第187話 サザーランド
帝都、エリア・マンゴ。
丁字路に店を構えるバー『バルサベ』は、平日の夜という事もあり、客はまばらだ。
レンガでできた内装は落ち着いた造りで、今どき珍しい魔法のランプで照らされている。
電灯が主流の現在ではごく僅かしか生産されていないが、電灯とは違った温かみのある光が根強い人気を誇っていた。
しかしながら当然、魔法使いにしか使う事ができない。
キャロラインはジンジャーエールに口を付けた。
富裕層向けの高級品で、甘味料には本物の砂糖が使われている。
大きなガラス窓の外を見ると、行きかう人々の身なりも悪くない。
比較的富裕層の多い街らしかった。
しかし、近くの路地に視線を移すと、ホームレスが何の光も無い目で安酒を煽っていた。
キャロラインは足元のゴルフケースに目をやる。
これが、全てを決めるのだ。
あの男の趣味はゴルフであり、特に不審に思われる事は無いだろう。
時計を見ると、時刻は深夜零時。
「…………」
ドアが開き、一人の男が入ってくる。
いかにも貴族然とした、白髪を頭の両脇でカールさせた髪型と、銀縁眼鏡の男だ。
「やあ。待たせたね」
「サザーランド先生……」
サザーランドは店員に椅子を引かれ、キャロラインの正面に腰を降ろした。
店員にワインを頼むと、二人はグラスを鳴らして乾杯する。
「本当に来てくれるとは思わなかった。全てを失った私に光を差しかけてくれた、君が居てくれたからこそ、今の私があると言っても過言ではないだろう」
「いいえ、先生」
詭弁だ。全てを失った理由は、自業自得でしかない。
しかし、キャロラインは一切おくびに出さないよう心掛けた。
サザーランドは遠い目をした。
「エミー君は……私にとって、全てだったからな。彼女は優秀な生徒だったが……私をわかってくれたのは、君だけだ。キャロライン君」
「先生のためですもの」
よく回る舌だ。こうして一体、何人の女学生をその手に掛けてきたのだろうか。
実際には、エミー・マキオンを捨てたのはサザーランドである。
ようは、飽きたのだ。
マキオンの代わりの恋人が、『キャロライン・ロッドフォード』だった。
誰にも言わずに出てきたのは、このためだ。
特に、ビンセントに知られるのは余計な誤解を招くことになりかねない。
サザーランドはテーブル越しにキャロラインの頬を撫でる。
内心、吐き気がした。目を合わせないよう、視線を降ろす。
「ああ……君は賢い、良い娘だ。知っているかね? 知能指数が二十違えば、会話にならないと言われている。どこもかしこも愚か者ばかりだ。あんな奴らに国を任せておくくらいなら、一度全てを破壊して、ゼロからやり直す他はない」
「さすが先生です。素敵」
「方法は色々あったが、君の意見はじつに参考になったよ。どうせバカ共が実権を握っているのであれば、そのバカ共に徹底的に全てを任せて、未曽有の混乱に持ち込もう、とね。……実に爽快だった」
「もう、悔いはないと?」
「そうだな。あとは仕上げの原子爆弾の起爆を待つのみだ。ジェフリー君も、君に似て頭が回るね。さすが君の弟だ」
キャロラインゴルフケースに意識を向ける。
中身は、当然ゴルフクラブではない。
オルス帝国が開発した最新兵器、『無反動砲』。
尾栓の無い筒型の武器で、肩に担いで使う大砲の一種だ。
砲弾を前方に発射するのと同時に、後方にも爆風を打ち出し、反動を相殺する。
歩兵に砲兵並みの火力を与える新兵器であり、エイプルでは配備はおろか開発すらされていない。
例によって帝都にもある闇市は、金さえ出せば、買えない物は無い。質を問わなければ何でもある。
これは、オルス帝国軍の横流し品のようだった。
問題は、キャロライン自身が銃器を扱った経験が殆どないこと。
基本的には、火薬は平民の武器である。しかし、そんな事も言っていられない。
