第192話 地球人、エイプル人 その一

「ハッハッハ、コイツぁひでぇや!」


「でしょ? でしょ? 私がやったのよ、私が!」


「あのねぇ……」


 自慢するようなことではないはずだが、なぜかイザベラは得意顔でマーガレットを見てくる。理解に苦しんだ。

 そんな三人を尻目に、カイルはエクスペンダブル号の引き綱を立ち木に縛ると、頬を優しく撫でた。


「大人しくしててくれよ、シュバルべ。後で必ず迎えに来るからな」


「フィー……」


「万が一の時は……ここを引けば、綱はほどける。お前ならできるはずだ。俺たちが戻らなければ、その時は……いいな」


「クゥ~ン……」


 いよいよ目的地、森の奥の屋敷へとやって来たところである。


 この屋敷は、夜会の会場などに使われていたものだ。

 王城と地下通路でつながっており、非常時の脱出ルートでもある。

 事実、先のクーデターの際、イザベラがサラを連れて脱出に使ったのだ。


 イザベラが追っ手を撒くために魔法で放火し、現在では無残な瓦礫が残るばかりである。

 建物自体は一応原形を留めているものの、室内は焼け焦げた瓦礫の山。

 壁や屋根も半分ほどが焼け落ちている。


 秘密の出入り口がある、目的の部屋は一階にあるのだが……。


「誰ですの? あの人」


「浮浪者じゃないの? それにしては身なりが良いけど」


 マーガレットの問いに、イザベラも答えようがないらしい。

 誰もが一様に言葉を失っていた。


 壁に大きな穴の開いた応接室。

 そこに居たのは、痩せぎすで丸眼鏡をかけた、白衣姿の中年男だった。

 出入口があるマントルピースの前に、燃え残ったテーブルセットを並べている。

 オイルランプの灯りの中、労働者がよく飲む安酒を煽っている姿は、場違いという言葉を全身で表現していた。


 男は、コップを持った手でマーガレットを指差した。


「あ~、そこのドリルヘアーのお姉さん!」


「わ、わたくしですの?」


「そんな所でつっ立っていないで、ついでくださいよ! ……ヒック」


「??」


 焼け跡を物色していた浮浪者にしては、白衣姿が異質である。

 カーターが耳打ちしてきた。


「……コイツ、なんか変だぜ。関係者かもしれねぇ」


 元々変なカーターが言うからには、相当に変である。


「そう……かもしれませんわね」


「マーガなんとか、ちょっとお酌してやれ」


「ハァ!? なんでわたくしが!」


「やっこさんのご指名だろ? 何かわかるかもしれねぇ」


 確かに、どんな些細な情報が役に立つかわからない。

 不本意ではあったが、マーガレットは席に着いた。

 他の三人は部屋を出て、焼け落ちたドアの陰からこちらを伺っている。


「えへへへ~」


「…………」


 男は、マーガレットを見ると情けなく鼻の下を伸ばした。

 アルコールの匂いが鼻につく。

 全身に鳥肌が立ち、嫌悪感が全身を支配した。


「お姉さん、お名前は~?」


 マーガレットはきつく男を睨みつける。


「人に名を問う時は、自分から名乗りなさい!! 失礼ですわ!!」


 イザベラとカーターが、必死に何かジェスチャーで伝えようとしているが、マーガレットは給仕でもホステスでもない。

 しかし、意外にも男は満面の笑みを浮かべた。


「おほお~! これは早速、ありがとうございます~! 我々の業界ではご褒美です! ははは! もっと罵ってくださ~い!」


「……ちっ」


 思わず舌打ちしてしまった。呆れるしかない。


「はあ~~~~…………」


 男は深く溜息をつく。

 アルコールの匂いがこれでもかと鼻に付いた。


「――私ね、これでも頑張ったんですよ? えへへ、これでも機械の設計とか得意なんです。すごいでしょ! ……ヒック」


「……そうですの」


「地球ではさぁ、あのメダチ工業の子会社でエンジニアやってたんです! 知ってます!?」


 ものすごく得意気な顔だった。

 どうやら過去の栄光らしいが、それよりもとんでもない事をあっさりと言ってのけた。


「あなた、地球人……?」


「そう、で~す! うひひひ……」


「……わたくし、生粋のエイプル人ですの。地球の事は知らなくてよ」


 男は額に手をやると、大きく反り返っては笑い出した。


「あはは~! そりゃそうですよねぇ~! 異世界ですからね~! 地球の経歴なんか、意味ないですねぇ~! サビ残、パワハラで、私を精神的、肉体的に極限まで追い込んで、ボロ雑巾みたいに使い潰した、あんなブラック企業、ブラック国家、知る訳ないですよね~! アハハハハ!! ……ヒック」


