第191話 クレムの地球人
「私が……バカだったのよ」
「…………」
義勇軍の兵士たちが確保している、宿の廊下。
ドリスは肩にかかった髪を払うと、自嘲的な笑みを浮かべて俯いた。
「自分の意思、ってものが無かったの。友達がみんなエリックの事を好きだから、いつの間にか私も流されちゃったのね。こんな事になるなんて、思っても見なかった」
「ええ。確かにバカですわ。本当、バカよ……」
マーガレットは遠慮なく吐き捨てた。
ドリスは言い返さない。たっぷり十秒は黙っていた。
「無理にとは言わないわ。でも、できれば……できればでいいの。マイラを殺さないで」
「……善処しますわ」
確約はとても出来ない。
エリックを倒し、その上で全員が生き延び、エミリーを救出し、原子爆弾の起爆を阻止する。
難易度の高いミッションだが、どれ一つとして取りこぼしは許されない。
激戦が予想される。誰が生き延び、誰が死ぬか。それは誰にもわからない。
「ドリス・ノーサムの身柄は我々が預かる。後は任せてくれ」
スティーブが、確固たる意志を湛えた瞳で三人を見渡すと、三人は無言で頷いた。
「――せめてもの手向けだ。カイルを付けよう。武器は一通り使えるし、馬の扱いにも長けている。何よりも、決して裏切る男ではない」
スティーブの視線の先には、戦闘服に身を包んだカイルが立っている。
「カイル一等兵です。ただ今を持って、正式に軍に復帰しました。お供します」
どこかで見たような瞳だった。
サラと同じ、漆黒の瞳。
その上、一見死んだ魚のような、何の光も無い目だ。
しかし、その奥には熱い炎が巧妙に隠されているような……そんな男を、マーガレットは知っている。
だからだろうか、どことなく好印象だった。一般的に理解されない感覚であろうことは、重々承知している。
一行は宿の前に停めている馬車の前に戻った。
「お前とまた会えるなんて、夢にも思わなかったぞ、シュバルベ」
「フヒヒ……」
カイルはエクスペンダブル号の顔を覗き込み、首筋や肩を撫でた。
周囲を回り、蹄の状態を確認しているようだ。
「なんでわたくしには懐かないのかしらね……」
マーガレットが思わずこぼすと、カイルは僅かに微笑んだ。
「さぁ、香水の匂いが気に喰わないんじゃないですか? こいつ、結構鼻が利くんですよ。歳の割に」
「そんな事、あるかしら」
「さぁ、俺もコイツとずっと一緒だった訳じゃないんで。……うん。新しいご主人は、お前を大事にしてくれているようだな。……安心した。サァ、行くか」
「オウフ!」
しかし、マーガレットは腑に落ちなかった。
「香水くらい、みんな付けていますわ。なんで……あ」
そこまで言って、マーガレットはある事に気が付いた。
マーガレットの使っている香水は、長年同じ物を使っている。そのため、何も意識していなかった。
この香水はずっと昔、エリックに贈られた物と同じ銘柄だったのだ。
エクスペンダブル号はそれに気付いていたのかもしれない。
しかし、カイルは当然その事を知らない。
◇ ◇ ◇
突撃隊を主力とする、王城の警備は大幅に強化されている。
そもそも、義勇兵による攻撃の奇襲効果が薄れるため、正面突破は止められていた。
したがって目指すは、王都の外れにある森。
最初のクーデターの際、イザベラがサラを伴って逃れた地下通路から侵入を試みる手はずだ。
森に入ってしばらく経った頃、カーターが妙な声を上げた。
「なんだありゃ!?」
懐中電灯の灯りの中に、大きな錆び付いた残骸が浮かび上がる。
菱形の車体はあちこちが焦げ付き、側面に大きな穴が穿かれていた。
生い茂った草に覆われ、徐々に周囲の風景と同化しつつあるその残骸は、まるで有史以前からそこにあったかのような、奇妙な雰囲気を漂わせていた。
「戦車ですわね。戦場で無敵と謳われたはずの超兵器なのに……一体誰が?」
「私よ。ブルースがなんかすごい弾撃って、漏れた燃料に私が魔法でドカーン! って」
なぜか自信満々のイザベラの説明はムチャクチャだが、何となく言いたいことはわかる。
徹甲弾で燃料タンクを撃ち抜き、魔法で火を着けたのだろう。
マーガレットは視線を落とすと、サラマンダーの幼生と目が合った。
残骸をねぐらにしているらしい。
「なるほど、最初の襲撃の時ね」
「魔法だけでも、銃だけでも勝てない相手も、やり方次第で勝機はあるの。無敵で不死身なんて、有り得ないわ」
「……おうふ」
カーターが今にも死にそうな表情で、ものすごく大げさに頭を抱えた。
エリックを相手に戦い、『無敵の』カーター・ボールドウィンはその二つ名を失ったばかりだ。
未舗装の道路を、生い茂った木々がトンネルのように覆う。
時折木々の梢から月光が差した。
マーガレットは、自分の吐いた息が白く結露するのを見た。
もう、夜はかなり冷え込む時期だ。
ますます深くなる森の奥を、一行は進んでいく。
「ダイエットすかぁ? オレは全然やったことがなくて。やっぱりね、筋肉を付けるためには、まず脂肪をある程度付けないと」
「それはわかってるわ! でも、やっぱり気になるの。この間体重計に乗ったら、二キロも増えてたのよ!」
「そりゃあ、幸せ太りってヤツだ! ハッハッハ!」