外さないために至近距離で撃つしかないが、爆風の被害範囲もわからないとなれば、 自爆の危険もある。
「……カスタネの夜会、覚えてます?」
「ああ、よく覚えているよ」
「あの日……会場を警備していた警備員の一人が、僕たちと同い年だったんです。彼はリーチェで壊滅した部隊から、転属させられてきた兵士でした」
「リーチェの戦いは凄惨だったと聞く。だが、我々に何の関係がある?」
キャロラインはテーブルの下で拳を握り締めた。
関係がない訳がない。
「先生がたくさんの女の子と付き合っている間にも、彼は戦い続けていたんです。よりよい明日が来ることを願って」
頬杖をつくサザーランドの口が歪んだ。
「より良い明日だと? そんなものは無い。いかなる過去があろうが、いかなる未来があろうが、今、この時が全てなのだ。過ぎ去りし過去に価値は無いし、未来は何も決まっていない」
「だからと言って……」
「ならこう考えてはどうだ? より良い今を生き続けることが、良い思い出を作ることになるし、良い未来をも呼び寄せる事にもなる」
言っていることは正論だ。確かに正論なのだが、それも結局は強者の理論でしかない。
「それができない人は……どうすれば良いんです」
「知らんな。本人の責任だ」
「そう……ですか」
窓の外を見ると、通行人がまだたくさん歩いているし、店内には店員と何人かの客が居る。
彼らも巻き添えにしてしまうかもしれない。
しかし、チャンスは今しかないのも確かだ。
背中に汗が浮かべながらも、キャロラインはゴルフケースを手に席を立つ。
「――すみません、ちょっとお花を摘みに……」
少し不自然だろうか。
サザーランドは訝し気な視線を向けてきた。その時である。
◆ ◆ ◆
摩天楼の立ち並ぶ一角は、意外なほど静かだった。
戦前は華やかなネオンに彩られ、金持ちが、貧乏人が、貴族が、平民が行きかっていたであろう大通りも、現在では静かなものだ。
これも全て大陸戦争に伴う物資不足と人手不足のためだという。
どこの国も事情は変わらないが、オルス帝国は特に事態が深刻だそうだ。
しかし、それも表面上の事。
裏では、あらゆる物資が取引され、官憲も目をつぶっている。
ビンセントの内ポケットには、拳銃ほどの長さにまで銃身を切り詰めたショットガン。
一番安い銃を探していたら、これに行きついた、という事だ。
射程距離は短いが、室内で特定の相手を狙うのであれば心強い。
当然、非合法の品であり、主な顧客はマフィアらしかった。
「…………」
ダッシュボードには、セロハンテープで張り付けられたサザーランドの写真。
証明書用の、無表情無背景のものだ。
ジョセフがハンドルを握る軽トラックの車内は、全く会話がない。
結局ウィンドミルを連絡役として残し、艦長は引き続きサラを護衛する事になったのだ。
結果、ビンセントとジョセフの二人だけで『バルサベ』に乗り込むことになった。
出発は慌ただしかった。
サラを危険に巻き込むわけには行かず、電話で席を外した隙を見計らって出てきたためだ。
残った二人は今頃、きつくお説教をされながら平身低頭している事だろう。
赤信号で車は停まる。
ジョセフはサイドブレーキを引くと、前を見ながら聞いてきた。
「……で、なんでお前がやる事になったんだ?」
「……王女殿下の勅命だからな」
「それは建前だろ。本当に王女の命令を聞くだけなら、お前は大使館に残るのが筋だ。違うか?」
「……総理大臣と電話してたからな。そんな命令は受けていない」
信号が変わり、発進する。
「正直に言え。お前は、ただ女の子に囲まれてワイワイやってる奴に嫉妬しているから、単純にサザーランドをぶっ飛ばしたい。……そうだろう?」
この件が片付けば、もうジョセフと会う事も無いだろう。
体面を取り繕っても、あまり意味は無い。
「…………そういう気持ちも、……無いではないかな」
