第190話 決戦前夜

「誰よ、アンタ」


 イザベラの問いに男は答えず、フードの奥から突き刺さるような眼差しを向けてくる。

 見た事がない顔のはずだが、向こうはどうやらエクスペンダブル号を知っているらしい。


「……『泥棒』って叫んで、奴らをおびき出したのは俺だ。……その馬、どこで手に入れた?」


「フルメントムの闇市だけど。誰よ、アンタ」


 男はフードを外して顔を見せた。


「……という事は、あの目つきの悪い男の関係者だな。頼みがある。聞いてくれるか」


「だから名乗りなさい」


 らちが明かない。マーガレットはイザベラを小突くと、前へ出る。

 ドリスは不安げな瞳で見つめてきたが、心配は無用、と視線を返す。


「あなた、ブルースをご存知ですの? それに、わたくしたちの馬も知っているようね」


 男は無言で頷いた。


「俺、脱走兵でな。元々は騎兵隊で馬丁をやっていたんだ。この馬は、俺の上官が乗っていた」


「ふうん。盗んで逃げた、という事ですの?」


 マーガレットは腕組みをする。思わず眉間にシワが寄ってしまった。

 名乗りたがらないのは、このためだ。

 ビンセントの名前を出したのは軽率だったかもしれない。


「それは違う。俺は、戦死した上官からシュバルベ……この馬を託された。だが、お袋が病気になってな。薬代欲しさに、闇市で売っちまった」


「…………」


 同じことだ。しかし、事情が事情ゆえ、責める訳にも行かないだろう。


「金貨一枚で良いと言ったが、二枚で買ってくれたよ。お陰でお袋は助かった。あの男に、礼を伝えてほしい」


「わかりましたわ。あなた、名前は?」


 男は、少しの間躊躇していたが、やがて口を開いた。


「…………カイルだ。それからな、今夜からは少し物騒な事になる。できれば、シュバルベを連れて王都を出てくれ」


「……詳しく聞いても、よろしくて?」


 男はかぶりを振ると、フードを被り直した。


「すまん、それは言えん」


 ふと、視線を感じる。

 酒場の前に出されたテーブルで、屋台のベンチで、あるいは電柱にもたれて。

 数人の男たちの、冷たく突き刺すような、殺気のこもった視線だった。


 ドリスが袖を掴んできた。心配そうな顔をしている。


「ま、マーガレット……」


「大丈夫ですわ」


 イザベラがしゃしゃり出て、真顔で余計な事を言う。


「私たち、エリックを捕まえて、仲間のマッチョマンにお尻を掘らせるつもりなんだけど」


「ブフーッ!!」


 酒場で飲んでいた男と、屋台のベンチに座っていた男、電柱の男が一斉に吹き出した。

 やはり関係者らしい。


「……嘘よ。ただ、エリックの敵であることは間違いないわ。あなたたちが暴れてくれるなら、こちらとしても願っても無い事」


 イザベラは周囲を見渡すと、天に拳を突き上げた。

 周辺のほぼ全員の視線が集まる。


「――エリック・フィッツジェラルドは、私たちが倒して見せるわ!!」


 一瞬の静寂の後、酒場の奥から拍手の音とともに一人の男が現れた。


「見事だイザベラ! それでこそ、私の妹だ!」


 スティーブ・チェンバレン中佐であった。


 ◇ ◇ ◇


 事態は急展開を見せつつあった。


 スティーブは王城への奇襲を画策していたのだ。

 王都の予備役や、放免をエサに脱走兵を義勇兵として集めていた。


 宿の一階にある酒場へと一行は移動する。


「仕方が無いわ。当然だもの」


 ドリスには悪いが、宿の部屋で待ってもらう事になった。

 あれでも、『神聖エイプル』の大幹部だ。万が一の事もあるため、妥当な判断だろう。

 部屋の外では義勇兵が見張りに付いている。


 スティーブを中心に、マーガレットとイザベラが掛ける。

 丸テーブルの上には、オニギリとグリーンティー。

 マーガレットは一つ掴むと、口を付けた。


「……美味しいですわ」


 中身は、ほぐした白身魚をマヨネーズであえた物だ。

 作りたてで温かく、米の匂いが鼻孔を包む。

 いくら食べても飽きない味と香りである。


「私も貰うわ。おなか減ってたの」


 イザベラも噛り付いた。


 オニギリとは、炊いた米で様々な具を包み押し固めた物を、海藻で作った紙――海苔を巻いた携行食である。

 パンよりも腹持ちが良く、軍人や肉体労働者に好まれた。海苔も食べる事ができる。

 保守的な年配者には受けが悪いが、若年層には絶大な人気を誇る新しい料理だ。


 南方が原産の従来の米では、粘り気が足りず作れなかった。

 しかし、ジョージ王がどこからか取り寄せた、粘り気の強い品種により可能となったらしい。

 稲は温帯の植物だが、この品種はエイプルのような冷帯地方でも栽培が可能な画期的なもので、エイプル人の食生活に革命をもたらした。


 米だけではない。小麦、大豆、ジャガイモやトマトなど、あらゆる品種が従来の物といつの間にか置き換わっている。

