第188話 秘められし力

 荷台後方の下に積まれた小排気量エンジンが、比喩ではなく唸りを上げる。

 軽トラックは、爆音を上げて帝都の夜を駆け抜けていた。

 そのあまりにもワイルドな運転は、制限速度などお構いなし、信号無視、歩道への乗り上げなどなど、挙げて行けばキリがない。


 当然と言えば当然だが、何台ものパトロールカーがけたたましくサイレンを鳴らし、赤色灯を煌かせて追いかけてくる。

 なぜかビンセントは少し感心してしまった。

 衛兵隊にまるでやる気のないエイプルでは、あり得ない光景だ。やはり都会は違う。


 荷台からは後ろが良く見える。

 パトカーの警官が必死の形相でまくし立てる表情も、良く見えた。

 これも帝都の明るい街灯のお陰だ。エイプルの王都よりもずっと明るい。

 ただ、これでも電力不足によって電球が間引かれ、戦前よりも暗いという。

 昨夜見たポート・オルスが暗かったのは、やはり空襲を警戒した灯火管制だったらしい。


 しかし、今はそんな事を考えている暇はない。


「前の軽トラ! 停まれーッ! 停まらんかーッ!!」


「じゃかあしいッ!!」


 スピーカー越しの声が響くが、ジョセフはアクセルを緩めない。

 信号を無視して交差点を過ぎると、横から来た車どうしが避けようとして、対向車と正面衝突を起こした。

 完全な巻き添えである。


 しかし、後輪を滑らせながらパトカーは事故車をギリギリで回避した。

 運転席後部の窓越しに叫ぶ。


「まだ追ってくるぞ!」


「まかせて!」


 キャロラインはハンドルを回して窓を開いたかと思うと、身を乗り出しては右手を後ろに突き出す。

 手のひらに浮かぶ魔方陣が、強烈な閃光を放つのを目蓋越しに感じると、タイヤの軋む音が響き、パトカーは街路樹に次々とぶつかった。


「さっすがキャロライン姐さんだな、ギャハハハハハ!!」


 ジョセフの笑い声はいかにもなチンピラといった具合だが、それはこの際どうでも良い。

 進行方向にもまたパトカーの一団が現れたのだ。

 車を横にして道を塞いでいる。

 警官が慌ただしくバリケードを設置していた。


「バカな……」


 対応が早すぎる。

 もしかしたらパトカー一台一台に無線機が積まれ、連携しているのかもしれない。

 笛の音や、制止を呼びかけるスピーカー越しの声が響く。


「つかまれッ!!」


 ジョセフがサイドブレーキを引くと、急激に後輪タイヤが空転をはじめ、甲高い嫌な音が夜の帳を切り裂いた。

 ゴムの焦げる臭いが鼻につく。


「うおっ?」


 遠心力で放り出されそうになる所を必死でつかまる。

 なんと、車は左に急旋回しているというのに、ジョセフは右へ右へとハンドルを切っていた。


 設計上の旋回半径を無視して、滑るようにして軽トラは急激に向きを変えたかと思うと、そのまま直進して細い路地へと入り込んだ。


「オラーッ!! どけどけどけーい!!」


 ジョセフは楽器を奏でるかのように、リズミカルにクラクションを鳴らした。

 路地に置かれたゴミ箱を跳ね飛ばし、目を丸くしたホームレスが慌てて建物の間に逃げていく。

 飲む屋の女は悲鳴を上げ、客は腰を抜かす。

 阿鼻叫喚の地獄絵図だ。人に当たらなかったのが不思議でならない。

 バックミラーが壁に当たって吹き飛んだ。


「――舌噛むなよッ!!」


「なに!?」


 軽トラックの屋根越しに前を見ると、ものすごい勢いで迫ってくるのは白く塗られた柵。

 ガードレールだ。背中に冷たい汗が流れる。

 そのガードレールは、人や車が川に落ちないようにするための物だからだ。


 大きな衝撃が包んだかと思うと、金属のひしゃげる音が鼓膜を突き刺し、軽トラックは宙に浮いた。


「嫌あああッ!!」


「ヒャッホーゥィ!!」


「…………!!」


 キャロラインが叫び、ジョセフが嬌声を上げ、ビンセントは歯を食いしばる。

 体が浮かび上がる感覚。全てがスローモーションに見えた。

 しかし、身体は動かない。

 できるのは、足を踏ん張って歯を食いしばり、つかまっている手にさらに力を掛ける事だけだ。


 あちこちにゴミが浮き、悪臭がする川面に、逞しく泳ぐ魚がはっきりと見える。

 街頭の灯りがあるとはいえ、現在は深夜であり、通常であればそんなものが見える明るさではない。

 極限状態における人体の潜在能力の解放であった。

 しかし、しょせんビンセントはただの平民、いち兵士である。


 ――ああ、生き物って逞しいな、でも秘められた力が覚醒するなら、もっと凄い能力とか、土壇場でパワーアップとか、そういうのが良かったな。


 ……などと思ったのも一瞬の事、サスペンションをフルボトムさせながら軽トラックは対岸に着地した。


「ッしゃあ!!」


 ジョセフの声にほっと胸を撫でおろす。


 再び大通りに出ると、タイヤを鳴らして軽トラは進む。

 今度はパトカーの姿は無い。荷台の上で一息ついた。

 

