……恥ずかしくないのかよ!」


「痛てて……」


「辛かったのは同情するけどよ、自分の国を捨てたのは、あんただろ! なんでエイプルをふっ飛ばされなきゃいけないんだ!」


 タニグチは頬を押さえつつ、カイルを睨み付けた。


「……この国も、いずれ私の祖国と同じ道をたどりますよ。エイプルも我が祖国同様、もうかつての大国の面影はない。衰退する一方です。人を消耗品扱いしていれば、当たり前としか言いようがありません。このままでは、未来を生きる若者は何の希望も持てない。既得権益もろとも全てを破壊し、ゼロからやり直すしかないでしょう」


「だからってなぁ!」


「……あなたも不満があるんでしょう? 平民の兵隊さん。嫌な上司……貴族の上官に、相当苦しめられたはずだ。こんな国に、忠誠を誓う価値がありますか?」


「それは……!」


 カイルはタニグチから目をそらした。

 タニグチは先ほどまでの醜態はどこへ消えたのか、極めて理性的な瞳でカイルを見つめる。


「だから、ジェフリー坊ちゃんが代わりにやってくれるのです。私はそれを後押ししただけに過ぎない。本当は、私自身が地球でやりたかった事なのですよ」


「あんた、自分で言ってたろ! 帰りたい、って!!」


 タニグチは目を伏せると、一瞬だけ黙った。

 この一瞬に何を考えていたのかはわからない。だが、今までにない表情を見せたのは確かだ。


「そう……でしたね。確かに言いました。でもしょせん、酔っ払いの戯言ですよ。帰りたくても帰れない」


「だったら、ここで生きるしかないだろ!」


 タニグチはカイルを見ると、首を傾げた。

 また考える素振りを見せた後、何かに納得したように頷く。


「あなた……地球人でしょ? ハーフかな? ……何となくわかりますよ。雰囲気で」


「……だったら、何だ!」


「私のように専門知識と技術を持つ地球人は、たとえ劣悪な待遇であっても行く所には困らない。でもあなたは違う。ただ地球人の血が流れているだけでは、どこに行っても迫害の対象になるだけだ。違いますか? ジョージ王とサラ王女は、例外中の例外なんですよ」


「…………」


 カイルは答えない。


「エイプル人にも地球人にもなれないあなたが、エイプルを守る理由……何ですか?」


 これについては、マーガレットも本当は気になっていた。

 イザベラやカーターも同様らしい。

 情けないことだが、横から口出しをするにはデリケートすぎる話題だった。

 カイルは、絞り出すようにして答える。


「俺は……俺は、エイプル人だ! 俺は、ここで生まれて、ここで育ったんだッ! エイプルでしか、生きていけないんだッ! よそじゃ生きて行けないんだよッ!」


 タニグチは、目を丸くした。

 笑っているような、泣いているような、何とも言えない表情だった。


「……なるほど。故郷だから……ですか。羨まし」


 タニグチがその言葉を最後まで言い終える事はなかった。

 いくつもの銃声が響き渡り、タニグチとカイルは倒れた。


「カイルッ!」


 マーガレットは反射的にテーブルの下に潜った。

 オイルランプは撃ち抜かれて砕け散ったが、血だまりが広がっていくのが見える。

 壁の穴から銃弾を撃ち込まれたのだ。


 周囲では藪をかき分けるいくつもの足音、金属の触れ合う音、かすかな話し声が聞こえる。


「――まさか……突撃隊?」

 