 それらは病気に強く、美味で、それでいてじゅうぶんな収穫が可能だった。

 化学肥料の実用化と相まって、人類はついに飢えを克服しつつある。


 三十年ほど前を境に、それらの画期的な新作物が世界中で生産され始めた。


 今であればわかるが、おそらく地球人が持ち込んだ、品種改良された植物と思われる。

 エイプルを出た地球人が手土産に、と持ち出したのだろう。


 皮肉にもそれが人口爆発を招き、国家総動員による総力戦の時代へと移り変わったのは皮肉であった。


 スティーブが口を開く。


「お前たちはまだ知らないだろうが、今朝エイプルとオルス帝国の和議が成立した」


「おおっ! さすがサラ様!」


 イザベラが諸手を挙げてはしゃぎ、マーガレットも胸を撫でおろした。

 それはつまり、潜水艦が無事にオルス帝国に辿り着いたのである。

 スティーブは続けた。


「そうなれば、次は大陸戦争そのものの終結だ。現在、父上が全権大使として中立国アリクアムで講和会議に臨んでおられる。一両日中にも戦争は終わるだろう」


「やったーっ! やっと平和が来るのね!」


 イザベラは嬉しそうだが、マーガレットの心には引っかかるものがあった。


「……エイプルがこの状況では、足元を見られるのではありませんの?」


 エイプルは今、エイプル王国と神聖エイプルに分裂している。

『神聖エイプル』を承認した国は無いが、王都にテロリストを抱え、彼らが実効支配しているのは問題だ。


「……その通りだ。早急に『神聖エイプル』を叩き潰す必要が出てきた。奴らが居る限り、交渉は困難を極めるだろう。したがって明朝、義勇兵が王城に襲撃を掛ける」


「……明朝、ですって!」


 いささか急な話だ。


「ああ。『神聖エイプル』は、フィッツジェラルドのカリスマによってのみ集まっている烏合の衆だ。ヤツを倒せば、その時点で瓦解する。……脆い集団だよ」


「ほうほう! で、どんな作戦なのです!? お兄様!」


 イザベラが前のめりになってスティーブに詰め寄る。

 しかし、彼の言葉に全員が言葉を失った。


「いかにフィッツジェラルドといえど、決して不死身ではない。魔力が尽きるまで波状攻撃を仕掛ければ、いずれ必ず力尽きるだろう。ヤツを倒す方法は、他にない」


「…………」


 つまり、人海戦術だ。

 

「ダメッ! ダメよ、そんなの!」


 イザベラはテーブルを強く叩いた。


「――そんなの……リーチェの戦いと同じになるわ!」


 イザベラはリーチェを知っている。ぞの表情は、必死そのものだった。

 マーガレットは息を呑んだ。

 いちおう、リーチェの事は知識としては知っている。

 しかし、それはあくまでも伝聞であり、実体験を伴ったものではない。

 そして、この国の支配層が同様の認識しか持たなかったことが、今回のクーデターの遠因である。

 頭の中の理想論で全てを分かった気になってしまい、それを現実と思い込んでいたのだ。


 スティーブは、苦虫を噛みつぶすような表情を隠さなかった。


「……仕方がないのだ。時間がない」


 マーガレットが一瞬視線を逸らした隙に、とても痛そうな音が響いた。

 イザベラがスティーブの頬を殴ったのだ。


「ちょっと、イザベラ!」


 拳骨である。淑女であれば、せめて平手で殴るべきだ。

 スティーブは椅子から転げ落ち、痛そうに頬を押さえていた。


「マーガレットは黙って! それじゃ結局、犠牲になるのは平民じゃないッ!!」


「……そうだ。いかなる犠牲を払ってでも、やらねばならん」


 正規軍は、ムーサの戦いで壊滅的な打撃を受けている。

 まだ大陸戦争が終わっていない以上、前線から兵を引き揚げることもできない。

 ゴーダ商会から武器を買い集めていたのも、スティーブだったのだ。


「ふざけないでッ!! お兄様もしょせん、平民を『統計上の数字』でしか見ない、冷たい貴族なの!?」


「…………」


「何か言い返してよッ!!」


「…………」


 スティーブは言い返さなかった。

 マーガレットはイザベラの肩に手を置く。


「あなた……忘れたの?」


 そう言うと、イザベラはハッと目を丸くする。


「ごめんなさい……お兄様。お義姉様は……」


 スティーブの婚約者、ヤスコは地球人だ。当然、平民である。スティーブにとって、平民が『統計上の数字』などあり得ない。


「まぁまぁ、その前にオレたちがエリックのヤロウをぶっ飛ばせば、そんな心配はいらねぇっすよ!! ハッハッハ」


 振り向いた視線の先には、カーターが力こぶを見せつけるようにして立っていた。

 なぜか籠一杯のマッチを持っている。


「――明朝でしょ? だったら今夜中にケリをつければ、何の問題も無いッスねぇ」

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