「はっきり言え。具体的には?」
「王立学院の保養所に行ったら、まるで別世界でさ。俺が嫌な上官に怒鳴られ、殴られながら戦争やってる間、こいつらは華やかな世界で愛だの恋だの言っているのを知ったら……すごく、寂しくなってさ」
「ふむ、それで?」
「こんな国、滅んじまえと思ったら……本当に滅んじまった。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、ちょっと羨ましかっただけだよ」
ジョセフは目線だけをビンセントに向けた。
まるで、友人に笑いかけるような視線だった。
それも一瞬であり、歪な笑みを浮かべるとすぐに前方に視線を移す。
「上等! やっぱ人間、正直に生きるべきだ。俺もお前と同じ気持ちだ! モテる奴は、死ぬべきッ!!」
そう叫ぶと、ジョセフは思い切りアクセルを踏み込んだ。
後輪が嫌な音を立てて軽トラックは急加速する。
「おい、いったい何を!?」
「下噛むぞ! 黙ってろ! オラオラオラーッ!! どけどけーッ!!」
クラクションが夜の街に響き、渡り、通行人が必死の形相で、飛び込むようにして車をよける。
歩道に乗り上げると車体は大きく跳ね上がり、そのまま店の大きなガラス窓に突っ込んだ。
響き渡る悲鳴、椅子やテーブルの砕ける音にも動じることなく、ジョセフは決してアクセルを緩めない。
「やめろ! 何てことをするんだッ!!」
大きな衝撃が伝わり、軽トラックはやっと止まった。
ラジエターから冷却水が煙のように吹き出している。
「ほらよ、一丁上がり」
「何を言って……はっ、まさか?」
車を降りて軽トラックの前に回ると、全身にガラス片を突き刺しながら、苦悶の表情を浮かべて倒れている男が一人。
どうやら脚が折れているらしい。
顔を見れば、サザーランドだ。
「パイロットの視力を舐めるなよ! お前らとは鍛え方が違うんだ! こうして、こう……っと!」
ビンセントがあっ気に取られている間に、ジョセフが荷台から黄色と黒のロープを持ち出し、サザーランドを縛り上げる。
「……さすがに乱暴すぎる気もするけど。まあ、いいか」
「?」
声のした方に振り替えると、そこに立っていたのはキャロラインだ。
足元で苦悶に顔を歪めるサザーランドは、絞り出すようにして口を開いた。
「キャロライン君……私を……だましていたのか……! 愛しているというのは、……嘘だったのか!!」
キャロラインは驚くほど冷酷な表情で、サザーランドを見下ろした。
「今だから言いますが、先生と愛し合ったのは僕じゃない」
「な……何だって?」
「言っていることがわかりませんか? ジェフリーが女装して、キャロラインを名乗っていたんです」
「バカな、学院で何度も……」
「一人二役ですよ。僕とジェフリーは双子、エリックですら見分けは付かない。……騙されていたんですよ、先生は!!」
「そ、そん……な……!」
「エミー・マキオンをはじめ、食い物にされた女の子から、そうとう恨みを買っているようですね。国外逃亡も、本当はそのためでしょう?」
「く……」
意識を失ったサザーランドを荷台に放り込むと、ジョセフはエンジンを掛ける。
「キャロライン姐さん、乗れよ! ビンセント、『荷物』を頼むぜ。お前が本当にぶっ飛ばしたいのは、エリック・フィッツジェラルドだろうが!!」
「お、おう」
確かに、今ここで捕まる訳には行かない。
キャロラインも一瞬躊躇していたが、ゴルフケースを掴むと軽トラックの助手席に乗り込んだ。
「さーて! 帰ってメシの続きだッ!! お姫様のお説教なら付き合ってやるぜッ!!」
何が何やらさっぱりわからないが、とりあえずは結果オーライという事らしい。
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