 再び銃撃。壁にいくつもの穴が続けざまに開く。

 出入り口の陰から、イザベラが必死の形相で叫んだ。


「二人ともまだ生きてるわ!」


「よーし、オレが。……ぬぅん」


 カーターが防御魔法を展開しつつ二人に歩み寄ると、二人を軽々と抱え上げた。


「お前も入れ、マーガなんとか」


「ええ」


 四人で防御魔法の障壁に隠れ、イザベラの待つ壁の向こうへと移動する。

 短機関銃が使われているのか、障壁には拳銃弾が多く刺さっていた。

 時折大きな衝撃が走り、小銃弾が突き刺さる。


 集中砲火を受けつつも、カーターは意にも返さない。

 この神経の太さは見習うべきかもしれなかった。


「……二人とも出血がひどいな。イザベラさん、頼むぜ」


「まかせて。ちょっとした応急処置ならお義母様から習ったわ!」


 イザベラはまず、手近に居たカイルの手当てを始めた。

 右腕を撃ち抜かれ、出血が止まらない。

 早く医者に見せなくては危険だ。


 カーターは小銃を構えると、障壁越しに乱射した。狙っている訳ではなく、牽制の射撃だ。


「ここはオレが抑える。二人を手当てしろ」


「二人ですって? タニグチも?」


 マーガレットはいまいち納得が行かなかった。


「そうだ。コイツは生け捕りにして、後でみっちり説教してやる。ヤリ逃げは許さねぇ」


「……そうですわね」


 つい感情的になってしまったが、背後関係を探る上でも生け捕りが望ましい。

 タニグチも肩を撃ち抜かれ、上半身が真っ赤に染まっている。

 三角巾を使って手当てを試みるが、白い三角巾は一瞬で真紅に染まった。


「ううう……痛い……もう死ぬ……」


「……そう簡単に死ねるとでも思って? 罪を償いなさい!」


 そうは言ってみたものの、それはあくまでもすぐに適切な治療をした場合の話だ。

 このまま放っておけば、間違いなく死ぬだろう。


「うぅ……帰りたい……地球に……帰りたいよぉ……」


 タニグチはうわ言のように呟いた。


「なぜ? 地球は酷い所なんでしょう? それに、どこも変わらないって……」


「たとえ地獄でも……ふるさとなんだよぅ……」


 タニグチの目から涙が止め処なく流れる。大の男が、情けなく涙を流しているが、とても貶す気にはなれない。


 マーガレットはアリクアム留学の日々を思い出した。

 ふとした瞬間に、エイプルの、自宅の屋敷の風景が目に浮かび、涙を流した事もあった。


 この男も、同じだった。

 しかし、マーガレットやカイルと違い、帰る家の無い哀れな人間だった。

 それでも、同じ人間だった。


 こうしている間も、ひたすら銃撃戦が続いている。

 盾にしている壁も、そのうち撃ち抜かれるかもしれなかった。

 カーターの弾や防御魔法が切れれば、もうどうしようもない。


「……イザベラ!」


「何よ!」


「……二人を連れて、脱出して」


 イザベラは目を丸くすると、信じられないといった表情を浮かべた。


「な……」


「タニグチとカイルを合わせた体重、たぶんカーター一人より軽いですわ。あなたの馬術なら……」


「でも!」


 マーガレットでは、痩せ型とはいえ重傷を負った男二人を抱えて馬に乗るなど、とてもできそうにない。


「タニグチは裁きを受けるべきだし、カイルはお母様が待っているの。それにイザベラ、あなたは……」


 そこでマーガレットは言葉を呑んだ。

 ビンセントの顔が脳裏に浮かぶ。

 ここから先は、言いたくなかったのだ。言えば、何かが決まってしまう。

 いずれにせよエリックとは、決着をつける必要があった。


「イザベラさんは相棒を迎えなきゃなぁ! オレはこのままエリックをぶっ飛ばして、エミリーを連れ帰らなきゃならねぇ! マーガレットもなぁ!」


 気持ちを代弁したのは、カーターだった。

 この時、カーターは初めてマーガレットの名を正しく呼んだのだ。


「…………わかったわ。でも、二人を送ったら必ず……必ず助けに行くから!」


 イザベラとマーガレットは、どちらともなく頷き合う。


「――来いッ! エクスペンダブルッ!!」


 どこからともなく蹄の音が響いてくる。

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