 完全に出来上がっているようだ。これでは、大した情報は期待できそうにない。


「……いいから飲みなさい」


 これはもう、完全に酔い潰してしまった方が話が早い。

 マーガレットは手近な酒瓶を掴むと、男の空になったグラスに酒を注ぎこむ。

 しかし、ついうっかり自分の指に酒がかかってしまった。


「おほぉ~! お姉さんの指漬けのお酒、美味しいよぉ~! 爪の垢から出汁が出て、最高ォ!」


「……おぇ」


 あまりの嫌悪感に吐き気がした。

 全身に冷や汗が浮かぶ。


「異世界転移して、今度こそはと頑張ったんですよ。譲二と一緒に、私ゃ本~当、頑張ったんだよッ!!」


 男はテーブルを乱暴に叩く。

 そして今度は泣き出した。


「――ううっ……私たちを使い捨ての消耗品としか見ない、クソみたいな会社を捨てて! エリートの既得権益でガチガチになってて、下の者は決して這い上がれない、そんな地球を捨てて! 異世界の新天地で! 一から頑張ろう、って! この世界は中世レベルだから、私たちの現代知識で無双できるって! そう思ってたんだけどなぁ……何だかなぁ~」


「…………」


 そこで、男は言葉を切った。

 マーガレットは空になったグラスに酒を注ぐ。早く潰れてほしかった。


「中世レベルは、地球の方でした」


「どういう事ですの?」


 いつの間にか、男は真顔になっていた。


「この世界の人間は、失敗を恐れず、新しい物を貪欲に取り入れます。機関銃だって、電気だって、自動車だって。マイオリスみたいなのはいますが、全体としてはそういう気質が強い。庶民レベルではね」


「かも、しれませんわ」


「……かたや地球はどうですか? 新しい概念を受け入れない保守的な土壌。冤罪を晴らせない古めかしい法。前例踏襲しかできない支配層。上意下達の縦社会。体育会系という軍国主義。正規、非正規の厳然たる身分差別。収入格差による貧困の再生産。……地球の方が、よほど遅れています」


「…………」


 男はテーブルに突っ伏し、皿に乗っている干物に噛り付いた。

 何の干物かはわからない、怪しげなものだった。


「結局、どこに行っても同じなんだな~! もう帰りたいよ~」


「……地球に?」


「地球に」


「そんな……酷い所でも……?」


「……結局、私はどこまで行っても地球人なんです。譲二みたいに、この世界に骨を埋めるには、なんというか、覚悟が足りなかった。でもね、エイプルをここまで変えられたんです。地球だって、いずれ……」


 そこまで言うと、男は酒を一気に煽った。

 マーガレットはさらに酒を注ぐ。


「――あんなもの、作らなければよかった、って気もします。正直、怖くなりました」


「何を作ったんですの?」


「原子爆弾」


「なっ!?」


 キャロラインから話は聞いている。

 超兵器『原子爆弾』を製作中の男の名は、タニグチ。

 この男こそが、そうだったのだ。


「激レアな素材があって、設計も分かっているとなれば、作ってみたくなるのが人情ってものでしょ! 私がやらなくても、いずれ他の誰かが作りますって!」


「だからと言って!!」


「ちょっと、イジケてみただけなんだよなぁ。私が何を作っても、結局譲二……ジョージ王の手柄になっちゃうのが、面白くなかったんですよぉ。正当な評価、正当な対価が欲しかった、それだけなんだよなぁ。……ヒック」


 そんな事は知ったことではない。それよりも重要なことがある。


「か、完成したんですのッ!?」


「完成しましたッ!! このタニグチに、不可能は無いッ!!」


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