先を行くカーターとイザベラは取り留めのない話をしているが、マーガレットはどうも落ち着かなかった。
さっきの戦車の残骸が脳裏をよぎる。
イザベラとビンセントは、あんな化け物と渡り合ったのだ。
正気の沙汰ではない。
しかし、これからやろうとしている事は、それ以上の狂気である。
黙っていると余計な考えがどんどん湧いてくる。
「…………」
マーガレットはかぶりを振った。あまり考え過ぎるのは良くない。
気晴らしにカイルに話しかける事にする。
「ねぇ、あなた。エクスペンダブル……いえ、シュバルベとは、長いんですの?」
「言い直さなくても良いですよ。こいつ今は、エクスペンダブルなんで。……そうですね、リーチェで開戦以来の付き合いです。最初の半年は何もありませんでしたが……」
カイルはリーチェでの思い出を、とつとつと語った。
戦いそのものよりも、塹壕の構築に駆り出される事の方が多かったこと。
敵よりも、感情任せに怒鳴り散らす上官を撃ちたくて仕方がないと、いつも思っていた事。
いずれも、どこかで聞いたような話だ。
脳裏にビンセントの顔が浮かぶ。
「――前の上官の時は良かったんですけど。新しい部隊に入ってから、ホントきつくて。逃げたくて逃げたくて仕方がなかったんですよ。……そんな時かなぁ。お袋が病気になったって聞いて。……居ても立っても居られなくて」
「いいえ、何もおかしい所はありませんわ」
しかし、カイルはかぶりを振った。
「違うんです。今ならわかる。情けない事ですけど……お袋に会いに行くのを、俺は、……心の中で、その、言い訳に……していたんです。ただ、逃げたかった。それが本心だと、自分でも気付いていなかったんです」
「…………」
カイルは苦笑すると、バツが悪そうに頭をかいた。
「当のお袋に、それを指摘されて。とんでもなく恥ずかしくなりました」
「それでも……きっとお母様は、嬉しかったと思いますわ」
カイルは少し頬を緩めたが、やがて口を真一文字に結ぶと、マーガレットの目を真っ直ぐに見つめた。
珍しい、真っ黒な瞳だった。
「だからこそ、お袋のためにも、俺は脱走の恥を削がねばならないんです。今回の事は、良い機会でした」
「お母様って、どんな方ですの?」
「お袋は、女手一つで俺を育ててくれました。クレムの町で、祖父を手伝って馬具の修理とかやってて」
だからカイルは馬を扱えるのだろう。
しかし、気になる事がある。
「クレム……」
クレムは、王都のすぐ西にある町だ。
王都に近い割には開発が遅れ、貧困層が多い。
都市計画からも半ば疎外され、電気もろくに通っていないという。
人々はオイルランプを灯りとし、思い思いにバラックを立てては、まるでジョージ王登場以前のような暮らしをしているという。
「クレムが遅れているのは、貧困だけじゃないんです。昔、地球人がろくな知識も無いのにいい加減な事をやって、大きな事故が起きたんですよ。死んだ人も居る。その男は、事故直後に行方をくらませました。……それ以来、クレムの人は地球人と地球文化を嫌うようになったんですよ」
「地球人が……?」
ジョージ王が呼び寄せたうちの一人だろう。
なお、地球人という民族は公の記録には一切存在しない。
エイプルでもほかの国でも、異世界の存在は完全に秘匿されているのだ。
サラですら知らなかったくらいである。
しかし、カイルはなぜか知っている。
「……俺の、親父です」
「そう……でしたの」
「お袋は地球人と結婚したから、近所からもほとんど村八分にされてて。でもまだ良い方です。ジョージ王が地球人でなかったら、町を追い出されていたかもしれません」
衝撃的な告白であったが、続くカイルの言葉にマーガレットはそれ以上の衝撃を受けた。
「――噂だと、クレイシク王国やピネプル共和国では、もっと酷くて。地球人狩りとかやってるらしいです」
「それじゃあ、やっぱりジョージ王を射殺したのは!」
「マイオリス・クレイシク……という事になっています。でも――」
カイルは俯くと、きつく唇を噛んだ。
悔しそうな、悲しそうな、それでいてどうにもならないような、そんな表情だった。
「――マイオリスの正体は、人の持つ感情なんです。統率された組織も無ければ、指導者もいない。いちおう、あのエリック・フィッツジェラルドが象徴的な立ち位置に置かれていますが、彼を倒しても、地球人に対する差別は収まらないでしょうね」
「…………」
マーガレットには、返す言葉が見つからなかった。
「俺、エイプルに産まれて良かったですよ。知っていますか? エイプルが、この世界で一番地球人やその子孫が生きやすい国なんです。ジョージ王とサラ殿下のお陰ですよ。……だから、俺はエリック・フィッツジェラルドと戦わなければならない」
いつの間にか、イザベラとカーターも真剣な表情で、食い入るようにカイルの話を聞いていた。
カーターがカイルの肩を力強く叩く。
「せめて、もう少し早く知り合っていればな! 一緒にトレーニングができたんだが!」
「でもまぁ、私もダイエットしなきゃいけないし! 一緒に頑張りましょう」
イザベラが差し出した手を、一瞬の躊躇ののち、カイルは固く握った。
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