第六部 気が付いたら知らない間に色々あり過ぎ。でもきっと、最後はハッピーエンドさ。

第一章 エイプルに生きる人々

第189話 おもかげ

 ビンセントたちが、サザーランドを捕縛する数時間前。

 残照が、空を青く染める頃合いである。


 ◆ ◆ ◆


 エイプル王国の王都。

 マーガレット、イザベラ、カーターにドリスを加えた四人は、馬車で丸一日かけて王都入りしていた。

 通常であればもう少し早く到着することができる。

 しかし馬車には大量の武器弾薬が積まれており、面倒を避けるために裏道を辿った結果、遅くなってしまったのだ。


「……そこで、ガラスを破ってシャキーン! ……って! 慌てふためくオルクをボッコボコにして、『大丈夫かい、イザベラ』って! 歯がキラーン! ってね」


「絶対ウソですわ。ブルースは、そんな事を言う人ではありませんもの」


 イザベラに、ビンセントのどこを気に入ったのかを聞いてみたのだ。

 ドリスは興味深げに頷いていたが、マーガレットはやれやれとかぶりを振った。

 彼の人柄を考えれば、そんな事はまずあり得ない。

 

「……そりゃあ、多少は盛ったけど」


「でしょうね」


 ボルドックでイザベラを拉致したオルクを倒したのは、実際にはカーターらしい。

 しかし、防御魔法の反動を利用してオルクの部屋に飛び込み、カーターとサラが来るまで体一つで戦い抜いたのだ。

 ただの平民、いち兵士が、だ。間違いなく英雄と言って良いだろう。


 気持ちは分からないでもない。

 絶対のピンチに颯爽と駆け付けてくれるヒーローは、いつの時代も女の子の憧れだ。


「ま、他にも娼館に売られそうになったところを救われたりとか、色々あったでしょ?」


 マーガレットは息を呑んだ。さすがにそれは油断し過ぎである。


 カーターは機嫌が良いらしく、笑うと無駄に白い歯がキラキラと光る。

 イザベラだけでなく、カーターもやはりビンセントが好きなのだ。

 ……もちろん、変な意味ではなく。


 しかし、その時を境にカーターの顔からは、徐々に表情が消えて行った。

 人通りの多くなってきた町の一角で、カーターが足を止める。

 いつになく真剣な顔つきで、額には汗が浮かんでいる。

 直前までの陽気な雰囲気は、どこかに吹き飛んでいた。


「どうしたの?」


 ドリスの問いに、カーターは拳を握りしめた。


「……も、もう、ダメだッ!! オレ様のトルネードうんこが、外の世界を知りたがっているんだッ!! オレがいくら止めようとしても、奴らさっぱり聞きやしねぇッ!!」


 食べた分だけ出る、自然の摂理である。それは構わない。

 しかし、もっと言い方というものがあるのではないか、とマーガレットは溜息をついた。


「……先に宿へ行っていますわ」


「おうッ!!」


 三人に見送られ、カーターは何処へともなく消えて行った。


 ◇ ◇ ◇


 以前のカーターのように、正面から王城に乗り込むのは難しいだろう。

 王都の様子を見ない事には、作戦の立てようもない。

 そちらの方面で色々とバックアップしてくれたウィンドミルも、今は居ない。


 女三人で狭い路地を歩く。

 一行は、いかにも平民の行商人といったマントで身を包んでいる。


「…………」


 戦線から遠い王都は、一見、あくまでも一見したところ、平穏そのものである。

 そして、それこそが最大の問題であった。

 このままなし崩し的に民衆が慣れてしまえば、今度はエリックを倒しても再び混乱が起こってしまう。

 あまり時間を掛けてはいられない。


 エイプル王国は、かつては科学文明の発祥の地として隆盛を誇った。

 魔力を持たない平民にも文明の恩恵をもたらした、科学。

 人々の暮らしを一変させた新しい技術を得てからも、この国は変わらなかった。

 変わっていく世界の中にあって、変わらなかった。

 変わらなかった事。

 それがエイプル王家の支配に終わりをもたらした、といっても過言ではない。


 担ぎ上げられた新たな王、エリック・フィッツジェラルドは、しょせんは外様であった。

 実権を持たない、お飾りとしての王。

 子供であるがゆえに何の力も持たず、城を追われた幼い王女と何ら変わることは無い。


 しかし、彼は狡猾だった。

 自分が君主として未熟である事を熟知していたのか、従来の官僚機構の大半を温存したのだ。

 市井の人々にとって、為政者が誰かという事よりも、明日のパンの方がより重要な問題である。

 税金の納め先が変わるだけに過ぎない。

 事実、多くの者はそう思っていたし、平穏が保たれているのもそのためだ。


「よう、姉ちゃんたち。どこ行くんだァ?」


「ちょっと付き合えよ、なァ!?」


 しかし、誰もがそう思うわけではない。

 新たな支配者にすり寄り、己の権益を拡大しようとする者は後を絶たない。