「やれやれ、乱暴なやつだな」


「その乱暴者に助けられたのは誰だ!? ああん!?」


「俺だな」


「だったらもっと敬え! ヒャーハッハッハッハ!!」


 ジョセフが楽しそうで何よりだ。空軍パイロットとは思えない。


 キャロラインが窓越しに振り返った。

 何やら奇妙で歪な、それでいて嬉しそうな顔をしている。


「ねぇ、ブルース君。……もしも、僕が……もしもだよ? 車を買ってあげる、と言ったら……受け取ってくれる?」


「遠慮します!!」


 その時、車は衝撃と共にギャップを乗り越えた。

 火花を散らせながら、ガラガラと円筒形の部品が転がっていく。

 同時に排気音が異常なほど大きくなり、スピードが鈍る。


消音器マフラーが……」


「あーっ!? なんだってーッ!?」


 もう会話にならない。


 ◇ ◇ ◇


 駐車場に滑り込むと、同時にボンネットから大量の煙が噴き出した。

 エンジンオイルの焼ける臭いも漂ってくる。

 下の方からシュー、という音が聞こえはじめ、車体が傾く。パンクもしているらしい。


 ここはエイプル王国大使館の駐車場であり、オルス帝国の警察は手出しできない。


「おい」


「うん?」


 ジョセフは鍵を抜くと、ビンセントに放り投げた。

 ピンクのウサギちゃんマスコットが付いたそれを、思わず受け取る。


「いや~! さすがブルースの兄貴だぜ! 見事なドライビングテクニックだ!!」


「は?」


 もちろん、運転していたのはジョセフだ。

 呆れたような顔でウィンドミルが出迎えるのを見て、ジョセフはビンセントを指差した。


「運転したのは、このエイプル人! 俺は知らねぇ! 修理代もアンタら持ち! 新車同様で返せ、いいな!?」


 軽トラックのボンネットは無残に凹み、フロントガラスはひび割れ、ヘッドライトが片方潰れている。

 しかし、海の近くで使われていたためか、錆びだらけの車だ。

 元々そろそろ買い替えが必要だったのかもしれない。

 おそらく修理代の方が高くつくだろう。


 ジョセフは無茶苦茶を言っているようが、成果を鑑みればその程度は受けて然るべきかもしれない。


「わ、わかりました。ただ……同等品を購入、という形になるかと。プレアデス社の『スイロクトラック』ですね」


 ウィンドミルも渋々了承したようだ。

 ビンセントに顔を向けると、拝むようにして手を顔の前に挙げる。


「――その、万が一の際は全力でバックアップしますので」


「はぁ」


 泥を被れ、という事らしい。

 牢屋に入るのも何度目か分からないので、今更ではある。

 しかし、今後二度とオルス帝国をうろつく事はできないだろう。


「――ま、俺が無実なのは俺が一番わかってるんで。とりあえず、これを」


「お疲れ様です。後は我々にお任せを」


 ウィンドミルに簀巻きのサザーランドを引き渡す。

 虫の息だが、とりあえず生きてはいるらしい。


「よーし! 食い物持ってこいッ! 腹が減ったぜ!」


 高笑いをしながら、ジョセフは建物の中に消えていく。

 一息つこうとしたビンセントの頭を、後ろから固い物が叩いた。


「め~ん。め~ん」


「い、痛てて……」


 サラが持っているのは、『竹刀』といって剣術の訓練に使う竹製の刀である。

 従来の木剣よりも安全で、剣術を志す者はほとんどがこれで練習していた。

 これも一般的にはジョージ王の発明とされているが、実際にはわからない。


「ばかものー。おまえなんか、こうだー。め~ん」


 力は弱いが、地味に痛い。

 サラも重さと長さゆえ竹刀を扱いきれず、フラフラとしている。


「すいません、お許しを……」


 しかし、サラのお仕置きは止まらない。


「サザーランドみたいなアホにかまってるヒマ、ないんだからなー。今、向こうは大変だぞー。め~ん」


「……何があったんですか」


「め~ん」

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