 ある日突然、大きな力を与えられたとしたら……増長するのが、人間として自然な姿と言えるかもしれなかった。


「俺はマイオリスの幹部と繋がりがあってなぁ。俺がちょっと言えば、アンタなんかすぐにブタ箱行きだぜ?」


「だからよう、ちょっとくらい付き合えや!」


「そうそう、人生楽しまなくちゃなぁ。ひゃっひゃっひゃ!!」


 下卑た顔でしつこく付きまとうこの男たちも、そうなのだろう。

 見た目に派手で、いかにも強そうなカーターが席を外している、その僅かな隙をついて、この有り様だ。

 見えにくい部分では、相当に治安が悪化しているであろうことは間違いない。


 腕に吊るされた腕章には、マイオリスの紋章。

 エリックによって新たに組織された『突撃隊』だ。

 その権力は軍と衛兵隊を上回る、フィッツジェラルド家の私兵である。

 まがりなりにも治安を司るはずの彼らが、自ら治安を乱しているのは失笑ものだ。

 

 隣に立つドリスは、フードを被ったまま黙っている。

 マイオリスの幹部がここに居る以上、突撃隊員たちの言葉には一グラムたりとも真実などあり得なかった。


「ダメですわ。堪えて」


「…………」


 イザベラの裾を引っ張って止める。

 ここで騒ぎを起こしても、何の得にもならない。


「ちょ、ちょっと!」


 イザベラが拳の骨をポキポキと鳴らし始める。

 完全にやる気だ。

 マーガレットは青い顔でイザベラを抑えようとする。


 その時である。


「泥棒ーッ!! 誰か、誰かーッ!!」


 角を曲がったあたりから、男の声が響いた。

 通行人の視線が兵士たちに集まる。

 ここで無視していては、彼らの沽券にかかわる問題だ。

 もっとも、そんなものは存在しないのだが。


「クソッ、良い所で……」


「仕方ねぇ、行くぞ」


 舌打ちをしつつも、兵士たちは走り出した。

 今のうちに馬を引き、その場を後にする。

 トニーが有り合わせの材料で作ってくれた馬車は、武器弾薬を覆い隠すように藁の山が積まれている。

 馬車といっても、リヤカーの持ち手を少し改造して馬の鞍に接続できるようにしたものだ。


「ケッ!」


 馬車を引くエクスペンダブル号は、いかにも不機嫌な様子である。

 しかし、何か匂いを嗅ぐような仕草をすると、その場で立ち止まった。


「どうしたの? エクスペンタブル」


「フフッ……フヒヒッ!」


 エクスペンダブル号は笑い出した。

 目の前には、ボロマントにフードで顔を隠した男が壁に背を預けている。

 エクスペンダブル号は男に近づくと、頬をこすり付けた。


「エクスペンタブル……消耗品か。酷い名前だな、シュバルベ」


 ◆ ◆ ◆


 うんこをしたくない訳ではないが、実際の所、それほど緊急という訳ではない。

 五分、いや、その気になれば十分くらいは持つだろう。


 一人になりたくなったのだ。……彼女を見つけたから。

 今は大事な時だ。イザベラやマーガレットに、余計な負担を掛けたくはない。


「よう、元気か!」


「は、はい……」


 カーターは前にも会った、マッチ売りの少女の前に膝をつく。

 以前会った時には気が付かなかったが、少女には懐かしい面影が残されている。

 胸に付けられた名札を確認すると、やはり間違いない。


「全部買わせてもらうぞ! いいな?」


 ポケットから金貨を取り出し、少女に握らせる。


「あ、ありがとうございます。……あの、おつりが無くて。細かいのありませんか?」


「ハッハッハ、取っておけ!」 


 カーターは腰に手を当て、腹筋と大胸筋を強調した。

 しかし、少女は困ったような顔をしてかぶりを振る。


「そ、そんな……! 受け取れません! こんなに……!」


 カーターは思わず視線を落とした。

 一瞬だけ唇を噛むが、すぐに笑顔に戻る。


「……あんた、育ちが良いんだな! ハッハッハ!」


 手帳でスケジュールを確認しながら歩いている通行人を捕まえ、無理矢理ページを一枚奪い取る。


「な、何をするんだ!」


「うるせぇ! 一枚くらいケチケチすんな! ペンも貸せ!」


 ボールペンで自分の名前と、フルメントムの教会の住所を殴り書きすると、全身の筋肉に渾身の力を籠め少女に渡す。


「オレは、カーター・ボールドウィンだ! 困ったことがあれば、何でも遠慮なく言ってくれッ!!」


「は、はあ……」


「また会おう! マチルダ・タリス! ハッハッハ!」


 困惑する少女を背に、カーターは立ち去った。

 マチルダ・タリス。

 ムーサの戦いで、鬼神のごとき戦いぶりを見せ、そして散っていったタリス軍曹の娘である。


 タリスの命を無駄にしないためにも、この戦いに負ける訳には行かない。

 細かい話は、戦いの後だ。


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